第19話 ピーマンのお薬


「お姉ちゃん! ピーマンが食べれるようになるお薬ちょうだい!」


 いつものように薬の配達をしていた日。違うことと言えば、久方ぶりに寿人くんが付いてきていることだろうか。


 最後のお宅に薬を届け終え、帰宅しようと思っていたときであった。小学校低学年くらいに見える男の子に、とある団地の駐車場で話しかけられたのだ。


「えっと……、何のお薬が欲しいのかな?」


「だから! ピーマン!」


 少年の返答は簡潔である。私の聞き間違いではなかったようだ。


「……ぼくは、どうしてピーマンを食べたいの?」


 私はできるだけ優しく質問する。


「ぼくじゃないやい! 純也じゅんやって名前があるんだい!」


 少年はお怒りのようである。


「ごめんね、純也くん。それで、どうしてピーマンを食べられるようになりたいの?」


 私は再度、質問する。


「ピーマンを食べれるようになれば、おとーさんとおかーさんが仲直りするの!」


 少年はにこやかに言う。


「……詳しく聞かせてくれる?」


 雲行きが怪しい、そう感じた私は三度問いかける。


「しょうがないなあ」


 純也くんはそう言いながらも、思っていることをしっかりと話してくれた。


「おとーさんとおかーさん、さいきん仲が良くないんだ。よく分かんないけど、びょーきがどうとか、ずっとここにいるつもり!? とか」


「……」


 私は黙って、話を聞く。


「それでね、この前は久しぶりにニコニコしてたんだけどね。ぼくがピーマンのこしちゃったの。すごーく苦ぁいから。そしたら、おとーさんにおこられちゃったの。でも、おかーさんはピーマンぐらいべつにいいでしょって。それからけんかになっちゃったの。君ににて、すききらいが多いとか、こまかいこと気にしすぎとかって怒ってた」


 ゆっくりと震えながら、とても一生懸命に純也くんは話してくれた。


「……そうなのね」


 話は大体理解できた。


「だから、ぼくがピーマン食べれるようになれば、けんか、やめてくれるよね」


 純也くんの目には小粒の涙が溜まっている。


「そうね。少しだけ待っていてくれるかしら。明日、ピーマンが食べられるようになるお薬を作ってもってくるわ」


 私は努めて自信満々に答える。


「ほんとぉ! ありがとう! お姉ちゃん!」


 子供の表情はコロコロと変わる。


「どういたしまして。それじゃあ明日……、今日と同じ時間、17時にここに来てくれる?」


 腕時計をチラッと見てから、私は純也くんに提案する。


「うん! 分かった! 約束だよ! それじゃあまた明日!」


 そう言って、純也くんは団地へ走っていった。


「ええ、また明日」


 純也くんが見えなくなるまで、私たちは小さく手を振り続けていた。


「……ピーマンが食べられるようになる薬なんてあるの?」


 純也くんの姿が見えなくなってから、これまで黙っていた寿人くんが口を開いた。


「ないわ」


 私ははっきりと答える。


「えっ」


 驚いた顔をする寿人くん。


「苦味を甘味に変える薬とかでやりようはあるけれど、本質的な問題はそこじゃない。あなたも分かっているでしょう?」


 それに、その薬を作るにはもっと時間がかかる。


「うん……、まあ」


 寿人くんは歯切れ悪く答える。


「だから、ちょっと予定を伝えなきゃね」


「?」


 寿人くんは不思議そうな顔をしていたが、どちらにせよ明日分かることだ。私たちは、寄り道せずに自宅へと帰っていったのだった。



 ******


 純也くんからの依頼を受けた日の翌日。


 今いる場所は団地のすぐ近くにある公園。そこにある椅子に座り、テーブルを挟んで、私と寿人くんと純也くんは男女と向き合っていた。


「熊谷さん。君の頼みだから時間をとったんだ。一体なんなんだい? 夫婦で見て欲しいものがあるだなんて」


「わたし、忙しいんですけど。なるべく、早く終わります?」


 私が昨日連絡を取り、この場へと招待したのは二人。純也くんのお父さんとお母さんだ。純也くんのお父さんとは面識があり、名刺を交換したことがあったため、メールアドレスを知っていたのだ。


「お忙しいところ、ご足労ありがとうございます。江藤えとうさん、奥さま」


 二人が忙しいのは事実だろう。江藤さんのお父さんにいたっては、白衣のままである。だけど、純也くんのためにも遠慮するわけにはいかない。


「純也くん、はいこれ」


 そう言って、私は白い丸薬のようなものと、ピーマン一つずつを純也くんに手渡す。


「わあ、ありがとう! お姉ちゃん」


 純也くんはきちんとお礼を言って、両方を受け取る。


「ピーマン? それにそれは……」


 江藤さんは『第二病院』に勤めるエリート。白い丸薬の正体も見ただけで気づいたのだろう。


「見てて。おとーさん、おかーさん」


 ぱくっ。純也くんは丸薬を一口で飲み、ピーマンを生のまま、豪快にかじり出す。


「えっ、純也……」


 江藤さんの奥さまは困惑しているようだった。


「……えへへ。おいしいよ!」


 ヘタの部分と種を残し、ピーマンを一つ食べきった純也くん。


「……純也」


 江藤さんは既に察したようだ。バツの悪そうな顔をして純也くんを眺めていた。


「おとーさん、おかーさん。見てくれてた!? これでもう大丈夫だよね! ぼく、ピーマン食べれるようになったから!」


 純也くんは、誇らしげに胸を張る。なんともいじらしい光景に思わず声が出そうになるが、ぐっとこらえる。


「これでもうけんかしないよね!」


「あっ……。すごいね、純也は……」


 純也くんの誇らしげな一言で、江藤さんの奥さまもこの状況の意味を理解できたようである。


「えっへん!」


 後転しそうなぐらいに胸を張る純也くん。


「偉いね! 純也くん! 苦くなかった?」


「ううん! ぜんぜん! へっちゃらだったよ! これでぼくもヒーローなれる!? りふてぃんぐ、教えてくれる?」


「わー! そっかー! うん! 純也くんならなれるよ! もちろん、さあおいで!」


 打ち合わせ通り、寿人くんがさりげなく純也くんを引き離してくれる。純也くんがサッカー少年で良かった。寿人くんと純也くんが公園のグラウンドに移動したのを見届けてから、私は話し始めた。


「江藤さん、奥さま。改めて、お時間作っていただきありがとうございます」


「いや……、こちらこそありがとう。手間をかけさせてしまったね」


「ありがとうございます。いえ……、すみません」


 江藤さんも奥さまもかなり落ち込んでいる様子である。


 私は良かったと思っていた。ここでこの景色を見て、何も思わない、感じないような人が純也くんの両親でなくて良かった、と。


「私には、子供はいませんし、結婚したこともありません。だから、育児や生活に関しては偉そうなことは言えません。それでも、伝えてあげたかったんです」


「「……」」


「純也くんが昨日、私に言ってきたんです。ピーマンが食べられるようになる薬はないか、って」


「純也が、そんなことを……」


 江藤さんの奥さまが驚きをこぼす。


「子供は大人が思っているよりずっと物事を理解して、考えているんだと思います。喧嘩を止めるために、いや、二人に仲良くしてもらうために、と純也くんは言っていました。自分なりに一生懸命できることを探した結果が、ピーマンを食べることなんじゃないかな、と思っています」


 そして、私も自分にできることをやっている。目の前の人たちの役にほんの少しでも立てるように。


「……そうですね。この歳にまると、なぜか子供の頃を思い出せなくなる。あの頃の自分も色々と考えていたはずなのに」


 江藤さんがつぶやく。


「私も同じです。純也くんのような年の子供があそこまで考えていることには驚きました。でも、それは、お二人の教育の賜物でもあると思いますよ」


 私なりに思っていたことを話そう。


「えっ」


 奥さまは不意を突かれたように驚いていた。


「お二人がちゃんと純也くんと話して、一緒にいてあげたから、純也くんはお二人に仲良くしてほしいと言ったんだと思います。純也くんは一度も、江藤さんと奥様のことを悪く言いませんでしたから」


 目の前で喧嘩を見せられようと、怒られようと、彼は両親を責めなかった。


「純也くんはとても優しくて、賢い子だと思います」


 好き嫌いという当たり前のことをした自分を責めてしまうほどに。


「はい、ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 江藤さん夫妻から頭を下げられ、私は慌てて言う。


「えっと、そんな。頭を上げてください。私はそんな偉そうなことを言える人間ではないので」


 思わず自分を卑下する。


「そんなこと……」


 奥さまが否定してくれるが、少し恥ずかしくなってきてしまった。慣れないことをしてみたはいいが、最後までその気持ちが持たなかったのだ。


「できれば、純也くんをうんと褒めてあげてください。彼は、とても頑張ったので」


 白い丸薬を見せて、江藤さん夫妻に一番言いたかったことを伝える。


「はは、そうですね」


「はい、必ず」


 二人の言質はとれた。


 これ以上のお節介は必要ないだろう。手を振って、寿人くんに合図する。1分も経たないうちに寿人くんと純也くんがテーブルの近くに戻ってくる。


「お疲れ」


 小声で労ってくれる寿人くん。


「ありがと」


 私も小声で返事をする。


「おとーさん! おかーさん! ぼく、りふてぃんぐ! 13回できたんだよ! ねえ! れっど! 見てたよね!?」


 純也くんは肩で息をしながらも、すごく興奮しているようだった。


「見てた、見てた。すごかったですよ。お父さん、お母さん」


 寿人くんも楽しそうである。


「おー! すごいな、純也!」


「ほんとね。前より10回は多く出来てるじゃない。すごいわね!」


「えへへ」


 ご両親に褒められて、純也くんはご満悦の表情だ。


「よし、今日はどこか食べに行こうか」


「ほんとぉ〜!」


 江藤さんの提案に純也くんの目がきらきらと輝きだす。


「ああ、どこでもいいぞ!」


「じゃあね、じゃあね! ハンバーグ!」


 気持ちのいいほどの即答である。


「ピーマンは? 好きになったんじゃないの?」


「ハンバーグの方が好き!」


 奥さんの少し意地悪な質問を気にもとめず、純也くんはきっぱりと宣言した。


「ははっ、じゃあ『ダントイジュ』に行こうか!」


 江藤さんは島内人気ナンバーワンのお店を提案する。


「やったぁ〜!!」


 純也くんのテンションが最高潮になっていく。


「よければ、お二人もいかが?」


 奥さまの提案は魅力的であるが。


「ありがとうございます。でも、今夜は先約があって」


 今日は小柚と食事の予定である。もしも予定をキャンセルしようものならば、あの子は盛大に拗ねる。


「そうなんですか」


 江藤さんが残念そうに言う。


「じゃあ! お姉ちゃん、れっど! またね!」


 すっかりハンバーグに心を奪われた純也くんが、ウキウキで別れの挨拶を済ませる。


「ええ、またね」

「あははっ、またね」


 短く挨拶を返して、こちらも別れを済ませる。


「ハンバーグ! ハンバーグ!」


「ははっ。汗かいたろ。一回シャワー浴びてからな」


 幸せそうな江藤さん家を見送って、立ち去ろうとした。


 ちょい、ちょい。


「……?」


 江藤さんの奥さまに手招きされている。


 私ですか? という風に、自身を指差すと、うなずく奥さま。


「行ってみたら?」という寿人くんを置いて、少しだけ歩く。


 耳を貸して、というジェスチャーに従って、奥さんに片耳を近づける。


「さっき、家族のことは分からないって言ってたけど、もうすぐ分かりそうね」


 いたずらっぽく笑う奥さま。


「……っ!?」


 不意打ちをくらった私は声が出ない。


「それじゃあね」


 軽快に去っていく奥さま。なぜこんなに心が揺さぶられているのだ。


「すーぅー、はーぁー、すーぅー、はーぁー」


 深呼吸を二回してから、寿人くんのところへ戻っていく。


「顔赤いけど、大丈夫?」


 心配そうな表情。


「……っ! 大丈夫! 行きましょう!」


 必死にごまかして、早足で歩く。


 どうか心臓の音よ、隣までは届かないでくれ。私はそんなことを考えていたのだった。


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