第14話 小柚来襲


「でも彼は、そういうのじゃないの。私との会話だって、彼の『感情不全かんじょうふぜん』をどうにかするためで……」


 言い訳がましいのは自分でも分かっている。だが、根拠のない自身を持つには、知見も経験も圧倒的に不足している。


 そんな私の態度に呆れたのか、小柚こゆずは腕を組みながら、ため息をついた。


「かーっ! 聞きました!? 奥さん! こんなこと言ってるんですよ!」


「そうねぇ〜。もうちょっとだけ積極的な方が良さそうねぇ」


 あいづちを打ちながら、楽しげに菊子きくこさんがつぶやく。


「ですよねえ! 今時、待ちの姿勢なんて流行らないですよ! 女は度胸! おおかみになる時代なんです!」


 小柚の声のボルテージは、とどまることを知らない。


「そうねぇ〜。肉食系女子ってやつよねぇ〜。良いわねぇ〜」


 菊子さんも同意の意思を示している。


「アタックあるのみですよ! 先輩!」


 どうでもいいことかもしれないが、いつのまにそんなに仲良くなったんだ?


 明らかに私よりも優位な二人の女性に圧倒されながら、小さくため息をついたのだった。



 ******



 このような状況に私が置かれていることを説明するためには、時計の針を二周ほど巻き戻さなければならない。就寝前に、自室でパソコンをチェックしている時のことだった。


『先輩! あたし、【出入島しゅつにゅうとう資格】取れました! 明日! 遊びに行きますね。午前9時に着く便です』


 メッセージアプリに届いていたのは、大学時代の後輩、安藤小柚からの文章だった。


 要件を簡潔に伝える良い文章である。あまりにも急であることを除けば。


 一部の医療関係者にしか許されない。それが、『医療都市アレクリン』への自由な出入島。とるのが面倒くさいうえに、リターンもほとんどないことから、人気の無い資格である。大学でも単位の代わりにはならなかった。


 その都度、見舞い届けを出して、許可を得る方が圧倒的に楽だと思う。だけども、要領の良いあの子のことだ。そこまでの苦労はなかったのかもしれない。


「まあいいか」


 そう言って私は、ぐーっと背伸びをする。ぐだぐだ考えていても仕方ない。久々に小柚に会うことができるというのは、純粋に楽しみなことである。


 空港へ向かいに行って、荷物を家に置いてもらって、『ここあ』で昼食をとってから、第四病院に挨拶に行こう。そうやって、頭の中で翌日の行動をシミュレートしてから、ベッドに向かう。


 これで明日はスムーズに動けるだろう。


 ——と、昨日は思っていたのだ。


 しかし、かれこれ二時間はこの場所でおしゃべりが続いている。迷惑になっていないだろうか、と厨房をのぞくと、おじいさんはグッと親指を立ててきた。


 だめだ。助け舟にはならなそうだ。


 であれば、とパン売り場とホールに視点をうつす。あくせくと働いている想定であったバイト君は、レジの前で座ってあくびをしていた。今日は客足がイマイチだったようだ。


 それでも、これ以上は、針のむしろに座っているのに耐えられそうにない。私は強攻策にでる決意を固めた。


「ごちそうさまでした。菊子さん。ほらっ、小柚。そろそろ出ましょう」


「え〜。もっといてくれてもいいのよぉ」


「ま——」


 小柚が口を開こうとしたが、畳み掛ける。


「——ありがとうございます。だけど、ずっと居続けるわけにはいけませんから」


「むー。もっと先輩の様子を聞いておきたかったんですけど」


 小柚は口を尖らせて、不平を言う。


 女の私ですら、一瞬、うっとなる破壊力である。この子がよくモテる理由がよく分かる。だが、私は他の人よりは小柚の可愛さに対する耐性を獲得している。


「岩清水先生に会いに行きましょう? 憧れだったんでしょう」


「はい! バリキャリの女医院長! かっこいいですよねえ」


 私は特上の餌を投入する。それにくいついた小柚は、きらきらと目を輝かせて、憧れの人物について語る。


 放っておいたら、この話題でさらに小一時間束縛される。そのことが、経験上分かっている。だから、少々強引に。


「じゃあ、菊子さん、おじいさん。また来ます」


「はぁーい。待ってるわね〜」


「おう! また来てくれな!」


 小柚の手を引いて、第四病院へと歩を進めるのだった。



 ******



「あら、沙月ちゃん。今日は女連れなのね」


「……誤解されそうな言い方はやめてください。海堀さん」


「こんにちはー! 沙月先輩の後輩、安藤小柚です!」


「こんにちは。いい挨拶ね。後輩……ってことは、サカミマの?」


「はい! こう見えて結構優秀なんです! あたし!」


「自分で言うのね……」


 屈託くったくない笑顔で話す小柚に、つい心の声が漏れる。


「ふふっ。いいわね。楽しそうで。それじゃ」


 それだけ言い残し、海堀さんは去っていく。いつも私をおちょくってくる彼女だが、看護師長としてなかなかに忙しいらしい。


 医療行為はロボットがやるとしても、入院患者のサポートは必須である。患者への支援だけでなく、他の看護師を動かすことにも長けており、ミスもほとんどない。そのうえ、どんな激務の後でも、涼しい顔をしている。そんな彼女についたあだ名が、『鉄壁の海堀』だという。


 まあ、全て噂で聞いた話であるが。


「先輩、変わらないですね。考え事中、急にフリーズする癖」


 少しの間、固まっていた私を見かねて、小柚が話しかけてきた。


「……ごめんなさい。行きましょうか」


「はい!」


 思考の海に浸かっているのも悪くないけれど、今日は目的がある。海堀さんに関する噂の出処でどころに会いに行かねばならないのだ。


「すっごい広いですね〜。エレベーター」


「そうね。私も初めて見たときは驚いたわ」


 3階にたどり着き、院長室の前で立ち止まる。


 アポは取ってある。目の前の扉を三回ノックする。


「どうぞ」


 岩清水先生の声を確認してから、私は扉を開いたのだった。



******



 ——岩清水先生とは、軽く挨拶をするだけにとどまった。


「すまないね。また……、そうだな。明日いつ来てくれても構わないよ」


「いえ、お忙しいところありがとうございました」


「じゃあ、またね」


 ウインクをしながら去っていく岩清水先生。急なドクターコールによって、先生は、特別管理病室へと向かう。


 よくあることだ。


 先生にしか、処置できない症状。それどころか、判断すら厳しい発作ほっさが多数存在する。


 この島で、五つしか存在しない指定大病院の病院長を任せられているのには、それなりの理由があるのだ。


「……かっこいい……」


 隣で惚けている小柚。


 無理もない。憧れの人物の、憧れたる所以ゆえんを見せつけられてしまったのだ。


 小柚が意識を取り戻すまで、病院長室の前にあるベンチに座らせておく。


(さて、ここで休憩しておいてもいいけれど)


 そんなことを考えていると、ツンツン頭の少年が、エレベーターへと乗っていくのが見えた。


(……あの頭は)


 以前、この場所でぶつかりかけた少年である。見覚えがある人物に目を奪われていると、強風とともに、一羽の折りづるが飛んできた。


「……?」


 手に取る。なんの変哲もない折り紙で作られた鶴に見える。けれど、持ち主にとっては大事な品かもしれない。


 私は、立ち上がり、風の吹く方向へと歩き出した。


 院長室から三つ部屋を挟んだ病室。その病室の扉が少し開きっ放しになっていた。


(ここかな?)


 そう思い、私はドアの隙間から病室の中をのぞきこむ。


 ——その瞬間、花が咲く。


 私の視界一面を覆い尽くすのは、赤、白、黄、桃色のコスモスたち。殺風景な病室を彩る色彩豊かな花弁たち。美しい花々は、色とりどりの蝶々ちょうちょうを携えて、穏やかな風とともに踊る。


 何と幻想的な姿であろう。だが、その中心。


 ベッドに上半身を起こして、座しているは、この世のものとは思えないほどの色彩たち——それら全てを地味である、と一刀両断できるほどの異彩いさいを誇っていた。


 儚げで脆い、人類が決して触れてはならない禁忌の果実。それほどの誘惑を感じてしまう、完成された美しさ。


 ——


 その言葉を他の事象に使うのが——使ってきたのが、烏滸おこがましいとさえ思えてくる。


 ——そんなが、そこにはいた。


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