第15話 少年少女との出会い

 

 ——しばらくの間、体をぐるぐる巻きにされたように動きがとれず、見とれてしまっていた。


「……あの」


「は……っ!?」


 その透き通った声に呼ばれて、私の意識は現実へと帰還した。慌てて、ドアに手をかけて、静かに開く。


「ええっと、怪しい人ではないの」


 説得力0である。体感5分程度。その間ずっと、自分を見つめてくる一まわりほど年の離れた人間がいれば、私なら怪しく思う。というか、私なら完全に不審者だと判断する。


「くすっ。大丈夫ですよ。それ……」


 少女が指さすのは私の左手——ではなく、折り鶴だ。


「持ってきてくれたんですよね」


 そうだ。それが目的だった。


 冷静さを保っているようなフリをしながら、少女の元へ歩き出す。そして、私はベッド脇のサイドテーブルに折り鶴を丁寧に置いた。


「ありがとうございます」


「き、気にしないで。たまたま目に入っただけだから」


「それでも、ありがとうございます。もしも踏まれたりして、壊れてしまったら悲しかったですから」


 愛おしそうに折り鶴を見つめる少女。この顔を見られただけで、感謝の過払いをされている気分になる。とにかく、大事なものなら無事に届けられて良かった。


「お姉さんは、新しい看護師さんですか?」


「いいえ、違うわ。この上の研究室を貸してもらっているの」


「そうですか。優しそうな雰囲気だったので、看護師さんかなぁ、と」


 少女は上目遣いで、恥ずかしそうに笑う。


「……っ」


 いじらしい。小柚である程度の耐性を獲得していなければ、今、ここで倒れていたかもしれない。とてつもない破壊力である。


「こんにちは! かすみの知り合いですか!?」


 ハツラツとした大きな声が、背後から発せられる。


 振り返ると、そこには、右手にレジ袋を提げているツンツン頭の少年がいた。元気な挨拶——というよりは、見知らぬ大人を警戒しているのだろう。少年の顔は少し緊張しているように見えた。


「えっと……」


 私が状況を説明しようとすると、少女が助け舟を出してくれた。


「よしくん! この人は、折り鶴を取ってきてくれたの。風で飛んじゃって」


 そう言いながら、少女は折り鶴を手元に持ってくる。


「あー、ごめん。窓開けっ放しだったか」


「ううん。それは別にいいの」


 私の方を見る少女。


「ありがとうございます。えっと……」


熊谷沙月くまがいさつき。上の階で研究室を貸してもらっている……、薬学者よ」


 私は、呼び方を思案しているであろう少年に向かって、軽く自己紹介をしたのだった。


「研究室! すごいですね! 研究者さんですか! 俺……いや、僕は、山岸嘉人やまぎしよしとです。よろしくお願いします」


 厳密には違うのだが、この病院の関係者だと思っていた方が何かと安心だろう。特に否定はしないでおく。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。わたしは、さわかすみです。よろしくお願いします」


 可愛らしい声で、かすみさんも自己紹介をしてくれる。


「ええ、こちらこそよろしく。それじゃあ、また……」


 そう言って、私は立ち去ろうとした。しかし、山岸くんがそれを制止する。


「そんな! まだきちんとお礼もできてないのに!」


「気にしないで。運んだって言っても、ほんの少しの距離だから」


 そう言って、私はまた立ち去ろうとする。だが、かすみさんの寂しそうな表情に、つい足が止まってしまう。


「そうだ! ゼリー! 食べませんか! たくさん買ってきたので!」


 そう言って、山岸くんは、レジ袋を私の目線まで掲げる。


 断り続けるのも、気分を害してしまうかもしれない。私は観念して、ベッドのそばに椅子を出すボタンを押したのだった。


「そうね……。いただくわ」


「わっ」


 かすみさんの本気で嬉しそうな表情に、胸がかゆくなってしまう。


 ちょろすぎるないか、私。というか、ゼリーを食べることを提案されてすぐに同意するのは、卑しいやつだと思われなかっただろうか。


 余計なことを考えているうちに、山岸くんが三人分のゼリーとプラスチックのスプーンを用意してくれている。


「どうぞ」


「ありがとう」


 手渡しされたゼリーとスプーンを受け取り、食べ始める。


「……このゼリー、すごくおいしいわね」


 みかん味で食べやすい上に、酸味と甘味のバランスがちょうどいい。


「そうですよね! 一階の売店の甘い物、どれもすごくレベルが高いんですよ!」


 山岸くんは嬉しそうに力説する。


「売店……、缶コーヒーくらいしか買ったことなかったから、知らなかったわ。今度チェックしてみようかしら」


「是非是非!」


「ふふっ」


 穏やかな時間が流れている。そんな風に感じた。


 しかし、しばしの沈黙が訪れる。中高生と共通する話題なんてもの、私の会話の手札には存在しない。


 それゆえに、やらかしてしまった。


「……二人は、その、どういった関係なの?」


 なんとか会話を続けようと思い、考えていることをそのまま口に出してしまう。完全な悪手である。


 会ったばかりの大人に、いきなりセンシティブな質問をされるのは嫌な気がする。少なくとも私は嫌だ。後悔しても、もう遅い。


「幼馴染みですよ! 小さい頃から、家が隣同士だったんです」


 あっけらかんと答える山岸くんに、内心ホッとしながら会話を続ける。


「そう……」


「毎週は来なくてもいいよ、って言ってるんですけど」


 かすみさんは、はにかんで笑う。


「良いんだって。俺が来たくて、来てるんだから」


「……」


 思わず黙ってしまう。察しの悪い私でも分かってしまった。


 お互いに好き好きオーラ(小柚語録こゆずごろく)が溢れ出している。


 それに、かすみさんを初めて見た時に感じた儚さや脆弱さ。それらが山岸くんといる時は消えている。今ははっきりと、かすみさんから血の気を感じるのだ。


「……熊谷さん」


 山岸くんが深刻そうな顔をし始めたため、思わず身構えてしまう。


「何かしら……?」


「良ければ、かすみの話し相手になってくれませんか。時間の都合がつくとき、時々でも構わないので」


「えっ……」


 予想外の言葉に思わず、短く声が出る。


「……駄目ですか?」


 山岸くんは不安そうな顔をしている。だから、私ははっきりと答えねば、と気合をいれる。


「いいえ、全然。だけど、私はお世辞にも会話が得意なタイプとは言えないわよ」


 自分で言っておいて、すこし悲しくなってきた。推定中学生程度の少年少女相手に、過度に卑屈になる必要はないのかもしれない。


「そんなことないですよ!」


 食い気味に否定してくれた山岸くんに、君は優しい子だね、と言う前に、これまで無言だったかすみさんが口を挟む。


「……よしくん。あんまり、無理言っちゃ駄目だよ……」


 どこか元気のないかすみさんの発言と雰囲気に、私の中の罪悪感が総動員する。


「そんなことないわ。無理なんて私は思ってない」


 今度は私が食い気味に否定の言葉をぶつける。


「ここでできる作業もたくさんあるのよ」


「ええっと、じゃあ……」


 山岸くんがゆっくりと口を開く。


「こちらから、暇なときの会話相手をよろしくお願いするわ」


「わぁ……」


 かすみさんの表情がぱあっと明るくなる。


「ありがとうございます!」


 若干かっこつけ過ぎただろうか。背中に一筋の冷や汗を感じる。


 だが、それでも、目の前の光景——かすみさんと山岸くんが本気ではしゃいでいる姿を見られたのだ。だから、私が恥じらいを感じたとしても、結果としてはお釣りがくるだろう。


 それに、さっきは強がっていたが、かすみさんは、本当は山岸くんが来るのが週一では、寂しいのだろう。こんな私が話相手になると決まっただけで、顔が淡く桃色に染まっている。


 ゼリーはとっくに食べ終わっている。


「それじゃあ、また来るわね」


「はい。また、お話しできるのを楽しみにしています」


 国宝級の笑顔で挨拶をくれるかすみさん。


「今日はありがとうございました。また会えたら嬉しいです」


 素直な笑顔で挨拶をくれる山岸くん。


 今日の出会いに感謝だ。今はすごくいい気分でいられているのだから。


 病室を出ようとする前に、軽く後ろを振り返ると、かすみさんと山岸くんがぺこりとお辞儀をしていた。


 私も軽く頭を下げてから、部屋を出たのだった。



 ******



「先輩! 何かあったんですか? ちょっとにやけてますけど」


 いつの間にか復活していた小柚。その隣には、仕事が早めに終わったのか、岩清水先生がいる。


「……本当?」


 頬を触って確かめてみる。自分ではわからない。


「まあいいですけど……。急にいなくならないでくださいよ。院長先生にお話し聞かせてもらってましたけど」


「……それはごめん」


 確かに小柚の意識が旅に出ていたとはいえ、長時間の放置はいただけない。岩清水先生にまた借りができてしまった。


「沙月ちゃん。今、306号室から出てきた?」


「はい……。何かまずかったでしょうか?」


「いいや……、まずいというわけではないんだけどね」


「……?」


 岩清水先生の珍しく険しい表情に、何かやらかしてしまったかと思ったが、そういうわけではなさそうである。


 『第四病院』には、隔離された病室は存在しない。特異な感染症などは、基本的には『第二病院』——通称『無人病院』の管轄かんかつであるからだ。


「まあ、いいや。かすみちゃんと話してくれたんだろ。ありがとうね」


「そんな。お礼を言われるようなことじゃ……」


「いいや。最近少し暗い表情を見せることが多かったからね。少しでも若い方が親近感は得られやすいだろ」


「院長先生は二十代といっても通用しますよ!」


 小柚の発言に、場の雰囲気が一気に和む。


「いい子だね〜。小柚ちゃんは」


「えへへ」


 岩清水先生に頭を撫でられて、小柚はでれでれである。


「何の因果かねえ……」


「……?」


 岩清水先生は遠い目をして、独り言のようにつぶやいた。


「岩清水先生。今日はありがとうございました」


 私は今日のことについて、しっかりとお礼を言う。


「ああ、またね」


「ほらっ。小柚行きましょう」


「はーい。では院長先生、またお話し聞かせてくださいね!」


「ああ、いつでもおいで」


 岩清水先生は、いつも通り手を振って見送ってくれる。


 少し難しい顔をしていたような気がしたのは、私の杞憂だったのであろうか。何か引っかかるようなものの、この場では答えは出なかった。


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