第10話 はじめての【寿人③】


 沙月さんから渡された資料。数十枚はありそうな紙の束。それは、とても軽いはずのものなのに、抱える両手はなぜかずっしりと重かった。


 理由はわかっている。軽く目を通した時に見えてしまったからだろう。何度も夢に見た。【サカレンジャー】の感想だ。


 小難しい話は苦手だが、俺でもわかるように選んでくれたのだろう。比較的わかりやすい話が続く。少し、中学校の授業を思い出す。


「——6枚目以降を見てくれる?」


 来てしまった。向かい合って座る沙月さんの顔をしっかりと見ることが出来ない。


 それでも覚悟はできている。覚悟、したはずなんだ。


「うん」


 短く返事をして、俺はページをめくる。


『【サカレンジャー】面白かった!』


 一番初めに目に飛び込んできたのは、シンプルな感想だった。


『サッカーと戦隊もの、初めは不安な組み合わせでしたが、見ているうちに世界観に引き込まれました』


 監督がつくった世界には、俺も取り込まれていった。


『斬新な設定と重すぎない内容。確かな満足を得られます』


 本当に満ち足りる内容だったと思う。


『サッカーファンならくすりとしてしまう場面がたくさん。サッカー知らなくても、面白いと思う』


 俺もサッカーが好きだから、楽しい場面がたくさんあった。


『一見の価値あり。1万回以上見ました』


 1万回は見られてないけど、100回以上は見たかな。


『アクションシーンは派手でスリリング。キャラも個性的で面白い』


 アクションは何回も撮り直したなあ。皆、個性的で面白いよね。


『サカブルー、推せます』


 ブルー、面白くてかっこいいよね。


『5人ってフットサルじゃねーか! って、思っていたけど、まさかそう来るとは!』


 俺も、助っ兎ラビットが出てきたときには驚いたんだ。


『チームプレイの重要さを強く感じました。緑×黄は鉄板』


 連携は大事にした要素の一つだね。×って何だろう?


『物語の展開がスピーディーで飽きがこない』


 サクサク進んで爽快感があるよね。


『サカピンク可愛い』


 そうだね、美人だよね。


『敵との戦闘が一番の見所。熱いサッカーバトルは見ていてわくわくする』


 サッカーバトルは何回見てもワクワクするよ。


『逆転勝利のBGM最高! 勉強中にずっと流してます!』


 かっこいいよね、あれを聞くとすごく気持ちがたかぶるんだ。


『俳優の方々の技術が本格的。10話のバイシクルや、27話のあの距離からのアウトサイドトラップは痺れました』


 バイシクルもトラップもめちゃくちゃ練習したなあ。


『最後まで一丸となって戦う姿勢や、友情、努力といったメッセージが感じられる作品でした。サッカーの魅力を通じて、分かりあうことの大切さを学べた気がします』


 お互いの内面を知っていると、アクションもスムーズに出来た気がする。


『レッドのひたむきさに心うたれました』


 ——ありがとう。



 ******



 何時間経ったのだろうか。夢中で読み進めていた。


 前を向くと、こちらを優しい目で見つめている女性がいる。沙月さんだ。


「——どうかしら?」


「……ありがとう。何か温かい気持ちになったよ」


 それだけじゃない。いろいろと思い出したことがある。


 違うかな、忘れていたんじゃない。目を逸らしていただけかもしれない。


 最終回を見るのが怖くて、あの頃の気持ちに蓋をしていた。


 最初は、俺もこっち側だったんだ。純粋に見ることを楽しんでいた。


 演者側だと思い込んで、勝手に期待し過ぎたのかもしれない。視聴者として、作品を楽しむ一人として考えたら、クオリティーは高い方がいいに決まってる。


 AIの進歩も、CGという技術もそうやって受け入れないと——


 そう考え始めた時だった。声が聞こえたんだ。


「——私は! ……私が、一番、衝撃を受けたのは、あの日の屋上だったの」


「……えっ?」


 沙月さんから聞いたことのないような大きな声が発せられたのにも驚いたが、言葉の内容に思わず、素っ頓狂な声が漏れ出た。


「あなたにはじめて会った日の屋上、ヒーローショーを見て、驚いたの。感動したの。走って、跳んで、動いている、本物の、赤いヒーローがここにいるって」


「——」


 あの日、宏太に呼ばれて行ったヒーローショーは、難しいことを考えずに体を動かせた気がする。


 何でだろう。体も軽かった。


「水族館に行った日、あなたと一緒に、いろいろな場所を巡って、歩いて、話して、楽しかったの」


「————」


 あの日の記憶を辿たどる。


 感動出来ていただろうか。関心はしていたような気がする。


 魚たちよりも、沙月さんの顔色ばかりうかがっていた。


「イルカショー、はじめて見たの。この島に来てかなりの日数が経ったのに。あなたと見たのがはじめてだったの。すごく驚いて、感動したわ。あんなにイルカが綺麗に動くなんて知らなかった」


「——————」


 俺もすごいと思ったよ。綺麗だとも思った。でも——


「あなたは楽しいと思えなかったかもしれない」


「————————」


 そんなことないと嘘をつきたい。


 でも、言葉は出ない。今、俺は、どんな顔をしているのだろうか。


「全部、実際の体験なの。現実の中の出来事だったの」


「——————————」


 沙月さんの顔が赤い。何か、何か言わなきゃ。


「ごめんなさい、滅茶苦茶だったわね」


 顔をそらしながら、沙月さんが言う。


「——そんなことない。ちゃんと、伝わったよ」


 なんとか声を絞り出す。心からの言葉だ。


 ちゃんと、受け取ったから。


「……それなら良かった」


 そう言いながら、沙月さんが一枚の用紙を突き出してくる。


「……これは?」


 受け取って、疑問を口にする。


「私の感想……。本当はしゃべるつもりじゃなかったの。口頭で伝えるのは苦手だから」


 レポート用紙だろうか、受け取った紙にびっしりと書かれている文章を読む。その中で、見覚えのある一文が目についた。


『こんな時代だからこそ、人間も努力しないと、挑戦し続けないと得られないものが多い』


 劇中のサカレッドの台詞だ。芝居とはいえ、自分で言ったことである。


 今の自分にも当てはまる気がする。俺は、また逃げようとしていたらしい。いつの間にか、楽な方へ、楽な方へと進もうとしていた。


(成長してないな……)


 自虐して、笑う。


 逃げた先が幸せなら、逃げることも悪くないと思う。だけど、この胸のもやもやを抱えたまま生きることが、正解だとはどうしても思えない。


 意識がぼんやりと、遠くへ行ってしまっていた。気を引き締めて、改めて手元の用紙に目を向ける。


『——第1話か第47話までの積み重ねがあったからこそ、最後のシーンの意味が、伝えたいテーマが、はっきりと伝わったと思います。

 私が、一視聴者として、製作者の意図を100%完全に汲み取ることができるとは思っていないけれど、これまでの物語を自分の中では、納得できる形で、完結させることができたと強く感じました。

 終わってしまったという寂しさや、もっと続いてほしいという願望はあるけれど、満たされない、不完全故の虚しさのような感情が湧くことはなかったです——』


 少し固い文章で、【サカレンジャー】の感想が綴られている。A4サイズの用紙にびっしりと、何度も書き直したのだろう、紙が少しよれている。


 今まで何度も、何度も会う人たちは、事あるごとに、【サカレンジャー】の感想や評価を口にしていた。


 薄ら笑いで、それらの言葉を聞いてきた自分が、今はなぜか出会って1ヶ月も経っていない女性の感想を、真剣に眺めている。


 彼女が真剣だからだろうか。でも、今まで出会った人たちも真剣だった、と思う。


 この気持ちの正体はよく分からないけれど、今回は、今は、真剣な相手に対して、俺も真剣に向き合いたい。


 沙月さんの感想を読み終えて、一息つく。


「ありがとう。嬉しいよ。沙月さんの気持ち、すごく伝わった」


「そう……」


 付き合いは短いが、これははっきりと分かる。顔を逸らして小声になるときは、照れているのだろう。ほほ笑ましくて、思わずこちらが笑顔になってしまう。


「それは……?」


 沙月さんが座っているそばの机に、大量の紙束を見つける。


「これはっ……いいの」


 ばっと手で紙束を片付けてしまう沙月さん。


「もしかして……感想?」


「せ、清書できていないから。下書きのつもりで書いたの。文章も滅茶苦茶で支離滅裂だから。ひ、人に見せられるものじゃないの」


 明らかにテンパっている沙月さんを見て、少し意地悪な気持ちが芽生える。からかいたい気持ちを抑えて、真面目な顔をして話す。


「見せてほしいな」


「……面白いものじゃないわよ」


「いいんだ、俺が見たいだけだから」


「……ずるいわ」


 そう言いながら、沙月さんはおずおずと紙束を手渡してくれる。


(こっちの方がシンプルに伝わるな)


 口には出さないけれど、最初の感想には難しい言葉もたくさんあった。できるだけ噛みくだいて、簡単な表現に、分かりやすくなるようにしてくれたという気持ちはすごく伝わってきた。


 でもこちらの文章は、何というか直線的な文章な気がする。ダイレクトに、ストレートに、心に直接響くような。


 その中の文章の一つに思わず目を見開く。


「これ……、本当?」


「どれ?」


 指差して、伝える。


「ええ、本当よ」


 なんでもないように、不思議そうに沙月さんは言う。


「私はあなたの——寿人くんの演技で久しぶりに笑えたの」


 自然な笑顔だった。いつもは少しぶっきらぼうで、どこか引きつったような笑みしか見られなかった。でも、今日の沙月さんの笑顔は。


 初めて見た、とびっきりの笑顔だった。




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