第9話「李雹華(リー・バオファ)」

 俺は西条とともに家に帰ってきた。部屋に入り、三上さんの部屋からこっそり持って帰ってきたチャートとゲームソフトを取りだす。

「三上さんはチャートを置いたままゲームに取りこまれた。だから、ここにチャートがあると教えれば、俺たちを呼ぶにちがいない」

 俺は〈三国乱世〉をゲーム機に入れ、スイッチを入れた。タイトルロゴが現れたところで画面に向かって言う。

「お前らがほしがってる聖典はここにある。その女の子は関係ない。ほしかったら、俺たちを呼べ!」

 反応はなかった。

「ここにあるんだ!」俺はチャートを画面の前で振ってみせた。「その子には何の力もない! だから返してくれ!」

 画面はタイトルロゴを表示したまま、とまっていた。

「ねえ」西条が不安そうに言った。「神郷はひょっとして、チャートが無数にあることに気づいてるんじゃない? そのことをみんなに知らせたから、私たちに興味を示さないんじゃ」

「くそっ!」俺は床を拳で叩いた。

 一歩、おそかった。もっと早く行動を起こしていれば、三上さんを助けに行けたかもしれないのに。

 こうなったら、こっちから〈三国乱世〉の世界へ行くしかない。そのためには、助けが必要だ。


「本当によろしいのですね?」

 アレン司祭の言葉に、俺と西条はうなずいた。

 〈三国乱世〉をゲーム機から取りだしたあと、俺たちはすぐにアレン司祭の助力を仰いだ。魔王が死に、使い道に困るほど魔力が満ち溢れた〈ファイナルブレイド7〉の世界。ならば、その魔力、盛大に使わせてもらおうじゃないか。

 俺たちは召喚されたときと同じ大聖堂にいた。床には魔法陣が描かれ、わずかに光を発している。周囲にはアレン司祭と同じ神官と、術者と呼ばれる者たちがひかえていた。

「これを」アレン司祭は革紐がつけられた銀色の鍵をさしだした。「この鍵を鍵穴にさしこめば、どこからでもこちらの世界へ戻ることができます。ドアの種類は問いません。さしこめば、そこが戯れの世界同士をつなぐ扉となるのです」

「あの、大丈夫なんですか? 地球以外に私たちを送るなんて」西条が心配そうにたずねた。

「心配無用です」西条の不安を払拭するかのように、アレン司祭は微笑んだ。「戯れの世界は、すべて並行の世界。地球は私たちにとって上位の存在ですが、三国の世は私たちと同列、送ることにはまったく問題ありません」

「安心しました」俺は頭をさげた。「何から何まで、ありがとうございます」

「いいえ、礼を言うのはこちらの方です」アレン司祭は跪いた。「勇者様に恩返しをする機会を与えてくださったことを、心から感謝致します」

「神郷から何か連絡はありましたか?」

「何も」アレン司祭は言った。「この世界に魔王はもう存在しないと気づいたのでしょう。いっさいの干渉はなくなりました」

「そうですか」

「では、目を閉じてください。すぐに送りだします」アレン司祭は深々と頭をさげ、「ご武運を」と言った。

 俺は目を閉じた。西条がそばに寄ってくる。

 手を握ろうとしてきたので、少し驚いたが、俺は力をこめて握った。

「大丈夫」安心させるつもりで言った。「俺たちならできる」

 強い光があたりを満たしたと思った瞬間、ほこりっぽい風の中にほうりだされた。思わず鼻と口を覆う。

「何てところだ」俺はうなった。「砂ぼこりでほとんど何も見えない。こんなところに三上さんはいるのか?」

「間違いない」西条は言った。「チャートの後半、最後に攻略する敵武将は、荒れ地に居城を構えている。RTA上、そこを最後に攻略するのが一番早いみたい」

「てことは、もうここはゲーム終盤なのか」目を細くし、あたりを見まわす。「でもこれじゃあ、何も見えないぞ」

「待って。あれ」西条は空を指さした。

 目をこらすと、空中に浮かんでいるものが見えた。間違いない、タイマーだ。

「ということは、あの下に三上さんはいるってことか」

 俺たちは風に飛ばされないよう、慎重に歩を進めた。それほど風は強く、砂ぼこりは俺たちの身体を苛んだ。

 タイマーが近づくにつれ、俺たちはおかしなことに気がついた。

 「53:15:22」

 タイマーが五十時間をこえている 三上さんのチャートより十倍近く時間がかかっている。

「苦戦してるのかな」

「お前みたいに身体能力に自信があるタイプには見えなかったからな。チャートどおりには進めなかったのかもしれん。急ごう」

 やがて、砂ぼこりの中、黒いものが見えてきた。それが甲冑を身につけた中国風の兵隊であることがわかった。

「何者だ!」端にいた兵士が剣を抜き、俺たちを威嚇した。

 どうやらここは、駐屯地らしい。テントがいくつも並んでいる。

 俺と西条は手をあげ、「怪しいものじゃない」と言った。

「三上翔子という人物を捜しているんだ。誰か、知りませんか」

「三上殿? お前たち、三上殿の知り合いか」

「友達です」西条が言った。「会わせていただけませんか」

 兵士たちがこそこそと話しをはじめる。どうやら三上さんは無事らしい。

「ひょっとして、先ほど我々に呼びかけたのは、お前たちか?」

「聞こえてたんですか!?」

「ちょっと待っていろ」

 ややあって、ひとりの女性が現れた。長い赤毛に動きやすそうな軽装。西条はあっと声をあげた。

「李雹華(リー・バオファ)……」

「へえ、あたしの名前を知ってるんだ」李はにやりと笑った。「あたしの主の友達だって? ということは、他の戯れの世界から来たってことか」

「話が早くて助かります」俺は言った。

「けどね、悪いけどあたしの主は忙しいんだ。あの城を落とせなくてひいひい言ってる」李は砂ぼこりの向こうを顎で指した。

 おぼろげにだが、黒く、巨大なものが鎮座している。そばに寄ればどれほどの巨大な城となるのか、想像もつかなかった。

「とにかく会わせてください」俺は言った。「ここに、聖典もあります」


「西条さぁん!」

 テントに入った途端、三上さんは西条を抱きしめ、泣き崩れた。

「やれやれ、これがあたしの主の姿とはねえ」李さんは苦笑し、他の兵士たちに外へ出るよううながした。「悪かったね、お前さんたちの呼び声にこたえられなくて。お前さんたちを呼びだすほどの術が使える状態になかったんだ」

 三上さんも甲冑を身にまとい、曲刀を腰に帯びていた。普段の三上さんを知っているせいか、まったく似合わないが、兵士たちの受けは悪くないようだ。

「あのね、あのね、RTAしてたらね」三上さんは鼻水を垂らしながらこれまでの経緯を話しだした。

 〈三国乱世〉のチャートが完成したので、RTAをしようとゲーム機のスイッチを入れたら、ゲームの世界に取りこまれてしまったらしい。〈三国乱世〉におけるプレイヤーの立場は、君主。いきなり大勢の家臣にかしずかれ、完全なパニック状態に陥ったとのことだ。

「どうやって三上さんをこっちに呼んだんですか?」俺は李さんにたずねた。

「巫術の一種だよ。あたしの髪に術がかかっているように、この世界には不思議な力を使う人間がいる」李さんが説明してくれた。「本当は優秀な精霊を呼びだして、君主に仕立てあげようと思ったんだけど、なぜか生身の人間を呼びだしてしまったんだ。いやー、はじめは頭をかかえたよ。精霊降臨の巫術なんて、百年に一度使えるか使えないかってものだからね。失敗したーって」李さんはからからと笑った。「でもまあ、優秀な主でほっとしたよ」

「何でこんなに時間かかってるの?」西条は言った。「李さんがいれば五時間切れるって言ってたじゃない」

「あんな複雑なチャート、頭に全部入ってるわけないじゃない!」三上さんは悲鳴をあげるように言った。「大変だったのよ。最初の仲間を集めるところから、どの武将を登用するか考えるまで、ほっとんどアドリブ! RTAも何もあったもんじゃない!」

「ま、まあ私でも、シミュレーションゲームのチャートを全部頭の中に入れるのは不可能ね」よしよし、と西条は三上さんの頭をなでた。

「俺たちは三上さんを助けに来たんだ。お父さんとお母さんが心配してる。早く帰ろう」

「ちょっと待ちな」李さんが俺の肩をつかんだ。指がめりこむほどの力に、いたたた、と声をあげた。「主は我が軍の要なんだ。勝手にいなくなられちゃ困るんだよ」

「でもバオちゃん、私には無理だよぉ」

「今まで無理を承知で突き進んできたのに、今さら何を言ってるんだい」李さんはあきれているようであった。「あんたならできるよ。さ、情けない顔してないで、兵たちに命令しな」

「三上さん、ここにチャートがあるから」西条は持ってきた紙束を見せた。「これがあれば、いけるよね?」

 三上さんはぐずぐずと鼻をすすり、ようやく「うん」とうなずいた。

 RTAに縛りプレイはあっても反則はない。三上さんが組み立てたチャートは、〈三国乱世〉のバグを利用したものだった。

 戦闘の際、このゲームの敵は「兵士の数がもっとも多いユニット」に向かって突撃してくる仕様になっている。たとえば、味方を五百人の兵士と百人の兵士にわけた場合、敵は五百人の兵士に大部隊をぶつけてくる。もう一方の百人の兵士には、百人にふさわしい部隊を送りこんでくる。

 ところが、ここに大きなバグがある。敵は、百人単位でしか相手を見ることができないのだ。

 もし、五百人と九十九人の部隊を編成した場合、敵は全軍を五百人の部隊にぶつけてくる。九十九人の部隊は眼中に入らず、スルーしてしまう。

 そしてこのゲームのルール上、「自軍の兵士が一人でも相手の城に入れれば、制圧完了、勝利」とされる。つまり、たったひとりの部隊を編成し、城に突っこませれば、それだけで勝利確定なのだ。

 こんな簡単なバグを三上さんがおぼえていないはずもないのだが、敵の大部隊や血みどろの戦場を見て、すっかりパニックに陥ってしまったのだという。

「あたしが何度、主を連れて戦場を脱出したことか」李さんは苦笑した。「それでも、ときには目を見張るような作戦を立てたり内政で辣腕を振るうもんだから、見捨てられないってわけ。それに、主はいい奴だし」

「バオちゃあん、あなただけだよ、私をほめてくれるのはぁ」三上さんは李さんに抱きついてわんわん泣いている。

 苦笑するしかなかったが、泣けるだけの気力があるのだから大丈夫だろう、と俺はほっとした。

「じゃあさっそく、あの城落とそうぜ」

 俺が言うと、李さんはかぶりを振った。

「あの城は今までの城とは異なる。内部は複雑に入り組んでいるうえ、兵士も多数配置されている。城主のもとまでたどりつくには、それなりの人数が必要になる」

 ゲーム上、制圧には探索が必要になる、てことか。さすがは最後の城。

「私がビビったせいで、強い武将がやられちゃって、今手当を受けてるの。だから動かせなくて……」三上さんはまためそめそと泣きだした。よしよし、と西条がまたなぐさめている。「だけど、チャートがあるなら大丈夫。敵をさけて城主のもとまでたどりつけるはずよ」

 城主……ラスボスの名前は劉秀英(リュウ・シューイン)というらしいが、これもメーカーオリジナルの武将だそうだ。さすがはクソゲーあつかいされているゲーム、どこまでも三国志ファンを馬鹿にしている。

「それじゃあさっそく行きましょ」西条は言った。「とっととこのクソゲーからおさらばして、お父さんとお母さんを安心させてあげないと」

 うん、と三上さんはうなずいた。

「バオちゃん、最後になるかもだけど、ついてきてくれる?」

「ここまで来てあたしを連れていかなかったら怒るからね、主」李さんはからからと笑った。

 俺たちは、俺と西条、三上さん、そして李さんの四人で隊を編成し、残存部隊をすべて敵軍の正面に配置した。これで、敵は俺たちを認識できない。城へ入り、入り組んだ城内を突破すれば、ゲームクリアーだ。

 チャートには城への入り方までは書かれていなかったが、城壁に近づくと、崩れた部分を木材で補強している部分があった。

「よっと」

 李さんが軽く蹴飛ばすと、木材は内側に向かって木っ端微塵に吹き飛んだ。すげえな、武術の達人っていう設定は伊達じゃない。

 俺たちは四つん這いになって壁を通過し、城内の兵士たちの死角を走り抜けた。

「すっごいね」走りながら西条はチャートを見ている。「こんなに綿密にチャートを組んで、的確に敵をかわすなんて。さすがはぶりむさん」

「ぶりむ?」李さんは首を傾げた。

「ちょ、直接顔合わしてるときはその名前やめてほしいな」恥ずかしいから、と三上さんはそっぽを向いた。

 〈三国乱世〉のラスボス……劉秀英のもとまではもうすぐだった。敵をさけるため迂回したものの、一度も戦闘をせずにすんだため、ロスした時間を十分取り戻せている。

「あの部屋」三上さんは突き当たりの扉を指さした。「あそこに入ったらこのゲームは終了」

「戦闘があるんじゃないのか?」

「劉秀英にそんな力はないよ」三上さんが言った。

「とりゃあああ!」李さんが首を振ると、長い髪の毛が鞭のように扉に襲いかかった。扉は一瞬で切り裂かれ、破片がばらばらと廊下に落ちた。

 城に入るところから見ていたが、李さんは強い。三上さんが「ゲーム序盤で仲間にできたら五時間切れる」と言っていただけのことはある。

「おら出てこい劉秀英! お前を押さえればこの乱世も終わる! 主の御世が来るんだ!」李さんが大音声をあげた。

「あの、バオちゃん、劉を倒しても私の世の中が来るわけじゃ……」三上さんは心苦しそうに言った。

 扉の向こうは広い部屋になっていた。奥に玉座があり、そこに男がひとり、座っている。普通の兵士と比べると明らかに目立つ形状の甲冑を着ており、将校以上の人物であることが一目でわかった。

「部屋を制圧、これでRTA終了ね」やれやれ、と西条は言った。「あとは三上さんといっしょに帰るだけ」

「待て」俺は宙を指さした。「見てみろ、西条」

 宙に浮かぶタイマー。タイマーはとまることなく、時を刻み続けていた。

「え、何で!?」西条が驚いてチャートをもう一度確認した。

「李さん、あいつ、劉じゃない」俺は言った。「三上さんを守ってやってくれ」

 李さんが三上さんの前に立ったところで、くっ、という笑い声がもれた。劉が発したものだ。

「あのときもそうだったが、君はカンがいい。そうだ、今の私は劉ではない」

「神郷」俺は男をにらみつけた。「〈三国乱世〉に、なぜ来た?」

「実験だよ。並行する戯れの世界に声を届けることはできた。私たちの上に属する君たち地球人のもとへは、身体を借りることで行くことができた。では、私たちは並行する戯れの世界に行けるのか?」神郷は笑った。「実験は成功だ。いまだに身体を借りねばならんが、戯れの世界を行き来することは可能になった。いずれ、私自身、そして配下の者たちを地球へ直接送りこんでやろう」

「お前は戦争をするつもりか? 地球人と、ゲーム世界同士で」

「戦端を開いたのはお前たち地球人だ」劉の姿をした神郷は、俺たちをにらみつけた。「お前たちは人間や怪物たちが殺しあう世界を、戯れに作りすぎた。これは反逆なのだよ、私たちの」

 俺は何も言えなかった。西条も三上さんも同じようだ。

 殺しあう世界を作りすぎた。たしかに、そのとおりだ。ほとんどのゲームは、暴力と無縁ではいられない。人間は……少なくとも地球人は、暴力を「娯楽」として楽しむことができる生き物だ。

「さて、それではもうひとつの実験をさせてもらうとしようか」

 神郷は玉座から立ちあがり、腰のあたりにさしていた何かを抜き、俺に向けた。

 パン、という音とともに、腹に強烈なボディブローを受けたような気がした。後ろへ倒れそうになったが、李さんがあわてて支えてくれた。

「いって……」腹を見て、ぎょっとした。

 小さな穴が開いている。神郷は銃を撃ったのだ。〈三国乱世〉には銃まであるのか。

 だが、血はほとんど出ていなかった。それに、銃で撃たれたのははじめてだが、あまり痛みもない。非現実的な……もっと言うなら、ゲーム的な痛みのような気がした。

「ふむ、やはり自分が属さない戯れの世界では、死なんか。それとも、この世界の銃はできが悪いのか」面倒くさそうに神郷は言った。「やはり地球へ出向いて、貴様らを根絶やしにせねばならんようだな。自分の世界ならば、確実な死を与えることができそうだ」

「あんたよくもっ」

「動くな、西条!」

 パン、パンと神郷は引金を引く。西条は踊るように一回転し、尻餅をついた。

「いったぁ……!」

 撃たれた腕を押さえながら西条はうめいたが、声に余裕がある。俺同様、大したダメージは受けていないのだろう。

「ここでの実験は終わった。私はもとの世界へ帰るとしよう」神郷は歪んだ笑みを浮かべ、「震えて待つがいい。自分たちの世界が壊れていくその日をな、地球人ども」

 劉が膝をついて、前のめりに倒れた。タイマーはとまっていた。

「あれがCEO神郷。噂には聞いていたが」李さんがつぶやいた。「とんでもねえイカれ野郎だな」

「いや、あいつの言うこともわかるよ」

 俺は李さんに礼を言い、西条に手をさしのべた。西条も平気らしく、手をつかみ返した。

 その手から、光の粒があふれ、天に向かって伸びていた。

「戻る時間か」俺はつぶやいた。

 三上さんは不思議そうな顔で、光を発している自分の身体を見ていたが、李さんの方を見て、「バオちゃん!」と叫んだ。

「ありがとう、力を貸してくれて! バオちゃんのおかげで、ここまで来られた」

「それはこっちの台詞だよ、主。ようやく、平和な世界がやってきそうだ」

 李さんが手をさしだすと、三上さんは強く握り返した。

「このあとのことは全部任せることになっちゃうけど、でも、でも」三上さんは涙と鼻水でぐずぐずになった顔で「また会えるから! 〈三国乱世〉は最高のゲームだよ!」

「はは、今度会うときは、泣き虫だけはなおしておいてくれよ、我が主」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、俺たちは〈三国乱世〉の世界から消滅していた。


 俺たちはTV画面を見ながらへたりこんでいた。〈ファイナルブレイド7〉を入れたままなので、そのタイトルロゴが映っている。

 まったく整理整頓されていない部屋に、ほうりだされた鞄。間違いなく、俺の部屋だ。

「帰ってこられたな」

 西条に言うと、「だね」と笑った。「でも戻ってきたときのこの不思議な感じ、何回経験してもなれないなあ」

「何回も経験してるの?」震える声で三上さんがたずねた。「こんな目に何度もあってるの?」

「あ、うん、その……」西条はしばし逡巡したが、突然、両手を合わせた。「ごめん、三上さん。私、ズルしてたかもしれない」

「ズル?」

「三上さんが〈三国乱世〉に呼ばれたように、私もゲームに何度も呼ばれたことがあるの。ゲームパッドを握るより、自分で動いた方がいいタイムを出せると思って、この異常な現象を利用してきた。本当にごめんっ」

「いや、それ今謝るところか?」俺はあきれた。

 三上さんは西条の言っていることがいまいち呑みこめないらしく、放心したような状態で西条を見つめていた。

「こまかい話は、またあとでするから。今はまず、ご両親に連絡しよう」

 俺がスマホを取りだすと、「待って」と三上さんがとめた。

「バオちゃんはどうなったの?」

「バオ……李雹華のこと?」

 三上さんはうなずいた。「バオちゃんは私がゲームの世界に取りこまれたとき、真っ先に手を貸してくれた人なの。巫術、ていうので強い君主を呼びだそうとしたのに、私なんかが現れてみんながっかりしてるのを擁護してくれた」三上さんの声に熱がこもる。「大切な人なの。バオちゃんはどうなったの?」

「あの世界はあの世界で、これからも続いていくよ」俺は言った。「クリアーしたから、創造主からは切りはなされて、ひとつの世界として歩んでいくんだと思う」

「そう……なんだ」三上さんはうつむいた。床に一滴、二滴としずくが落ちる。

「李さん……バオちゃんのこと、大事に思ってたんだね」西条が三上さんの肩を抱いた。

「バオちゃんはずっと私を擁護してくれて」三上さんはぽつりぽつりと言った。「私はパニック状態で、君主なんて無理だ、帰りたいって言いだしたら、あたしと主なら何でもできる、だからがんばろって、いつも励ましてくれて」三上さんはとうとう、両手で顔を覆って泣き崩れた。「あんな風に支えてくれる人、はじめてだった。はじめて、自分はいてもいいんだって思えたのに!」

 俺は三上さんが自分のことをどう思っているのか、わかったような気がした。極端に自己評価が低いのだ。だから誰とも接しようとはせず、ネット上にRTA動画をあげることで、自分というものを保っていたんだろう。そう考えると、記録を塗りかえられたときの絶望感は、俺や西条が考えている以上に、彼女を傷つけたにちがいない。

 俺は三上さんの家に電話をかけ、三上さんが俺の家に駆けこんできたと告げた。すぐに迎えに行く、と三上さんの母親は言った。

「李さんはさ」通話を切り、俺は三上さんに言った。「ようやく平和な世界が来る、て言ってた。〈三国乱世〉の世界が、現実の三国志と同じ歴史を歩むとは限らない。きっと、いい世の中がやってくるって」

 なぐさめにもなっていないかもしれないが、三上さんは何度も涙をぬぐいながら、うん、うん、とうなずいた。

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