第39話

 僕の部屋に入ると、ほとんど言葉を交わすことなく、僕たちは唇を重ねた。そして、シャワーを浴びることなく、僕たちは身体を重ねた。

 一回ずつ射精した後、お互いの身体に付いていた体液を拭い、Tシャツとパンツを身に着けると、僕たちは再び並んで横になった。

「松尾君に、謝らないといけないですね」

 情事の余韻が少しずつ薄れてきて、その代わりに、罪悪感を意識し始めたところで、藤田が口を開いた。

「そうだなぁ……」

「濱本さんのことだから、正直に話すんですよね?」

「今日会って、ちゃんと話そうと思う」

「僕もその場にいるべきだとは思うんですけど……」

「引っ越しがあるんだから、それは仕方ないって。藤田君が謝ってたことも、ちゃんと話しとくよ」

「すいません」

「そんな顔しないでよ」

 僕が藤田に身体を向けると、横目でちらりと見てから、藤田も僕に身体を向けた。

「二人が別れることになったら……、とか考えてるだろ」

 僕はしょげた顔をし続ける藤田の頬をつまんだ。

「そりゃあ、考えますよ」

「そうなったら、残念だけどさぁ……、藤田君とこうなったことは、後悔しないよ。あのまま藤田君を一人で帰らせて、何もなかったことになってたら、きっと後悔してたと思うから」

「濱本さん……」

「だから、もうそんなに時間はないけど、今から別れるまでは、後ろ向きなことは考えないで、何だろう……、穏やかな気持ちで過ごしたいんだ」

「そうですよね」

 藤田の表情が和らいだので、僕は頬をつまんでいた指を離した。

「あっ」

 仰向けに体勢を変えた僕は、肝心なことを思い出した。

「えっ?」

「栞さんには、このこと……」

「あぁ、栞には……」

 そこで言葉を止めると、藤田も仰向けに体勢を変えた。

「さすがに、言わない方がいいよな」

「そのつもりだったんですけど……」

「ですけど……?」

「半分、正直に話そうかと思いまして……」

「半分って、どういうこと?」

「濱本さんと、何もなかったことにはしたくないんで……、こういう関係になったことは話します」

「えっ、話すの?」

「ただし、一年前の出来事として、です」

「一年前?」

「いや、そんな深い意味はないんですけど、一年前だったら、僕は栞と久し振りに会う前で、濱本さんも松尾君と付き合う前じゃないですか」

「それはそうだけど……」

「一年前の同じ日、僕は濱本さんに告白するんですけど、濱本さんは松尾君のことを好きになっていて、断られるんですよ。でも、優しい濱本さんは、僕の気持ちに報いようとしてくれて……」

「こういう関係になった、ってこと?」

「だめですかね?」

「えっ、それで、一夜限りの関係なの?」

「そこは、事実を変えないでおこうと思ってます。それで、今年の春、濱本さんは告白されて、松尾君と付き合い始めるんです」

「それだと、何か、僕がいいかげんな男に思えてならないなぁ……」

「いいかげんな男じゃなくて、濱本さんは、優男ですから」

「優男ねぇ……。物は言いようだな」

「そういうわけで、濱本さんの過去を、少しだけ捏造してほしいんです」

「捏造って……。まぁ、藤田君がそうしたいんだったら、僕は別に構わないけど」

「じゃあ、そういうことでお願いします」

「僕と藤田君で、捏造した過去を共有する、ってことだな」

「そうですね」

「でも、同性愛者だってことは、話してもいいの?」

「本人に聞いたわけじゃないですけど、栞は感付いてるんじゃないかな、って思うんですよ。生まれてこのかた、一度も女性と付き合ったことがないですからね」

「そうだよなぁ……」

 僕は顔だけを藤田に向けた。

「こんな男前なのに、一度も女性と付き合ったことがないんなんて、よっぽどの理由がないと納得できないよな」

 横目でちらりと僕を見てから、藤田は頬を緩めた。

「濱本さんって、容赦なく褒めますよね」

「あぁ……」

「僕のこと、男前だって褒めてくれた回数、濱本さんが断トツ一位ですから」

「まぁ、思ってても、あんまり口に出して言うことじゃないよな」

「それでも、濱本さんは言うんですね」

「あえて本心を隠さずに言うのが、僕なりの照れ隠しだから」

「あぁ……」

「照れ隠しで言うことは、相手は真に受けないだろうから、本心を言ってしまえば、それこそ、本当の照れ隠しになるんじゃないか、って思うんだよ」

「なるほど……。でも、僕は真に受けてましたよ」

「あぁ、そうなんだ」

「照れ臭かったですけど、すごく嬉しいと思ってました」

「じゃあ、本心はちゃんと伝わってた、ってことか」

「そうなりますね」

 言い終わるやいなや、藤田は小さくあくびをした。

「眠くなった?」

 僕は手を伸ばし、オーディオシステムの上に置いてある、目覚まし時計代わりの携帯電話を取った。

「何か、急に眠気が襲ってきました」

「二時五十二分」

「もう三時ですか……」

「じゃあ、そろそろ寝ようか」

「はい」

 藤田は小さく頷いたものの、天井をじっと見つめたままだった。

「濱本さん」

「何?」

「ありがとうございました」

「どうしたの? 急に改まって」

「高校生のときに初めて告白して、すごく辛い断られ方をしたのが、ずっと心の深いところに残ってて……、好きな人ができて仲よくなっても、気持ちを伝えることはできませんでした。だから、濱本さんに対しても、きっとそうなるんだろうな、って思ってました。実際、濱本さんは松尾君と付き合って、僕の中でも気持ちに踏ん切りをつけたつもりでいたんですけど、つもりだっただけで……。男を好きになる自分にけりをつけることになって、最後にもう一度だけ、好きな人に気持ちを伝えたいと思ったんです」

 藤田は目を閉じると、静かに息を整えた。

「濱本さんに、好きな気持ちを伝えられて、濱本さんも、好きでいてくれたことを伝えてくれて、それだけでも十分過ぎるくらいだったのに、最後の夜に、こうして一緒に過ごすことができて……、僕は、すごく幸せです。男を好きになる自分が、最後にやっと報われました」

「藤田君……」

「本当に、ありがとうございました」

 最後はこちらに顔を向け、すっかり潤んだ目で僕を見つめながら、藤田は感謝の言葉を口にした。

「こちらこそ、僕のことを好きになってくれて、本当に、ありがとう」

 僕が感謝の言葉を返すと、藤田の目から涙がこぼれた。

「やっぱり、濱本さんの『ありがとう』は、沁みます」

 藤田は涙を拭ってから、僕の肩に顔を埋めてきた。

「このまま眠っていいですか?」

「じゃあ……」

 僕は藤田の身体が触れている方の腕をもぞもぞと動かし始めた。

「えっ、まさか、腕枕ですか?」

「せっかくだから」

 藤田が頭を上げたので、僕はその下に腕を通した。

「嬉しいんですけど……、しんどくならないですか?」

「そこはさぁ、かっこつけさせてくれ、ってことで」

 僕は腕を曲げ、藤田がそっと載せてきた頭を抱えるようにした。

「じゃあ、かっこいい濱本さんに甘えます」

「それって、本当の照れ隠し?」

「そうです」

 僕たちは額同士をくっつけ、小さく笑い合った。

「今、ちょっとだけ後ろ向きなこと考えてました」

 しばらくして額が離れると、藤田は白状するように言った。

「僕も考えてた」

「同じことですかね?」

「同じことだと思う」

「じゃあ、言わなくていいですね」

「そうだな」

 感触が何だか気持ちよくて、僕は藤田の頭を撫で始めた。

「今それをされたら、あえなく眠りに落ちちゃいます」

「藤田君が眠ってくれないと、僕は眠れないから」

「やっぱり、そのつもりですか」

「そこも、かっこつけさせてもらうよ」

「分かりました。じゃあ、寝ます」

 とろんとした目で見つめてきた藤田に、僕は目を細めながら頷いた。

「おやすみなさい」

「おやすみ」

 眠る前の最後の言葉を交わすと、藤田は僕の胸にそっと手を置いた。

 朝になって目が覚めたら、一年前に戻っていた、っていうのも、それはそれで悪くないのかもしれないな。

 眠気でぼんやりしてきた頭で考えながら、僕は重くなってきたまぶたを閉じた。

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