第20話

「待たせてごめん。行こうか」

「はい!」


 叶さん視点で晴香のことを聞けたアタシは上機嫌になっていた。

 ミーハーで噂をしているのだったら腕ずくで晴香への認識を改めさせなければならないけど、本質や内面を好いてくれるのは姉として鼻が高い。

 無論、晴香を誰かに渡すつもりは毛頭ないけど。


「叶さんとは何をされていたのですか?まさか浮気ですか!?」

「ちょっとしたインタビューだよ」


 動揺する晴香を宥める。

 アタシが晴香しか愛せないことは、機を見計らって教え込まなければなるまい。


「段々と涼しくなってきたね」


 外にいると季節の移ろいを肌で実感できる。

 残暑が去って次第に気温が下がり始める変わり目で、蒸すような暑さは引いていった。

 街中を散歩する人も薄いも薄くない。


「晴香、若干露出してる部分は寒くないの?」

「寒くはないですね。姉上といるためのお洒落ですから寒くても我慢します」

「そこは第一に体の健康を考えてあげて」


 木々が生い茂る日陰の中では、ひんやりした風が吹き抜けて肌寒い。

 晴香がお洒落だと主張する本日の格好は、鎖骨付近がやや広く開けている白のトップスに、秋らしく温かみのある赤チェックのスカートである。くるぶしソックスでスカートの裾からふくらはぎが見えている。


 アタシ的には冷えやすいポイントだと思うのだけど……アタシ、私服のセンスでも負けてる?

 見事なまでのガーリースタイル。顔がキリリとしているだけに、服の可愛さと本人のあどけなさが融合して、とんでもない美少女が生まれてしまった。


「晴香、あんたって子はお洒落にも詳しいんだね……アタシも洋服を買い集めなきゃ……」

「姉上だってクールでいかしているじゃありませんか!私の姉上が着て、似合わない衣装など!!」

「お世辞でも褒めてくれるのは晴香の長所だね……」

「お世辞ではありませんよ!?」


 アタシ、お洒落なんてしていなくて無地の長袖シャツに濃紺のジーンズって……。

 こんなお洒落さんにアタシは釣り合っているか?いや、釣り合っていない。


「変ですよ姉上。姉上から部屋を訪れてくださったのって、他にも意図があるのではありませんか?」


 大正解。連絡事項を再確認するだけなら会う必要性がない。アプリのメッセージで送ればいいことだから。

 画面越しではできないことだからこそ、こうして晴香に会いに来たのだ。


「晴香とゆっくり話したことがなかったから、あの人と会う前に1回は腹を割って話したいなって」


 夏休みの帰省中にやっておくのがいちばんだったけど、夏祭りのインパクトが巨大すぎてアタシの脳内ストレージはパンクしていた。他にどんなことをしたのかもうろ覚えだ。


「ここでいい?」


 晴香の部屋着を購入したアパレルショップの前を通り、ある所で視界が開けた。

 公園のベンチを指差して晴香に訊く。


「もちろんです!」


 快諾してくれた晴香と、隙間を空けずベンチに腰掛けた。

 肩と肩が触れ合うような距離にいるせいで、晴香の匂いが秋の風と共に運ばれる。


「本題に入る前に晴香、感謝させて」

「感謝、ですか?直近で姉上にさせていただいたことなど、あったでしょうか……」


 顎に人差し指を添えて考え込む晴香。

 むむむ、と眉根を寄せている晴香も可愛いけど、早いうちに言ってしまおう。


「5月くらいだったかな。前にこの公園で晴香から髪留めを貰って、お礼を言いそびれてたからさ……」

「あぁ!姉上に使っていただければお礼など気になさらなくても」

「喧嘩別れみたいでアタシがモヤモヤしてただけ。あんたに言えて、ようやくスッキリしたわ」


 つっかえが取れてちょっぴり心が軽くなった。

 あの髪留めはアタシのお気に入りだし、身に付けない時もケースに格納して埃がかぶらないよう、机の引き出しに保管している。晴香がくれただけでプライスレス、どんな贈り物よりも喜ばしい。

 だから思うのだ、物を貰って喜んで、それでいてお礼していないのは人としてどうか、と。


「でね、アタシの本題はこっちなんだけど……晴香、学校はどう?」


 叶さんにも尋ねた質問を、晴香にも投げる。

 サンプル数は1だけど、他者から晴香への評価は判明した。では、晴香から周りへの評価は如何ほどか。


 あの親は晴香をトップに立つエリートでいさせるためなら、自分本位の進学先を歩ませるはずだ。晴香の意向なら汲んでもらえると期待してるけど、条件や期限を設けて無条件で晴香を残してくれるほどあの親は優しくない。

 極端な話、晴香を地元に強制送還させる展開もあり得る。

 そんなことお天道様が許しても、アタシが許さない。


「姉上と空間を共有できていると考えると、この上なく最高の環境ですが」

「アタシは度外視して。勉強のレベルとか、運動部の強さとか」


 この高校は正真正銘の進学校で、世間の評判は決して悪くないのだ。

 進学実績は難関大の名前が何校も上がるほどだし、全国大会に出場する部活だって少なくない。

 しかし晴香が羽ばたけるレベルには程遠いし、授業が遅くて暇を持て余していてもおかしくはない。晴香は勉学も武芸も常人離れしているから。


「単なる学び舎としても私は不満など、特にありませんよ。皆さん優しいですし、授業もつまらないとは感じませんでした。中学の時よりノートも取りやすいですし」


 アタシとは正反対の感想を述べる晴香。

 アタシは中学も高校も、シャッター街を延々と歩き続けているように錯覚していた。建物はあっても、閉店しているから立ち寄ることなどできやしない。そこかしこが寂れて、心躍る要素が皆無なのだ。

 同じ学舎に、アタシの学年だけでも200人近くいるはずなのに、教室も廊下も色素を失っていた。


「アタシはきっと、どの学校に行ってもつまらなかったんだろうな」


 アタシ自身に独り言ちる。

 晴香を敵視して、生活圏にいなければ比較しなくて済むんだと信じ込み、学生という貴重な時間を4年も捨てていた。

 晴香と同じ進学先を選んだなら濃密な生活にできただろうか。この高校じゃなくても、晴香を妬む限り空っぽの青春に身を置く羽目になっただろう。


「晴香が来てくれてから段々と楽しむことができるようになって……去年までは1日が長くて、早く卒業したいって毎日を呪ってた。なんで1秒が経つのはこんなに遅いんだろうってね」


 アタシの意に反して止まらない独り言。

 晴香は茶化すでもなく、相槌を打つでもなく、静かに耳を寄せてくれた。


「でもあの日から変わったのかもしれない。今のアタシは1秒でも多く晴香と一緒にいたい」


 ……言えた、ようやっと言葉にできた。

 紛うことなきアタシの本心だ。晴香を羨んでいるのも本心だけど、父の手元に送り返したくない、もっと傍にいたいというのも、また本心だ。


「姉上」

「は、晴香?」


 独り言を聞き終えた晴香が、アタシの胸元に顔を埋めてきた。

 公園内の温度は秋の風で涼しいのにアタシの体温は上昇していた。晴香の体温が混ざってアタシの心拍数を掻き乱す。

 晴香は顔を埋めたまま無言を貫いた。

 公園内には他にも利用者がいるのに、聞こえるのはアタシと晴香の呼吸音だけ。このベンチだけが隔絶されたような静寂に包まれる。

 どのくらいそうしていただろう。


「反則ですよ……姉上はいつだってそうです。私のことを避けたかと思えば不意に私が欲していることを言ってくれる……ますます姉上のことが好きになってしまうではありませんか」


 胸元から頭を上げた晴香が潤んだ両眼でアタシを見つめる。

 晴香の様相に呑まれそうになる情動を必死に自制心で抑える。


「また、姉上と――」

「ストップ」


 唇を重ねようとしてきた晴香に静止をかける。

 夏祭りでは流されてしまったけど、今度は理性で正気を保ってみせよう。


「あ……姉上?」

「それは父親との件が済むまで取っておこう?」


 餌をお預けされたかのようにしょんぼりする晴香にアタシなりの意思表示をする。

 あの人との議論が済んで、自分の本音を乗り越えた暁に、改めて晴香を抱擁したい。


「分かりました。約束ですよ?」

「約束する」


 アタシは既に約束を破ってしまった人間だ。もう反故にすることなどできない。

 と、晴香に確約してからもう1つの心の声に気付かされた。

 晴香に離れて欲しくないのもあるけど、アタシに内在する欲求を明らかにしたかったのだ、と。

 この子はあんな人の元には帰さない。そう強く誓うのであった。

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