第21話

「ご無沙汰しております。父上」

「長旅ご苦労。座りなさい」


 父と娘の大仰な挨拶を一歩後ろで見守る。

 アタシから父に挨拶はしないし、父からもアタシへの挨拶はない。第三者からすれば思春期にありがちな父親と娘の間柄、とでも勘違いするのだろう。

 勧められた椅子に腰かける。


「お前たちを招集したのは既知のことだろうが……晴香、お前の進退についてだ」

「…………はい」


 重力が倍になったような空気感で、アタシたちの父親が徐に口を開いた。

 耳障りという感想は相も変わらず。


「どうだ、中学校を変えて今の高校は?近況報告で教えてもらっているが、現地にいるわけじゃないのでな」

「チャットでも報告させてもらったように、不自由なく生活できております。勉強も運動ものびのびと」

「そうか」


 愛娘からのポジティブな報告に落胆を見せる父親。無関心を装っているが期待外れの反応にご不満なことは隠せていなかった。

 レベルが合わなくてつまらないとか、もっと高度な授業を受けたいとか言ってくれるのを父は望んでいたのだろう。


「しかしだな、晴香よ。俺にはあの学校が、超名門を蹴ってまで進学するほどの価値があるとは思えんのだ」

「何故ですか」

「お前が突出しているからだ。集団から抜きん出ているお前に合わせられる人間は、やはり上位校にしかいないはずだ。ましてやあんな地方の学校にお前に匹敵する者などいるのか」


 息を吸うように学校の批判をする親。晴香に説得されたんじゃなかったのか?

 この言い草にはカチンときた。


「父上には説明をしたはずですが……ご納得いただけませんか」

「あの時点では納得したが、考え方が変わることもある」

「高校3年間は私の好きにしていいとおっしゃったではありませんか」

「在学中に話し合いの場を設けると条件も付けてある。そこで状況次第ではお前に見合うベストな進路を探す、とも言ったはずだ」

「だからこそ私は手を緩めたことなどありません!学外でも同じことです!」


 アタシを蚊帳の外にして晴香と父が火花を散らす。

 どうにかして娘を連れ戻そうとする父親と、全力で父親に抵抗する娘。

 両者の負けられない戦いに固唾を飲む。

 なぜなら晴香が鋭い眼光で父親を睨み付けているから。あの親は厳つい表情がデフォルトだから気にならないけど、晴香の鬼の形相とでも形容すべき眼つきは初めて目にした。


「……凛。貴様はどう考える?」

「アタシは晴香の味方だけどね……この子はそれなりに人付き合いあるし、成績も申し分ないならアタシたちが干渉することじゃないんじゃないの」


 この父のことだ、アタシの発言で晴香を誘導できると楽観視している。

 しかしそうは問屋が卸さない。


「尋ね方が悪かったか。お前は晴香がいたら居心地が悪いのではないか?他の学年だとしても、だ」

「知った風なこと言って欲しくないね」


 伊達にアタシたちを教育していない父は、アタシの心奥にある邪念を突き刺した。

 こんな人間に弱音を吐いたことなどないのだが、アタシの敵愾心や妬心などお見通しだったのだ。

 当初は恨んでいたのは父だけだったのが晴香にまで飛び火してしまったのは事実だし、高校生になってもまだ燃え続けている。


「姉上……やはり姉上は…………」


 射抜くような眼光はどこへやら、晴香が不安そうにアタシをチラチラと盗み見る。

 アタシは肩をすくめた。


「生憎だけどアタシは晴香と高校も大学も――大人になっても、いいや。死ぬまで寄り添いたいって気持ちが強いの。あんたの洞察は間違ってないけど正解には程遠い。さも理解しているような口ぶりで同意を求めるのはやめてもらっていい?腹が立つから」


 晴香の気を楽にさせてやるというより、素直に思いの丈をぶつける。

 公園で再確認させられた欲望はアタシに強気な言葉を紡がせた。

 かつてのアタシなら恐れ多くて反論なんてしていなかった。その恐れを圧倒的に凌駕するほどに晴香に影響されているのだ。


「晴香、宝の持ち腐れはもったいないぞ。お前は地元なんかに収まらない逸材だ。大会やイベントに参加した際に度々スカウトが来ていただろう?あの人らはお前が本気で練習に打ち込めばトッププロになれると力説していたんだよ」

「最前線で活躍されているプロの方に失礼かと思いますが……」

「否!お前は同年代はおろか、年上すらも抜き去っていた!その才覚を持つお前がトップを取るため努力するのは必然!」

「必然、なのでしょうか……?」


 支離滅裂な父親の言説に困惑している晴香。アタシにも理解不能だから……。

 こいつは晴香に何を望んでいるのか?


「では問おう、凛よ。お前の学校生活はどうなんだ?」


 やにわに矛先がアタシに向けられる。この人物から近況を聞かれるとは露ほども想っていなかった。


「体育も座学も成績は良いけど」

「ほう。それはどの程度良いのか?」

「適当にしても目を瞑ってもらえるくらい」

「そうかそうか」


 無精ひげを撫でながら父親は呟いた。


「悪貨は良貨を駆逐するという。全体の士気を下げかねない者を放置するような環境下では晴香の育成に支障があると思わんのか?」

「晴香を連れ戻すっていう大義名分で学校を非難するのは卑怯だと思うけど」

「いちいち口答えが多くて可愛げのない奴だ。腐ったミカンを放置できるほど俺は甘くない」

「そいつはどうも。アタシがここで撒けるのは反抗心だけなんで、そこんとこよろしく」


 ドッジボールでもプレイしているかの如く、アタシも父親も意見を投げ合う。

 試合半ばで折れることは許されない。どちらかが信念という名のボールを取り損ね、陣地から追い出されるまで攻防は続く。

 ドッジボールより長期戦になることが分かりきっていても、タイムがかからないとしても。


「逃げて選んだ進学先でお前に収穫はあったのか?」


 語彙も内容も、アタシの後ろめたい過去を的確に刺してくるあたり、この父はマイナスの面に限れば人を見抜くのが上手い。


「逃げた、逃げたねぇ……逃げたのは確かだし収穫もなかったけど」

「ふん、くだらんな。生温い環境はお前には良くても晴香の成長には妨げでしかない」

「生温かったとして晴香は努力を怠る子じゃない」

「他の者たちに晴香を伸ばせる資質がない、という意味だ」


 完全な膠着状態。どんなにこき下ろされても、晴香を手放さない一心で父親に食らいつく。


「私の友人たちを、姉上を侮辱するのはやめてください!」


 しばらく沈黙を保っていた晴香が声を荒げた。

 溌溂とした彼女が怒鳴る姿など見たことがないらしく、あの父が瞬きも忘れて固まっていた。

 金魚みたいな間の抜けたアホ面を拝めるとは……。


「父上は私をどうするか、私がどうしたいか議論するために私たちを呼んだのでしょう!姉上を詰るのはこの私が許しません!」

「…………い、言い過ぎてしまったか、悪かった」


 晴香の勢いに気圧される父。

 父があたふたしていることより、晴香がアタシを庇ってくれた事実がたまらく嬉しかった。

 とにかくこの調子で父が手を引いてくれれば苦労しないのだが……。


「だが学費や諸々の費用は凛には出資できまい。こちらに戻った方がやりたいことを探しやすはずだぞ」

「奨学金でも借りることにします」

「奨学金は将来への負債だ。自ら借金を増やそうというのか?経済的にも可能性が広がる、将来的に借金の返済にも追われない。どっちを選ぶべきか、火を見るよりも明らかだろう!」


 こういったタイプは往生際が悪いというのが世の常で、あろうことか経済力でマウントを取る父。

 正論ではあるけど高校生相手に優位性を誇るとは……。

 だけどこればっかりはアタシに打つ手がなかった。


「生活費すら稼ぐのが難しいのと、好きな所で好きなことに励むのは、どっちが望ましい?」


 進学するか就職するか。大半の学生は大学進学を選択し、秀でた才能を持つ者は誰かが引き抜きなりなんなりするだろう。

 仮にアタシが春香をサポートしてあげたいと望んでも、経済力がなければ叶わぬ夢となる。

 金銭面で優位性を誇るのは正しい戦法だった。


「アタシの――」

「お父さん、もうやめましょう」


 胸から出かかった意思を表明しようとした瞬間、とある女性の声が場を支配した。

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