第16話

「お疲れ~」

「おつ。次って数学だっけ?」

「げっ。小テストある日じゃん」


 2学期前半の種目である、バレーボールの授業が終わり、チャイムが鳴るより数分早く皆が着替えに戻る。


「尾神さん、お疲れ様」

「葉月さん」


 1人黙々と着替えているところに、アタシのライバルを名乗るクラスメイトが話しかけてきた。


「夏休みで変わりました?」

「アタシはアタシのままだけど……葉月さんには変わったように見える?」

「正確には期末の時期ですか……試験後に誰かと笑い合う姿なんて、1学期までの尾神さんからは考えられませんでした」

「多少は穏やかになったかもね」


 シャツのボタンを留めながら夏の事件(?)に思いを馳せる。

 期末の前後はある種の非日常を過ごしていたから、感情の波が緩やかになったのはあるかも。

 きっかけは……晴香を誘うミッションに失敗したアタシが、美里からの追及を逃れる目的も兼ねて試験勉強を手伝おうと提案したことだったか。


「美里には愚痴とかこぼしまくってるからねぇ。たまには生産性のあることをしないと」

「……尾神さんって、もっと取り付く島もない方かと勘違いしていました」


 聞いてもいない第一印象を告白される。

 別に勘違いじゃない。皆の目には、美里以外とは誰とも仲良くならなかったアタシは、クラスに打ち解けられない陰気な奴という風に映っているかもしれない。あるいは気難しくてお高くまとまっていると。

 なんならアタシにちょくちょく絡んでくる葉月さんは珍しい。


「葉月さんは普通に友達いるじゃない。アタシに構う必要なくない?」

「オブラートに包んで言うと、目の上のたん瘤のような方なので」

「オブラートってなんだっけ」


 指を入れれば破けそうなピザ生地に包まれたような敵対心は、葉月さんを突き動かすには十分過ぎるようだ。

 アタシなんか前座だよって言ったら、火に油を注いでしまうだろうか?


「時に尾神さん、何日も前から般若のような顔になっているのですが」

「嘘?」


 看過できない指摘に、スカートに通しかけた脚の動きが一瞬止まった。


「神社の門の横に奉られている銅像のようです」


 ならばアタシも狛犬や金剛力士像の仲間入りができるのでは?なんていう冗談は置いといて、最悪な気分を引きずってしまっているようだ。

 原因はアタシたちの父親。

 晴香より知らされた日から幾許か経過するけど、アタシはまだ連絡せずにいた。

 そこまで険しい顔をしているつもりはなかったけど……。


「皆も及び腰になってましたよ?」

「あらま。それは夏休み前からじゃない?」

「昔以上に怖がってましたよ!サーブとかスパイクとか、ありえない音してましたからね!?」


 アタシのスパイクでドシン、という鈍い音がしていたらしい。サーブを受けた葉月さんからは、剛速球だったので手首が赤くなったとジト目で抗議された。

 アタシもやけに手のひらがジンジンすると思ったら、サーブやらスパイクやらで力み過ぎていたのか……。


「やはり何かあったのでは?私が追いかけてきた尾神さんは、どこかこの世界を見ていないような、退屈そうな……人生に山も谷もないと諦めたように映っていましたから。そんな人が急に怒りを露にしたら、相当なことがあったんじゃないかと皆思いますよ」

「葉月さん。アタシを追いかけても良いことないよ?」

「良いことがあるから追いかけているのではありません!テスト中に寝ている人に勝てないのが悔しいだけです!」


 授業終了のチャイムが鳴り終わった後、着替え終わった葉月さんと教室までの廊下を歩く。


「アタシ、妹がいるんだけど」

「妹さん?もしかして尾神晴香さん?」

「よくご存知で」

「有名ですもの。入学後から部活の勧誘が絶えない運動神経に、中間期末と学外模試で1位を取る頭脳、気さくな人柄で親しみやすいと噂になっているのは尾神さんも知らないわけがないでしょう」


 懇切丁寧に教えられるまでもなく把握している晴香の噂は、ライバル(?)の葉月さんも小耳に挟んでいたよう。


「まずもって尾神さんも他学年で有名ですけどね」

「陰気な奴として?」

「その捻くれた人柄を除いて、有名ですけどね。興味ないんですか」

「ないな。皆が噂してくれたとて、アタシの毛穴1つも潤わない……」


 晴香を超え、アタシの表も裏も晴香に認めさせてこそ、真にアタシの渇きは癒される。

 あと単純に初耳だから興味関心以前の問題だった。


「親のことで問題が発生して、連絡するのも気が重いなって」

「それが妹さんと関係ある、と?」

「関係があるなんてレベルじゃなくて、むしろ晴香がメインのことというか」


 どこまで明かしたものか悩む。

 美里ならいざ知らず、葉月さんはアタシたちの関係性を赤裸々にしたい人じゃない。友達だとは思っているけれども、日常にありふれたことを語り合うだけの相手だ。葉月さんも他人の家庭のいざこざなんて、どうでもいいだろうし。


「親に電話をするだけで鬼の形相になるって、どれだけ嫌われているのでしょう……」

「アタシも嫌いたくて嫌ったわけじゃないよ。世間的に父親が嫌われる理由じゃないから」


 反抗期とか思春期とか、成長して訪れる現象とはわけが違う。解釈次第では反抗期という面もあるかもだけど。


「そんなわけでダルいだけ」


 教室の自席で次の授業の用意をするため、自然な流れで葉月さんと別れた。

 にしても真面目な話、いつ電話するべきか。今日か明日か、明後日か。着席して思考がグルグルする。

 先送りにしたい問題ほど、先送りにすればするほど厄介になるのは目に見えている。


 目を瞑ってやり過ごしても、再び目を開いた時に事態はもっと悪化するだけって、子供の頃にドラマで聞いた覚えがある。

 正にアタシが陥っている状態で、なればこそ日付が変わる前にでも連絡するべきなのだろう。

 理屈と感情はそれぞれを独立して動かせるけど、完全に両者間の回路を遮断できるものでもない。理屈が感情を、感情を理屈が正解が出されているからこそ、踏み止まってしまうことだってあるはずだ。


「授業を始めます。今日は小テストからですね」


 チャイムと共に先生が来て数学の授業を開始する。

 小テストが配られ、1枚だけ取って後ろの席に回す。


(数学の問題みたいだな)


 配られたテストを解きながら現状を重ねてみる。

 数学は式や条件が与えられ、ルートは幾つかあるにせよ正答を目指す。途中で計算が複雑になることが明らかでも、正解し得点するには式を書き連ねるしかない。


 突き詰めると数学に限らず、勉強も運動もそうなんだろう。

 晴香はアタシより4年も早くこの道を選んだ。中学校の3年間でやりきってみせた。

 ならアタシは?妹が頑張った道を入口で引き返してしまうのか?目を逸らし続けた先に待っている未来は、きっとアタシが望んだ未来じゃないだろう。

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