第13話

「おーい、晴香!」


 声を出して呼びかけるが、太鼓やら増えやら談笑やら、如何せん音を遮るものが多すぎる。

 にしても高校生にもなって妹とはぐれるなんて……。アナウンスが流れた段階で背後に気を配っておくべきだった。


「晴香、どこに行ったんだ……」


 たらればを言っても事態は好転しない。頑張って足を止めないで、ひたすらに進み続ける。

 大方が移動し終わったのか、人の波が落ち着いてきたように思える。

 そして人影がまばらになった頃、通話している人の姿が目に入った。


(そっか、電話!)


 夏休み前にも似たようなことがあったなぁ、と苦笑い。

 どうにも晴香が絡むとアタシは冷静さを失ってしまうようだ。

 とりあえずアプリの電話マークを押して発信。耳慣れないコールが機械の中で響くけど……。


「うーん、出てくれ」


 不在着信になってしまい、さらに花火が始まっていた。折り返しても打ち上げた音で通話しづらいだろうから、メッセージで居場所などを送った。

 どちらかが動き回っても、教え合っている最中に知らず知らずのうちに擦れ違っているのが関の山だろう。

 ここから近くにいてくれるのがベストだけど、晴香が波に押されて皆の移動先にいる可能性も十分にある。


「いつもみたいに姉上って呼んでくれよ……」


 付近のベンチに座り、ポツリとこぼしてしまった。

 文明の利器が手元にあるにもかかわらず、アタシは心細くて途方に暮れた。

 むしろ呼ばれない方が馴染んでいたはずなのに。絶対に追わせまいと思って突き放したのに。かつてないほどに晴香の声で姉上と呼ばれたい自分がいる。

 甲高い音、空に咲いた火花に遅れてパパァンという低音が鳴り響く。

 幻想的な花火の下で、アタシは落ち込んだままだったけど。


「ん?晴香からだ」


 心許ないアタシのスマフォが軽快な音を立てて、パッと心が晴れやかになっていった。

 晴香がメッセージを返してくれたのだ。


「この景色は――あそこだ!」


 画像もセットで送ってくれた晴香。おかげで彼女の居場所を突き止めることができた。

 写真に写っていた場所へ小走りで向かう。下駄は走るのに不向きだろうけど、構わず走り続ける。

 夏の暑さにやられて息が上がりそうだけど、1分1秒でも早く晴香に会いたかった。


「晴香!」

「姉上!」


 お互いの名前を、その存在を確かめ合うように呼び合った。

 目の前の妹は、アタシが欲しくてたまらない魔法の言葉をかけてくれた。

 姉上と呼んでくれただけでアタシも身も心も充足されていった。


「ごめん、晴香。一緒に並んでいれば良かったよね」

「私こそすみません、離れてしまったばかりに……」


 晴香はともかく、アタシが浮かれて油断していたのだ。

 何はともあれ合流できたからいい。これなら隣同士で花火を見るという目的が達成できる。

 ややぬるくなってしまったラムネを渡し、アタシも息を整えてから飲み始めた。まだ冷たい、良かった。


「にしてもここって穴場なんだね」

「はい。列から抜け出たら偶然ここに辿り着きまして」

「絶景のスポットじゃない?」


 辺りは人影がまばらで、撮影しようと高くカメラを掲げているような者もいないため、邪魔されることなく存分に花火を堪能できそうだ。

 

 ヒュウゥゥ、と彗星の尾のような光が次々に空高く打ち上げられ、時間差で色彩豊かな花を咲かせる。暗くなった空を埋め尽くす優しい爆薬は、ベンチに座って見た時の何倍も輝いていた。

 それはきっと晴香が隣にいるから。

 大好きな晴香が手を伸ばせば届く距離にいるから。


「綺麗……」


 晴香もうっとりした表情で夜空を見上げている。

 花火が上がっていなければ、横顔から覗くキラキラの瞳に吸い寄せられていただろう。


(……晴香)


 そっと、花火の音に掻き消される音量で名前を呼んでみた。

 晴香はこんなお姉ちゃんで幻滅しない?あなたを傷付けてしまうかもしれない不安定なお姉ちゃんを、好きでいてくれる?

 喉から出かかった質問を胃の辺りに沈める。いくら花火の音がでかいからとて、晴香に問いかける内容じゃない……。アタシが乗り越えるべきことを、同情を買うようなやり方で肯定してもらうのは卑怯だ。


「姉上?どうかされましたか?」


 一点の曇りもない瞳を見ていたら、晴香がこちらに気付いた。


「なんでもないよ。たださ、いつもまっすぐな晴香にアタシは惹かれたんだなって」

「な、なんですか姉上?今日はやけに褒めてくださいますけど……」


 もちろん嬉しいですけど、と顔に季節外れの紅葉を散らしながら付け足す晴香。

 晴香が困惑するのも無理はない。4月までのアタシなら晴香を面と向かって褒めるなんて、到底できなかっただろうから。

 お祭りに妹との帰省という特殊な状況が、アタシにそうさせたのかも。


「……姉上!」

「な、何?」


 花火にも負けない、大きく張りのある声がアタシの鼓膜に響いた。


「そんなに甘い言葉をいただいては……もう我慢できません」

「晴香!?」


 グイっと急接近する晴香の顔。

 実の妹ながら整った顔、蒸気する頬、アタシ以外は視界に映っていないような熱い視線、屋台の間をあれほど歩いてもふんわり漂う甘い香り、瑞々しい唇、そして前屈みの姿勢で覗けそうになっている胸元。

 眼前の光景がアタシの心臓をキュッと鷲掴みにする。


「は、晴香。こんな外で――」

「あの日と同じですよ、姉上。階段で落ちそうになった私を助けていただいた、あの日と」

「むぅ、んん」


 そうだけどアタシのドキドキはあの日の比じゃない。心音が外に漏れ出ていないことを祈ろう。


「あねうえぇ……!」


 押し倒すような形で晴香に抱き付かれる。なすがままに押し倒されるアタシ。

 超至近距離で発せられる切なげな声。

 アタシを挟み込むように地面についた手は小刻みに震えていて、あぁ緊張しているのはアタシだけじゃないんだ、と遅れて思う。


「本当に申し訳ありません、あねうえ……」

「ひゃっ……!?」


 晴香の膝と思しき部分が、アタシの両脚の間に入り込む。柔らかな太ももと繊細な布の感触が、アタシの大事な部分に触れて間の抜けた声を発してしまった。布が擦れてピクン、と脚が跳ねてしまう。

 

 そのままアタシの手に晴香の手が重ねられる。

 指と指を交互に絡ませる、確固たる繋がりの強さを体感する繋ぎ方。

 外でなんてダメだよと思いながら、アタシは抵抗できなかった。

 たぶん振りほどこうとすれば難なくできると思う。だけどアタシは抵抗できない。

謝らないでよ、晴香。だって今アタシは、こんなにもあなたのことを欲してる。


 繋がれた手指から晴香の脈動と体温が伝播し、アタシの体内から理性を奪っていく。

 なし崩し的に晴香と結ばれようとしている。

 なし崩しではいけないと、ストップをかけようとするアタシを差し置いて、晴香を受け入れたい自分が存在感を一層濃くする。


「は、はるか……」

「……あねうえ」


 両眼を閉じて、顔を前に出す晴香。自ら拒絶することも受容することもできないアタシ。

 そして。


「んっ――」


 アタシと晴香は甘く淡いキスをした。

 初めてのキスは、ラムネの味がした。

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