第12話

「行ってらっしゃい」


 浴衣撮影会から解放されたアタシと晴香は、お祭りに通じる道を歩いていた。


「シャッターチャンス、です」

「えぇ?」


 木の葉がサラサラと揺れる懐かしの道で、いきなり写真を撮られる。

 撮影するのは構わないけど、間抜けな顔をしていなかったかだけ気になった。


「お綺麗です、姉上」

「ぬぁふっ!!」


 前触れもなく放たれた称賛にアタシは咳き込んでしまった。

 背後から脇腹を指で突くような悪戯に似た唐突さで、気持ちを隠すことなくストレートに表せる晴香の胆力はアタシも見習うべきだろうか?


 浴衣に着替えた晴香をこっちからは褒めていないし、姉の尊厳とか役割を放棄しているのではないかと自問自答する。

 よし!!アタシだってコンプレックスと羞恥心を押し退けて、晴香を褒めてやるんだ!


「晴香もあの、え~……大きくなってからは初めて見てさ、アタシの妹ってことが信じられないくらい綺麗だったょ……」


 深く息を吸い込んで、最後は尻すぼみになってしまった。

 へたれの称賛は届いてくれたかと晴香を見たら、予想外の反応を示された。


「~~~っっ!」

「なんか返して!?」


 両手で顔を覆う、照れ隠しのポーズ。隠しきれていない口元は小刻みに震え、耳まで真っ赤に染まっていた。

 アタシは体内の血液が沸騰するような感覚で、全身を熱が対流していくのが容易く感じ取れる。


「ほ、他の方に褒めていただけるのも嬉しいんです!でも姉上が褒めてくださるのが最大の幸せで――満たされるのです!」

「り、力説しなくていいからっ」


 最大の幸せを与えられるほどアタシの人間性はできていない。

 すんなり褒めることすらできない個人としての評価も、姉としての評価もそう。アタシと晴香の評価は乖離しているだろうけど、雑念まみれであるアタシの、アタシ自身に対する主観的評価は正当だろう。


 アタシ自身が出した結果に満足できる日は、己の評価が高められた日に来る。

 すなわち晴香を超え、克己できた日のこと。その日に初めて晴香に“最大の幸せ”を与えられる人間になれる、気がする。


「屋台、回ろうか」


 恥じらいに包まれたアタシたちの静寂を、祭りの音が切り裂いた。

 ドンドンという太鼓の重低音、等間隔で設置されたぼんぼり、香ばしいソースの匂い、歩き回る人々の喧噪、それらが近付いてきてお祭りに来た実感が湧く。

 地域住民で賑わう舞台にアタシたちも足を踏み入れた。


「へい、いらっしゃーい!」

「いろんな景品を用意してるよ、どうだい?」


 店番の人の景気良い呼び声が混じり合う。

 お母さんが結構なお小遣いを持たせてくれたから、金銭面の心配は無用だろう。


「りんご飴だってさ、食べる?」

「食べましょう!」


 手始めに視界に入ったりんご飴を買いに行く。

 2本買おうとしたら晴香に割って入られた。


「姉上♪食べましょう♪」


 巾着袋に財布をしまうアタシに代わり、晴香が飴を貰っていた。

 あれ?アタシに差し出してるけど、あんたが食べるんじゃないの?


「晴香が食べる用に買ったんだし、1人で食べていいよ?」

「姉上と半分こにしたいのです!」

「半分こに?じゃあ力ずくで割るとか」

「ち、違います!」


 飴を分割する方法を提案したんだけど正解ではなかったよう。


「交互に舐めていけばおよそ半分になると思いませんか?」

(間接キス第2弾!!)


 飴で間接キスなんてあるのか、この世には?

 ペットボトルよりこう、ダイレクトで接地面積も大きくなるよなぁ……!!


「よしじゃあ最初だけ貰おう」

「姉上が構わないのであれば……」


 残りは自由に食べなさいという条件を、晴香は渋々といった様子で受け入れた。

 晴香が持っているりんご飴に顔を近づけて、ペロっと一舐め。りんごの甘い香りと味が口内に行き渡る。

 美味しいんだけど、アタシの口をつけた跡を晴香も舐めるのだと思うとドキドキしてしまう。


「ごちそうさまでした」


 アタシのドキドキを置き去ってりんご飴は消えた。

 でも飴が晴香の胃袋に消えたとしても間接キスした事実は、アタシの舌と脳みそに残り続ける。

 沸騰する脳を覚ますべく紙パックの緑茶を購入した。


「ふぅ……」


 お茶を飲みきってようやく頭を冷やすことができた。


「輪投げ、やりませんか?」

「ん、いいかもね」


 カラフルな文字でわなげと書かれた屋台が見えて。挑戦してみることにした。

 お店の人に百円玉を渡して、代わりに3つのリングが手渡された。3色のリングを手にして、お菓子の箱が並べられた台の前に立つ。

 なんとかのマーチとかタブレット状のお菓子など、子どもが好きそうなラインナップだ。


「ほっ」


 高校生にとっては的が近すぎて、適当に放っただけで景品が輪の中に入る。


「おー。ではどうぞお持ち帰りください」

「ありがとうございます」


 景品としてチョコレート入りの焼き菓子やソフトキャンディーを手に入れた。

 明日のおやつにでもしようかな。


「はい、ほいっ」


 アタシに続いて晴香も3つ分の景品を手に抱えていた。ラインナップはアタシと大差なかった。

 各自の巾着袋に景品を収納して輪投げの屋台から遠ざかる。

 箱が角ばっているから、次からは袋は別のものにした方が良さそうだ。


「射的もありますよ!あ、でも景品がお菓子だけみたいですね」

「お菓子は合計6個も入手したから、これ以上は要らないかな」

「ですね」


 あーだこーだ言いながら、ゆったりと歩いて雑踏の中を進む。姉妹水入らずで遊び回っているから、変なしがらみを意識せずに済む。

 アタシも晴香も童心に返り、今朝方の夢なんて忘れるくらい祭りを楽しんでいた。晴香といると心がざわついていたはずなのに、こうやって安らいでいられるのは晴香のおかげなんだろう。


 アタシだけの帰省は、ただ陰鬱としていたから。

 アタシだけが祭りに参加しても、隣で無邪気に接してくれる君がいないから。

 3年も想い続けてくれる、一途なあなたがいるから。


「……夏休みまであっという間でした。姉上の高校に入学してから、嘘のように時が過ぎ去ってしまいました」


 胸中の感情を再認識するアタシの横で、感慨深そうに晴香が言った。

 2年に進級して半年も経っていないけど、瞬く間に過ぎていったのは同意する。随分と濃密な日々だったし、実物がいてもいなくてもアタシの思考は晴香に侵されていた。

 短針も長針も倍速でかけたような1学期は、アタシの学生生活において初めてだ。


「晴香に会ったのが昨日のことみたいに思うんだけど、実際はもう4か月前のことなんだね」

「私も同じく、です。姉上がいない中学など、本がない図書館で過ごせと命令されるようなものでした」

「なにそれ」


 分かるんだか分からないんだか、微妙な例えに苦笑した。


「図書館に本がなかったらつまらないですし、そもそも必需品である本がなければ図書館足り得ない……私にとって必ずなければならない大事な人がいない学校は、つまらなくて行く価値もない所ということです」


 そんなにもアタシのことを買っているのか、この子は。

 虚無の空間を生きてきたのが自分だけだと勘違いしていたアタシは、晴香だって多くのことを耐えてきたという発想すら持ち得ていなかった。

 名門校ですらトップに立ち続けなければいけない期待と重圧、背負うものはアタシより重かったはず。


「けどいいんです。姉上の隣にいる現状が全てですから!」


 アタシの数歩前に躍り出て、ニカッと清々しい笑みを湛える晴香。

 かつてのワンシーンが掘り起こされる。


(変わらないな、この子は)


 家族で夏祭りに来ていたあの頃。晴香がアタシの前に立ち、笑顔で振り向いていた記憶。

 重なった情景に貫かれ、ドロドロに固まったヘドロが消えゆくような感覚に襲われた。


「はっ!?今さらですが申し訳ありません!外なのに呼び方を……!」

「え、う~ん……今ぐらいはいいよ。お祭りだしね」


 お姉ちゃんという呼び方に頓着しない程度のゆとりが出てきたから、大目に見ることにした。ていうかアタシも忘れていたし。

 くさいことを言ったような気がして、話題を変える。


「しっかし夕方でも暑いね。飲み物買う?」

「はい、ラムネが飲みたいです!」

「ん、買おうか」


 アタシもパックのお茶程度じゃ渇きが消えなかったし、夏で祭りといえばラムネ。キンキンに冷えたラムネを飲むのも趣がある。

 数種類の清涼飲料水を扱っている出店に行き、コーラやサイダーの中から2人分のラムネを頼む。


「すみません、ラムネを――」

『ご来場の皆様、長らくお待たせ致しました。まもなく花火が――』

「わわっ!姉上~!」


 アタシが注文している最中に花火のアナウンスが流れた。

 これ渡してアタシたちも場所取りしないと、かな?


「晴香、お待たせ――晴香?」


 振り返った先には晴香の姿がなく、アタシが認知できたのは繰り替えし流されるアナウンスの音と、花火が見えやすいスポットに移動し始める群衆だけ。


「晴香?」


 妹はいつものように姉上と返してくれなかった。

 そう、アタシたちは迷子になっていたのだった。

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