第11話
「凛……この前も注意しただろう。1位じゃないと駄目なんだ。お前の存在意義は1位でなければ発揮されないんだ」
「はい」
「1個上とはいえ、姉のお前がこんなことでは示しがつかないぞ」
「ごめんなさい……」
塾で申し込んだ模試の成績表が返され、それを見た父上は呆れ顔になった。
志望校の判定は最高のA判定を獲得し、何千人と受けた受験者の中で総合10位という一般的には高いであろう位置につくことができた。
けれども父上の機嫌はよろしくない。父上は1位以外に価値がないと考えているから。
最近の父上はお説教する時、アタシの人間性も厳しく言及した。
(勉強が足りないんだ……!)
入塾する以前からあらゆる分野でトップを取れと、半ば命令のように言われていた。中学受験だって例外ではない。
だからわたしは毎朝早く起きて、登校する前に1時間は勉強していた。帰った後も手を洗ってすぐテキストを開いて、食事以外の全時間を寝るまで勉強に注ぎ込んだ。365日続けて、わたしの成績はしかし頂点はおろかトップ3に食い込むこともできずにいた。
「晴香は前回こそ惜しくも2位だったが、今回はよく持ち直した。今後も維持できるよう精進しなさい」
「はい!」
一方で妹の晴香は能力を十全に発揮していた。運動会では地元の有名チームからスカウトする者が現れるし、学内はおろか全国模試初受験で総合1位を取るし、スタートから既にわたしには追い付けない存在になってしまった。
「先月の模試の結果です」
「ふむ、好きにしなさい。中学校なんて全国には沢山あるのだから」
父上の信条に応えられないわたしは、いつしか人格否定すらされなくなっていった。
母上も人格否定こそしないけど、「上を目指しなさい」としか言ってくれないし……。
悲しい。泣きたい。むかつく。なんで認めてくれないの。たまには頑張ったねって褒めてくれてもいいじゃん。なんで晴香には才能があってわたしにはないの。晴香だけ褒められてずるい。どうすれば晴香に追いつけるの。晴香に勝つなんて無理だよ!!
流れそうになる涙と妬心を、歯を食いしばって堪える。
「あねうえ……」
「……晴香」
壁から顔だけ出して遠慮がちに覗いている晴香。
「ごめんね、遊んであげられなくて。わたし勉強しないといけないから」
「……わかりました」
ギリギリの精神状態で泣かずにいるわたしに、晴香に構っていられる余裕などあるはずもなく、口を開く前に追い返してしまった。
胸を覆い尽くす闇から逃れるように、わたしは勉強を始めるのだった。
◇
「意外にやることがないな……」
夏真っ盛りの昼下がり、アタシはベッドの上で身体を伸ばしていた。
勉強道具は重いし鞄のスペースも圧迫するから持ってきていない。スマフォで動画を観るのも限界があるし、視聴し続けていたら眼精疲労になるのがオチだ。
胸糞悪い夢に叩き起こされて、早朝の玄関前の清掃や朝食作りの手伝いもしていたら、お母さんからは好きに過ごしなさいと放任されました。気温30度超えで散歩に行ったら汗だくになるだろうし、かといって部屋の中でだらだらしても退屈だ。
去年まではどう過ごしていたんだっけ。晴香が傍にいるだけで忘れてしまった。
「お昼ですよ」
お母さんに呼ばれて食卓の席に着く。
食事の準備は後片付けも含めて暇潰しになるけど、割とすぐに終了してしまうのが難点だった。
「「いただきます」」
夏らしく食卓の上にはそうめんが置かれていた。自家製の麺つゆにつけて上品にいただく。
下ごしらえが必要な食材やメニューで、本格的に夕飯の準備をするのもありだなぁ、と食べながら思った。
「母上の手料理は美味ですね、姉上!」
「そうだね」
晴香に聞かれ、素直に同意した。
寮や学食でいただく食事も美味しいといえば美味しいけど、やっぱり実家で食べるのは気が楽でいい。
卒業後どうするかはまだ決めていないけど、これから先もたまにこの家に帰ってきてお母さんと話したり、アタシたち3人で食卓を囲んだりするのも悪くない。反抗心しかなかったアタシからは想像できないくらい穏やかな心持ちである。
「お母さん、夕食の献立は決まっているのですか?」
将来に思いを馳せながら質問してみた。
「そうですねぇ、要望があれば聞きますよ。買い出しに行く予定もありますから」
「リクエストがあるわけではないのですが、よろしければ夕食作りを任せていただければ……」
「姉上が作るのであれば私もお手伝いさせていただきたいです!」
暇潰しのための炊事に、勢いよく手を挙げて立候補した晴香。
晴香と駄弁りながらご飯作りに勤しむのも良いだろうし、なんなら買い出しまで行ってしまっても――あの暑い中を行くのはちょっと……。
「そういえば貴方たちには伝えていませんでしたね。今日、お祭りがあるんですよ」
「お祭り?」
「えぇ、地域の夏祭りですよ」
「ありましたね……」
地域住民たちが毎年お神輿や出店の準備をしており、子どもから大人まで楽しめる一大イベントとして受け継がれている。社会の教科書に載るような独特のお祭りというわけじゃないけど、夏の風物詩として皆が参加するイベントであることに変わりない。
去年までは帰省中にお祭りなんて参加しなかったから、すっかり記憶の彼方に飛んでいた。
「貴方たち2人で行ってみてはどう?」
「姉上とお祭りですか!是非行きたいです!」
そう言うよね、晴香なら……。
アタシだって晴香と2人でお祭りに行くのは嫌じゃない。実に4年ぶりともなれば、柄にもなくワクワクするというもの。
「ちなみに何時からですか?」
「あと2時間くらいですね」
「割とすぐじゃありませんか……」
多少は気温が下がる夕方からの開催とのこと。
2時間もあれば支度なんて終わると思うけど。
「2人揃った記念に浴衣で行くのも風情があるでしょう」
「え、浴衣なんてありました?」
サイズが測れないのに浴衣なんてないと考えていたアタシは、お母さんに質問した。
小学生の頃は着ていたけど中学生に上がってからは着ていなかったはず。
「ありますよ?きちんと凛の分と、晴香の分も」
「母上!ありがとうございます!」
お母さん曰く、毎年帰省して会うだけで大まかなサイズ感は把握できる、らしい。
晴香は会っていなかったけど、帰ると連絡をもらった時にサイズを送ってもらったのだそう。
「娘2人が帰ってきてくれたんです。着付けをしましょう」
「ありがとうございます、お母さん」
食後しばらくして、アタシたちはお母さんに浴衣を着せてもらっていた。
「凛はこの柄と決めていたの」
お母さんが広げた浴衣の袖に腕を通す。
白をベースとした生地に、薄緑の葉っぱや薄い青の花柄が淡く描かれた一品は、かなり値が張る品物に思えた。
「息は苦しくないですか」
「大丈夫です」
紫色の帯を腰に巻き、布の隙間に入ってしまった後ろの髪を外に出せば完璧。
お母さんのセンス、凄いな……。
「写真を撮らせてください姉上!」
鏡の前に立って衣替えした自分を見つめていると、晴香が黄色い声を上げてスマフォを起動させていた。
恐らくはカメラを開いているはずだ……。
「はわあぁ……姉上の浴衣を拝めるなんて、父上の説得を頑張った甲斐がありますぅ……!」
アタシが返事するより速く、恍惚とした声でパシャパシャとシャッターを切りまくる晴香。
近くから遠くから、右から左から、いろいろな角度から撮影しまくる晴香。着ている本人よりも興奮していた。
「写真なら後でも撮れるでしょう、晴香。外でなら背景もあるのだから、続きは外でしなさい」
「流石母上!仰る通りです!」
お母さんは晴香を言いくるめて2着目の用意をした。
晴香が袖を通したのは藍色の浴衣だった。桜や薔薇が編み込まれた上品なそれは晴香の黒髪に映えるし、本人が持つ優美なオーラを際立たせる。
「晴香も苦しくありませんか?」
「問題ありません」
ピンクの帯を巻くことで、藍色の大人っぽさとピンクのかわいらしさが良いコントラストになった。
(なんだこの美少女……)
アタシも写真を撮ってやろうとか思っていたのに、ただただ見惚れてしまった。
浴衣姿の晴香は絶世の美少女としか形容できない。身内贔屓ではなく事実だ。とびきりの艶姿にアタシの語彙力は失われたけど、晴香が世界一可愛いことだけは主張しておきたい。
あーでも他の人には見て欲しくない見せたくない……。
「そうだ写真!撮られたままってのもアレだから、アタシも撮る!」
湧いて出た独占欲のような何かを振り切って、アタシはスマフォを出した。
「姉上になら、どこから撮られても構いません。浴衣の中だって姉上なら……」
「浴衣の中は難易度高いよ……」
頬を赤く染めて笑う晴香だけど、これは彼女なりの冗談ということにしておこう。
にしてもガチで美少女だな、ウチの妹は。私服も学校の制服も可愛いんだけどさ……。よく笑うし快活だし、愛嬌という点でも非の打ち所がない。
「愛娘たちの晴れ姿、私も撮影しないとね……」
着付けを終えたお母さんは一眼レフカメラを持って戻ってきた。
扉の前に晴香と2人で並び、お母さんがシャッターを切る。
そのまま30分ほど、アタシたちの浴衣撮影会は続くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます