第10話

「おかえりなさい、凛、晴香」


 田舎だから実現できる広い門を通った先に、1人の女性が佇んでいた。

 柔らかく包み込む優しさと、しっかりと存在を感じさせる低さが同居した声に出迎えられる。


「ただいま帰りました、お母さん」

「久方ぶりです。母上」


 鹿威ししおどしを流れる水の音に、風で揺れる葉っぱの擦れる音。

 全体的な和の雰囲気も相まって重みのある空気の中、アタシと晴香は順々に挨拶をした。

 本来なら晴香同様に母上と呼ぶのが決まりだったけど、反抗期を迎えた小学生アタシはルールを破った。


「今年は遅かったですね。凛」

「晴香と数年ぶりに戻ってきたので散策してしまいました」


 木々の香りが漂う廊下を歩きながら母と言葉を交わす。

 アタシの返答にお母さんは満足そうな反応を示した。


「仲良くできているなら大いに結構」


 清掃が行き届いた自室に荷物を置き、お母さんから居間に来るよう指示された。

 これは毎年恒例の報告会だ。主に成績や人間関係、学校生活に関わる全般のことを、主たる保護者であるお母さんに伝えなければならない。


「入りなさい」

「はい」


 襖を開けた先、広々とした居間でお母さんと対峙する。

 母と娘という関係性にしては厳かな雰囲気に、自然と背筋が伸びる。


「まずは期末までの成績を報告なさい」

「はい。まず中間試験については学期中に報告した通りです。10位内を切っている科目はありませんでした」

「よろしい。次に期末の詳細を」

「期末は総合7位、理系コースで6位でした。順位も点数も中間と変わりありません」

「そうですか……貴方はこの結果に満足していますか?」


 神妙な面持ちをした後、お母さんに質問された。

 これには即答できる。


「……満足はしていません」

「ではどうすれば満足できるか、自身で把握できていますか?」

「勿論です」


 ならばよろしい、とお母さん。

 アタシがあらゆる結果に満足できるようになるには、あの子を超えるしかない。

 そしてそんな日が果たして来るのか……アタシは信じきれていない。


「学業については私から言及することはありませんね。満足できるよう、日々精進しなさい」

「ありがとうございます」

「さて……晴香が来てからの生活はどうですか?」


 次の質問も予想できていたけど、こちらは若干返答に困った。

 楽しさと過去の記憶がごちゃ混ぜになってしまったから。


「晴香がエスカレーター式で進学しなかったのは驚きでした。なんでランクを下げているのか理解に苦しみました」

「晴香は貴方のことが好きですからね。親である私たちより凛の方が好かれるのも致し方ないことでしょう……」


 お母さんは両眼を閉じ、申し訳ないことをしたと付け加えた。


「私はあの人とは違うと思って教育してきましたが、結果的に貴方たちを抑圧してしまいましたからね」

「お母さん。アタシはお母さんに謝っていただきたいとは思っていませんし、教え込まれた考え方も正しいのだと分かるようになりました」

「なら良いのだけど」


 アタシたちは小学校に入学する前から、母の“やるからには上を目指しなさい”というモットーの元で様々な教育を受けてきた。

 武芸から勉強まで本当に幅広く。

 幼い日には厳しく辛かった指導の裏に、お母さんなりの心遣いが隠されていたのだと高校生になって気付きを得られた。


 お母さんはあの人とは違うと、ただ伝え方が不器用なだけだったのだと。

 褒めてもらえた記憶はないけど、父親が否定的な人物であった傍らお母さんはそうじゃなかった。離れてみてようやく至った結論だ。


「……アタシも晴香のことがその、あの――す、好きですからっ」


 顔が熱い。本人の前じゃ告げられない想いを、お母さんといえども他人に告げるのは恥ずかしい。

 夏の日差しを浴びずとも頭まで熱くなっているのが分かる。


「ふふっ。晴香とは上手く過ごせましたか?」

「アタシの未熟さを思い知りました」


 妹と過ごした日々について打ち明ける。

 入学して1週間足らずで他学年の噂になっていたこと、出先で偶然出くわしたこと、色違いのヘアピンを貰ったこと、お礼をしていなかったこと。良いことも悪いことも全部。

 校舎の階段で起きたことはアタシだけの秘密にしたけど。


「仲良きことは美しき哉。晴香に言ってあげるだけで、あの子も幸せになれるでしょうに」

「まだその時期ではありません。晴香を愛するにはアタシの度量が狭すぎます」

「そう客観的に評価できるということは、貴方も成長したということでしょう?」

「ただわずかに年齢を重ねただけです。晴香は生涯を寄り添って過ごしたい人物ですが、同時に越えなければならない壁でもあるのです」


 あの子への想いは愛と嫉妬心、敵対心と劣等感で膨らんでいくばかり。

 膨らんでいくものを愛情だけにするにはアタシが己のコンプレックスを飛び越えるしかないし、それができてようやくスタート地点に立てる。

 未熟なアタシが晴香と結ばれても、人生の七味が刃となりあの子の心を刺してしまうかもしれない。そんな未来は絶対に避けてみせる。


「凛が納得して考え抜いた道なら私は見守りますよ。たとえ他の誰がどんな意見をもっていようとも」

「お母さん……」


 お母さんが味方になってくれるだけで、だいぶ心強い。

 感動して泣きそうになった。


「ですが凛。忘れたわけではないでしょう?高校在学中は好きにできていますが」

「あの人とはいずれ決着をつけます」

「いつ?」

「……在学中には必ず」

「あと1年半程度でできそう?」


 具体的な数字にアタシは答えあぐねた。

 高2の夏から高校卒業まではまだ1年半あるけど、それは学校に通う日数のこと。実際に会って議論できるのは長期休暇中にしかないわけで、場をセッティングできる日程に関してはさらに限られる。

 晴香に対しても父親に対しても、アタシは速やかに解決することが求められている。


「なんとかやってみせます」


 確証はない。けれどアタシは強がった。

 味方になってくれる母の問に答えられないようでは、敵対する父に直談判するなど夢のまた夢だから。

 自分の意志を強固なものにするように断言した。


「よろしい。凛の本心を知ることができて安心しました。困ったことがあったら私を頼りなさい、力になりましょう」


 そう締め括り、アタシとお母さんとの報告会は終わった。

 次に晴香を呼んで、2人は襖の向こうに消えていった。


「頑張るよ、お母さん」


 アタシは密かに宣言して自室に戻った。


「そうだ、美里はどうしてるかな」


 泣きつきたいことはないのだけど、こちらから頼んでいながら報告なしというのはどうかと思いメッセージを送った。


「“初日は無事に終えられそうです、ありがとう美里”っと――返ってくるの早」


 送信して1分後くらいに返信が来た。

 美里も実家という環境をエンジョイしているみたい。

 晴香と帰省して、お母さんの理解を得て、頼れる友達がいて。


(こういう夏も、悪くないかもね)

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