第9話
「お姉ちゃん、見てください!川が綺麗ですね!」
「そうだな……」
「おー!ビルの背景に山々が!迫力がありますね!」
「そうね……」
学校から遠ざかる電車の中、アタシの隣では晴香が童子のようにはしゃいでいた。
君は大人しく座っていることができないのかい?
こういう純真なところが晴香の長所でもあるんだけど、ね。
(さぁて……電車の中、気まずくならずに乗り切れるか……)
夏休み期間に入ったアタシたち。1週間程度の間とはいえ、しばらくぶりに共同生活する妹に優しくしてあげられるか不安になっていた。
◇
「凛のおかげで全部7割以上取れたよ!」
「おめでとう!」
答案用紙を受け取った美里とハイタッチを交わす。
期末を乗り越えたアタシと美里は、互いの点数を報告しあっていた。といってもアタシは基本安定しているから、美里の点数が上がっているかチェックするだけだった。
全教科で7割を上回ればアタシの教え方で良かったということだけど、下回れば友人に貢献できなかったことになる。自ら協力すると言った手前、戦々恐々としながらこの日を向けたわけだが……。
美里は目標より高い80点前後まで点数を上げたのだから大したものだと思う。
「お礼するよ!私にできることがあったら言ってちょうだいな!」
「え?別にお礼なんて……ボランティアだし」
「凛が協力してくれたから安心して帰ることができるんだよ?お礼しなきゃ私の気が済まないよ」
ふむ、本人がそう感じているのなら意に甘えたいんだけど……特に必要に迫られていることもないし、あるとしても晴香と2人きりは気まずいから付いてきて、などとは言えまい。
「じゃあこうしよう。帰省中にメッセで泣きつくかもしれないけど、その時は助けてくれ」
「泣きつく……?状況が想像できないけど、うん。送ってくれたら必ず返すよ」
「ありがとう」
詳細を伝えないままにお願いを受けてくれた美里に、アタシは心から感謝した。
そうして事前に友人と約束を取り付けたのはいい。早くもアタシの指は美里にメッセージを送信しようとしていた。
待て、待つんだアタシ。美里は約束してくれたけどすぐに甘えるなんてダメだ。
まだほとんど話していない初日から甘えると、明後日くらいには歯止めがかからない人間になっていることだろう。
「姉上!橋がかかっているこの川の透明度!太陽を反射して凄いですね!」
妹がまるで遠足に参加している小学生に思えて、ここいらの景色でテンションがぶち上がる要素なんてあるか?とツッコミを入れそうになった。
でも晴香は中学3年間ずっと地元で生活して、外の地域から帰省するなんて初めてのことなのだ。アタシは長期休暇の度に通過しているから慣れてしまったけど、晴香にしてみれば新しいことの連続なんだろう。
かれこれ1時間は電車に乗っているけど、乗車してから晴香の視線はアタシと窓の外を行き来していた。
「ほれ次の駅で降りるから荷物持って」
「はい!」
ターミナル駅に到着し、駅のホームに降り立った。
天井からぶら下がっている看板から乗り換えの路線を探すついでに、軽食が入手できそうな売店に立ち寄る。
「晴香はどれにする?」
隣に立つ晴香に聞いてみるが、特に欲しいものはなさそうだった。
早めの昼食を済ませて出てきたから、まだ軽食などは要らないのかもしれない。
結局出がけに買いそびれた飲み物だけ買って、新幹線の乗車口を目指して足を進める。
停車中の車両に乗り込み自分たちの座席がある列までさらに歩く。
「この席ですね。これに乗って2時間半でしたっけ」
「そ。そっから後はバスで30分乗り継いで到着」
説明して、現代に新幹線や特急列車などの高速移動手段があって良かったと思う。普通の電車に乗っていたら倍以上の移動時間になるのだから。
1年に2回しかない長距離移動だから耐えられるけど、それでもアタシの身体には大移動を耐えるほどの忍耐力はなかった。
「しかしこの駅は都会ですね。学校や寮の周辺も多少は栄えておりましたが」
「ターミナル駅だし新幹線が停まる程度には人口も多いらしいね」
「どこかのタイミングで遊びに来ませんか?私と姉上のデートです!」
「デッ、デートって!」
さらりと放たれた発言に咽た。
新幹線に乗ってなお遠足テンションを維持しているのだから、ある意味凄い。晴香は平常時でこの手のことを言ってのけるけど。
「すみません姉上、はしゃぎ過ぎてしまったようで……少々眠らせていただきます」
「うん。あまり寝付けなかったって朝言ってたね」
「恥ずかしながら、初の景色に加えて一日中姉上の近くにいられると考えたら眠るどころではありませんでした……」
頬をポリポリと掻きながら晴香は述べた。
睡眠不足の状態で乗り換える前もハイテンションだった反動が来たようで、目が半分閉じかかっている。
アタシも似たようなもんだけど。
「では……お休み、なさ……すぅ」
「寝るの早いな」
挨拶も切れ切れな晴香から規則正しい寝息が聞こえる。
妹の頭がアタシの肩に寄りかかる。
「アタシも寝るか」
眠れなかった要因は晴香とは異なるけど、アタシも道中のことを考えていたら眠気が吹っ飛んでしまったのだ。
車体の揺れでちょうどいい具合に眠くなってきたアタシは、晴香の寝息と体温を感じながら眠りに落ちるのだった。
◇
「近所は昔のまま静かですね」
「半年周期で帰ってるからかもしれないけど、感慨も湧かなくなってきた」
新幹線からバスを乗り継ぎ、さらに15分ほど歩いて降り立った地元はさほど変わっていなかった。
遠くの山も空も川も変わらず澄んでいる。季節柄、夏の植物に生え変わったくらいだ。
「懐かしい……お買い物で姉上と通った道……」
木々が生い茂る石造りの道を、今年はアタシだけではなく2人で踏みしめる。
日陰になって涼しい風が吹き抜ける。最後に並んで歩いたのは実に4年以上前で、晴香が懐かしく感じるのも無理はない。
晴香が傍にいるからアタシも懐かしく感じてしまう。
ほんのちょっとだけ、難しいことを考えずに妹と遊んでいたあの頃に気持ちが戻っていた。
「コンビニも営業中なんですね」
「結構お客さんは来るんだって。山の途中で誰が使うんだって思ってたけど、日用品を買える店が限られるから、ここの住民には根強い人気があるみたい」
アタシたちが物心つく前から開いているらしいこのコンビニは小規模なものだが、幼少期から小学校卒業まで使っていた安心感がある。帰ってきたという実家のような安心感。
せっかくだから寄ることにする。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
「あら凛ちゃん!そちらは……晴香ちゃん?」
店に入ると馴染みの店員さんが出迎えてくれた。
久しく会っていない晴香のことも覚えていてくれて、姉として誇らしかった。
「ご無沙汰しております、晴香です。今年は姉上の高校に進学しまして一緒に帰ってきました」
「も~立派になっちゃって。顔を見せてくれたお礼、これあげる」
「ありがとうございます」
お礼してそれぞれペットボトルの飲料を受け取った。
昔よく飲んでいた清涼飲料水だった。アタシはレモン、晴香はりんご味。
「うん、美味しい!」
一口飲んで晴香が呟く。
他の地域ではスーパーにも並んでいなかったけど、ご当地限定のジュースだったのかな。アタシだけで帰っていた時もいろいろ貰っていたけど、このジュースは久しぶりだ。
「姉上。一口だけ交換しませんか?」
「ふぁえっ!?」
蓋が開けられたペットボトルを差し出す晴香に奇声を上げてしまったアタシ。
だって――間接キスになるじゃん……!階段から滑りそうになった晴香を抱き留めた日、鼻先がくっつくんじゃないかというシチュエーションでバクンバクンしていたアタシ。直接じゃなくても晴香の唇が触れた部分にアタシが口を付けるというのは実質アレである。
飲んでいないのにドックンドックン鳴り始めている……!
「……姉上、りんごはお嫌いでしたか?私のいない間に嫌いな食べ物が変わった、とか」
「好き嫌いはない!りんごも嫌いじゃない!」
首を傾げる晴香に慌てて弁明した。
りんごは提供されれば頂戴する!ただ晴香からの回し飲みだと心がパニックになるだけで!!
小学生の頃に戻っただと?幼少期は間接キスなんて意識していなかっただろ……!
「あの?姉上が嫌でしたら無理に交換はしませんが……」
「あー待て!飲もう!晴香もアタシのレモンを飲んで!」
ブンブンと頭を振って雑念を追い出す。
晴香と自分のペットボトルを交換し、意を決して容器に口をつけて一口。
「……甘くて美味しい。昔のまま」
「レモンも酸味と甘みがあって美味しいです!」
飲み終わったアタシたちは飲み物を入れ替えてお互いに感想を言う。
味は感じたけど、飲み終わっても晴香の口元に目が吸い寄せられる。
(……今ならりんごの味がするのか……)
益体もない思考がチラリ。追い払った雑念がカムバックして踊りだす。
(ようやく帰って来られた!)
我が家の門が視界に入るまで、雑念と理性との勝負が繰り広げられたのだった。
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