第5話
「奇遇ですね、姉上!」
アタシの背後に立っていたのは私服姿の尾神晴香。アタシの最愛の妹にして最強の敵。
パッチリとしつつ意志の強さを感じさせる瞳、艶やかな黒髪をチャームポイントのように垂らしているポニーテール。色白で健康的な脚は異性どころか姉のアタシですらつい見てしまう。
……こいつ、身長も伸びてスタイルまで良くなったのか?勉強も運動もできてスタイルまで良いって、この世に勝てる人はいるのか?
ううん、そうじゃない。晴香とこんな所で出会ってしまうとは。
「お出かけですか?姉上。よろしければお供させてください!」
「あぁ?アタシは行きたい所なんてないぞ」
行き先がないのは嘘じゃないし、ぶらぶらしているだけに過ぎない。
帰ろうか悩んでいたし、仮に行き先があったところで、正にアタシの気分を狂わせている張本人と並んで歩いてやる道理はないのだ。
「姉上となら呼吸しているだけでも楽しいですよ?」
付き合わないぞ、という意味を込めたつもりだったけど、晴香には伝わらなかった。
つーか呼吸してるだけで楽しいって意味が分からん。
「姉上、どうか3年ぶりに会った妹のワガママを聞き入れていただけませんか?3年という月日は決して短いものではありませんでした……」
「くっ、そうかもしれないけど……」
この話を持ち出されるとアタシは弱い。離れ離れになるのはアタシから切り出したことだからだ。
晴香のことを聞いてやれる余裕がなかったとはいっても、涙を堪えようとして結局泣いてしまった晴香の様子は、忘れたくても忘れられない。
アタシの強引な決断に付き合わせてしまった報いになるかは分からないけど、今度はアタシが晴香のお願いに付き合うべきなのだろう……。
「……いいよ、行こうか」
「――!はい、姉上!」
満開の笑顔になった晴香は大きく頷いた。彼女の首と共に頭のしっぽも揺れる。
喜びを溢れさせる晴香は「姉上とお出かけ♪」と連呼していた。
「あんた、せめて周囲に人がいるときは姉上って呼ばないでくれ」
アタシへの呼び方に関して晴香に苦言を呈する。
テンションが上がるのは大いに結構だが、大きな声で姉上と繰り返し呼ばれると周囲の視線が集まってきてよろしくない。
「?姉上は姉上ですよ?だって私の姉上なんですから」
「言った側から連呼するな」
アタシの苦言にハテナを浮かべる晴香。どこに疑問を持つ要素があるのか不明だし、姉上という単語がゲシュタルト崩壊してきた。
「では“お姉様”はいかがでしょう?ね、お姉様!」
どこのミッションスクールだよ。アタシたちは実の姉妹であってスールなどではない。
「ね?じゃないわ。普通に呼んでくれ――違うな、あんたにとって普通は“姉上”になるのか……!!」
「はい!普通がいちばんですよ!ですから姉上は姉上で良いじゃないですか!」
「“お姉ちゃん”とか“姉さん”とかあるでしょ!?普通っていうのはそういう呼び方!」
姉上呼びが一般であると勘違いしている妹に世間のスタンダードを突きつける。
立ち姿とは違う意味で視線を集めているのに、晴香は気にならないのだろうか?
……晴香は気にしないか。こういうところでも晴香とアタシとの差を思い知らされる。
「むぅ……姉上がお出かけしてくれるのであれば……」
少し不満げな様子だけど、晴香は聞き入れてくれた。
「お、おっお……お姉ちゃん?」
(かっ――!!)
慣れない呼び方に戸惑っている晴香が可愛いせいで咳き込みそうになった。
なんだ、お姉ちゃん?って。疑問形にするなよ……!ついでに首を傾げるなよ……!
胸の内で燃え続ける醜い想いが吹き飛ばされそうになるほど、慣れない呼ばれ方にアタシは悶絶した。
◇
呼称決め問題で時間を無駄にしてしまったけど、門限まではまだまだ余裕がある。
「へぇ、服を買う予定だったんだ」
「服といっても部屋着ですけどね。この前パジャマをダメにしてしまいまして」
苦笑いしながら晴香はその時のことを説明した。
デリケートな繊維だったのにガラガラと乾燥機を回してしまったらしい。ボタンの推し間違いとか、そういう誤操作はあるあるかもしれない。
「姉う――お姉ちゃんはどちらへ向かう予定だったのですか?」
姉上と言いかけて、慌てて呼び方を直した晴香。アタシは名前でしか呼ばないから関係ないけど、気を緩めたらいつ姉上が飛び出してきてもおかしくないな。うん。
「散歩だよ、散歩。欲しい物とかなかったし」
「いいですね。夕方の街を散歩するのも」
雑談をしながら晴香の目的地に到着した。
大通りに面した大型ビルの1階に、服を着せられたマネキンが設置されていた。
ここはこの近辺に住む10代の女子たちが使っている洋服屋さんだそうで、部屋着から外出用まで幅広いラインナップを誇るそう。
入口からでも広さと種類の多さを実感できる。
「いらっしゃいませー!」
入口で作業していた女性の店員さんたちが入店の挨拶をしてくれた。
流石アパレルショップ、商品だけじゃなくてスタッフさんまでお洒落だなぁと、初めて来たアタシは感心していた。
「部屋着なので機能さえあれば十分なのですが……」
「エアコンである程度は調整できるしね」
「どれにしましょうか……」
晴香が悩ましそうに呟いた。
前後左右、至る所に色とりどりの洋服が並べられている。カジュアルなものから外行きに使えそうなものまで、お洒落に気を遣う女子たちから人気があるのも納得のバラエティだ。
「姉上はどちらが良いと思いますか?」
「…………」
「姉上?あっ……お姉ちゃんはどちらが良いと思いますか?」
呼びかけられて無言を貫いたら意図を汲み取った晴香が言い直した。
よろしい。
「紺色のやつが良いんじゃない?色だけで考えると暗いかもしれないけど、あんたの雰囲気ならシックな感じになるでしょ。ピンクの方もあんたが着たら可愛いと思うけど、季節としてはどうかね」
晴香が手に持っていた服を観察して答える。
一着は深い青系、紺のトップス。もう一着は少し厚手で丸襟のついたシャツ。こちらはピンクだった。
晴香の容姿なら色や柄は正直なんでもいいだろう。身内贔屓もあるかもしれないけど、よほど変なものでなければ似合ってしまうくらいウチの妹は可愛いのだ。ルームウェアでもそうだ。
あと時季的に厚手の布を使うのはどうなんだろうと思った。エアコンで寒いこともあるだろうから無駄にはならないかも?教室と同じで集中管理のはずだから、すぐに上げ下げしてもらえない場合は調節できる上着があるだけで違うだろう。
「いや、紺色の方が晴香的には合うと思ったけど、小遣いに余裕があるなら両方買ってもいいんじゃないの」
そこまで考えてアタシは意見を変えた。
よほど変なものでなければ似合って、機能的にも使い道があるのなら、ピンクの可愛いウェアがあっても問題ないのでは?
「姉――お姉ちゃんが言うのであれば……買いましょう!」
「アタシの主観だから最終的には自分で良いと思えるものを買いなよ?」
「いえ?お姉ちゃんに似合うと思ってもらえるのが重要ですから!」
お前はそんな理由で部屋着を選んでいたのか。機能があれば十分じゃなかったのか。
「寮の部屋で着るんだよな?」
「そうですよ?」
「外出用ならともかく、部屋着については同室じゃないアタシが似合っていると思うかは重要じゃなくない?」
「なぜです?」
なぜと質問を返してくる晴香の方がなんでだよ……。
「たとえ同じ部屋でなくともお姉ちゃんに可愛いとか、綺麗とか思ってもらえたら幸せですから。お姉ちゃんにそう思っていただけるよう努めるのが私の生きる意味なのですから」
「……あっそ」
サラッと重い発言をする晴香に、興味なさそうに返答するのが精一杯だった。
既にアタシの背中には劣等感とか嫉妬心とか愛情とか、1つでも重すぎる荷物があるのだから……。
「これ、買ってきますね!先に外で待っていてください!」
晴香は2着とも持ってレジに向かうのだった。
「姉上のおかげで――お姉ちゃんのおかげで良い買い物ができました!」
程なくして晴香はホクホク顔で店から出てきた。提げている紙袋も無地のものじゃなくて、きちんとロゴ以外にも、水彩絵の具で塗ったような淡く爽やかな柄がプリントしてあった。
ふむ、今度アタシもここに買いに来ようかな。休みの日にゆっくり選ぼう。
「お姉ちゃん、もう1か所だけ付き合っていただけますか?」
「ん~……門限まで1時間くらいか」
晴香に聞かれて時計を見ると、微妙な時間だった。
門限は19時と学校の規則で決められており、それを破ると面倒なことになる。寮母さんに怒られるのはもちろん、翌日学校でも職員室に呼ばれて怒られ、反省文という名の作文を課せられる。
2回目からは親にも連絡が行くので、外に出る時はマジで注意しなきゃならないのだ。
「きちんと時間内に帰れる場所ですからご安心ください。せっかく会えたので寄ってもいいかなと思いまして」
……アタシと行くと都合が良いのか?
なんて疑問を秘めたまま歩くこと約5分。連れてこられたのは近所の公園だった。
「姉上。今日はありがとうございました」
大通りに比べたら人の姿はまばらで、晴香からの呼び方は“お姉ちゃん”ではなくなっていた。
「……まだ外なんですけど」
「人通りは少ないですし、広さもありますから聞こえませんよ」
「あ、そう。ほんで用件は?」
公園に行くだけならアタシが同行する必要はなかったと思うが。
続きを促すと晴香は紙袋の中をゴソゴソとまさぐって、リボンでラッピングされた袋を取り出した。
「姉上にプレゼントです」
「はぁ?プレゼント?」
「登校初日には渡せるものを用意できなかったので……これは今日付き合ってもらったお礼と、無事に再会できた喜びと、姉上と共にあるための証です」
「随分と情の籠ったプレゼントだな……」
あまりに重いプレゼントだと、送り主のメンタルが病んでないか心配だな……。
それはそうとラッピングされた袋を受け取って、中身を出して確認した。
「私のヘアピンと色違いです」
金を基調としたヘアピンはアタシの手のひらの上で街灯の光をキラキラと反射させていた。
晴香は深い青のヘアピンを持っていて、よく見ると模様が同じだった。
このヘアピンはアタシの髪色を考慮して買ってくれたんだろう。
「すみません、寮に帰ってからでも渡せましたけど、少しでも早く渡したくて……姉上、今は付けていないですけど、たまに校内で見かける時はいつも付けていましたよね」
「まぁね。前髪とか垂れてくると邪魔だし」
「現状、私ができるのは些細なプレゼントだけですから」
プレゼントを贈る時とは一転、暗い面持ちで晴香は言った。
「どんな想いで私の買い物に付き合ってくれたのですか?」
「え、いきなり何」
突然の質問にアタシは答えられなかった。妹は何が知りたいのだろうか……。
「単純に姉上の気持ちを確かめたいのです。私のお願いを受け入れてくれた姉上は、まるで責務を全うするかのように見えましたから……」
「それはさぁ……責務を感じないわけないじゃん」
自分のことで手一杯だったアタシは晴香のことを気遣ってあげられなかったし、一方的に縋る妹を離してしまったのだから。
責任感で付き合われても晴香は満足できないと言うのだろうか。
「前にも申し上げました。過去も父も関係ないと」
「あんたはそうでも、アタシはそうは思わない」
「……私と一緒では楽しめませんか?」
「…………んなことは」
肯定しようとして、最後まで言葉が続かなかった。
「私と姉上は同じ世界で過ごしてきた者同士、同じ次元に立っています。同じ場所にいるからこそ姉上は私の目標であり、姉上が認めてくれるだけで最高に幸せになれます。そして私を幸せにしてくれる姉上も幸せにしたい」
アタシとあんたが同じ次元?私のことを認めろ?嫌味を言っているのか、こいつは……。
違う、そんなんじゃない。晴香はいつだってまっすぐで、嫌味を言うような性格じゃない。ただアタシのことをまっすぐに見ているだけなんだ……。
彼女の瞳や言動に焼かれているとアタシが思い込んでいるだけ。
「ごめん、帰る」
「あ、姉上!」
「あんたも門限までに帰りな」
「姉上!!」
どす黒い劣等感に飲み込まれる前にアタシは歩き出した。
呼び止める声を振り切って、とにかく歩く。
(……ヘアピンのお礼、忘れてた)
部屋に帰ってから大切なことを思い出すのだった。
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