第6話

「中間試験の解答用紙を返却します。点数は2回計算しましたが、もし各配点と合計点数が合わなかったら教えてください」


 ホワイトボードの前に立つ担任が、淡々と説明して答案用紙を返却していく。

 名前が呼ばれた順にテスト用紙を返してもらい、ある者はその点数に小躍りして、またある者は点数の欄を隠しながら席に戻る。


「次、尾神さん」

「はい」


 そしてやって来たアタシの番。緊張もソワソワもせず、返事をして静かに立ち上がった。

 いつからだろう、返却前のドキドキを感じなくなったのは。


(……ふむ、今回ばかりは爆死したかと思ってたけど)


 点数は高くも低くもなっていなかった。

 言い訳なんてするつもりはないけど、ぶっちゃけ勉強なんて集中できなかった。先生の声は耳をすり抜けるし、自習していても文字が勝手に流れていくし……晴香と公園で別れた時から勉強なんて手につかなかった。

 テキストを開いていただけで復習も演習もできなかったものの、テスト自体は退屈だったから悲観するほどのもじゃなかったようだ。


「このクラスは全教科返ってきましたかね?帰りのホームルームまでには順位が貼りだされますので、帰る前にでも見てください」


 机に置きっぱなしにしていた全教科の答案用紙を一度だけ眺めて、感慨もないまま鞄に入れた。

 全教科、漏れなく90点を超えていたので及第点としよう。


「ね゛ぇ゛~」


 ホームルーム終了後、後ろからガビガビな声で美里がやって来た。

 ガッサガサになった声の主が判別できなくて一瞬戸惑った。


「……あんた、その声から察するに揮わなかったわけね」

「まだ点数言ってないじゃん!!ぐうの音も出ないけどさぁ!」


 どうやら我がルームメイトは爆死してしまったらしい。今回こそは1人で頑張るんだ!と張り切っていた美里はどこへ?


「でも特別悪いわけではないじゃん」


 手に握っている解答用紙が重力に従って捲れて、チラっとだけ美里の点数が見えた。

 確かに良くはないけど、平均点以上は取れているのだから声を枯らすほどに悲しまなくても……。


「平均点だと親がうるさくてね……最低7割は取れって、高校進級して毎回詰められてる」

「は~、なるほどね。でも寮生だし面と向かって怒られないし、いくらか気は楽じゃない?」

「リモート説教をされます」

「リモート説教」


 巷で流行りのリモートワークの説教版か……初耳だよ、そんなもの。学生の本分は勉強だけど、美里にはお説教という仕事もあるらしい。

 試験で7割未満が1科目でもあると通話アプリで長い時は数時間、しかも画面をオンにして小言を喰らうらしい。画面オフだと適当に聞き流せるもんな、仕方あるまい。


「凛なら覚えてるだろうけど、私は去年の成績でかなり怒られたもので」

「そういや試験後の美里はやつれていた記憶があるな」

「期末でどうにかしなきゃなのに、中間より科目数が多くて範囲も広いって……これなんて無理ゲー?」

「諦めるなって、だったらいっそ――」

「げっ!!」


 アタシが協力しようか、と提案しようとしたところで美里のスマフォの着信音が鳴った。

 反応からして電話の主は……。


「お母さんだ!この世のお終いだ!」


 泣きそうな顔でスマフォを操作する美里。応答前から泣き崩れそう。


「私、ちょっと電話してから帰るよ……」

「う、うん。頑張ってな……?」


 哀しい背中を見送り、帰る準備をしてアタシは教室から出た。目指すは貼りだされたばかりの順位表。

 アタシは美里ほど試験の結果で気が沈んだりはしない。一応は全体順位だけ教えろという約束で、科目ごとに報告する義務などはないからだ。長期休みでまとめて伝えるだけだし、赤点だろうと満点だろうと反応は大して変わらない。

 赤点で怒られることがないのは面倒くさくなくて良いけど、高得点を取っても無反応だろうしなぁ。


「全体8位……まずまずってとこか」


 学年全体で200人近くいる中、文系と理系はおよそ半分ずつに分かれて授業を受ける。

 共通して受ける科目の方が少ないから一概には比較できないものの、単純に全教科の得点を合算した200人中では8位。理系約100人の中なら6位。共通で受ける英語も上位10位内だし、つまるところ通常運転である。

 さて、代わり映えのない順位表を写メって母上に送りますかね。


「ちょっと、尾神さん!」


 順位表を撮影して帰ろうとしたアタシに、またも誰かが声をかけてきた。

 今度は美里じゃない。


「葉月さん?」

「あなた今、ため息を吐いたでしょ」


 あいさつ代わりに絡まれて困るアタシと、怒り心頭気味な葉月小芭瑠こはるさん。

 このクラスメイトは日常的に関わる人じゃない。今みたく絡まれることは数回あったけど。

 今日は過去にないほど怒っている。

 関わり合いがないから火種を蒔いた覚えもない。


「ため息吐いたけど……幸せが逃げるみたいなこと?」

「違います!あなたがつまらなそうな顔で順位表を眺めて、挙句にため息なんて吐くその態度!」


 頓珍漢な発言をしたら余計に怒られた。葉月さんは順位表に無関心なアタシが許せなかったようだ。もっとはしゃぐ素振りでもした方が良かったか。


「ごめん、ごめんよ?で、葉月さんは一体どうして怒ってるの」

「……尾神さんの全体順位は8位、理系コースでは6位。尾神さんの成績が優秀であることは誰もが認めていることでしょう。けれど尾神さんからは熱意が感じられないんです」

「熱意がないのは……正しい」

「でしょう!?熱意もないあなたが上位に食い込んで、一方で私は10位……私より上の者が結果に無感動なんて……頑張っているこちらからしたらなんと憎たらしい……!!」


 いよいよ怒りのボルテージが最高に達した葉月さんは早口で捲し立てた。

 その双眸はアタシを睨んでいる。


「ほ、ほら!でもアタシの上に7人はいるわけだし――」

「全員と話したことあるから言いますけど、尾神さんより何倍も真剣で、何倍もの熱量で取り組んでるんです!かくいう私もそう!」


 両肩をガッと掴んでくる葉月さんの勢いに若干引きつつ、なんとなく彼女の気持ちが想像できてしまった。

 上位層と下位層の差はかなり開いており、これはどこの学校でも同じ構造なんだろう。しかし進学校なだけあって、やはり上位層は真面目に勉強や運動に取り組んでいるて、思うような結果が出せずに苦悩する生徒もいる。

 環境こそ違えど、アタシも似たような思いはしてきたのだ。だから葉月さんの心の叫びが他人事として聞き流せなかった。


「尾神さんが体育でも好成績というのは知っています。あれほど無気力で授業を受けて、でもできるから先生も点数をつけざるを得ない!ここに戦う相手なんかいないというような無関心さでさえ!なんと理不尽な……!」


 さっきまでは困惑していたから、葉月さんの叫びを聞かされてからは察することができてしまうから、反論ができない。


「……失礼、取り乱しました。私の努力不足を尾神さんに当たるのはいけないですね。ごめんなさい」

「謝らないでいいよ。葉月さんが思っていることは正しいからね……」


 呼吸を整えて落ち着いた葉月さんにアタシはフォローを入れる。

 自分の上を行く者に理不尽さを感じたり、誰かにストレスをぶつけたりしたくなるのは多くの人が抱えることではなかろうか。

 その行為が筋違いであると頭は理解していても、感情が時として暴走してしまう。

 アタシが晴香と接する時に起こっていることだ。


「とりあえず期末こそは尾神さんを抜かしてみせますから!」


 力強く宣言した葉月さんは、言うことは言ったという様子でアタシの前から去った。


「戦う相手がいない、ね……」


 葉月さんからの言葉を呟く。

 図星だ。敵意をむき出しにされたのに、アタシのやる気は無反応のままだった。

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