第3話

「私と結婚してください!」


 3年ぶりに会った実の妹にプロポーズされました。

 ……ライトノベルのタイトルかな?違う、そうじゃない。

 奴の表情は真剣そのものだ。茶化せるような雰囲気ではないし、アタシが茶化すような真似をしたくない。

 この約束は重く深い案件なのだ。

 妹の晴香にプロポーズされてから数日が経った。

 数日間、ずっと晴香の声が脳内で無限に再生されていた。


「尾神さん、パス!」


 体育の授業でバスケットボールをやっている最中でも、晴香の声がグルグルしている。気を抜くとチームメイトの声よりも晴香のセリフが聞こえてしまうくらいには爪痕を残してくれた。

 とはいえこれしきのことでミスをするアタシではないが。


「うーん」


 なんとかさんからのボールを受け取って周囲の状況を確認する。

 自分より前方に同じチームの人が3人、敵チームの人が2人。人数ではアタシたちの方が有利。あまり関わりがないけど結構積極的に動いているので、恐らく運動できる部類なのだろう。

 後方にではなく、前方にボールを投げるのが得策だと瞬時に判断する。


「ほいっと」


 すぐ近くにいる敵チームの人が横からボールを取ろうとしていたのをドリブルで回避して、同じ色のゼッケンを着用した人にパスを回した。


「ナイス、尾神さん!」


 ボールを受け取った味方からお褒めの言葉をいただく。

 体育でやるバスケとはいえ、チームはルール通りに5人で編成されている。運動部の人が進んでやっているように本気で動く必要はないけど、あからさまにサボると先生がうるさいので、それっぽく振舞うのがベストなのだ。

 筆記試験の要素がない場合、コート内で棒立ちしているだけだと点数が引かれてしまうので仕方ない。


「よーし、ディフェンス!」


 ゴールを決めることができたらしく味方は走り出していた。

 アタシはというとハーフコート付近まで戻って、敵チームの皆が散開する様を眺めていた。味方と合わせて走るほど熱血でないアタシにチームプレー精神があるかと聞かれたら、たぶんないと答えるしかない。

 アタシが戻るタイミング、明らかに他の4人より早かったし……。


(こんなもんかね)


 ドリブルする相手の手からボールが離れたタイミングを窺い、バウンドした直後の低い位置からボールを奪い取った。

 いわゆるスティールというやつ。

 視界よりだいぶ低い位置から奪われたボールに相手は反応できず、呆気に取られていた。


「おおおお!尾神さん凄い!!」

「全員戻ってー!!」


 背後からチームメイトの興奮した声と相手の焦った声が耳に届く。なるほど前方にはアタシと敵チームの1人しかおらず、他の全員はバックコートまで戻ってしまったたようだ。

 誰か来てくれるまで数秒はかかるから……しゃーない、アタシが行くしかないか。味方チームがなまじやる気のある面子だと、手抜きするといろいろ面倒なのだ。


「ちょ、待って!」


 およそ対戦相手にかけるに相応しくない言葉をドリブルで抜き去り、スリーポイントラインで停止。相手に追いつかれないうちにシュートモーションに入る。

 アタシの手から離れたボールはゴールの中心に吸い寄せられ、ザシュッという音と共に落下した。

 ボールのバウンドと同時にブザーが鳴り、試合終了と交代の時間を告げた。


「あの、尾神さん……ナイス!」

「どうも」


 緊張した様子で声をかけてくるチームメイトに、一応無視はせずに答えた。

 他の面々も声をかけようか悩んで、しかしかけられることはなかった。

 遠巻きに見られることには慣れている。中学の頃から続いていることを高校2年にもなって気にすることはない。


「尾神さんって体育でも凄いよね。部活とか入ってないのかな」

「入ってないらしい。尾神さんレベルの人がいたら終業式とかで表彰されるんじゃない?」

「それな。あーあ、尾神さんもウチの部活に入部してくれんかなぁ」

「んー……無理だと思うよ。尾神さんってとっつきにくいというか、部活も全部断ったらしいし」

「マジ?」


 などというやり取りが近くで行われていたけど、当然無視。

 本人たちはコソコソと喋っているつもりだろうけど余裕でアタシの耳に届いています。誰に誘われようと部活に入る気はないので諦めてください。


「お疲れさん、凛」

「ん」


 同じチーム分けになった人とは対照的に、美里がやって来た。

 彼女の試合は次の番らしく、ゼッケンを着用するところだった。


「心ここにあらずって感じだけど、どうしたん?」

「あー。考え事」

「体育もやる気なさそう」

「やる気がないのは今日に限ったことじゃないけど」

「普段よりもっとやる気なさそうだったよ?集中していないで動けるの、凄いなって感心するけど」


 心配そうな眼で美里はアタシを見ていた。

 小さな頃からバスケットを含め様々な競技をやらされてきたのだ。学校のカリキュラムに組み込まれるようなメジャーどころなら手を抜いてもある程度はできる。


 バックグラウンドがあるのだから、感心されるようなことじゃない。むしろアタシはできなければいけなかったし、不本意でも経験があるならそれなりにできるのは当たり前ではなかろうか。授業で良いパフォーマンスをした程度では満足しない親の考え方が移ったんだろうか……。


「妹さんに会ってから凄みが増してる」

「……約束のことだよ」

「結婚してって言っていたやつだよね?凛は明確に断ってはいなかったけど」


 美里の質問に、首を縦に振って答える。

 晴香のプロポーズを断れるはずがないのだ。受けてもいないけど断ることもできない。

 さながらサンドウィッチの具材が如く板挟みになっている。


「凛は妹さんのことが嫌いなの?」

「嫌いじゃないよ。強いて言えば……憎い、かな」


 美里に質問されたアタシは数日前のやり取りを思い出した。



「私と結婚してください」


 アタシの手を取りながらサラッと言った晴香は、じっとアタシを見つめてくる。

 幾つもの相反する感情たちに振り回されているアタシの返答を待っている。

 晴香の手の熱がアタシの手を通して伝わってきて、なんだか背中がムズムズした。


「お前、本気か?」

「本気です。姉上と交わした約束を1秒たりとも忘れたことはありません。むしろ姉上こそ覚えていてくださったのですか?」


 堂々とした態度から一変、晴香は不安そうにアタシを見上げてきた。

 未だ握られた手を振りほどくことができないアタシは、目線の効果もあってドキリとさせられる。

 自信に溢れる妹からたまに珍しく現れる不安というギャップがアタシの本心を突く。

 ここでこの者を突っぱねていいのか?そう自分自身に問いかけてしまう。


「アタシは忘れていたかった」

「……つまり覚えていてくれたのですね」


 イエスかノーかで答えるべき場面で、間接的にも肯定しているともとれる、微妙な回答をしてしまった。

 そこから察した晴香は安堵した様子で微笑を浮かべた。


「もしや父上のことを気にされているのですか?先ほども申しましたが父上にはいろいろ認めさせました。私が在籍する高校の3年間、せめて姉上と在籍期間が被る2年でも実績を作れば文句は言えないでしょう」

「実績?」

「はい。中学生活も全てをこのために費やしてきましたから……私の実績を突きつければ父も二言はないでしょう」

「アタシの実績はどうでもいい、と?」


 問題ないと語る晴香に苛ついてポツリと漏れてしまった。

 気に食わない。とにかく気に食わない。

 父親のことを気にしていないわけじゃないが、苛ついている部分はそこじゃない。晴香は約束だなんだと言いながら、それを果たそうと1人で予定を語って、1人で満足しているではないか。

 晴香1人だけの問題じゃないし、あの親がどう出るかも知ったことじゃない。

 アタシの本心を無視して勝手に前を走るな。そう怒鳴りつけてやりたい。


「…………ごめん、聞かなかったことにして」


 晴香が口を開く前に強制的になかったことにする。

 本心を無視するなとは思うものの、アタシが本音で語れないのが悪い。こんなグチャグチャな本音は永遠に蓋をしておきたい。

 ならば晴香を困らせるような発言をするべきではなかった。


「姉上、私は――」

「この件は終わり!さっさと部屋に戻るんだね」


 晴香の手を振り払い、窓の外を指差す。

 話し込んでいるうちに太陽が沈みかけていた。春を過ぎて昼の時間も長くなってきたけど、通常授業が終わる頃には既に夕方だ。

 ちょっと長話をしたら空は薄暗くなっていた。


「わかりました。でも私は諦めませんよ!」


 そう宣言して晴香は自室に戻っていった。



 やはり憎い。晴香が憎いのはあるし、情けない自分も同様に憎い。


「憎いって強烈な表現だけど……その割に表情は穏やかというか」

「アタシ、穏やかな表情してるんだ?」

「穏やかでもあるし、怒ってそうでもあるね。少なくとも私には憎々しいとは感じられないだけだけど」


 どうやらアタシは器用な表情をしているらしい。

 自分では、例えばめちゃくちゃ怒っている時なら鏡がなくてもわかるけど、複数の感情が渦巻いている時の表情はわからない。

 ただ1個だけ、晴香を前にすると穏やかな心持ちでいられなくなるのは自覚している。

 アタシは家を出て、地元を離れて、家からも晴香からも遠ざかった。

 晴香がアタシを追いかけてしまっては意味がない。


「妹さん、大切なんだ」


 確認するような問いかけにアタシは断言する。


「大切だよ。晴香は物心ついた時から両親の重圧を潜り抜けてきた戦友だし、苦楽を共にしてきたからこそ気兼ねなく遊べる友達でもあった。だけど、だからこそアタシには耐えられなかった」


 楽しい時間も苦しい時間も共に過ごしてきた晴香を、アタシは好きだったし嫌いになりたくなかった。

 しかし現実は残酷でアタシと晴香の差を広げてくれた。

 姉であるプライド、自分自身の能力のなさ、期待に応えられない自分と応えられる妹。

 それらはあまりに大きくて、幼少のアタシには手に負える情念ではなかった。

 晴香を嫌いになるくらいなら、彼女のことなど忘れたいと考えるようになった。


「凛はもしかして――」

「はい、全員集合!ゼッケンを片付けて集まれ~!」


 何か言いかけた美里を体育の先生の声が遮った。

 集合して列を作り、全体で礼をして授業終了のチャイムが鳴った。


「やっとお昼休みだね」

「んん、長かったような短かったような」


 美里と合流して体育館を出た。

 先ほどの話は中断して何もなかったかのようにアタシは振舞う。


「ぼーっとしていたからじゃない?」

「確かに時が飛んだような感覚だったな……しかし空腹が最高潮の4時間目に体育ってどうなんだ」

「でも5限だと脇腹が痛くなるじゃん」

「食べた後に動くと痛くなるやつな」


 成績とか期待とか全部を忘れて美里と雑談する瞬間は、アタシは少なからず楽しいと思っている。

 触れられたくないことに触れずにいてくれる美里に心の中で感謝していると、不意にアドバイスを受けた。


「眉間に皺を寄せていると接しづらいんじゃない?」

「いきなりどうした」

「今話してて思ったこと」


 あぁ。アタシと微妙な距離を保っていたメンバーのことか。

 ルームメイトの美里はともかく、別に仲良くしたいクラスメイトとかいないからなぁ……。彼女らが接してくれなくて困ることは正直あまりない。

 体育のペアは美里がいるし、座学のペアワークは先生が隣同士でやれとか言うから、過去3年間で困ったこともなかった。


「実際の凛は怖くないのにね~。近付かないでオーラっていうのかな、不機嫌そうなオーラを漂わせているような?」

「出してるつもり、ないけど」


 アタシは他者との交流をシャットアウトしているつもりはない。

 進んで関りを持とうという意志もほとんどなかったけど。クラスの人と親密になる必要性を感じなかったし。


「美里がいるからアタシ的には無問題」

「え~?こ、光栄ですな~」


 照れた様子の美里は頬を人差し指でかいていた。

 心配する気持ちは頂戴するけど余計なお世話である。

 アタシはクラスメイトと仲良くしたいのではない。もっと根深い問題を解決しなければアタシの靄は解消されないのだ。

 他人に対する興味関心など、ずっと前から晴香にしか抱いていないのだから。

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