第2話
「姉上?お久しぶりですね?約束を果たしに来ました」
「…………」
どういうことか。何が起こっているのか。
事もなげに放たれた挨拶は、しかし一般的に高校生が聞くようなものではなかった。お嬢様学校ならあるのだろうか。いやたぶんそれだったら「ごきげんよう」とか言うだろ……。
「姉上!」
「……はっ!?」
肩を揺すられてアタシの意識は戻ってきた。
この人物は。アタシのことを姉上と呼ぶ人物は……アタシの記憶の中では1人しかいない。
「あんたがどうしてこの寮に――晴香」
言葉を発する余裕が戻ったアタシは、廊下に立っているポニーテールの人物に問いかけた。妙に朝から落ち着かなかったのは、虫の知らせみたいなものだったのか。
アタシは地元を離れた高校の寮に住んでいるわけで、地元に残っていたはずの晴香がここにいることに疑問を覚えるのは当然だ。だけど本当は聞く必要などなかった。
晴香の服装こそがその答を告げているからだ。
「その子は?姉上って聞こえたけど。それにウチの制服だよね、あの子が着てるのって」
「美里……アタシも詳しいことは知らないんだけどこの子は――」
「お初お目にかかります。私、
アタシの言葉に続くように自己紹介した彼女は、スカートの両端をつまんで頭を下げるという、優雅な仕草で言ってみせた。動作に合わせて花のような香りが漂う。
「尾神……?姉上……?えっ、っていうことは」
「晴香はアタシの妹だよ」
キョトンとしつつ核心に近づいていそうなルームメイトに正解を告げる。
「え~!妹さんがいるなんて聞いてない!でもなるほど、凛の面影があるというか……」
驚いた美里はアタシと晴香の顔を交互に見比べて、1人で納得していた。
一方アタシは納得していない。考える余裕は出てきたけど頭の処理は追いついていない。
妹のことは……晴香のことは好きだし大事な妹だと思っているけど、だからといってここに存在することを歓迎できる気はしなかった。
心が玉虫色の感情に侵されていく。湧き出すどうして?という感情は、困惑だけじゃなかった。
しかしコイツがアタシの行動圏内にいるということは……。
まぁまぁつまらなかった学校生活が悪い方向に変化する予感。
「姉上とこうしてお話する機会を待っておりました」
「お話だと……?」
「あっ。でも学校に行かないと」
思い出したように美里が声を上げた。
「……聞きたいことしかないけど学校に行くのが先だな」
感情の波を押し退けてアタシも同意した。既に時計の針はいつも出る時間を過ぎようとしていた。
晴香がここに立っていても、アタシが納得できていなくても、登校時間は待ってくれない。晴香も異論はないようで「行ってきます」とだけ告げて、軽やかな足取りで去った。
遠くなっていく彼女の背中を、ただ眺める。
「ほら、行こう」
「そうね」
美里に腕を引っ張られて、アタシも歩き出すのだった。
◇
「晴香にはどこから聞けばいいのか」
通常授業が終わった後、掃除当番などを済ませて足早に寮に帰ったアタシたち。
特に決めたわけではないが晴香もこの部屋を訪れた。今朝の3人で部屋に座って話す。
学校が終わってしまえば時間は沢山あるのでゆっくり話せると思ったけど、いざ向かい合うとどこから切り出せばいいものか悩む。
疑問や話題は山ほどあるのに。
「正直に言って今日は授業どころじゃなかった」
結局は疑問じゃなくて愚痴のようになってしまった。
「え、当てられても即答してたよね?」
「予習の済んでいるところで良かった」
美里が「またまた~」みたいなノリで言ってきたけど、アタシはそのノリに付き合える状態じゃない。八つ当たりになるから言わないけど。
「姉上。今朝はバタバタしていましたから、まずは挨拶をさせてください」
「お、おう……」
「改めましてご無沙汰しております、姉上。姉上が息災で何よりです」
「晴香も元気そうで」
晴香の堅苦しい挨拶にアタシは普段の通りに応える。
「姉上は金色に髪を染められたのですね。お似合いです、本当に誇らしいほど」
「…………あんたは変わんないね、晴香」
相も変わらず堅苦しい話し方をする奴だ、妹は。アタシがここの中等部に進学する前、最後に会った時から変わっちゃいない。
遠目にもわかるほど手入れされた艶やかな黒髪に、きちっと決まったポニーテール。気品という単語が合う雰囲気。帰ってすぐブラウスを第二ボタンまで外したアタシとは違って、今だって学校が終わった自由時間だというのに制服を着崩していない。上着を羽織り、リボンを外してボタン1つだって開けようとはしない。
いつ先生に呼び出されても大丈夫な恰好をしているような、生まれつきの堅さは健在か。
「背丈は何センチか伸びましたよ」
「そうだね」
晴香の背が伸びたことくらい、朝会った時に気付いていた。
あの日、別れる前に会った晴香の目線はアタシの鼻先くらいだっただろうか。年子だから成長期は大幅にはズレていないけど、別々の中学に行っている間にも大きくなったようだ。
アタシの知らない3年間で、晴香の身長はアタシと同じくらいになった。つまり目線が同じ高さになったということ。
晴香は嬉々として語っているが、目線まで並ばれてアタシは良い気がしなかった。
他人の身長なんて誰かが操作できるものじゃないけど。
「姉上……私は今日と言う日を待ちわびていました。この学校で再会し、姉上との約束を果たせる今日を……!」
「勝手に話を進めるな。そうだ、第一に訊くべきだった。なぜこの部屋がわかった」
アタシの心情を置いてきぼりにして興奮している晴香に問う。約束は覚えているけどその前段階で知らないことが多すぎる。
「この学校が寮を備えていることは知っていました。地元の人は通学で、遠くから来る人たちも不便なく学べるようにと。姉上がここに通うには私たちの自宅だと時間がかかり過ぎます。姉上が家を出て行かれた時点で察してはおりました。寮の部屋は先生方が教えてくれましたよ」
途中で一瞬だけ寂しそうな顔をした晴香だが、答え終わる時には笑顔でそう付け足した。
「で、アタシを追いかけて地元から遠く離れた高校に進学したって?」
心の中で晴香に居場所を教えた先生方に舌打ちして、次の質問を投げる。
「はい」
「にしては半端な時期というか……あんたに進学先を教えた覚えはないし」
「母に教えていただきました。入学式に間に合わせることができなかったのは手続きの都合と言いますか……」
やや困った表情の晴香。アタシの前で話題に出すべきか悩んでいるんだろう。
困るぐらいなら最初から来なければ良かったのだ。
「どうせ父親のことでしょ」
「……わかってしまいますか」
アタシが理由を当てると、晴香は曖昧な笑みを作った。
聞くまでもない。父のことなど、名前だけで腹が立ってくる。
「あの人が春香を手放したいと思うわけがない、優秀なあんたを。いい歳して駄々をこねるくらいはやりそう」
「えぇ、まぁ……。当初は断固反対されていましたから。お前は絶対にエスカレーターで進学しろと、父は頑なになっていました。けれど希望が通りましたから、在学中に幾度と説得を試みた甲斐がありました」
曖昧な笑みはいつしか達成感溢れる笑みに変わっていた。
晴香の境遇を知っている身だから、彼女の苦労はだいたい想像できる。
問答が区切れて、部屋の中を沈黙が支配する。
「ねぇ、凛は中等部からいたわけじゃん。妹さんは違ったの?」
静かに座っていた美里がアタシに小声で質問してきた。
「晴香は地元の中学に進学したよ」
「すっごく遠いんでしょ?どこから来たの?」
晴香が在籍していた学校名を教えると、美里はめちゃくちゃビックリしていた。
「え!?全国でも超有名な難関校じゃん!全国で1位2位を争う偏差値だよね!?」
「まぁ……晴香は別格だから」
この高校は県内トップクラスの中高一貫校として知られており、中等部も入るのが難しいと界隈では有名だ。偏差値で測っても全国区と表現して差し支えない。
しかし晴香が進学することになった中学は、地方の進学校のさらに上を行くエリート校。附属の大学も超難関校でその授業内容は非常に高度で、大学用の専門書の数式と睨めっこする中学生が珍しくないくらいだ。
本来はアタシも入学するはずだった。敵わないと思って辞退したけど。
……気分が悪くなってきた。鏡がなくても自分の眉間に皺が寄っているのがわかる。
「……ごめん、ちょっと無神経だった」
アタシの表情で察するものがあったのか、美里が謝ってきた。
美里には気にするなと言ったけど、しかし醜い念が沸き上がるのを止められない。
晴香の能力について思うとき、アタシは自分の能力を呪ってしまうからだ。
美里は単に疑問を抱いただけで無神経などではない。ただアタシの実力が及ばないだけのこと。
なんだけど……。
「もはや父のことなど関係ありません。私は私の意志で来たのですから」
キッパリと言い切る晴香。
「最初に申した通りです、姉上。私は約束を果たしたいのです!」
「約束の話に戻らんでいい!!」
別のことに意識が行けば忘れてくれるだろうという予想は甘すぎた。うん、晴香って小さい頃からこうだったね!
なんとか約束から意識を逸らしたいけど、アタシの想いなどお構いなしの晴香は両手で手を握ってきた。
久々に触れる晴香の手が嫌でもアタシの意識を「約束」に釘付けにする。
笑顔は消え、冗談など通じないような空気を纏わせる妹。
「単刀直入に申します。私と結婚してください!」
「ゴフッ……!!」
次の瞬間、前置きもなく飛び出した単語にアタシは濁った声を出してしまった。
こいつ、アタシの気も知らないであっさりと言いやがった……!!
「ほぇえ?結婚?」
アタシの後ろでは美里が疑問符を浮かべていた。
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