第9話 山井君

 初めてのサマンサはどうでしたか。今日は常連のお客さんも多くてすっかりカモにされてしまったね。山井君がしんどかったんじゃないかと気にしていました。今度の休み、お店、休めたからお母さんのところへ行かない?前に話してた。わたしおばさんに習ってケーキ持って行こうかな。

 今日進路調査があって今迄どうりの希望を書きました。もう少し実力つけないと行けないかも。頑張ろうね。もっともっと頑張ろうね。             

                           晴子

 

 頑張ろうねと書いた文字が私の中で違う言葉になってリフレインしていた。もっともっと、山井君のこと、好きになりたいって……

  

 次の日曜、私は山井君と二人で山井君のお母さんの住んでいる海辺のおばあちゃんの家へ出かけた。列車に乗っておばあちゃの家がつり具店をしていると聞かされたときには、あまりに意外で不謹慎と思いながら嬉しくなってしまった。

「でも、二人の見解の相違は育った環境の違いが大きかったんだよ。親父はサラリーマンの家で育って家族が擦れ違いでも当たり前だと思っていて、家にいない日も多い。おふくろはいつも両親の揃っている家で大きくなったから俺を一人で育てるのしんどかったんだろうな。しかも一人っ子だろ」

「山井君一人っ子なの?」

「そう、晴子と一緒」

 一緒にいたくても一緒にいられない淋しさで別れるなんて切なすぎるね。

「私達も、二人とも淋しがりやだね」

 私はふとそんなお母さんを残して山井君が私と一緒に北海道にいけるんだろうかと考えてしまった。

 でも、そんなこと聞けない。もしそうだったら、怖くて聞けない。私は山井君の手を握り直して黙り込んだ。

「どうした?」

「ううん、何でも無い」

 海がキラキラと光ってる。小さく開けた窓から海の匂いが入ってくる。

 私、自分の事で精一杯。こうしてお母さんに会いに来たのだって山井君に気に入られたいだけだからかもしれない。自分の事を守りたい。そんなの淋しいけど、今はそれでいっぱいなんだ。私は山井君の顔を見れなくて黙ったまま窓の外を見続けた。

 列車を下りると潮の香りが町中に漂っていた。少し黄色くなった秋の陽射しの中、山井君の従兄弟の航司郎さんがライトバンを留めて待っていてくれた。山井君を見て懐かしそうに笑う。

「会うの何年振りなの?」

 と聞くと、

「十年振り……くらい」

 と答えて、長いこと来てなかったその町に懐かしむような目を向けた。陽に焼けた明るい笑顔の航司郎さんもその景色の一部のように私には写った。

 お母さんこの町で心はいやされているんだろうか?ゆっくりと身体を休めているだろうか?そんな心配がどっかに吹っ飛んでしまうほど航司郎さんは明るく山井君のお母さんの話やおじさんの話を聞かせてくれて、私達が仲の良いところを見せつけなくてもここにいるだけで心がなごむ気がした。

「ねえ、お母さんこの町で淋しいだろうか?淋しいのはきっとお父さんの方だよ。なんかお母さんこの景色の中で幸せに暮らしてそうな気がする」

そう言うと、山井君も、私に合わせてそう言ったのか、

「そうかもな~」

 と、笑っていた。揺れている車の窓から静かな景色が動いていた。それは美術雑誌の絵のように、真っ青な空をバックにした緑と白と原色の明るい景色の連続だった。

 車が止まると小さな釣り具店の前に小柄な女性が立っていた。山井君を見つけると少し陽に焼けた頬を優しくほころばせて、

「良!」

 と手を振った。お母さん綺麗。山井君の腕を掴んで嬉しそうに話をしている。二言、三言言葉を交わして私の方を見た。その姿が自然で、私はお母さんの頭の傾くのに合わせて頭を下げた。山井君に良く似た笑顔。

 来て良かった。私、心の何処かで山井君は淋しい可哀相な人だと思っていた。お母さんのいない淋しさをどうやったら埋められるかって思ってることがあった。

 でも、山井君こんなにお母さんに愛されてる。それがわかって良かった。

「芳野晴子です。押し掛けてきてしまって」

 私がそう言うと、

「ううん、良く来てくださいました。良が仲良くしていただいて」

 と山井君の顔をしげしげと眺めながら私に言った。

「子供が知らないところでだんだん大人になっていくの、親にしてみたら淋しい時もあるけれど、こうやって良が自分の足で歩いてる姿を見ると嬉しい。この子勉強ばかりして、すごく優等生だったの。それが今年になってからガタガタにくずれて、家の事も重なって、見ていられなかった。

 私は、自分の事で精一杯で無理してたし。良が私に言ってくれたのよ、もう無理するなって、自分の事だけ考えろって、私、すっかり甘えてこうさせてもらって、久しぶりに海の風に吹かれて、潮の香りを吸って昔の事を思い出したわ。父さんと結婚するって親に反対された時の事。何もわからない癖に反対しないでって泣いたのよ。なのに、このざま。なっちゃないわね。ゆっくり頭を冷やしてよく考えてみようと思うの。

 あ、晴子さんにこんな話、つい言ってしまったわ」

 山井君に良く似てるお母さんの話し方。言葉をいっぱい持っている、二人の話し方。私は黙って聞いていた。

 私も自分の事で精一杯。みんなそんな気持ちで支え合って生きてくのかな。風に吹かれて潮の匂いをかいで、私もお母さんの半分でも心を伝えていける人になろうと思っていた。

 海辺のこの町は遠い町のことを忘れてしまいそうなほど静かでゆったりしていた。


 私達は夜遅くの列車に乗った。別れ際のお母さんはやっぱり淋しそうだった。山井君の進路のことも気にしてはいたけど、二人とも何も言わずに別れて列車に乗った。

「疲れたろう、田舎は人が集まるから」

 と言う山井君に、

「うん、少し」

 と答えた。でも、こたえていたのは人の数じゃなくて山井君がお母さんに見せる態度かなあ……私にみせる優しさとは違う。やっぱり親子なんだ。何処か無言で心が通じ合っている気がしてまいったな。……私は窓の外を見て明かりを数えていた。あの黒々したところは海だ。私は目が離せなくなって困ってしまった。

「晴子、今日は口数少ないな」

 たまりかねて山井君が聞いた。

「もともと無口なんだよな。俺がなに言っても返事がなくてさ。この頃話すようになってホッとしてたけど」

 今日はもう話さなくていいんだ。こうして一緒にいるだけで言葉にならない。私の中に口に出せない不安が渦巻いていた。『私達本当に一緒に北海道に行けるの?』って、でもそれを口に出す勇気はなかった。今日の分の勇気はお母さんに会いに来たことで全部使い果たしてしまったんだ。

 黙ったままの私の手を山井君が握った。

「俺のことおふくろから聞かされて少々ビビッてしまった?」

 と言う山井君に急いで頭を横に振った。

「そう、本当、俺荒れてたからな~

 でも、そのお陰で破れかぶれで、お前に手紙書けたんだぞ。ひつこく教室まで押し掛けて行ったし。あのままだったら晴子の気持ちもわからないで終わってたな。知らないまま別れ別れ、こうしておふくろに会うことも無かったかもな」

 私は黙って目を閉じた。山井君のぬくもりがてのひらを伝わって心に届く、私達はこのまま列車に揺られて白鳥座のステーションについてしまうんじゃないかとそう思ってしまうほど。暗い外の景色は私に不思議な錯覚を起こさせた。

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