最終話 『当然』

「いい格言『だとは』思う、ということは、何か引っかかることがあるってこと?」


 言葉の端をとらえストレートに質問する彰。

 孝弘は、本当によく人の言葉を聞くやつだな、と感心し、ゆっくりとしたうなずきで返した。


「たしかにいい言葉だけど、真にいい結果をもたらすには夫婦の意識が一致していることが大前提なんだよ」


「さっきも言ってた”意識の差”か……」


「そう。特に『家族なんだから協力するのは当然だ』

 と発言するようなタイプと一緒だと、その意識のズレが大きくなる。

 ぼくの浅い経験則においてですらこの発言をするタイプは、

 協力することを他者に押し付けるだけで自分は大したことはしない。

 それに本当に協力する人っていうのは、こんなことを言う前に既に動いている」


「……そういうもんかなぁ?」


「潤なら言うかい?」


「え? う~ん……こうでこうでこんな状況? だとして……あー……と……」


  (1分経過)


「んー……結婚して子供が居るとした場合だけど、

 自分が動いてて、子供が動いてないときには注意するかな」


「おぉ、ずいぶん細かいシミュレーションだね、素晴らしい!」


「すごいね。僕は想像もできないからどうにも……」


「ただ、”当然”って言うかなぁ……

 う~ん、当然と言えば当然な気もするんだけど……

 せいぜい『一緒にやりなさい』かなぁ」


「細かいね。でも自分が既に動いてるなら言う権利はあると思うよ。

 言葉選びの問題はあるだろうど」


「う~ん……自分以外に”当然”って言葉を使うのはあまり好きじゃないんだよなぁ」


「それは強制って感じがするから?」


「いやぁ~なんだろう……強制っていうかなんというか……う~ん……」


 潤が一体何に悩んでいるのか、彰にはよくわからなかった。

 そんな折、タイミングを見計らったように孝弘が言葉をスッと差し込んできた。


「”当然”には価値がないからじゃない?」


「価値がない?」


「そう。”当然”とか”当たり前”って、それを無価値だと思ってるってことなんだよ」


「無価値……」


「やってプラマイゼロ。でもやらなければマイナスなんだから

 実際には価値があるんだけど、それが理解できていない」


「それって最悪じゃん……」


「そうだよ。直感的に潤が嫌っているのもその辺の感覚なんじゃないのかな」


「おぉ~なんかよくわかる話になった」


 さっきまでモヤモヤしていた気分が晴れたように、潤の顔に笑みが戻った。


「自分が自分のために努力していることを”当たり前”とするならともかく、

 他人がやってくれていることに対して”やって当然”とか”やるのが当たり前”とか

 言う人は、話し相手の意識とのズレが生じやすい」


「いやぁ、そこまで考えて使ってるのかなぁ」


「深く考えないから使っているとも言える」


「あーなるほど」


「そう考えると『家族なんだから協力するのは当然だ』という言葉には、

 結構な危うさが含まれているように思えてくる」


「ほんとうだ」


「うわぁ……ちゃんと考えてから発言しないといけないなぁ……」


「さっきも言ったけど、本心から協力できる人はそもそもこんな発言をしない。

 彼らは、もし他人に協力して欲しいと感じた時は、下から”お願い”をするんだ。

 偉そうに上から”当たり前”なんていう言葉を使わない。

 なぜなら、協力してもらえること自体が大きな価値だということを

 ちゃんと理解しているのと、その行為に『ありがとう』と

 感謝をすることができる人だからだ」


「それは……わかる気がする……」


「うん」


「夫婦でこの”協力”という意識がズレているなら

 『二人で苦難を乗り越える』ことなんて到底できないだろう。

 結果として一人で何とか苦難を乗り越えるしかないんだったら、

 もはや夫婦でいる意味がない。残念ながらここまで来ると、

 むしろ相手を足手まといと感じるようになるかも知れないね」


「幸せどころじゃねぇな!」

「ほんと」


「そう思う。そうして幸福度が下がっていくと

 お互いが『こんなはずじゃなかった』と嫌な現実にさらされ、

 『一人の方が楽だ』なんて感じるようになっていくんだろうね。

 その挙句、『自分はこれだけ我慢しているのに……』なんて考え始めたら、

 夫婦関係の修復はもはや困難に思える」


「なんだか嫌な方向に……」

「でも……そうなりそう……」


「その後は徐々にお互いが自分の欲求を最優先にする生活へと

 シフトしていく感じなのかな。

 そうなればもちろん、相手をないがしろする機会も増えていくだろうね。

 優先度は自分の欲求より下だし。

 そうして不満が積み重なった結果、離婚を考えるようになっていくのかもね」


「流れとしてはわかりやすい……そして思ったよりも……」

「身近に感じるね。具体性がありすぎるというか……」


「たしかにメジャーなケースなのかもね。

 それだけ、”協力”、”感謝”、そして”反省”もかな。

 どれも実行が難しいことなのに、

 ついつい不用意に使ってしまうのが問題なのかもね」


「幸せな結婚生活って……果てしないな……」


「あまり深く考えたことはなかったけど、

 たしかに理想というだけのことはあるよね」


「”理想”=”夢”かぁ」


「簡単には叶わないものが”夢”なら、

 この世の大半の夫婦は”夢”に至っていないということになるね」


「うわぁ……なんか悲しくなってくる……というかむしろ怖くなってくる」


「そこまで実感はわかないけど……なんだろう……

 今まで見えてなかった壁が見えてしまったような……」


 潤と彰が眉をひそめて唸っていると、遠くから学食の扉が勢いよく開く音がした。


「おおい! そろそろ締めるぞ!」


 学食棟の管理人らしき人物が大声で発した警告を聞き、僕らは急いで各々の荷物を抱えて席を立った。

 足早に学食の扉を抜け大学正門へと向かう。外は既に真っ暗になっていた。

 正門まで続く林道には街灯があるのだが、年代物のせいかその光はか細く周囲の暗さをより色濃くしている。むしろ見上げた空の方が明るさを感じる、と彰は歩きながら思った。


「とりあえず、幸せな結婚生活がどれだけ理想なのかはなんとなくわかった。

 しかしキリが悪いのか……もどかしさが……」


「最後の結論は極端な例だから鵜呑みにはしない方がいい。

 実際、世間にはたくさんの夫婦がいて、

 その殆どは上手くやっているわけだしね」


「それって”妥協”? それとも”諦め”とか?」


「そうとも言えなくはないが、

 ぼくとしては”現実を受け入れている”というのが正しい気がする。

 ポジティブかネガティブかというニュアンスの違いかな」


「ポジティブ?」


「そう。ネガティブな受け入れ方だと、この先歩いていくのは辛いだろうけど、

 ポジティブな受け入れ方だと、歩いていく活力は失われていない感じ」


「そう言われると、うちの親とかもポジティブなんかな」


「ぼくからすれば、潤のところはうまくいっているように見えるからそうかもね」


「……」


 潤と孝弘が話している間、彰はしきりに何かを考えているようだった。


「どしたの? 彰」


「ん? いや、あのさ……現実でよく見る夫婦像=大多数ということはさ、

 現実ではあまり見られない夫婦像、つまり少数の夫婦像というものが

 ”夢”の一端なのかな? と思ってさ。

 その……孝弘ん家とか」


「なるほど。全体の割合から見た逆の真理か。

 たしかにその可能性はあるかもね。面白い!」


「面白いって……お前ん家のことだろ~?」


「そうは言っても両親にしかわからないことだからな……

 でもまぁ、たしかに父さんは幸せそうではあるな。

 ぼくが見てても鬱陶しいくらいに母さんラブだし」


『そ、そうなんだ』


「ま、うちの話はいいや」


 この孝弘の話の打ち切り方のあまりの酷さに、潤と彰は思わず膝から力が抜け歩みが崩れた。


「待て待て待て! おまえはどうしてそうなんだ!」

「何が?」

「理想の夫婦像かもしれないってんだから、そこは話す流れだろ!」

「えー……?」


 今まで見たこともないような渋顔で嫌がる孝弘を見て、潤は畳みかけるように彰も巻き込んだ。


「な? な? 彰だって聞きたいよな?」


 潤が彰に話しかける姿につられて、孝弘も確認するかのように自分の視線を彰に向けた。


「そうだね。聞いてみたいな」


「だろだろ! ほら! 孝弘! 聞いたか?」


「まぁ、彰がそういうならそのうち」


「……孝弘くん? なんか俺の扱い酷くない?」


 駅に伸びる線路際の道を歩いている三人のとなりを、長く連なった電車の窓の灯りが減速しながら追い抜いていく。

 その灯りを浴びた三人は、定期を探し出しながら慌てて駅の階段を駆け上っていった。

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結婚談義 ノンちょろた @NON-CHOROTA

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