第6話 『難易度』

「しかし『幸せな結婚生活』を、一つの”夢”というくくりで片付けるのは少し軽率かもね」


「かなえやすい”夢”とかもあるから?」


 彰の素早い切替しに、孝弘は満足するような笑みを浮かべる。


「そう。”夢”には達成難易度がある感じ」


「難易度かぁ~……結構な人が手を出そうとしているんだから、

 難易度は低い方なのかな?」


「いや、むしろ高いと思う」


「そうなの!!」


「ぼくが思うに、いろいろな要素を考えると多分高い」


「孝弘が言うなら余程なのかね」


「どの辺が?」


 彰は、すぐに想像することが叶わなかったのか、潤の言葉に被せるように孝弘の言葉に詰め寄った。思いのほか興味のある話題なのか? と潤はちょっと意外そうに彰の横顔をまじまじと見る。


「色々あるけど、まず”奥さん”という他人を巻き込むところかな」


「”奥さん”がいないと結婚にならないじゃん」


 潤に同調するように彰もコクリとうなずく。


「そう。つまり『”一人”では絶対に到達できない”夢”』ということ」

「あぁー」

「なるほど」


「”一人で追う夢”と大きく違うところは、


  【途中で止める】 ことも

 

  【少し戻って再挑戦する】 ことも


  【なかったこと】 にもできないこと。


 まぁ、厳密にはできなくはないんだけど、

 それで発生する不利益は当然、相手にもかかるからね」


「そうだよね」


「そうなった時には相手のことなんて考えてないんだろうなあ……」


「さらに子供が生まれると”夢”の難易度は一気に跳ね上がるイメージかな」


「そうなの!? 幸せ度が高まるんじゃなくて? 難易度も上がるの?」


「母さんから聞いた限りでは、そんなに甘いもんじゃなさそうだったよ」


 孝弘は中指で眼鏡のブリッジを軽く押し上げながら眉をひそめた。


「産前、産後~育児と、とにかく言葉にできないほど大変らしい。

 ぼくたちには到底想像できないけどね」


「たしかに”楽”とは一度も聞いたことはないよね」


「でも、そのために夫が居るんじゃないの?」


「潤の言うとおりだと思うよ。ただ現実はなかなか難しいみたい」


「協力してくれないってこと?」


「そんなことはないんだろうけど、

 その”協力”の意識の差が不和を生む感じなのかな」


「期待しているほどの協力をしてくれない、ということか」


「そんなところ」


「でも、手を抜いてるってわけじゃないんじゃないの?」


「まぁ手を抜くのは論外として、仮に当人が手を抜いてないと思ってても、

 相手が期待している内容との差があるから不和が生まれるんだろうね」


 ひぇ~……と困り果てる顔をした潤と彰の二人は、

 何ともいえない感覚が胃を中心にゆっくりと全身に広がる感覚に見舞われた。


「それは……厳しいというか、どうしようもないような……」


「本当に協力が足りていないのか、

 相手の要求が厳しいのかは当人同士でなければわからないけど、

 夫婦間での意識の差が問題を生む、ということなんだろうと思う」


「そう聞くと……たしかに難易度が高い……」


「これがさらに難しい問題なのは、決してどっちが悪いというような”悪者”を生んではいけない問題だということ」


「”お前が悪い!”ってやつか。

 うわぁ……ついそこに行きそうになるなぁ……やばい……」


「でも、お互いがいっぱいいっぱいな状態だと、

 どうしても喧嘩になる可能性は高いよね……」


「彰の言うとおり。だから母さんは一つの難題を自分に課してたらしい」


 孝弘はそう言いながら自分の鞄の中に手を入れると、おもむろにイチゴ・オレを取り出しストローを指して飲み始めた。


「……」

「……難題は?」


 ゆるい潤のツッコミにも全く動じない孝弘は、ただ潤の顔を見るだけで飲むことを止めはしなかった。


「いや、会話のテンポ! マイペースすぎるだろ! 難題ってなんだよ!」


 前のめりに話しかけてくる潤を見て、ようやく孝弘はストローから口を離した。


「だって喉が渇いたから」

「何の変哲もない返答ありがとう」

「ははは……」


 さすがに彰も、この孝弘の独特な流れに少し呆れ、その笑いは乾いていた。


「で、難題って?」


「『自分が苦しい時でも相手にやさしくできるようになること』だってさ」


「え! それ……めちゃくちゃ大変なんじゃ……」


「そう……だね」


「だから難題だって言ってる」


「あ、そうか」


「相手と話し合うとかではダメなのかな?」


「ぼくもそう聞いた。けど返答は『お互い会話をすると不和を生んでしまう状態』とのことだった」


「気持ちの限界だからか……」


「それで自分の力でなんとかしようとしたってことか」


「そうだろうね。世間で認知されている言葉で言うなら

 ”アンガーコントロール”というものらしいけど、まぁ、会得は難しいだろうね」


「ア、アンガー……?」


「その名の通り、自分の怒りを制御することだよ。

 ”アンガーマネジメント”とも言うらしい」


「俺……できるかな??」


「自分の怒りを制御って……正直かなり難しいよね……」


「そう思う」


「でもそれって、なんか自分にだけめちゃくちゃ負担かけてないか?

 ほら、結婚ってよく”苦労は半分”みたいなこと言うじゃん?」


「『一人では無理でも二人でなら苦難を乗り越えられる』ってやつ?」


「そうそう、そんな感じ」


「そうだね。たしかにいい格言だとは思う」


「だろ?」


 潤から放たれた格言に共感する孝弘。

 が、その発言の様を見ていた彰は、孝弘の微妙な言い回しに引っかかっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る