第三二話 『それぞれの想い』

「まさか思ってもみませんでしたよ。楓さんが私の為に人前に出て、その上で私を庇ってくれるなんて」


 保健室の中。二人っきりになったからと、私はベッドの上にいる楓さんへ、朝の出来事に対する想いを語りかけていた。

 

「それに髪を切ってきたのもびっくりしました。秘密をばらす覚悟をしてくれたのは嬉しかったです。でも、もうあんなことはやめてくださいよ」


 大勢に彼が大樹さんの息子だと知られてしまい、今大分目立っている。だからこれからあの視線に耐え抜く日々が始まり、毎日彼が保健室に来るようなことになるかもしれない。多分大丈夫だとは思うけれど。

 最初に彼が私へ伝えていた、命に関わるというのも全く大袈裟では無いだろう。だから、できればしないでほしかったし、もう二度としてほしくない。

 それは彼が友人だから、という理由だけで思っているのでは無い。

 彼が初恋の少年だと、髪を切ったことで私が気づいてしまったから、余計にそう思うのだ。


 そんな彼を気遣うように短くなった楓さんの前髪を優しく撫で、微笑みかける。


「それにしても今までよく気づきませんでしたね私」


 髪を切った楓さんが、初恋の男の子とおなじ顔、おなじ表情をしているなんて考えることすらしていなかった。

 遊園地のアトラクションの際に髪が風に煽られて、普段隠れている彼の顔を見ているはずなのだが、まさか真剣な表情を見るまで気づかないとは私って案外鈍いのだろうか。


 まぁでも気づけたし、気づけたからこそ言葉を伝えられるのだ、彼へ告げられるのだ。

 

「楓さん。いつも、そしてずっと、助けてくれてありがとうございます。そんな貴方が私は好きです。大好きですよ」


 あぁ伝えてしまった。もう心臓が跳ねてしょうがない。どんな言葉が返ってくるのだろうと、頭の中を色々な期待が駆け抜ける。でもまぁ、今言っても目の前の彼は眠ってしまっているから伝わっていないんですけど。

 反応すら返ってこないんだけど、でも私は彼に言いたかったのだ。

 多分、言えずにいたら胸の内から溢れてくるこの感情が、想定していないタイミングで零れてしまいそうだったから言えてよかった。

 この、優しく不器用で、嘘をつけない正直者な、でもどこかひねくれてしまっている彼に、私の想いを向けられただけで、少し満足できた。

 でも、伝えたら余計に愛おしくなって彼の髪に触れていた手が自然と頭へと移動していた。


「んんっ……」


 眠りが浅くなっていたのだろう。彼は小さく唸り、そしてゆっくりと瞼を持ち上げ始めた。


「あ、お、おはようございます。落ち着きましたか?」

「あれ? 華凛? え? 授業は??」


 聞かれたかもと、一瞬ドキッとしたがこの感じなら多分大丈夫だろう。

 私は一度息を深く吸って心拍数を抑え、感情を落ち着けるために意識的にジト目をつくって、彼の瞳を凝視する。 


「何言ってるんですか? 今放課後ですよ?」

「え? え?」


 ほらと、ベッド脇においてる彼のスマホのホームが面を見せて事実なのだと証明する。


「保健室の先生も困ってましたよ。なかなか起きてくれないって、休みのたびに私も起こしに来ましたけど起きてくれませんでしたし」

「あ、いゃすまん。いや、色々とありがとう助かったよ」


 彼が私へと柔らかな表情を向けてくる。だだそれだけで心臓が早音を打つ。

 あ、やだかっこいい。いや、寝起きと疲労で熱っぽい感じがあるから可愛い。


「それと弥生さん霜月さん。あ、あと林さんも来てましたよ。彼女には追加で二、三回謝られました。後日ちゃんと楓さんにももう一度謝りに来るそうです」

「感情に正直な奴かと思ってたが、案外しっかりしてるんだな……」

「楓さんなかなか酷いことを言いますね」

「朝今以上のことをお前は言ってたけどな」


 彼の突っ込みに二人して笑い合う。あぁ、戻ってきたんだこの幸せな時間が。

 彼と話し合える日を一日千秋いちじつせんしゅうの思いですごしていたからこそ余計に思う。胸からほのかに熱が広がってゆく。

 あぁ、この時間が長くつづくなら何をしても言いとすら思ってしまう。


 いや、この時間が長く続くなら多分。私は夢の為に成長する事だってできるだろう。

 いままでずっと、真に理解出来るのは冷たい人間がいだく考え、感情だけだった。でも、何時の頃からか温かい人の気持ちが分るようになった。

そうなれた。だから、ずっと考えるだけはしていつもできないと、してはいけないと振り払ってきた選択肢が選べるようになったのだ。


 よし決めたと、その決意が変わらぬうちに私は楓さんに向き治り、真面目な表情を作って語りかける。


「楓さん、今あなたに話したいことがあります」

「ん? なんだ?」


 私の空気を察してか、楓さんも真面目な表情をつくってくれる。

 このやり取りもあぁ、好きだな、って違う。今からちゃんと話さないと。


「芸能活を休止すると事務所に正式に伝えようと思います」

「え、なんで??」


 まぁ、この反応は当然でしょう。彼と同じくらい観察眼がすごい叔母とかに話したら、多分やっぱりそういう選択肢をとったのねとか納得してきそうだけど、楓さんの反応としては思った通りだ。多分私が何よりも演者でいたいと知っているから。

 だから、私は彼に想いをつたえるように語りかける。 


「多分今のままの私がどんなに頑張ろうとしても夢には近づかない、そう分ったんです」


 私の自己否定に、今までのかれなら「そんなことない」と否定してきそうなものだが、今はただ黙って聞いてくれている。


「でも逆に、学生として色々なものに触れ始めた今、私は夢に近づける気がしたんです。だって私、あなたと一緒にすごして今、大分柔らかくなったでしょ」

「あぁ、始めて会った時と比べたら大分柔らかくなったよと思う。でも、それって俺の前だけだろ?」

「えぇ、だから今みたいに柔らかい表情や動きが人前で出来るようになりたいんです。なるために学生らしい過ごし方をしたいんです。それが出来るようになったとき、私が活動を再開して見ればみな見る目が変わるそう思いませんか?」


 私の考えを伝えてみれば楓さんはちょっと暗い表情になってしまっていた。


「それって、華凛の素を皆に見せるって事か?」

「ふふっ、どうしました? 不安そうな顔をして。あ、もしかして私を独占したいとかですか???」


 挑発気味に笑いかければ彼はなんとも言いにくそうに首を彷徨わせる。

 楓さんのこう素直な所って、見ていて胸が締め付けられてしまいます。とっても可愛いというかすごく虐めたくなるななんて、今これ以上考えてはいけないだろう思考を頭の外へと放り投げる。


「ふふっ。あくまで、周りに見せるのは柔らかくなった私で、素の私じゃ無いですよ。こんな表情を見せるのは楓さんにだけです」


 そう告げて、彼への想いをこめた精一杯の笑顔でそれが本当のことだと示す。


「なっ……あ……」


 茹蛸のように赤くなった彼の顔。可愛いくて、身悶えてしまいそうだけれどいゃ、まって思った以上に照れられている。

 というか、あぁもうこれ、ある種告白と同じじゃ無いか。


 彼へのからかいのはずだったのに私まで恥ずかしい。体全体が沸騰したように暑くなった気さえする。もぅ、彼の前にいたらダメだとちょっとどうしようも、なくなって気づけば私はこの状況から逃れるように保健室から逃げ出していた。



 〇〇〇


 華凛が去っていった保健室の扉を俺はずっと眺め

 彼女が去り際に呟いた言葉が、頭び中で木霊するようにくり返されていた。

 

 それに――――


「なんだよあの表情。反則だろ……」


 俺にしか見せないと言いながら、向けてきた優しげな微笑み。

 

 彼女が活動休止を選んだ理由は分った。つまりは普通の学生らしくいたいのだろう。

 なら、その彼女を手伝うのは友人として当然だ。そう多分華凛は友人としての俺を求めている。

 だからきっと、この胸にたまり続けた彼女への思いを伝えたら、彼女はきっと困るのだろう。

 だからしばらく秘めていないとなと自らの胸ぐらを鷲掴んで気持ちを抑え込む。

 彼女とのこの関係を続けるにはこの感情は重荷だなそれに……。


「もうこれじゃあ美甘と愁をからかえないじゃ無いか」


 ずっと、それぞれでかかえる事情のせいでずっとドギマギしていた二人。

 そんな彼等と俺が全く同じ状況になるなんて思わなかった。


 いや、彼等の法が両片思いなだけましか。

 俺の方は告白したところで受け入れられるのかわからないのだから。

 

「華凛の夢の後押しを早くしないとな」


 そう前向きに決断して、ベッドから立ち上がる。朝までは最悪な気分だったけど、今はどうしてかすごく清々しい気持ちでいっぱいだ。

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