第二六話 『彼女の演技』

 授業終了のチャイムがなると同時に、俺はトイレへ駆け込んで胃液を吐き出す。

 朝から四回もこれを繰り返しているのに、まだまだ胃液はでてきそうだった。

 食道を逆流したせいで酸から生じる、ヒリヒリとした痛み。猛烈に酸っぱい味がじんわりと主張し続け、その不快感が口と喉の奥とで留まり続けて、体調の悪さを加速させてゆく。

 

「あぁ、最悪だ……」


 口の端にのこった唾液を裾で拭いながら、思った言葉をそのまま零す。

 

 朝からずっと、この気持ちだけは変わらない。

 思い出を汚され、華凛ともだちを侮辱されている状況だったのに、弱腰な否定しかこぼせず、殆ど何も理解出来ていないだろう華凛自身に庇われて、謝ることしかできなかった。

 

 情けないな、俺。

 朝、彼女に送ったメッセージに、未だ既読すら着かないのも納得だ。

 多分嫌われたんだろう、呆れられてしまったのだろう。なんて、自己を貶めるだけのネガティブなことを考えてしまう。

 嫌われてた、呆れられてしまったなんて、庇ってくれた時点であり得ない話なのに……。

 そう、わかっていても、不安になってしまう。

 いつもは本当にすぐ返信がかえってくるから、ただ連絡が返ってこないと言うだけで良くない考えが浮んできて、何度も思考の渦にハマってしまう。


 スマホを家に忘れてきたとか、充電が切れたとかそういう可能性だってあるだろうに悪い歩行ばかりに思考が誘導される。

 それに、彼女自身もメッセージなんて送る余裕がないだろうから、少なくとも放課後までは連絡が返ってこなくても何ら不思議では無い。

 既読が付かないのも当然と、弱った心に言い聞かせ、しばらく気持の整理をして、俺はトイレから出る。


「ねぇ、ちょっといいかしら」


 トイレから出て早々、朝俺に突っかかってきた女子生徒が話しかけてきた。

 なんでまた、なんて考える必要も無い。可哀想な俺に手を差し伸べるためのポーズなのだろう。そうでなければ触れられる程の距離にいたのに、周囲の視線を集められるほどの大袈裟な声量で声をかけるなんてことはしない。 


「良くないです」


 そんな奴に話すことはないと、顔を背けて逃げようとするが、集まってきていた人によって壁が築かれ、逃げ出せそうに無い状況になっていた。

 

 あぁ、もう本当に最悪だ。

 

 囲まれているから三百六十度人の視界に晒されることになって、心臓がこれ以上無いほどに暴れ出している。これじゃあ、彼女に反抗することもましてやまともに話す事も出来そうにない。


「そんな事言わないで、神無月さんにパシリにされてるのよね? 朝は否定されたけど、神無月さんならこの近くににいないから本当のこと言っちゃっても大丈夫よ」


 多分、周囲に聞かせる形で彼女は言質を取ろうとしている。これは、下手に何かをいってはだめだ。だけど、どうしよう。

 話さないことにはどうも通させてくれない雰囲気がある。

 この状況のまま数分はきつい、普通に息苦しいし、痛いし、倒れそうだ……。 


「そんなに震えて……なにも私達に怯えなくて良いのよ。安心して、私に相談してくれたらもう神無月さんの好きにはさせないから。私はあなたの力になりたいの」


 彼女は恐怖で震えている俺の腕を掴み、潤んだ瞳を向けてきた。

 その直後、おおと周囲の生徒たちは盛り上がり「彼女もこういってるしさ」とか「こんなこといってくれる子なんだから安心してまかせなって」なんて声がかかる。

 タイミングも、見せ方も、浮かべている表情も嘘くさく、酷い演技だし言葉も薄ら寒い。なのにどうして、この野次馬達は騙されて、盛り上がれるんだ。

 どう見たって全部嘘だと分るだろう。

 そう叫びたかったが、声にならない嗚咽が漏れ出そうになるだけだった。


「まに、あっってるから、とっ、と……おしてくれ」


 そんな状態でもなんとかして、ここから逃げたい意思を伝えてみる。

 けれどそんな台詞新見は無く、だれも動いてはくれなかった。

 

「そう怯えなくても大丈夫よ、楽になって良いのよ。本当に力になりたいの」

「っ――――」


 そう言って俺に笑みを零してきた。

 その笑みを見た直後、触れられている手から伝うようにして、身体全身にゾワリと恐怖体験でもしたかのような感覚が走って行き、散々吐いたというのに、また吐きそうになる。

 やばい、やばい。こいつの表情はやばい。

 ちやほやされるため、自分の人気のため、楽しむために、他者を蹴落としたり玩具にしたりするような奴の微笑みに重なるほどにそっくりな表情を目の前女子生徒はしていた。


 あぁ、やばい。

 心臓が強く、早く脈うちだし、呼吸が思考が乱れる。この表情が出来る奴が俺は普通にこわいいし内によりも、トラウマが直接刺激されて、更に苦しさが増してゆく。


「なにかあったの、これ? こんな王勢でどうしたの」


 そんな苦しみをとめるかのように、美甘の声が俺を取り囲む集団の外から聞こえてきた。

 

「美甘さんですね、今は彼を説得しているんですみかんさんも一緒にせっとくしてくれませんか?」


 女子生徒はクラスメイトだから仲間だと思っているのか、美甘をこの話の中心部まで招いてきた。


「説得? ってなんで?」

「美甘さんもグループの写真見たでしょ? あんなことあってはならないから、彼を守ろうとしているだけよ」

「守ろう取って、アンタたちはたからみたらひ弱な奴を集団で取り囲んでる絵面になってるけど、そっちの方がいじめてるみたいよ」

「え、いゃ私そんなつもりは無いのよ。周りに人がいた方が神無月さんも手が出しにくいでしょそうやって守ってあげようと思って」


 美甘の正論に、周囲も女子生徒もたじろいで閉まった。

 まぁ、正義感のある人という体裁がほしいなら、集団で虐めているように見えたなんて一番言って欲しくない言葉だろう。


「守ってあげようってそれ、当人からしてほしいって言われてやってるの? そうじゃなかったらただのありがた迷惑じゃ無い?」

「いえ、彼もやってほしいはずですよ」


 ここで、女子生徒が始めて嘘をついた。つい言ってしまったと言った後でやばいと気づいた様子だ。そしてそのまま俺を睨み付けてきた。

 さっきまでおこなっていた献身的な人の素振りが壊れ、彼女の腹黒い部分が垣間見えた。


「そう? ま、どっちしろそろそろ授業も始まるし、ここで集まってないでみんな教室にもどったらどう?」

「そ、そうですね」


 先程の美甘の指摘にバツが悪いと感じたのか、女子生徒はそそくさとその場から離れて言ってしまった。女子生徒に続いて、俺を取り囲んでいた人等もくっつくようにして離れてゆき、廊下にはおれと美甘だけが残された。


「これなら、学校休んでもいいと思うけど……」


 すれ違いざま、俺にしか聞こえない程の声量。心配してくれているのはよく伝わってくる。

 

「いや、まだ大丈夫……」


 昼休みが終わり、再開された授業はやっぱり全く頭に入ってこない。

 こんなのはあの日、華凜に勘違いで呼び出されたとき以来だ。いや、その日ですら不安はあったけれど、苦しくは無かった。そう、思い出しながら、華凛とやりとりができる時をまった。

 

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