第八話 『適切な距離』

 今まで一人だった演技練習の時間に、神無月が割り込むように参加してから一ヶ月。

 最初の数日は人の気配に、一セリフすら口にすることが出来ず。一週間を過ぎる頃でも喋れるのはどもり気味で一、二セリフ。緊張や、吐き気にまみれた日々で、一人で練習していた時の数倍の疲労と苦痛に耐えながらの練習に、


「ここ以外の場所を探そうかしら」


 なんて、神無月は心配そうな顔を浮かべ、気遣ってくるほどだった。けど、二週間を過ぎた辺りで彼女がいることに慣れたのか、つっかえ、えずきつつ、そして下手くそだけれど、一応ワンシーン分のセリフを喋れるようになった。

 俺の苦労を見ていたからか、その時の神無月は何処か嬉しげで、自分の練習を途中でやめ、俺の元まで近付いてきて、


「主人公の台詞だけ読みなさい」


 と、頬に僅かばかりの赤みを浮かべ、主人公以外の役全てを俺の読みにあわせ、演じてくれた。

 それから、ちょこちょこ

「気まぐれよ」

と主張して、共に演技を行うようになり、いつしかあの空間に神無月がいることが当然とさえ感じるようになっていた。

 だからだろうか、彼女が用事でいない日や、雨の日にはもの寂しさを覚えるようになってしまった。


「はーぁ。このあと雨、降るかもな……」


 いつもの中庭で、お弁当をつつきながら、雲行きの怪しい天気を見つめため息を吐く。

 ここ四日間、彼女は告白の呼び出しのせいで遅くなるか、展望台に現れない日々が続いていた。

 その、寂しさというか物足りなさで、今日はなんだか学生としてやる気が出ず、モヤモヤとした行き場の無い不満が胸に溜まってゆく。


「まぁ、一応予報だと大丈夫みたいよ?」


 一緒に昼食をとっていた美甘が、そう言いながら、俺の眼前にスマホの画面をかざしてきた。

 曇りのアイコンがずらりと並んでいるだけで雨のマークは確かに無い。


「はーぁ、よかった」


 と、感情がそのままくちから零れ出る。


「なに? この後何かあるの?」

「展望台での演技練習がまともに出来てなかったからな、今日こそはって思ってただけだよ」

「楓にしては珍しいな。演技出来てないってなにかトラブルでもあったのか?」

「いや、そう言うわけじゃない。いろんなタイミングが会わなくてな」


 神無月のことは言えないので誤魔化すしかない。俺の言葉に二人は何か考えるような素振りをし、何処か心配そうに

「そっか」

とだけ返してきた。いつもなら、なにか誤魔化すとつついてくるこいつらが何も言わないってことは、俺が言うまでは聞かないつもりなのだろう。


「それじゃ、先に教室戻ってるわ」


 二人の気遣いがなんだか気恥ずかしく、既にたべおえていたからいつもより早く教室へと戻る。

 このまま何事も無く、神無月と練習出来れば久々に良い日になるかもしれないな。なんて事を考ながら教室までの廊下を歩く。


「いやーほんとお前チャレンジャーだわ~。あの状況で神無月呼び出すなんて」

「だろぉ。ほらほら、最近チキンレース的な感じで盛り上がってんじゃん」


 教室前で、すれ違った外見的にも行動的にも騒がしい男子生徒の集団のそんな下世話な声が聞こえてきた。

 神無月のことを玩具と思っている素振りに、先程まで胸に溜まっていた感情がそのままの質量を持って怒りの感情に置き換えられてゆく。


「人のことなんだと思ってんだよ」


 あまりにも酷い彼等の言い分に、悪癖を止める気すら起きず、文句が零れ落ちる。

 幸い、俺が吐き捨てた時の声よりも彼等の馬鹿騒ぎのほうが大きく、耳には入っていないようで何も起き無かった。


「葉月さん……?」


 いや、そんなことは無かった。彼等の方に意識が向いていたせいで神無月がいたことに気づかなかった。

 彼等と神無月に注目していただろう人の視線が彼女から声をかけられた俺に注がれる。

 体中に駆ける、ピリピリとした痛みと酷く暴れる心臓の鼓動。


「ぁ――」


 声をかけてしまったことが完全に予定外だったのか、神無月の演技が崩れおり

「しまった」

とか

「やばいわ」

とか今にも言いそうな表情になっている。が、それは一瞬のことで、すぐに訝しげで怒っているような表情へと変化させていた。


「たしか、貴方同じクラスの葉月さんだったわよね?」

「そうですけど」

「屋上ってどうやっていくか分かるかしら? 呼び出しがあったのだけれど全く場所が分らないのよ」


 ギロリと睨みつけるが、その覇気は全くない。瞳の奥で感じさせる俺への申し訳なさから、出しきれずにいるのだろう。


「それなら、音楽室側の階段からいけるはずですけど」

「そう、それじゃ」


 そういって、彼女はもう俺には興味もないといった演技で、足早に屋上の方へとむかっていった。

 その歩みはどこか独特で、上履きだというのに、確かな足音を鳴らし、周囲の視線が神無月へと向かう。


「うわ、何あれ聞いておいて感謝も無し」

「まぁ悪役女優ならそうよね。というか、根暗な奴選ぶってひどいよね」


 俺への視線を反らした代償で、彼女への不満が湧き上がる。

 あぁ、だめだ。周囲の反応に嫌な感情が浮んでくる。

 湧き上がる怒りが、侮蔑が口から溢れそうになる。

 あれは、彼女のやさしさなのだと、どうにかして伝えられない、だろうか。

 なんて、そんな考えが浮んでは、無理だと胸の奥で感情や考えだけが溜まってゆく。

 俺を見る視線はもう無いはずだけれど、その溜まった感情で胸に酷い痛みが走る。

 これ、保健室行かないとだめかも……。

 

 ○○○

 


「本当に申し……ごめんなさい。あなたに迷惑かけてばかりね。友人でもなんでもない。クラスメイトなはずなのにね映画館の時も、今日も本当にごめんなさい」


 エリザの演技をやめて、彼女は神無月華凛としてもう一度謝罪をする。その声はとても真摯で、エリザを彷彿とさせる傲慢な様子は無いどころか、謝罪のひとことひとことが突き刺さり、罪悪感というなの痛みを感じさせてくる。普段の演技力のせいで、罪悪感で押しつぶし、許すように演技で誘導しているのでは? なんて思考が何度も過るが、この表情は純粋な彼女の思いなのだろう。


「いいよ、気にしてないから大丈夫」

「ほんとう?」

「そんな嘘ついてどうするんだよ」


 彼女の不安を拭おうと馬鹿な奴だななんて、思いを込めて笑顔を浮かべ、応えた。

 俺の回答が悪かったのか、作った笑みが悪かったのか、神無月の表情は良くない。


「……葉月さん、私は邪魔……ですか?」


 蚊の刺すような小さな声。無意識に気持を吐露してしまったのかと、錯覚しそうになるが、僅かに潤んだ両の瞳が、応えてと俺を見据え、勘違いはできそうにない。

 多分。じゃまだなんて思ったことは無いと、嘘を言ったとしても彼女は気づくだろう。


「邪魔だって思っていた時期はあったよ。まぁ、最初の数日だけで、それ以降は逆に助かっているくらいだ。同年代で一番と言っていい女優の練習を間近で見るなんて、そうそう無いからな」


 だから俺は素直に正直に、そして一切の勘違いをさせないように説明をする。


「そう……ありがとう」


 彼女の表情はすっきりしていない。

 どうしても、消化できない感情が心の中に溢れている。そんな表情で、彼女にそうさせてしまっていることがただ、虚しい。

 どうすれば、それを解消できるのか何も思い浮かばないから余計にだ。


「さ、私事で時間を使ってしまいましたが、練習をしましょう」


 まだ、煮え切らない表情を浮かべたまま、彼女は台本代わりの小説を手に取り俺へと差し出す。開かれているのは、俺がメインで演じることが多いシーン。


「今日はここのシーンをやります」


 拒否権はないと、そう言ってからすぐに彼女は台詞を読み上げた。

 これは、この話はこれ以上しない。ということなのだろう。

 どことなく、無理している様子がうかがえるが、それを感じ内容に隠している。

 でも、そんな隠そうとする素振りで余計に心配になってしまう。

 

 ――私は邪魔ですか?

 

 そう訪ねた時の彼女は俺に向って、どこか手を伸ばそうとしているようなそんな幻覚を想記させてくるから。孤独な彼女。俺と距離を詰めようとして、それでも俺の体調があるからどうにも出来ない。なんて、そんな感情が漏れ出ていた。

 彼女が喋る度に、そんな思考がちら付いて集中出来ず、俺の素振りから分ってしまったのか、彼女の表情は俺以外でもきっと分る程にだんだん暗くなっていた。

 彼女との演技練習を終えてからも、ずっと頭の中にあの時のことが浮かび上がって、離れない。

 どうにもならないと、俺は家のベッドに寝転びトークアプリに一件メッセージを送る。


『相談したいことっていうか、聞きたいことがあるんだけど、いいか?』


 送信するとすぐに二件の返信が返ってきた。


『いいぜ、それって今日のなにか言いにくそうにしてた奴だな?』

『私もかまわないわよ。あ、わたし最近自販機に入った新作の炭酸飲料気になっているのよね』


 何を言いたいのか、分ってくれているようだ。昼、ああやって飲み込んだのは多分。いつか相談するだろうと思ってくれたからなのだろう。二人の気楽なメッセージに笑みを零し、相談のメッセージを送る。


『距離の詰め方を迷ってる奴と距離を縮めるのはどうしたら良いかな』

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