第九話 『内心、内情』
葉月さんとの練習を終え、私はいつものように夕食の準備をしていた。
けれど、全然集中できず、いつもなら調理を終えて食卓に運んでいるような時間なのに、作り終えるまではまだかかってしまいそうだ。
何故、こんなことになっているのかは分っている。
――私は邪魔……ですか?
彼にそう言ってしまったからだ。
すごく嫌な、そして面倒くさい質問だ。
あんなの普通であれば邪魔だと言わせないようにするための誘導。自己満足感を得るための台詞だ。だけど葉月さんは否定しながらもちゃんと肯定してくれた。
彼がこういうとき本音しかこぼさないことは悪癖の事を聞いていて知っているし、それが事実なのだと分っている。だからそれが無性に嬉しくて、その感情が表に出ないように必死に取り繕っていたら、彼と接するときの感じが変なものになってしまっていた。
いま、思い出すだけでも胸の奥がざわざわと変な感じ、というか照れてしまう。
「私ってちょろいのかな……いや! そんなことな――痛っ」
上の空だったせいで指を切ってしまった。急いで流水で洗い、救急箱から絆創膏を取り出して指に巻く。見た感じ切り先で軽く撫でただけだったようなので痛みも少ないし、細かい傷だったからすぐにきえるだろう。
取り乱してしまったことを反省して、私は調理に戻る。
「華凛ちゃんおかえり〜」
完成間近、あと一品といったところで叔母さんが帰ってきてしまった。
あぁ、疲れているだろうから叔母が帰ってくる前に準備を終えようと思っていたのに、今日は本当にダメだ。
「あら、華凛ちゃん何かあった?」
いつもニコニコしている叔母が、私を見て心配そうに見つめてくる。
叔母も、葉月さんと同じでよく人を見て状態を理解できるタイプだ。だから何を感じとったのかと、身構えてしまう。
「いえ、なにも」
「あら、そうなのねふーん」
だから至って冷静に、かつ適当に返したが、叔母の声色は明らかに何かしらの意味を含んでいた。すこしだけ、いやかなり嫌な予感がする。なんて考えていれば彼女は頬に手を添えて、思案顔でこちらを観察してきた。
この動きって、叔母が演じていた連ドラの女性刑事の癖じゃなかったっけ? 確か何か手がかりを見つけたときとか、尋問をする時にしていたような……。
「そうね。華凛ちゃんは一ヶ月前くらいから帰りが遅くなっていたわね……そしてそれくらいから、ちょっと楽しそうにしていたわ」
何を推測しているのだろう。
一ヶ月前の私って、まぁ葉月さんと練習し始めた時のこと?
「そしてここ数日は機嫌が悪そうにしていて、今日は物凄く取り乱してるわね。絆創膏がその証拠かしら、その結論から導くとー……」
ドラマの見せ場のように台詞にタメを作り、私と瞳を会わせてきた。
あぁ嫌だ、その瞳が物凄く機嫌良さそうに笑っているから、予感が当たったのがわかる。これはちょっと面倒なやつだ。
「華凛ちゃん新しい友達が出来たのね! どんなお友達が出来たの?」
少女のように楽しげで純粋な瞳をうかべながら私の肩を掴んできた。
やっぱり叔母さんだ。察しが良いところもあるが、変な方向に度々思考が飛んでいくことがある。今回のがそれだろう。
「はぁ、友達ではありませんよ」
「えー。前まで帰ってきたとき鼻歌を歌う位に気分良さそうにしていたのに違うの?」
「違います」
えっ、私そんなことしてました? うん、もしかしたらしていたかもしれません。記憶にはないですが。
「じゃあ、彼氏かしら?」
さらに、叔母がぶっ飛んできた。私は毅然と「違います」そう返そうとして、
「けほっ、こほっ、こほっ」
むせた。胸元をさすって、止めようとするが強く叩いても振動を遮る大きな弾力があるせいで、なかなか振動が届かない。
「大丈夫、華凜ちゃん! これ飲んで落ち着きなさい」
叔母が背中をさすり、持ってきてくれた水をゆっくり飲ませてくれ、どうにか落ち着いた。
「まったく、何てことを言うんですか……まったく」
「あら、あら慌てちゃって、でもそんな反応をするってことはやっぱり友達は男の子だったのね。ただ友達ができただけで隠したり誤魔化したりするなんておかしいものね」
私が復帰したからと、叔母はひょうひょうとした感じで話を再開した。
彼については何一つ話すまいと思っていたが、だめだ。彼女と会話する度にぽろぽろと、言いたくないことがこぼれてゆく。葉月さんの悪癖ってこういう感じなのだろうか。
ダメだ、叔母に言われたから彼の事が頭をよぎってしまった。
「もう、友達ではないです演技の練習をしているだけの関係です。からかうなら叔母さんの夕食片付けますよ」
「あら、それは困るわ。片付けられる前にこれ、もらっていくわね」
楽しそうにクスクスと笑い、一品欠けた状態の夕食が乗った二人分のおぼんを、食卓へと持って行ってしまった。
「ほんと、しょうがない人ですね……」
私は笑い混じりのため息を吐きついつい考えてしまう。
彼女はいくつになっても自由だ。だから、四十代後半の今でも人気女優の一人として役を取り続け役者としてのキャリアを盤石な者としている。ついこの間も恋愛ものの映画のヒロイン役をしていた。
そんな彼女が羨ましい。
役者として私が到達したい場所の一つに立っている一人。演技力や培ってきた者意外に私には持っていない物を持っている。悪い噂を一切聞かず、あらゆる人、世代から好かれている女優。
今の私と正反対の存在。そんな存在と一緒に暮らしているから今の自分がどれだけ劣っているのか分ってしまう。親戚なのに、どうして私と彼女でこんなにも違うのだろう。やっぱり容姿なのかな。
この悪い目つきのせいだろうか。
と、自らの鋭く尖った狐のような目元に触れ、タレ目にしようと下へ引っ張る。あぁ、だめだこの癖直さないと。
どうせやったところでこの顔は、目は変えられないのだ。
ああ、ダメだな私。ちょっとだけ、下がった気分を誤魔化すように、叔母が持っていかなかった一品を手にとって食卓へと向う。
「華凛ちゃん、冷めちゃうから早く食べちゃいましょ」
叔母の催促に少し足を早めて持ってきた品を置いて席に座る。
すぐに叔母は手を合わせて、夕食を摘まみ始めた。
私も彼女に遅れ、手を合わせて夕食を食べ始める。
何時もの食卓であれば叔母との雑談が早々に始まるのだがなぜだか叔母は全く喋らない。
もしかして、さっき私が怒ったことを気にしているのだろうか。
それとも、さっきの会話の後で私がトラウマに触れてしまったのだと勘違いをしているのだろうか。
叔母は私のトラウマの話しになるとしきりに気を遣う。いや、というよりどう扱って良いのか分らないのだと思う。彼女は罵倒や罵声を浴びせられるような経験が僅かしか無いようなそんな女優だから。
一度それで喧嘩してしまったこともある。叔母さんには分らないでしょと、言ってしまったことがある。
それ以来、叔母は気を遣ってくれはするけれど、踏み込んだようなことを言わない。なにも言ってこないそう思ったのだけど、
「ねぇ、華凛ちゃん。本当に友達、出来てないの?」
違った、ただ切り出すタイミングをはかっていただけのようだ。またからかってくるのかと思ったけれど先程までとは異なって、真剣な面持ちで私を見つめている。
「叔母さんだったら分るでしょう?」
叔母の眼差しに、私も真剣に返す。
下手に名前が売れている私達みたいな人達はまともに友達なんか作れないと含みを持たせる。
転校してから一見友好的に話しかけてくる人は葉月さんを除けば皆、お金か芸能人へのコネかを求めてきている。私を見るような人は殆どいない。いたとしてもそれは悪い意味で私を一人の悪役としてしか見ない人達ばかりだ。
「はぁ……華凛ちゃんってやっぱり抜けているわよね。見た目と中身が伴ってないって言われない?」
「言われませんね。そもそもそんなこと言ってくれる相手なんて、誰一人いません」
まぁ、あの観察眼に優れてる彼ならもしかしたら言ってきそうだけれども。
「華凛ちゃん、それ堂々と言うことじゃないわよ全く。だいたい演技練習をしている彼なら言ってくれそう。とかそんな顔をしておいて何をいまさら言っているのよ」
「叔母さんな、何を言ってるのですか、そんな表情で理解出来るはず無いじゃないですか、葉月さんじゃないんですから」
こんな表情で当てられるなんて、えもしかして私本当に葉月さんにそう思われてたりしないよね?
「一緒に住んでる姪のことを理解出来ない程度の観察眼じゃ、私は女優として生き残れてないわよ」
テンション高めにウインクをしてくる叔母さん。もう、この人は……。
「ねぇ、華凛私は姉さん達から貴方を預かっている身ではある。娘では無いから教育とかに関してはとやかく言うつもりは一切無い。けれど、先輩女優として一つだけ言わせてもらって良いかしら?」
「え、はい」
「ちゃんと復帰したいなら、一人に慣れないようにしなさい。貴方を見てくれる人を信用してみなさい」
叔母の言葉は強い口調で、それは真に言っているということが伝わってきてしまう。
「それじゃあ、私は部屋に戻るわね。その葉月さんって人大切にしなさいよ!」
えっどうして彼の名前を――あっ、私言ってる!
「っ……おば……さ」
からかってきた叔母に怒りをのせ、叫ぼうとしたが既に彼女の姿はなく、彼女の夕食もきれいに片付けられていた。
「もぅ、あの人は!」
でも、葉月さんを大切に、か……。
私も出来ればそうしたい、んだけどな……。
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