コインロッカー

 平日の東京駅は、地元の最寄りの駅とは比較にならないほど人が多い。


 大学を無事に卒業した私は、春からの新社会人生活に突入する前に二泊三日のおひとり様東京観光を行うことにした。1日目の今日は、神保町の書店巡りだ。昔から本屋さんに行くことが好きだった私は休みの日ともなれば、地元の書店によく赴いていた。


 宿泊先であるホテルのチェックインは午後5時なので、荷物を駅構内のコインロッカーに預けていくつもりだ。スマートフォンのアプリで神保町へ行くための電車の乗換案内を確認し、コインロッカーがある場所へと向かった。


(地元の花火大会と同じぐらいの人混みじゃないかな、東京駅って……)


「……あった、あった」


エスカレーターで地下1階に降りると、私が東京に遊びに来たときに何度か利用してきた馴染みのあるコインロッカーが目に入った。私が持ってきた小さめのスーツケースが収納できるロッカーの空きを探していると、一番奥のほうに空いているところがあった。


(よかった〜)


ガチャ、キィ…。


片手でコインロッカーの扉を抑えながら、もう片方の手でスーツケースを持ち上げて中に入れようとすると、


ニュルッ、ガシッ。


「ひっ⁉︎」


湿っぽい“何か”が腕を掴んできた。恐る恐る掴まれている自分の腕へと視線を移すと、ロッカーの中から青白い腕が私の手首を掴んでいた。


「……っ⁉︎」


恐怖のあまり声が出ない。


(なかに誰かいるの?)


大都市東京ともなれば、様々な趣味趣向の人間がいるはずだけど、まさかコインロッカーに忍び込む変態がいるわけがない。


(だ、誰か呼ばないと……)


助けを呼ぼうと私は辺りを見回した。


「え……?」


あれほど大勢の人達でごった返していたはずなのに、駅構内には誰もいなかった。不気味なほどの静寂だ。


(嘘…)


グイッ。


「ひっ⁉︎」


手首を掴む“何か”が、私をロッカーの中へと引き摺り込もうとする。


(力が強い…)


全力で不気味な腕を振り解こうとするが、向こうの力のほうが圧倒的に強い。


(ヤバい……。誰か…)


ヒュッ。


突然、どこからか1枚の白い紙が飛んできた。それは、七夕でよく見かける短冊と大きさが似ていた。見ると、達筆な黒い文字で何か書かれている。その紙がロッカーの中から伸びる腕に張り付くと、


ボワッ。


青白く湿った細い腕が、鮮やかな緑色の炎に包まれた。


『ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ‼︎』


腕の主の声だろうか。ロッカーの中から断末魔が聞こえてくる。不思議なことに掴まれている私の腕まで燃え広がることはなかった。そして、


(……熱くない?)


燃え盛る腕に掴まれているというのに、全く熱を感じない。けれど、腕は炎に包まれながらも私の右手首を決して離そうとしない。


(なんなの、これ⁉︎)


ロッカーの中へと引き摺り込もうとする力はなくなったものの、手首を掴む力は顕在であった。


(どうすれば…)


「ちょっと失礼」


突然1人の男が、私の横から現れた。スーツ姿の彼は躊躇うことなく、緑色に燃え盛るロッカーの中に自分の腕を突っ込んだ。


「えっ⁉︎」


ロッカーの奥で何かを掴むと勢いよく“それ”を引きずり出し、その反動を利用して反対側にあるコインロッカーへと叩きつけた。


ドサッ。


“それ”が、うつ伏せの状態で床に落ちた。


(嘘でしょ……)


目の前には、右腕が焼け焦げ、青白く痩せ細った人間の上半身が落ちていた。腰のあたりには剥き出しの脊椎があるだけで、そこから下に肉体はなかった。


『ハァ、ハァ、ハァ……』


激しい息遣いと湿った背中の皮膚の浮き沈みから、“それ”がかろうじて生きていることが見て取れる。


「危ないので下がっていてください」


見ると、黒スーツの彼の手にはカリブ海の海賊が持っていそうな銃が握られている。


ダンッ。


地面に倒れている“それ”の頭を足で強く踏みつけ、胴体に銃口を向けると彼は静かに引き金を引いた。


バンッ。


彼が離れると青い炎が“それ”を包み込み、やがて塵となって跡形もなく消え去った。


「もう大丈夫ですよ。そちらのロッカーも安全に使用できます」


慣れた作業だったのだろうか。ひと仕事を終えた彼が微笑みながら声をかけてきた。助けてくれたお礼を最初に言うべきなのだろうが、抱いていた疑問がどうしても口から溢れてしまう。


「あ…、あれは?」


「ああ、“あれ”ですか?“あれ”は、もともと人間だったものですよ」


「人間……」


(あんな物が…もとは人間?)


「“あれ”は己の欲求のために、電車内で幾度となく痴漢を行なってきた下等で卑劣極まり無い人間でした」


“あれ”がいたロッカーの中を眺めながら、彼は話を続ける。


「しかし、悪事はいつか露見するもの。“あれ”も例外ではありませんでした。最後に“あれ”が痴漢を行った電車の車内には、私が作った対痴漢用の薬を購入された女性が偶然にも乗り合わせておりました」


「薬…?」


ロッカーを閉め、彼は私のほうに向き直る。


「一応、薬売りが生業でございまして。……女性に悪事を働かせた“あれ”は薬の効果によって車内すべての乗客たちに己の醜態を晒すこととなりました。駅に着くなり地下鉄の線路内に降りて逃亡したようですが、“あれ”が駅員や警察に見つかることはありませんでした」


「え…?」


「詳しいことは分かりませんが、迷宮にも等しい地下を彷徨い続けた“あれ”が行き着いた先で“何か”と出会い、人ならざる物へと変貌したのは確かです」


それを聞いて、ロッカーから引き摺り下ろされた直後の“あれ”の姿と掴まれた感触が、私の脳裏に蘇ってくる。


(できれば、もう思い出したくもない……)


「“あれ”は利用者様ではありませんでしたが、他の方々へのアフター・ケアの一環で駆除対象として探しておりました。まさか、駅構内のコインロッカーに巣食っていたとは予想外でした。ご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」


「いえ……」


「お詫びと言ってはなんですが、よろしければこちらを受け取ってください」


そう言って彼は栄養ドリンクに似た見た目の瓶を鞄から1本取り出した。


「こちらは『嫌悪滅却EX』という飲み薬になります。このお薬を服用していただければ、ここでの出来事を忘れることができます。見たところ、こちらには観光で来られたようですので、せっかくのお出掛けがおぞましい記憶で台無しにならないためにもお渡ししておきますね。では」


薬を私に手渡すと、彼は人混みのなかへと去って行った。


* * *


* * 



 昼間に神保町の書店巡りを終えた私は、予約していた近場のビジネスホテルにチェックインした。普段は料理本や歴史に関する書籍を好んで買うのだけど、今回は不思議とホラー小説を読みたい気分だった。


(なんでだろう?…別に嫌いではないけど)


ホテルの部屋でレシート類を整理しようと、鞄の中を探っていると、


「あれ?」


見慣れない物が鞄の奥底に入っていることに気付いた。


「いつのだろう?栄養ドリンクなんて、最近飲んだ記憶ないんだけどなぁ……」

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