造形作家

 午前9時過ぎに、顔見知りの近所の子供たちが自宅のインターンホンを鳴らす。朝食を終えてホットコーヒーを飲みながら、その日の作業の流れを考えていた僕は足早に玄関へと向かった。


近松ちかまつさん。この前ね、みんなで集めた山の木の実でジャムを作ったから持ってきたよ」


「へぇ〜。美味しそうだね。いつもありがとう」


玄関先で5分ほど世間話を楽しんだ子供たちは、住処がある森の奥へと帰って行った。


(朝から元気だな〜)


祖父母から相続した山にが現れたのは、5年ほど前の梅雨の時期であった。


 当時、祖父母から譲り受けたこの山に移住してきたばかりの僕は、2人が山に訪れた際に滞在していた山小屋を自宅兼工房として少しずつ改築していた。紆余曲折あったものの、小動物を専門とする造形作家を生業とする僕にとって、思い出深い自然豊かな環境を自分に遺してくれたことは人生の大きな転機といえよう。


 しかし、人生の転機には出会いがつきもの。最低限の居住スペースと工房が出来上がってきた頃に、はやって来た。


トン、トン。


その頃は呼び鈴を付けていなかったが、滅多に人が訪れて来ない自宅への来客に驚いたのは今でも覚えている。作業を止めて、玄関の扉を開けると、


「こんにちは。近松様でいらっしゃいますか?」


「え…、そう…ですけど…」


どんな用事で来たのか疑問が生まれたと同時に、目の前の人物に違和感を感じた。


(スーツ?)


自分が住んでいる場所は舗装された道路があるものの、車での移動が必須な山の中伏に位置する。それなのに、尋ねてきた男の周囲には乗ってきたであろう車やバイクらしき物はなく、都市部で見かけるような上下黒のスーツに革靴という出立ちであった。僕が状況を飲み込めずに立っていると、


「事前のアポを取らず、申し訳ありません。私は薬売りを生業とさせていただいております、黒衣漆黒と申します。こちらは私の友人で化け狸一族のおさでございます」


「化け…狸?」


彼の隣を見ると、そこには2足立ちをする狸がいた。その者からは命ある生命特有の気配がしっかりと感じ取られたので、剥製のような造りものではないということを感覚的に理解できた。


「お初にお目にかかる、山の主、近松殿。ワシは、化け狸一族のおさをやっている者だ」


(山の主って…。というか、渋い声だな)


可愛らしい見た目から発せられる男前な声にも驚いたが、そもそも妖怪が実在していること自体に驚愕していた。


「近松様」


「は、はい」


薬売りと名乗った彼が、フリーズしていた僕に穏やかな笑顔で声をかける。


「突然のことで大変申し訳ないのですが、本日はこちらのおささんをはじめとした化け狸一族のご入居のご相談のため参りました」


「にゅ、入居?」


(うちは賃貸不動産業はやってないぞ……)


 とりあえず玄関先での立ち話もなんだったので、玄関入ってすぐの工房スペースの隣に作った簡易的な応接室で話の続きをすることにした。2人の訪問客は僕と向かい合うようなかたちでソファに座り、“入居希望”に至る経緯を説明してくれた。


 薬売りの黒衣さん曰く、古来より日本にはいくつもの化け狸一族が全国各地に点在していたらしい。しかし幕末から明治にかけての国内の西洋化を発端とした近代化により、人間の活動範囲が急激に拡大し、自然界を主な住処とする妖怪たちは次第に生活圏を奪われ、追いやられていった。今黒衣さんの隣にいるおさの一族もそのひとつで、日本が高度経済成長期で沸いた頃から定住可能な安寧の地を求めて各地の野山を転々としていたそうだ。つい最近までは北陸のとある農村近くの山で暮らしていたが、人間たちが大量のソーラーパネルを無理矢理森林を伐採して配置し始めたことで、再び住処を捨てざる得なくなった。彼ら化け狸一行が途方に暮れていたときに、黒衣さんと知り合ったそうだ。


『知り合いの山で所有者の代替わりが行われたものの、管理に困っているところがあるので行ってみませんか?』


話を聞いて驚いたが、僕の祖父母と黒衣さんは旧知の仲だったらしい。その縁で、彼らに僕が相続した山での生活を提案したのだ。人間が所有する土地に正体を明かして居住することに化け狸たちは大きな不安を抱いたが、住んでいる人間が僕だけであることと日頃の山の管理や暮らしから感じられる祖父母と僕の豊かな自然を愛する姿勢を黒衣さんから聞かされた彼らは移住を決意した。まずは土地の所有者である私に挨拶をしようということで、一族を代表しておさが黒衣さんの仲介のもと、私に会いに来たというのが今回のあらましであった。


(え、黒衣さんって普段の僕の様子を見てたのか

?…気付かなかった)


色々と疑問に思うところはあったが、黒衣さんたちの熱心なプレゼンを聞いていくうちにそれらを尋ねることがどうでもよくなった。


「まあ…、山を荒らしたり、ここの所有権が僕にあることを侵害せずにお互い平和に暮らしていくことを守っていくのであれば、移住して来てもいいですよ」


「まことかっ⁉︎」


居住の許可を得られたことに大いに歓喜したおさは僕に何度も頭を下げて、お礼を言ってきた。おさに確認してみると、移住して来る化け狸たちは9世帯ほどらしい。定住できる場所を求めて移動していくうちに各地に散らばってしまい、今の数まで減ってしまったそうだ。


「また皆でともに暮らせる日を迎えることが夢なのだ…」


遠い過去を思い出すかのように目を細めながら、おさは今後の予定について話す。


(この山も賑やかになりそうだ…)


 化け狸たちの山への入居日や居住エリアなどについて話し合い、ある程度決まったところで黒衣さんとおさは自分たちの帰りを待つ一族たちのもとへと一旦戻ることにした。帰る前に黒衣さんが僕に渡したいものがあると言って、黒いレザー製の鞄の中をさぐり始めた。


「よろしければ、こちらを受け取ってください。私の友人たちを受け入れてくださったお礼です」


彼がテーブルの上に置いたのは、よく薬局でお薬が入っている紙袋と似た大きさの茶封筒であった。


「……それは?」


「こちらは、『禁足の鼻腔』という花粉症対策の飲み薬になります」


(何それ…、絶対市販の物じゃないよな……)


黒スーツの彼が一瞬胡散臭く思えたが、化け狸とセットでいる目の前の光景が妙な説得力を持ち、不思議とそういうもんだと腑に落ちた。


「まず、こちらのお薬を朝起きて朝食を食べる前にお水と一緒に1錠ほど服用してください。そうしますと、どれほど花粉に敏感な方でもその日から1年間は花粉症で苦しめられずに快適な日常を過ごすことができます」


にわかには信じ難い内容であった。けれども、


(なんて薬だ…)


症状は軽いが、僕は毎年医師から鼻炎用の薬を処方してもらっている。自然が好きで山暮らしを始めたというのに、花粉症は無慈悲に私の鼻や目から襲ってくる。僕はスギ花粉に強い恨みを抱いている。それ故に、卓上に置かれている薬はとても魅力的であった。彼らを見送った翌日に、僕がその薬を服用したのは言うまでもない。


 後日、黒衣さんとおさが引率するなか、大勢の化け狸たちが山にやってきた。土地の所有者である僕について黒衣さんやおさから事前に説明を受けていたおかげなのか、彼らはとても友好的であった。僕は全員と簡単な挨拶をし、彼らの住処として用意した場所へと一緒に向かった。

 

 新たな生活拠点を得られた彼らには、事前におさとの話し合いで取り決めた通り、家賃の代わりにいくつかの役割を担ってもらうことにした。


 まず1つ目は、山全体の管理である。当然のことながら、僕1人では山の自然を綺麗に保っておくことはとても難しい。そこで、新たな山の住人として移り住んで来た大勢の化け狸たちにお願いしてみることにした。作業の過程で、整地した場所を彼らの拠点として使うことを許可した。


 2つ目は、山に生息している他の動物たちと意思疎通が可能だったら、同じく山で生活している人間の僕を襲わないで欲しいと周知してもらうことだ。種を越えたご近所付き合いだと、トラブルは頻発するとは理解している。けれども、『ある日、森の中でクマさんに出会った』からの出血多量死は避けたい。


 3つ目は、私有地である山に侵入して勝手にキャンプやバーベキューなどを行う輩を追い出してもらうこと。昨今のアウトドアブームにより各地のレジャー施設での人混みを避けるかのように、キャンプ場として開放されていない野山に行き者たちが増えている。その中には、僕が受け継いだ山も含まれていた。ルールを守らない彼らがゴミや焚き火の後始末を怠ることも多く、その痕跡を見つけるたびに、僕は怒りを越えて強い殺意に似た感情を抱いた。化け狸たちには、命を奪わない程度にそういった者たちを脅して山から追い出すことを依頼し、彼らが使っていたキャンプ道具や金銭類を好きにしていいということにした。


 最後に4つ目は、時折でいいから僕の作品のモデルになってもらうこと。レッサーパンダを2回りほど大きくしたような背丈の彼らは実に可愛らしい。作品に反映したいと思うのは、造形作家として当然のことだろう。おかげで、とある玩具メーカーのもとで発表した2足立ちの狸を題材にしたカプセルトイは反響を呼び、今ではシリーズ化されている。他にも、化け狸たちが山で知り合って仲良くなった動物たちをモデルにすることもある。野うさぎ、リス、鹿など。


(人生、何があるか本当に分からないもんだなぁ。それにしても……)


手元のスケッチブックから目の前の動物に視線を移す。


(まさか熊を連れてくるとは……)

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