語りの神様と天国の天使たち

【報われなかった子供たちに、せめてもの安らぎを】



 気が付いたときには、幸子はもうここにいました。


 むくりと起きて見てみれば、辺り一面真っ白です。

 寝ていた地面はふかふかしていて、まるでお日様で干したお布団みたいでした。

 それが、お空に浮かんでいるはずの雲だと気付くまでに、少し時間がかかりました。


「え、……ここどこ?」


 幸子は不思議そうに呟きます。

 こんなところ、今まで来たことがありません。

 ひょっとして夢なのかとも思いましたが、ほっぺたをつねったらちゃんと痛かったです。


 自分の体を見下ろすと、真っ白な服を着ていました。

 不思議な手触りの服で、すべすべしっとりしていました。

 こんな服も、今まで着たことはありません。


「わたし……家に帰って、お父さんに殴られて……それで……」


 幸子は自分の首をそっと撫でました。

 全然痛くはありませんでしたし、痕は残っていませんでした。


「なんで、こんなところに……。……?」


 何がどうなったのか分からず首を傾げていると、幸子の周囲にある雲が、もこもこと膨らんでいきました。

 そのあとごそごそ動いたかと思うと、中から小さな人影が出てきました。


「……うっそ」


 小さな人影は、なんと天使でした。

 いや、幸子は今まで本物の天使というものを見たことがありませんでしたが、とにかく天使でした。


 清潔そうな真っ白い服を着て、背中に一対の、これまた真っ白い羽根を生やして。

 頭の上には、真ん丸い輪っかが浮かんでいます。

 天使が眠そうに頭を振ると、頭の動きに合わせてふりふりと動きました。


 人間でいえば、五歳ぐらいの男の子でしょうか。

 愛らしい顔立ちをした、お人形さんのような天使でした。


「うー……、うぅ?」


 眠そうな目を擦っていた天使が、幸子に気付きました。

 つぶらな瞳をぱちくりさせて、幸子を見つめています。


 幸子は、慌てたように言い訳をしようとしました。


「あ、えっと、天使さん? 実はわたし、知らない間にここに……」


 ですがそれは、天使の出した大きな声にかき消されました。


「あーー!! てんしさまだー!!」

「……へっ?」


 天使は、幸子を見つめてそんなことを言うのです。

 意味が分からず戸惑っていると、天使は幸子に飛び付いてきました。


 ふかふかした雲の上に押し倒されて、なにやら背中に違和感を感じます。


「すごい! ほんとーにわっかがある!」

「へっ?」


 そして飛び付いてきた天使は、幸子の頭の上に手を伸ばして、何かを触ってきました。

 まさかと思った幸子が、自分の頭の上に手を伸ばすと。


「これ、……輪っか……?」


 自分の頭の上にも輪っかが乗っていました。

 そして同時に、背中の違和感の正体も、背中に生えた羽根が押し潰されたことによるものだと分かりました。


「へっ?」


 幸子は、自分も天使のような姿になっていることに、ようやく気付いたのでした。



 天使だと思っていた男の子は、アンドリューという名前の人間の男の子だと分かりました。


 幸子はアンドリューに、「どうしてここに来たのか」と尋ねましたが。


「わかんない。気がついたらここにいた」


 との答えでした。幸子とあまり変わらないようです。


「でも、ぼく、あんまりここにいたら、おこられちゃうかも……」

「……お父さんとお母さんが心配してるの?」


 幸子は、何気なくそう聞きました。

 そしたら。


「ううん。ぼく、だんなさまに買われたドレイだから」

「……えっ?」

「あんまりかってなことすると、むちでぶたれちゃうの」


 幸子は、アンドリューの言葉を聞いて驚きました。

 鞭でぶたれる? こんな、小さな子が?

 なんだ、それは。


「きのうも、言いつけをまもれなくておこられて。むちでぶたれたの。なんかいもなんかいも。そしたら、だんだんねむくなってきて……」

「…………眠く、なってきて?」

「……わかんない。気がついたらここにいたの」


 アンドリューにはそれ以上分からないようでした。

 幸子は、それ以上何も言いませんでした。


 すると今度は別のところの雲が盛り上がり、中からまた天使が出てきました。


 幸子とアンドリューの見ている前で、次々と天使たちが目を覚まします。


 幸子は、まさかと思いました。

 そして、出てきた天使たちに順番に聞いていきました。


 結果は、幸子の予想通りでした。


 ひとりの女の子は悪い人に誘拐されていたそうです。たくさんのお金の代わりに家に帰してもらう約束だったそうですが、悪い人たちは約束を守りませんでした。


 ひとりの男の子は生まれたときから家族がいませんでした。生きるために洞窟の奥で石炭を掘っていたら、天井が落ちてきたそうです。


 ひとりの少女は犬のような耳が生えていました。生まれ育った村を山賊に焼かれ、燃える家の中に閉じ込められたようです。


 ひとりの少年は事故に遭いました。大きなダンプカーが突っ込んできて、そのままはねられてしまいました。


 幸子には、ここがどこかも分かりませんでしたが、ひとつだけ分かったことがありました。


 ここは、なにかしらの不幸があって死んでしまった子供たちが集まるところなんだと。


 それだけは、幸子にも分かりました。


 と、そこに。


「おーい、みんなー! こっちこっちー!」


 遠くから、声が聞こえました。

 声のするほうには、また別の天使がいました。

 その天使は幸子たちとは違い、自分が天使でいることに慣れたような様子でした。


「君たちは新しく来たんだろ? こっちに来なよ。君たちの他にも、お友達がたくさんいるぜ?」


 幸子と同じ年頃の天使に呼ばれて、幸子たちはぞろぞろと付いていきます。

 開けたところにやってくると、確かにそこにはたくさんの天使たちがいて、雲の上を駆け回って遊んでいました。


 ほとんどは幸子よりも小さい子供たちでした。

 幸子は、胸がきゅうっと締め付けられました。


「お友だちだー!」

「あそぼー!」


 幸子やアンドリューたちに気付いた何人かが、楽しそうに駆け寄ってきます。

 それから、アンドリューたちの手を引っ張って、一緒に遊ぼうと誘ってきます。


 アンドリューなんかは、最初は戸惑っていた様子でしたが。


「遊んできなよ。ここにいる間は、君を怒ったり怒鳴ったり叩いたり、そういうことをする意地悪な人はいないからさ」


 そう言われてアンドリューたちは、みんなの遊びに加わりました。


 鬼ごっこにかくれんぼ。雲で作った大縄跳びやおままごと。ぽよぽよ弾む雨のボールに、虹を溶かしたシャボン玉。

 巨大な滑り台やトランポリンもありますし、雲をくりぬいて作られた大きなお城もありました。


 天使たちは、何をして遊んでもいいのです。

 気が済むまで好きなだけ、遊び疲れて寝てしまうまで。


 みんなと仲良く遊んでいいのです。

 理不尽に怒られることもなく。意味もなく叩かれることもなく。


 それが分かったアンドリューたちは、きゃあきゃあ言いながら遊んでいます。

 一緒に来た子たちとも、前から来ていた子たちとも。


 幸子は、自分と同じ年頃の天使と一緒に、その様子を眺めていました。

 天使が、幸子に聞きました。


「君は遊ばないのかい?」

「わたしはいいわよ。あれに混ざるのも恥ずかしいし」

「はは、そうかな。僕だってたまに混ざるんだぜ? どうしても断りきれなくてさ」

「そうなの?」

「うん。だって今は、僕が一番のお兄さんになるからね。みんなにお願いされたら、やっぱり断れないよ」


 そう言って天使は自慢げに笑いました。

 幸子もつられて思わず笑ってしまいます。


「そういえば、君の名前は?」

「わたしは……、夢乃宮幸子よ」

「幸子ちゃんか。じゃあ、さっちゃんだね」

「なにそれ、そんなの呼ばれたことないわよ」


 幸子は呆れた様子ですが、天使は気にしていませんでした。

 それどころか。


「おーい、みんなー! ここにいるさっちゃんも一緒に遊んでやってよー!」

「ちょ、ちょっと!?」

「大丈夫だいじょうぶ。僕も一緒に遊んであげるから」


 そういう問題じゃない、という幸子の言葉は、天使たちの声にかき消されて聞こえませんでした。

 無邪気に群がってねだってくる天使たちに、幸子もとうとう根負けします。


「分かった、分かったわよ! 遊ぶってば! だから離れてよ!!」


 アンドリューに手を引かれて、幸子はいつ以来かのかくれんぼや鬼ごっこに参加しました。

 他の天使たちとも言われるがままに遊んであげて、あまりの忙しさに目が回りそうになります。


 そうやってひたすら遊んでいると、どこからともなく良い匂いがしてきました。

 見れば、赤い髪に真っ白なエプロンを付けた女の人が立っています。


「たまにはお菓子じゃなくて料理にしたよ。お腹が空いた子は食べにきな」


 みんなは喜んで食べに行きます。

 幸子も行ってみると、見たこともないような美味しそうな料理がこれでもかと言わんばかりに並んでいました。


 みんなが好き勝手に食べているのを見て幸子も食べてみましたが、まあなんと料理の美味しいこと。

 いくらでも食べてしまえそうですし、食べても食べても次の料理が出てきます。


「遠慮はしなくていいよ。たくさん作ったからね」


 赤髪の女の人がそんなことを言うものですから、幸子はついつい食べ過ぎてしまいました。


 それから、みんなでお昼寝をすることになったときも。


「服が汚れた子はいらっしゃい。私がピッカピカにして差し上げますわ!」


 青い髪をしたお姉さんが、こぼした料理で服を汚した子を呼び集めました。


 そして、「ふー!!」と息を吹き掛けると、天使たちの服の汚れは完璧に落ちてしまいました。


「うん! 美しいわ!」


 青髪のお姉さんはそう言って帰っていきます。


 幸子たちはふかふかの雲の上でのんびりお昼寝をして、起きたらまたみんなで遊びました。

 疲れてきたら妖精さんたちとおやつ休憩をして、元気になったらまた遊びます。


 そんなことを何度か繰り返した幸子は、だんだんと、みんなと遊ぶことが楽しく思えてきました。


 自分はずっと不幸せだと思っていた幸子が。

 少しずつ、幸せというものを感じられるようになっていったのです。


 そしてある時、こんな声が聞こえてきました。



「さあー、話を聞きたい子は寄っといでー」



 嬉しそうに駆け寄っていくみんなに付いていくと、そこには虹色の髪を腰まで伸ばした、男の子にも女の子にも見える、大人と子供のちょうど真ん中ぐらいの誰かがいました。


 幸子は自分と同じ年頃の天使に聞きました。


 あの方は語りの神様。

 みんなにお話を聞かせてくれる神様だと。


 幸子はそれを聞いてふと、ここに来る前に公園で会っていた男の子のことを思い出しました。


 あの子は元気にしているのかな。

 約束、結局守れなかったな。


 そんなことを思っていると、神様は今日のお話を始めます。


「今日のお話は、飛竜を飼い慣らして竜騎士になることを目指す少年たちのお話だよー。一番熱心に聞いてくれた子には、お空の上まで連れていって、竜騎士の少年たちが見ている景色を見せてあげるよー」


 そうして、お話が始まりました。


 神様は、それはそれは雄大な空の景色を、言葉と、表情と、身振り手振りで表現していきます。

 神様のお話を聞いているだけで、少年たちの見る空の青さも、耳元を吹き抜ける風の音も、肌を刺す空気の冷たさも、全部伝わってくる気がしました。


 幸子もみんなと同じように、お話にのめり込んでいきます。

 そして最後のクライマックスが終わればみんなと一緒に両手を上げて喜び、主人公の少年の活躍を褒め称えました。


「おしまい。……どうだった? 面白かった?」


 語りの神様はみんなに尋ねます。

 幸子は、みんなと一緒に答えました。



「楽しかったー!」



 それを聞いた神様は、一瞬、心底ホッとしたような雰囲気を出し、そして満足したように、そっと本を閉じました。

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語りの神様と本棚の子供たち 龍々山ロボとみ @Robo_dirays

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