語りの神様と浄神の使徒

【語りの神サマと浄神の使徒】



『むかしむかし、まだ世界が毒と病と酸の霧に包まれていたころのお話です。


 人々はよどんだ水を飲み、かびた空気を吸い、腐った土の上で朽ちた木の家に住んでいました。

 使う道具はどれもこれも錆びていますし、火はにじんで使い物になりません。


 お日様はにごり、月はただれ、星のまたたきはかすんでしまっていました。


 そこらじゅうで病が沸き上がり、人々は痛みと苦しみに呻くばかり。

 病気になればちっとも治らず、子供も大人も死神に襟を引かれては、冥府の底に連れていかれていました。


 そんなふうにケガレていたこの世界を、見るにみかねた神様がいました。


 神様は、名前を浄神といい、汚れているものを綺麗にしなければ気がすまない神様です。

 ここまでケガレきった世界を見たことのなかった浄神は、青い髪を逆立たせて怒りました。


 “こんな世界、絶対に許せません! 私の力でピッカピカにして差し上げますわ!!”


 浄神は、人間たちの中から特に頑丈そうなひとりの青年を選ぶと、その青年に自分の力を分け与え、自分の髪から作り出した一本のホウキを持たせました。


 そして、そのホウキを使ってケガレを祓い、世界中の霧を晴らすのだ、と青年に命じたのです。


 青年は神様の言葉に従い、清めの力を振るいます。

 ホウキを一振りするだけであらゆるものが綺麗になっていき、一掃きするだけで万物が輝かんばかりの美しさを取り戻します。


 そこにあるだけで辺りのものを澄みわたらせていき、ブンブンと振り回せばケガレを寄せ付けない聖域が生まれます。

 どんな毒や病気が束になっても敵わない、清めの化身がそこにはいました。


 やがて青年は、自らを浄神の使徒と名乗るようになります。そして長い長い放浪のすえに世界中の霧を晴らした青年は、最後には鈴蘭の咲き誇るこの地にやってきて、その生涯を閉じたのでした。



 これが、先生が女の子に教えてくれた、鈴蘭の国に伝わる昔話です。


 女の子とお母さんは、静かに先生の話を聞いていました。


 “このお話は、単なるおとぎ話ではないのじゃ。この国の王家には使徒様が使っていたホウキの穂枝が何本か残っていてな、その穂枝のそばでは食べ物は決して腐らず、あらゆる病もたちどころに治ることが分かっておるのじゃ”


 “……それでは”


 “うむ。浄神の揺りかごというのは、この病院の特別病室のことじゃ。部屋の真ん中には、王家から譲り受けたホウキの穂枝が一本まつられておる。その部屋でしばらく過ごせば、もしかしたらお嬢ちゃんの病気も治るかもしれん”


 お母さんは、どうかよろしくお願いいたします、と頭を下げてお願いしました。

 娘の病気を治せるかもしれないというのであれば、迷うことはありませんでした。


 女の子はすぐさま浄神の揺りかごに案内されると、およそ一か月間、その部屋の中で過ごしました。


 するとどうでしょう。


 はじめのうちは、ベッドで寝ているだけでつらそうにしていた女の子が、一週間が過ぎたころには静かにしていれば苦しくなくなり、次の一週間では起き上がっても大丈夫になりました。


 その次の一週間では部屋の中を歩き回っても息苦しくなくなっていて、一か月が過ぎたころには、部屋の外に出られるようになっていました。


 女の子は、浄神の揺りかごの中で息を吸い込むたびに、自分の胸の中が少しずつ洗われていくのを感じました。


 体の中の悪いものが、きれいな空気によって引っ張り出されていくのです。


 “すごいわ。もう、全然苦しくないの”


 お見舞いに来てくれたお母さんに、女の子は嬉しそうにそう言います。


 最近では、他の病室に入院している子供たちともお友達になっていて、病院の中庭で一緒に遊んだりすることも、できるようになっていました。


 浄神の揺りかごは、みごとに女の子の病気を治したのです。


 ある日、いつも診てくれている先生とは別のお医者様が、女の子の様子を見にきました。


 お医者様は、女の人でした。

 女の子のお母さんと同じくらいの歳の、とても美人の女の人です。


 同じ部屋に入院している心臓の病気の男の人が、うやうやしく頭を下げます。


 “ようこそ来てくださいました、王妃様。今日はその子を診てくださるのですね”


 なんとお医者様は、鈴蘭の国のお妃様でした。

 お妃様は、王様と結婚する前はお医者様をしていた御方で、今でも王様のお仕事を手伝うかたわら、難しい病気の治し方などを調べている人なのです。


 お妃様は、女の子に話しかけます。


 “はじめまして。病気を治すために遠い国からやって来たというのは、あなたね。具合はどうかしら?”


 女の子は、お妃様の言葉に答えます。


 “とても良いです。ここに来てから、息苦しさがどんどんなくなってきています。病気が治ってとても嬉しいです”


 本当に嬉しそうな女の子の言葉を聞いたお妃様は、最初に嬉しそうにして、それから少しだけ悲しそうにしました。


 “そうなのね、それは良かったわ。それから……ごめんなさい”


 女の子は不思議そうに尋ねました。


 “どうして謝るのですか?”


 “私たち医者の力不足で、あなたの病気を治すのに神様の力を借りている。本当なら、私たちが治さないといけないのに、それができていない。だから、ごめんなさいなのよ”


 お妃様は、優しく女の子の手を取りました。


 “もしまたあなたが病気になったら、遠慮なくここに来てね。別の病気なら、今度こそ私たち医者の手で治してみせるから。同じ病気だったら、……あなたが来るまでに、治し方を見つけておくわ”


 “はい!”


 お妃様の力強い言葉に、女の子は、この国に来て良かったと心から思いましたとさ』


「おしまい。……みんなは、怪我や病気に気を付けてね。お父さんやお母さん、お友達とかが悲しむからさ」

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