自分勝手な願い

『今度の休みにチームリリィで集まって遊ぼうよ!!!!』


 いつものように布団にくるまってゴロゴロしていたら、いつの間にかデバイスにリリィから連絡が入っていた。

 やたら『!』マークの多い連絡、彼女らしく元気いっぱいのメッセージだ。

 どうやら彼女はチームとしての親睦を深めたいらしい。

 陽キャは気軽に人を誘えるのが強いよね。

 私としてはあまり布団から出たくないんだけど…………

 友達からの誘いだしなぁ。

 陰キャは友達という言葉に弱い。

 今現在私の友達と言えるのは金魚のププちゃんと、ホワイトリリィこと神崎美佳ちゃんだけだ。

 ハイドランシアさんは友達じゃない、まだ友達宣言してないから。

 陰の者は友達かどうかの線引きに対して厳しいのだ。

 迷った末、私は『食事するくらいなら……』と返事をした。

 一日中外に出るのはやっぱりきつい。

 前も言ったかもしれないが、陰キャは影の生き物なので太陽の光が弱点なのだ。

 一日中外にいたら溶けてしまうよ私は。


『OK♡』


 即座にリリィから返事が来た。

 そのハートは何だハートは、ウブな童貞(私)が勘違いするからやめなさい。

 布団の中で寝返りを打ちながら、ため息をつく。

 いや、友達とお出かけするのはいいのだ、今回のお誘いも別に迷惑じゃない。

 でも、休日となると両親が家にいるわけで…………だんだん魔法少女であることを隠すのが難しくなってきたな。

 父さんと母さんは私が学校に行きたくないと打ち明けた時、何も言わずに私を受け入れてくれた。

 二人の前で作り笑いを浮かべることすら難しくなった私を抱きしめてくれた。

 人生二週目でもこの様な私なんかよりよっぽどできた人間なのだ。

 そんな二人だから魔法少女になった私も受け入れてくれるだろう。

 でもなぁ…………

 魔法少女バレするってことはテレビでも放送された私の様子が両親にも知られるってことだろ。


「むぺぺむぎぁぁぁああぁあああ!!」


 私は布団の中でひたすらじたばたと身を捩った。

 はじゅかしい、恥ずかしすぎるわ!!

 連日のように悶える私の騒々しさに慣れたのか、金魚のププちゃんは澄ましたように泳いでいた。



……………………………



…………………



……



 その日の晩、私はいつものように家族で食卓を囲んでいた。

 私が引きこもりになってからも、食事は家族ととるようにしている。

 それが両親の希望であったし、私も両親は怖くないのでそれまでと同じように平日の朝晩は両親と食事を共にした。

 ただ、引きこもる前は私がよく喋っていたのに対し、今はもっぱら両親の会話に私が相槌を打つという形に変化はしたが。


「あ、のぉ…………」


 そんなものだから、私が話を切り出すと両親は珍しいものを見るように私に視線を向けた。

 両親との会話は慣れているはずなのに吃ってしまった。

 顔が熱くなるのを感じる。


「今週の土曜は……外出るからお昼いらない、です」


 両親とは目を合わせず、視線を食卓に並んだ料理に固定したまま言葉を紡ぐ。

 大丈夫、両親なら何も聞かずにOKを出してくれる、はず。


「あらそう、一人で?」


 私の言葉に対して母さんはそんな風に聞いてきた。

 その言葉に私の外出を反対するニュアンスは感じられない。

 単純に私一人の外出かどうかを聞きたいのだろう。

 この世界は深災もあるし、女子一人での外出は前世よりも危険なのだ。


「ううん、友達と」


 学校に行かずに引きこもっている私に友達なんているはずない。

 両親視点では疑問に思われてしまうかもしれないが、これは事実だ。

 リリィのことだからこれから私の家に突撃してくることもあるだろうし、きちんと説明しておかないと。


「………………」


 とはいえどうやって紹介したものか……私は言葉に詰まってしまう。

 おかしいな、ちゃんと自室でシミュレーションしたはずなのに、うまく言葉が出てこない。

 私は気まずさをごまかすように、水を口に含んだ。


「友達ってのは魔法少女のかい?」


「んぶぇ!!??ゴホッゴホッッ」


 父さんのいきなりの発言に私は口に含んだ水を吹き出す。

 いきなり何言ってんのこの人。


「あらあら、汚いわよ」


 母さんもその発言に対して特に驚く様子もなく、私の吹き出した水を拭く布巾を取りに席を立った。

 な、な、なんで魔法少女という言葉が父さんの口から飛び出すのでしょうか?

 どうやったら引きこもりの娘に魔法少女の友達ができると思うんだ。


「も、もしかして…………バレて……ます?」


 何がとは言いませんが…………

 私の問いに両親は顔を見合わせた。


「そりゃ、ねぇ…………あれだけテレビにも出てるし」


 何でや!?

 認識阻害の魔法はどこへ行った?

 役立たず!両親にモロバレしてるじゃないか。


「私だと分からないようになっているはずなんだけど!?」


「確かに顔は日向ちゃんだって分からなかったわねぇ」


「我々は顔が分からないくらいで娘が見分けられなくなるほど耄碌してはいないぞ」


 顔と声は私だと判別がつかないようになっているはずなのに、テレビに映るブラッティカメリアを見て両親は私だと感じ取ったらしい。

 認識阻害魔法がポンコツというべきか、両親の愛が重いというべきか…………

 というか、あの赤顔ダブルピースを見て私だって思ったってコト!?

 両親に私は普段どんなふうに見えてるんだよぉ!


「だいたいお前最近よく無断で外出してるし、居間で魔法少女のニュースが流れたらチャンネルを変えるじゃないか」


 あ…………はい。

 父さんの一言で私はノックアウトされる。

 確かに、魔法少女の活動をして家に戻った時両親がもう帰宅していることがあった。

 そんな時は私ずっと部屋にいましたよ、という顔をして布団に入っていた。

 ニュースについても恥ずかしいのでもし私が居間にいた時はできるだけチャンネルを変えていたのだ。

 それらの私の不可解な行動について両親は何も言ってこなかったので、全然バレていないと思ってました。


「別に隠さなくてもいいのに、私たちはどんな日向ちゃんだって応援するわよ」


「お前の好きにすればいい、私たちはお前の味方だ」


 両親はニヤニヤと笑いながら食事に戻った。

 引きこもりの娘が正義のヒロインやってたんだからもっと言うことあるだろ!

 一見放任主義ともとれる対応、でもこれが今世の私の両親なのだ。

 興味がなさそうに見えて、その実両親は私自分のことをしっかり見ていることを私は知っている。

 彼らは肉親だからと言って、決して無闇に私の中に踏み込んでくることはしない。

 私が登校拒否する理由だって、私が打ち明けてくれるのを辛抱強く待ってくれている。

 魔法少女の件も私が打ち明けようとしているのを察したから、こうやって茶化して言いやすくしてくれたのだろう。

 意気地のない私が尻込みしてしまわないように。

 申し訳なさと恥ずかしさで一杯になった私はその晩ずっと両親と目を合わせることが出来なかった。


「怪我だけはするなよ」


 自室に戻る私の背中に投げかけられたその言葉はひどく暖かかった。



……………………………



…………………



……



 そうして土曜、私は外へと出ていた。


「と、とける……」


 日光が厳しいよ。

 と言っても今日は前回の反省を生かして日傘をさしているので、前ほど辛くはないけど。

 今回の私のスタイルは黒のロングワンピに黒い日傘という黒ずくめスタイルにマスクをつけている。

 そこ!地雷臭がするとか言ってはいけない。

 私のような人間は明るくてカラフルな服で自分を着飾るのに抵抗があるので、必然的に暗くて無彩色な服が多くなってしまうのだ。

 黒はいいよ黒は、どんな色と組み合わせてもそんなに浮かないし……

 マスクは単に顔を見られるのが恥ずかしいのでつけているだけです。

 場所は事前の連絡で決めていた待ち合わせ場所である駅前のオブジェの前だ。

 集合時間まではあと15分、二人が来るまでは時間があるだろう。

 そう思って近くのベンチに腰掛けたのだけど…………


「……ぁ」


「あら、早いわね」


 ベンチに座っていた少女と目があった。

 眼鏡の奥に輝く勝気な瞳、ボーイッシュな服装に身を包んだその少女はどうにも見覚えがあった。


「ぁ、ぇとぉ……ハイドランシア……さん?」


「都、藤堂都よ、カメリア」


 そう自己紹介して彼女は妖艶に微笑んだ。

 顔が赤くなるのを感じる。

 やはりこの世界の人間は顔がよすぎる。

 慣れるまで、直視は無理だな。


「ぃ、い、ぃ、出雲日向、です」


 彼女の靴を見ながら自己紹介する。


「よろしくね、日向」


 呼び捨てぇ!?

 いきなり距離の詰めかたがえげつないよ藤堂さん。

 最近の女子ってこんな簡単に呼び捨てするのぉ?

 こわいよぉぉ。

 自分と比べ物にならないレベルのコミュ力に、私が震えていると藤堂さんは立ち上がった。


「まだ少し時間があるし飲み物でも飲みましょうか、おごるわよ」


「あ、うん……」


 なんだろうデジャブ。

 私ってそんな飲み物飲みたそうな顔してる?

 藤堂さんは近くの自動販売機にお金を投入する。

 希望を聞かれたので何でもいいと答えるとコーヒーを手渡された。

 藤堂さんの手にも同じものが握られている。

 コーヒー……好きなのかな?

 コーヒー、前世では夜間の作業のお供によく飲んでいたな。

 プルタブを開け、冷たいその黒色の液体を呷る。

 懐かしい味、懐かしい香りだ。

 そういえば今世ではこの液体のお世話になっていなかった、なんだか古い友人に再会した気分だった。


「へぇ、いける口なのね」


 へ?

 顔を上げると藤堂さんが意外そうな顔でこちらを見ていた。


「何でもいいって言うから、ブラック買ってやったのに、コーヒー好きなの?」


 何だよ嫌がらせのつもりだったの。

 どう見えているかは知らないけど、私はブラックコーヒーを嫌がるほどお子ちゃまじゃないぞ。


「ぁ、香りは、結構好きです」


「そうなの。あなたとは趣味が合いそうね」


 藤堂さんはそう言うとにっこり微笑んだ。

 彼女、結構コーヒーが好きみたいだ。

 それから私たちは神崎さんが来るまでコーヒー談義に花を咲かせた(私は主に相槌)



……………………………



…………………



……



 料理が私たちの前へと配膳される。

 クリームのたっぷり乗ったパンケーキ、花のように綺麗にカットされた苺が皿の中で咲き誇っている。

 その甘味の塊は私を魅了して止まない。


「わ〜い、美味しそう〜」


 神崎さんが嬉しそうな声をあげ、スマートフォンを構える。

 写真をとってSNSにでもアップするつもりなのだろう。

 私の方にもカメラを向けてきたので私は素早く自分の顔を隠す。

 私たち三人は都内の有名なパンケーキ屋にきていた。

 食事を希望した私に対して神崎さんがお勧めしてくれたお店だ。

 お勧めするだけあって確かに美味しい…………まぁちょっと値段は張るけど。

 前世では昼食を甘味だけで済ますなんて考えられなかったけど、女性になってから甘味の魅力に逆らえず、今も甘いものだけでお腹を満たす幸福に酔いしれている。

 私が苺のパンケーキ、神崎さんは桃のパンケーキ、藤堂さんは…………空気を読まずパスタを注文していた。

 いや、店側が提供しているので間違ってはいないのだが……パンケーキ食べないの?ここパンケーキ屋さんだけど。

 私が不思議そうな顔をして藤堂さんを見ていたら彼女と目があった。


「私は美佳のを貰うからいいのよ」


 そう言って藤堂さんは神崎さんのパンケーキを一切れ掠め取った。


「あ!あ〜〜〜」


 神崎さんは頬を膨らませ、お返しとばかりに藤堂さんのパスタにフォークを伸ばすが、藤堂さんは自分のフォークで巧みにそれをガードしている。

 二人とも仲良いね。

 今回の目的は新しくチームに加入した私との仲を深めることだ。

 チームとしての連携力を高めるために、仲良くなることは大事なことだよね。

 神崎さんは私のことをよく見ている。

 いまだに二人に対してどこかよそよそしい私の様子を心配してくれているのだろう。

 私が会話をするのが苦手なことを知っているから、無理に私に話すことも強要してこない。

 おかけで私は二人の会話に耳を傾け、美味しいパンケーキをもくもく頬張りながら時々相槌を打つ平和な時間を過ごせている。

 チームの新人だからと言って質問責めにすることはない、それがありがたかった。

 美少女二人に質問責めになんぞされたら、私は確実に挙動不審になるだろう。

 会話なんてしなくてもチームに馴染めているという実感が私には必要なのだ。


「ねぇねぇ、日向ちゃんは彼氏とかいるの?」


「………………」


 前言撤回。

 いきなりとんでもねぇこと聞いてきやがったよこの子。

 神崎さんは興味津々といった様子でこちらを見てくる、多分恋話がしたいのだろうな。


「ぇ、い、いないよぉ?」


 逆にいると思うの?

 私みたいな陰キャボッチがボーイフレンドなぞいるわけがない。

 友達でさえ数えるほどしかいないんだぞ。

 だいたい私の性的嗜好は前世の嗜好を引きずっているので、恋愛対象は女性だ。

 作るとしたら彼氏ではなく彼女なのよね、うーん厳しい。


「じゃぁ、告白されたこととかは〜?」


「そ、それは……まぁ…………」


 それは、確かにある。

 というか地味にモテてしまったのが私へのいじめの発端だからなぁ。

 当時のことを思い出して、気分が悪くなる。

 なんなら、その逆のパターンも経験した。

 虐められていると、色々経験するんですよ。

 最も忌むべき記憶の一つ。

 彼女たちはある男子生徒への告白を私に強要した。

 私がフラれるのを陰で観察して溜飲を下げたかったのだろう…………


「ごめん!嫌なこと思い出させちゃった?」


 神崎さんが急に謝ってきた。

 その言葉を聞いて、私は我に帰る。

 私は拳が白くなるほどフォークを握りしめていた。

 顔色も、きっと端から見てわかるほど青白くなっていたのだろう。


「ぁ……うん気にしないで、大丈夫」


 彼女が悪いわけじゃない、神崎さんが投げかけてきた質問は友達同士なら当たり前のように交わす一般的な会話に過ぎない。

 ただ、私という人間に地雷が多すぎるだけなのだ。


「美佳はデリカシーがなさすぎなのよ」


 藤堂さんがまた神崎さんのパンケーキを一切れ掠め取って私の皿へと乗せる。

 神崎さんもまた頬を膨らませたけど、今度は文句を言わなかった。

 嫌なことを聞いたと思った二人からのお詫びなのだろう。

 桃のパンケーキは私の苺のパンケーキとはまた違った優しい味がした。

 顔色の戻った私をみて二人とも安堵したように息をついている。

 やっぱり陰キャとか以前に私って人とのコミュニケーションに向いてないかもな……

 そんなことを思う。

 それからは二人の思い出話を聞いて、楽しい時間を過ごせた。



……………………………



…………………



……



「ぁ…………の、今日は、誘って、くれてありがとう」


 帰り道、私は二人に頭を下げた。


「いや、こちらこそ美佳の我がままに付き合ってもらって悪かったわね」


「楽しかったよー、また遊ぼう!」


 二人も笑顔を私に返してくれた。

 まだ魔法少女としてやっていく自信はないけど、この二人とならやっていけるかもしれない。

 そう思える程度には距離を詰めることが出来たと思う。

 まぁ、詰めてきたのは向こうの方だけど。

 そのまま、二人に手をふって別れようとしたんだけど、神崎さんが私を呼び止めた。


「カメリア!ハイドランシア!」


 魔法少女としての名前で呼ばれる。

 振り返ると神崎さんは真面目な顔をして拳を突き出していた。


「私は逃げない。深獣からも深災からも、魔法少女として人々を守り続ける!だから二人は私についてきて、一緒にみんなを守ろう」


 それは魔法少女として、チームのリーダーとしての宣言。

 魔法少女ホワイトリリィの願いの宣誓。


『純粋な願いを抱いた少女こそが最強の魔法少女なのよ』


 以前ハイドランシアに教えてもらった願いの力のことを思い出す。

 今、目の前の少女は自分の願いを言葉にすることで、その思いをより強固なものにしているんだ。

 その願いの中に私たちチームメイト二人の存在を入れてくれている、そのことがなんとなく嬉しかった。


「リリィに言われなくても、私も一緒に戦うわ、自分の憧れのために」


 藤堂さんはニコリと笑うと神崎さんの突き出した拳に自分の拳を合わせた。

 私、私はどうだろう?

 私は流されるまま、ここまで来てしまった。

 まだ明確な戦う理由を私は持てていない。

 神崎美佳、魔法少女ホワイトリリィの友達だから、私はここに立っている。

 彼女が望んだから私は魔法少女になる決意を固めた、でも最初に抱いた願いはそうじゃなかったように思う。

 神崎さんは逃げず人々を守る魔法少女、藤堂さんは憧れの魔法少女のような理想の魔法少女、それぞれなりたい願いを持っている。

 魔法少女に対して夢を抱いている。

 私は…………そうはなれない。

 魔法少女という存在に私は夢を見ることができなくなってしまった。

 その正義は私の中でひどく薄汚れ、腐敗してしまっている。

 それでも、私はここまできた。

 魔法少女ブラッディカメリアとして。

 だからきっと私の中にも願いはあるのかもしれない。


「………………」


 私は何も言わずに、二人と拳を合わせた。

 今はまだ、自分の願いを言語化できていないけど、それでも私はチームメイトとして共に戦うことを誓った。

 私たち三人はお互い頷き合うと、あとは背を向けてそれぞれの帰路についた。



……………………………



…………………



……


 

 帰り道のバスの中で私は一人座り、流れゆく景色を眺めていた。

 友達ができて、魔法少女になって、戦って、友達とお食事会をした。

 つい一ヶ月前程には想像すらできない生活を私は送っていた。

 きっと以前の私がこの未来を知ったら嫌がって逃げ出そうとすることだろう。

 でも、この想像すらしなかった今を悪くないと思っている自分もいた。

 私は変わったのだろうか?

 依然として私は学校にも行かず、無意味に布団に立て篭もっている。

 それでも、以前ほど未来への絶望感は感じなかった。


 感慨にふける視界の中で、景色の流れが止まる。


「…………?」


 交差点でも何でもない道の真ん中。

 何で止まるのだろう。

 私は視線を前方に戻し、バスの正面を伺う。

 バスの前方には何台もの車が停止していた。

 渋滞だ、でも何でこんな所で?

 視界の先、ビルとビルの間、そこに虹色の光沢を纏った黒いドームが広がっているのが見えた。


「深……淵?」


 私の呟きに、バス内が騒然とする。

 乗客たちも前方に確認できる黒い災害の存在に気が付いたのだろう。

 でも、逃げようにも前方も後方も車が詰まっていて逃げ場などなかった。

 私は首から下げた魔法少女のデバイスを握り締めながら辺りを見渡す。

 変身しようにも、こんな人前でするのは憚れるし…………そもそもバスという密室から出ないと深淵まで辿り着けない。

 私はただただ、オロオロとするしかなかった。

 周りの車から、人が降りて駆け出すのが見える。

 もう、車を放棄して逃げ出す人が出てきているのだ。

 こうなればもうこの渋滞は解消しない。

 私もバスから出ないと…………


「皆さん落ち着いてくださーーーい!!!!」


 その時、一際大きな声が辺りに響き渡った。

 その声の先に、目をやると目立つように車の屋根の上に乗った青年が手を振っていた。

 目立つ黒色のジャケット、そこには黄金の獅子のエンブレムが誇らしげに付けられている。


「現在発生中の深災は黒獅子小隊16番隊が対応します!!皆さんは落ち着いて車から降りて最寄りの避難所まで避難をお願いしまーす!!」


 魔法騎士、深災から人々を守る正義の騎士がそこにはいた。

 え……と、この場合はどうしよう?

 私は思わず固まってしまった。

 魔法騎士の避難指示に従って人々がどんどん避難していく、バスの扉も開けられ乗客が降りていく。

 避難する人々に混乱はない、自分たちを守る存在、魔法騎士の存在の安心感が大きいのだろう。

 私も一応彼の指示に従って避難する人の波に合わせる。

 助けに来たのが魔法少女ならよかったのに、と思う。

 そうすれば、私も魔法少女ですと明かして、深災の対処を手伝うことが簡単にできたのに。

 でも、現れたのは魔法騎士だった。

 魔法少女の組織『白き一角獣』と魔法騎士の組織『黒き獅子』との関係はちょっとややこしい。

 この二つの組織は深災という人類の脅威から人々を守る正義の味方だ。

 でも共通の敵と戦っているのにもかかわらず、お互いに手を貸すことは少ない。

 魔法少女と魔法騎士はどちらも人々を守りたいと思っている、魔法少女と魔法騎士の仲は問題ないのだ。

 問題は組織の中核だった。

 端的にいうと一角獣と獅子の仲が悪いのだ。

 魔法少女と魔法騎士に力を与えている精霊である彼らはお互いライバル関係なのだ。

 そのため、いつも業績を比べ合って喧嘩ばかりしているらしい。

 つまり、『白き一角獣』と『黒き獅子』は競合他社なのだ。

 ここで私が魔法少女として魔法騎士に手を貸すのは簡単だ。

 でもそうすると魔法少女に手柄を横取りされたと獅子に思われるかもしれないのだ。

 まったく、同じ志を持っているのなら仲良くして欲しいところだ。

 さらに付け加えると、私の魔法少女のデバイスには何の連絡も入っていない。

 魔法少女ブラッディカメリアに出動要請は出ていないのだ。

 深災にはそれぞれの実力に合わせて適した魔法少女チームに出動要請が下される。

 リリィのような、特殊な願いを抱いている少女以外は、実力に合わない敵との戦闘は推奨されていない。

 魔法騎士が対応しているからか、私の実力に適していないからか、どちらかは分からないけど近くにいるはずの私に出動要請が出ていなかった。

 ということは、私は行くべきではないと判断されたということだ。

 

 戦わなくていい理由だけが、どんどん積み上がっていく。

 私は、素直に避難するべきなのかもしれない、他の一般人と同じように。

 俯き、アスファルトを見つめる。

 私の判断は間違っていない、間違っていないはずなのに…………なぜだか心がざわついた。


「ねぇ君どうしたの?早く避難しないと危ないよ?」


 声をかけられ、ハッとして顔を上げる。

 もう私の周りには人っ子一人いなかった、みんな避難してしまったんだ。

 魔法騎士の青年が、心配そうにこちらを見ている。


「ぁ……私…………私……」


 私は何をしているんだろう。

 都心の道路の真ん中で無人の車に囲まれて、私はどうしようもなく迷っていた。


『私は逃げない』


 リリィはそう言った。

 きっと彼女ならこの状況でも迷わず戦うだろう。

 それが彼女の願いであり、決意だ。

 ハイドランシアでもそうだ、きっと彼女も戦う、憧れのために。

 きっと私が迷っているのは私という人間がどうしようもなく中途半端だからだ。

 自分の願いを自覚できていない。

 何のために戦っているか自分自身でも分かっていないから。


『お前の好きにすればいい』


 父さんはそう言った。

 でもどうすればいいかなんて分からない、自分の好きが分からない。

 戦えば、このどうしようもない感情から解放されるのだろうか?

 でも、私の中の臆病な自分が安全な布団の中に帰りたいと喚く、戦わなくていい理由を積み上げる。


「私…………」


 その時、大きな音が鳴り響いた。

 音と共に黒い塊が飛んできて近くのビルに衝突した。


「先輩!?」


 私を心配していた青年はそれを見た途端血相を変えてその黒い何かに駆け寄った。

 黒く見えたのは、ジャケットの色だった。

 魔法騎士の黒いジャケット、それを着た人間が地面に横たわっていた。

 空気を裂く音がして、何かが私の近くに落下する。

 金属音を立てて私の方まで転がってきたそれは剣だった。

 魔法騎士の武器、大ぶりなその凶器にはめられた宝石は赤く光り、明滅していた。

 私の視界の中で、黒い深淵のシルエットが歪み震えたのちにその領域を広げる。

 深淵が大きくなっている……?


「私……何してんだろう」


 気づいた時には私はもう走り出していた。

 自分が何をしたいのかも分からないまま。

 後ろから、青年が呼び止める声が聞こえる。

 それでも私は止まらなかった。


「変華ァッ!」


 赤い光が私を包んだ。

 




―――――――――――――――――――――





「はぁ……はぁッ……」


 荒い息が僕の口から吐き出される。

 難しくない任務のはずだった。

 突発的な深淵の出現。

 前兆のないそれは下級の深獣であることが多い。

 付近の住民の避難を優先させ、その間に僕たちが足止めをする。

 避難が完了したのち全員で囲んで叩く、いつもの作戦だ、気負うことはない。

 そのはずだった。

 

 まだ、避難は完了していない。

 それなのに足止めを請け負った僕たち戦闘チームは五人から、二人に減っていた。

 一人は先ほど深獣の大振りの攻撃で吹っ飛ばされ、戦線を離脱した。

 他の二人は…………

 視界が歪む。

 僕の両眼からはいつの間にか涙が溢れていた。

 深淵から現れた深獣は猿の形をしていた。

 その時点で、この作戦は破綻していた。

 深獣は様々な動物の形をとる。

 そしてそのモチーフの動物が賢ければ賢いほど強い傾向にあるのだ。

 猿などの人に近い種は特に……最悪だ。

 生まれたてとはいえ僕たちに対応できるレベルの深獣じゃない。

 なのに…………なのに深淵から出てきたのはもう一体の猿型。

 双生の深獣、ごく稀に生まれる主を二つ持った深淵。

 最悪が二つ重なっていた。

 先輩と同期の女の子はそのもう一体の深獣に組み敷かれ、引きずられるように深淵の中へと連れ去られてしまった。

 そして先ほどから深淵は脈動し、大きくなっている。

 成長しているんだ、人の魂を喰って。

 いつも僕に厳しかった先輩も一緒に訓練してきた同期の女の子も、深淵の中だ……とても無事だとは思えない。

 このまま大きくなり続ければ誰にも対処できない深域へと成長してしまう。

 また一つ封印都市が増えてしまう。

 それだけは阻止しなければいけないのに、一匹になったその深獣にすら僕たちは攻めあぐねていた。

 手に持つ銃が重い、戦斧をもった仲間が前衛を引き受けてくれているがいつまで持つか分からない。

 彼が負ければ前衛はいなくなってしまう。

 そうすれば深獣の攻撃は僕まで届くことだろう。

 応援はまだ来ないのだろうか、深獣が猿型と分かった時点で救援を出したのに。

 深獣がまた大きく腕を振りかぶる。

 またあの攻撃がくる。

 僕は深獣の動きを阻害するように魔力の銃弾を浴びせかける。

 でも猿は全く気にした様子もない、障壁が厚すぎるんだ。

 その長い腕が振られ、戦斧をもった仲間が吹っ飛ばされる。


「……あ」


 これで戦っているのは僕だけとなった。

 僕の持つ得物は銃型、とても深獣の攻撃を捌ける武器じゃない。

 どうしようもない敗北が目前に叩きつけられる。

 絶望感が全身を支配したその時、黒い人影が僕らの前に着地した。

 仲間……?

 とっさにそう思った、だって黒色だったから。

 でも涙を拭ってよく見るとそれは魔法騎士が纏う黒いジャケットではなく、黒い和服に身を包んだ少女だった。


「魔法……少女?」


 少女は腕を振るう。

 その腕の軌跡にいくつもの紅い花が咲き誇った。


「障壁は、私が破る!攻撃を!!」


 凛とした声が戦場に響き渡る。

 花は金魚となり、群れをなして深獣へと突撃する。

 深獣は煩わしそうに金魚に攻撃を振るうが、まるで流水だ。

 ひらりひらりと金魚たちは攻撃を躱している。

 そうして群がった金魚たちが深獣へ食らいつく。

 まるで獲物に群がるピラニアのようにその障壁を食らい尽くしていく。

 障壁が剥がれたその体に魔力弾を打ち込むと、深獣の身体に穴が開き黒い体液が噴き出した。

 攻撃が通じた。

 あれだけ強固に見えた深獣の魔障壁が面白いくらいボロボロになっている。

 深獣が一際大きな雄叫びを上げた。


「危ない!」


 深獣は金魚の群れを無視すると、黒い魔法少女に向かって殴りかかった。

 金魚よりも、それを召喚する少女の方を脅威と見做したのだろう。

 ふるわれる長い腕、僕の脳裏にその攻撃で呆気なく吹っ飛ばされた二人の仲間がよぎる。

 衝撃音。

 でも、その音は仲間を吹っ飛ばした音とはどこか違った。

 衝撃を吸収したような鈍い音。

 紅い花が少女の周りに咲き誇り、深獣の攻撃から少女を守っていた。


「怪我だけはするなと、親から心配されてるんだ」


 少女が花に触れると、花はその形をまた変えた。

 そうして花は紅い和傘となった。

 傘の表面には何十という金魚が泳いでいる。

 少女が手に持ったその傘をくるくると回す。

 そうするとその金魚たちが浮き上がり、円を描きながらその黒い魔法少女を守護するように回る。

 その金魚に触れた深獣の腕がまるで虫食いのように崩れていく。


「今だ!」


 その隙に乗じて僕も攻撃を仕掛ける。

 僕の放った弾幕が深獣の身体を穴だらけにした。

 深獣の体がぐらりと揺れ、倒れると同時にその身体を霧散させた。


「ゃ、やった?」


 少女がその様子を見て声を上げる。

 緊張が解けたのか、その声は先ほどの凛とした声とは違い震え、どこか自信なさげだった。

 でも、これで終わりではないのだ、だって、深淵の中には深獣がもう一体…………

 悲しげに顔を伏せる僕を見て、黒い魔法少女は首を傾げる。


「ぇ、あ、のぉ……大丈夫、ですか?」


 大丈夫ではない、大丈夫じゃないんだ。

 深淵は人を取り込み、成長期に入ってしまっている。

 首を傾げる少女の後ろで、深淵はまた脈動するとその規模をまた少し拡大した。

 そのことに気づいたのか、少女も訝しげに深淵へと目をむける。


「仲間が……深淵の中に……深淵はまだ生きています」


 状況が分かっていなそうな魔法少女に対して説明をする。

 説明しながら、僕の頬にまた涙を伝った。

 状況は絶望的だ。

 深淵が成長期に入ると、その主である深獣は深淵に篭り外に出てくることがなくなってしまう。

 そうなってしまった深淵を鎮圧するにはこちらも深淵に入り、深獣を討伐する必要がある。

 だが、深淵はあらゆるルールのねじ曲がった未知の空間だ。

 深獣の縄張り、深獣が一方的に有利な中での討伐を強いられることとなるだろう。

 目の前の魔法少女は強かった。

 それでも、彼女と僕だけではこの難問を解決できるとは思なかった。

 もっと戦力が必要だ。

 でもその戦力が集まるまで連れ去られた二人の仲間は深淵の中だ。

 助けは間に合うのだろうか?

 仲間は人としての自我を保っていられるのだろうか?


「ね、ねぇ、泣かないで」


 黒い魔法少女は僕の涙を見て、顔を伏せた。


「泣いてるのを見ると、気分が悪いの」


「……え?」


 慰めてくれるかと思ったのだけど、少女の口から漏れたのはそんな罵倒かと思われかねない言葉だった。

 僕の聞き間違いかな?


「泣いてる奴を見ると、胃がムカムカする。苦しんでる顔も、嫌い、絶望した顔、助けを求める顔、見たくもない。昔を思い出す、嫌だ嫌だ」


 仲間を心配して涙を流していただけなのに、なぜ僕は責められているのだろうか。

 僕は泣くことも忘れてポカンと少女を見つめた。

 もしかしてこの子、結構やばい子?


「それなのに、世の中はそんな顔で溢れてる。分かってるんだ、この世界が理不尽なものだって……それでも直視したくないんだ、そんな現実。笑っていて欲しいんだ、少なくとも……私の前では。だから……!!」


 そういうと少女はガバッと顔を上げた。

 少女と目が合う。

 その綺麗な瞳は涙と、決意で彩られキラキラと光っていた。


「みんなが笑っていられる世界にするの!理不尽な暴力で涙を流さない世界に!!」


 それは願いだった。

 自分勝手な、独りよがりな、自分の嫌いなものを世界から消したいという願い。

 自己中で、それでも他者の幸せを精一杯望んだ少女の願い。


「だから、あなたも泣かないで。私が、どうにかする!」


 そういうと少女は目の前に広がる深淵を睨みつけた。

 そうして、深淵へとどんどん歩みを進めていく。

 待って。

 危険だ。

 無謀だ。

 頭に浮かんだ言葉は、口から吐き出されることはなかった。

 その言葉が、少女に届かないことを僕は確信していたから。

 少女の願いは真っ直ぐすぎて人の話なんてそもそも聞く気がないのだ。

 助けてやるから、笑ってろ、そんな上からの一方的な要求。

 僕の静止の言葉なんて届くはずもない。

 だから、僕は別の言葉を紡いだ。


「お願い……二人を助けて」


 人を助けるために存在する魔法騎士が魔法少女に助けを乞う。

 魔法騎士によっては屈辱だと思う人もいるだろう。

 でも僕が恥をかくだけで仲間を助けられるならいくらでも僕は助けを乞う。

 だから僕は、願いを少女に託した。


「うん!」


 黒い魔法少女は力強く頷いた。

 そうしてその小柄なシルエットは深淵に溶けていった…………

  




―――――――――――――――――――――





 帰り道の電車の中、あたしは今日撮った写真を見返して一人ホクホクしていた。

 都ちゃんと日向ちゃん、あたしの大切な友達だ。

 日向ちゃんはカメラを向けると顔を隠しちゃうからまともに撮れている写真は少ないけど……

 それでも魔法少女としてではなく友人として今日は楽しい時間を過ごせた。

 あの人見知りの友人も少しは心を開いてくれたように感じる。

 もっとも彼女の心の扉は数ミリ開いただけでまだまだ本心は明かしてくれてなさそうだ。

 日向ちゃんがいつも何かに苦しんでいることにあたしは気づいていた。

 大きな傷を抱えている。

 あたしの出会ったあの小動物みたいな少女は、布団に籠もって震えながら自分は傷ついてないって、そんな風に現実逃避している女の子だった。

 だから、あたしは彼女を外に連れ出した。

 陽の当たる場所に。

 あの子の痛みは人との触れ合いでしか癒せないと思ったから。

 まぁ、一緒に魔法少女をやりたいって思ったのも大きな理由だけど。

 でも私が思った通り都ちゃんともうまくやっていけそうだし、彼女の傷もいつか癒える日が来るだろう。

 その時彼女はどんな笑顔を浮かべてくれるのだろうか。

 そんな日を想像して一人ニヨニヨしていると胸元のデバイスが電子音を奏でた。

 見てみるとメッセージを受信していた。

 差出人は日向ちゃんだ。

 今日のお礼メッセージかな?変なところで律儀だからなー日向ちゃん。

 そんなことを思いながらメッセージを開封する。


『私も、戦うことにした。だから一緒に』


 ……?

 メッセージには短い一文だけが書かれていた。

 件名もない。

 短い決意表明。


「日向ちゃん……?」


 何か変だった。

 なんだか、嫌な予感がする。


「リリィ!!」


 空中に光の粒子が集まり、私の契約精霊であるパプラが顕現した。


「大変だユ!カメリアが消えたユ。彼女の存在がどこにも感じ取れないんだユ!!」


 何かが、あたしの知らないところで動いていた。





―――――――――――――――――――――





魔法騎士

深災と戦うもう一つの組織『黒き獅子』の戦士。

一角獣の角片を体内に持つ魔法少女と違い、その肉体は生身の人間である。

そのため変身することはできない。

その代わり獅子に祝福された武具をふるい深獣と戦う。

武具は持ち手の願いによって起動し魔法を纏う、しかし魔法少女のような初めの願いの制約はなく、持ち手が変わっても起動することができる。

なお、魔法少女が武具を持っても精霊同士の仲が悪いため起動はできない。

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