第一章⑥ 魔獣

 この世界へ来てからもう一週間以上が経過した。

 森の中での魔女様との新婚生活にも、もう大分慣れてきた頃だ。


 その間、俺は魔女様先生の指導の下、魔法の勉強に勤しんだ。

 その甲斐も有って、俺はいくつか簡単な魔法を覚える事が出来た。

 晴れて俺も魔法使いの仲間入りだ。


 その内の一つ、魔女様が風呂を沸かすのに使っていた『温度変化の魔法』だ。

 そう、ついに俺は魔女様との混浴を卒業したのだ。してしまったのだ。


 正直言うと、魔女様との混浴イベントが発生しなくなってしまった事は非常に残念だ。

 しかし、それでも自分が魔法を使えるという喜びは一入だった。


 まあ、魔女様はお願いすれば一緒にお風呂くらい入ってくれてしまいそうなのだが、流石にそういう訳にも行かない。

 俺は今日も一人、泉の湯で汗を流すのだった。


「それにしても、凄いですよ。こんなに短期間で魔法を修得するなんて、天才ですよ!」


「いやまあ、それ程でも有るかな」


「まあ、わたし程ではないですけどね?」


「おい」


 なんて天狗になってみていると、上げて落とされた。


 そもそも魔女様に匹敵する程の魔法使いや魔女なんて、この世界に居るのだろうか。

 いや、きっと居ないだろう。


「ふふっ。冗談です。でも、文字を覚えるのも早かったですし、本当に凄いと思ってますよ?」


 そんな正面から褒めちぎられると、ちょっと照れる。


「でも、それもこれも魔女様のおかげだよ。ありがとう」


「どういたしまして、です」


 実際、災厄の魔女とまで呼ばれる魔法の天才、魔女様が先生をしてくれていたおかげというのが一番大きい。

 魔女様先生の完璧な指導の賜物で、我ながら目を見張る程の成長速度だ。


 二〇〇年もの間引き籠っていたと言っても、面倒見が良く、教えるのが上手な彼女は、意外と魔法学校の先生なんて向いてるんじゃないだろうか。

 最も、この世界に魔法学校なんてものが有るのかすら知らないが。


 と言っても、それでも俺が思い描いていた『ファイアボール』の様な派手な攻撃魔法なんかはまだ難しく、使う事は出来なかった。


 今俺が使えるのは生活の中で役に立つ便利魔法ばかりだ。

 しかし、この分なら時期にそういった派手な魔法も使える様になるだろう。


 それに、俺が魔法の勉強に没頭出来たのも、使える時間が無限に有ったからだ。

 食事は魔女様が作ってくれるし、じゃあ掃除をしようかと思えば魔女様が指を鳴らすだけで箒が勝手に動き出す。


 森での生活、家事の殆どを魔女様が一人でやってくれるのだ。

 それ故に、日中の殆どの時間を魔法の勉強に当てる事が出来た。


 しかし、流石に家事を何一つせずに自分だけ書庫に籠って魔法の勉強というのも気が引けた。

 このままでは本当にヒモ男になってしまう。

 そう思った俺は、多少強引ながらも魔女様に仕事を一つ貰った。


 俺の仕事、それは森の中で採れる食用の謎の草、略して謎草を採取する事だ。

 魔女様はあまり家から出る事を好まないので、代わりに外へと俺が出て採取して来るという訳だ。


 しかし、面白い事に魔女様が作るポトフに使っている野菜類は、味や見た目も俺の良く知った人参や大根などと殆ど同じ物なのだが、この魔女様の指定で取って来ている謎草は前世で該当する近似種を見た覚えがない。


 もしかすると俺の知識不足という可能性もあるが、その捻じれて曲がった奇異な見た目の植物は、おそらくこの異世界にだけ生える、魔法的な植物なのだろう。


 その謎草に味自体は殆ど無いが、シャキシャキとした歯応えが良く、単体で食べるというよりは他の野菜と一緒にサラダにしたり、炒め物にしたりして食べるのに向いている。

 食感のイメージとしては、もやしとか豆苗とか、そういう感じだ。


 の、だが……。


「魔女様、今日もポトフですか」


「はい、冷めないうちにどうぞ」


 魔女様は笑顔でそう言った。

 この謎草の採取を始めて以降は、食事のメニューに副菜のサラダが追加された。


 裏を返せば、サラダが追加されるまでの間、毎日朝夕の二食が出されるが、その全てがパンとポトフの二品だったのだ。


 何故か魔女様はポトフしか作らない。

 料理慣れしている様に思っていたが、もしかするとレパートリーがそれしか無い可能性すらある。


 ポトフ自体、懐かしさを感じる好みの味付けで、とても美味しい。

 最初はそれに感動したものだが、流石にそろそろ飽きがみえてきた。


「魔女様、作ってもらってばかりも悪いし、俺も料理やってみようか」


「いえ、私料理得意なので」


 俺の僅かな抵抗も虚しく、そう言いながら小さくガッツポーズの様な仕草をして見せた。


 ああ、どうやってこの「他の物も食べたい」という気持ちをやんわりと伝えられるだろうか。

 と悶々と考えていると。

 そんな俺の様子を見た魔女様は、俺の顔色をちらりと窺った後、察してくれた様で、


「あっ、えっと。最初凄く美味しそうに食べてくれたので、好きなのかなと思って、その……」


 と、可愛くあたふたとしながらポトフ責めの理由を述べていた。

 どうやら魔女様はポトフ以外を作れないという訳では無く、気を利かせて俺の好物をずっと作っていてくれていただけの様だ。


 忘れがちだが、引き籠り歴二〇〇年の世間知らずな魔女様なのだ。

 毎日違うものを食べる、とかそういう一般的感覚が無かったのだろう。


 もしかすると、彼女自身が気に入ったものを飽きるまで毎日食べるタイプなのかもしれないし、食事に頓着しない栄養が取れればそれで良いタイプなのかもしれない。


「すみません、気が利きませんでした。明日からは他の物も作ってみます、ね?」


「いや気を使わせてごめん、いつもありがとう」


 ちょっとわがままを言ったみたいで申し訳ないな。

 まあでも、こういう価値観の擦り合わせみたいなのは共同生活という感じがして、ちょっと良いなと思ってしまった。



 そんな訳で、今日も今日とて俺は夕食前に魔法の勉強を切り上げて、唯一の仕事である謎草の採取に向かった。


 辺りを少し探してみる。

 しかし、ここ数日でどうやらここら近辺の物は粗方採り尽くしてしまった様で、家の前の川を少し下った辺りまで来てみたが、十分ほど近辺を探索しても、殆ど見つける事が出来なかった。


 まだ二人分の量には足りない。

 このまま今日のサラダが無くなるのはちょっと困るので、もう少し遠くまで探しに行く事にした。


 しかし、このまま遠くまで採取に行ってしまうと帰りが遅くなり、魔女様に心配をかけてしまう。

 そう思った俺は、一度家に戻って、魔女様に一声かけて行く事にした。


「魔女さ――」


 おっと。

 一声かけてから行こうかと思ったが、魔女様はリビングの定位置にあるロッキングチェアに腰掛け、膝にブランケットをかけて、すやすやと寝息をたてていた。


 彼女が本を読む時の定位置だが、椅子に揺られるがままうとうとして眠ってしまったのだろう。


 まあいいか。

 わざわざ起こすのも憚られたので、そのまま寝ている魔女様を起こさない様に、小声で「行ってきます」と言い残して、謎草探しに行く事にした。


「とりあえず、川の向こう岸まで行ってみるか」


 川の向こうはまだ行った事が無い。

 きっと謎草も残っているだろう。


 向こう岸へは岩をいくつか踏み、足場にしながら渡って行った。

 川は浅く、流れも穏やかで落ち着いた物なので、落ちても問題は無かっただろうが、喜ばしい事にとりあえずは服を濡らさずに渡りきる事が出来た。


 川の向こう岸へ渡り、木々を分け少し歩いた頃。

 やっと謎草が生えている地帯が見つかった。


 謎草の生態についてはあまり詳しくはないが、ここ数日採取していた体感では、ぽつぽつと生えた地帯を辿れば、どこか一か所に集中してまとまった量が生えている群生地帯に辿り着く傾向にある。



 そして、程なくして。

 思った通り、少しした先に群生地帯が有った。

 しかも、ここはその中でも結構な量がまとまって生えている。

 この分なら、今日だけで二日分くらいは採れそうだ。


 穴場を見つけた俺が夢中で採取していると、その内木々の隙間から通る光が消えて行き、辺りは少し薄暗くなってきていた。


 俺はまだ書庫のランプに使用されている様な『光源』の魔法なんかは使えない。

 このまま採取を続けていると、更に暗くなってくる。


 夜の森は足元が見え辛く危険だろう。

 帰路の時間も考えると、そろそろ引き上げた方が良さそうだ。


 しかし、ここで改めて辺りを見回して、気付いた。


「帰り道、どっちだっけ……」


 気付けば、自分がどっちの方角から来たのか分からなくなっていた。


 足元を探しながらぐるぐると歩いていた所為で、いつの間にか更に遠くまで来てしまい、しかも方向感覚が無くなってしまっていたのだ。


 顔を上げても、背の高い木々が周囲を覆い、前も後ろもどこを見ても同じ景色。

 帰りの目印を何も付けていなかった俺は、きっちり迷子になってしまった。


 どうしたものか、と途方に暮れる。

 しかし、辺りをよく見てみると、まだ謎草が僅かに残るエリアが目に付いた。


 俺がここまでの道中で謎草を採りながら歩いて来たと考えると、帰路はきっとその逆。謎草が残っていない方角だろう。


 俺は一度、今いる場所の目印として、謎草の採取に使っていたナイフで木の幹に傷を付けた。

 そして、それの印をスタート地点として、当たりを付けた方角、つまりは謎草の無い方角へと向かって、同じ様に木に傷を付け、それを道標としながら歩いて行く事にした。


 これなら道を間違えていたとしても、印を頼って戻る事が出来る。


 最悪の場合でも、遅い帰りを心配した魔女様が探しに来てくれるだろう。

 しかし、魔女様の手を煩わせるのも申し訳無いというか、迷子になりましたなんて言うのもなんとも情けない。

 最大限の努力はするべきだと、俺の中の小さなプライドが言っている。


 そのまま真っ直ぐと歩いてみる、

 しかし、いくら歩けど家には辿り着けず、勿論越えてきたはずの川すら見当たらない。


 空振りだ。

 俺の努力も虚しく、当たりを付けて歩いた方角は全くの外れの様だ。


 進んでも進んでも、辺りの景色は変わらず、視界に入るのは天を覆う木々だけ。

 振り向けば、俺の後ろには印として傷を付けられた木の幹だけが、ただただ並んでいた。


 一つ溜息を吐き、そろそろ引き返すかと思った頃。


 少し遠くの木々の隙間、で何かが動いた。

 迎えに来た魔女様かと一瞬思い、期待に胸を膨らませる。


 しかし、違う。

 薄暗い森の中でも分かる、動いた影は四足歩行だ。

 そして、暗闇に四つの赤い光が浮かび上がる。


 普通の動物の類がこの魔法で守られた森に居る訳がない。

 それは魚一匹泳いでいない川の様子や、虫一匹飛んでいない森の中の様子を見ても分かる事だ。


 しかし、現に目の前には四足歩行の生き物が居る。

 四つの赤い光、四ツ目の生物。


 魔法の勉強も勿論だが、俺は文字を覚える為にこの世界に来てから何冊も本を読んだ。

 その本の中の知識から、俺はこの眼前の四足歩行の生物に思い当たる存在を、一つだけ知っている。


 “魔獣”――魔の獣、その字面で気づくべきだった。


 今俺の目の前に居るという事は、この森の中に入って来られるという事は、『迷い』の魔法を突破して来た、という事だ。

 奴らは、魔力を持っている。


 勿論、家の周りで魔獣なんて物を見た事なんて一度も無い。

 それは魔力が有ろうと、家の有る森の奥まで辿り着く事は出来ないからだろう。


 しかし、ここに魔獣が居るという事は。

 おそらく、俺は家を離れて森のかなり浅い所まで出て来てしまった、という事なのだろう。

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