第一章⑤ 文字


「こちらです。少し足元が暗いので、気を付けてくださいね?」


 魔法を学びたいと言った俺を、魔女様は地下に有る書庫へと案内してくれた。


 階段を数段降りて、扉を開ける。


 壁一面には何列もの本棚が並んでいる。

 床にも本棚に収まりきらずに溢れた大量の本が平積みされていて、気を付けないと崩してしまいそうだ。


 地上の家と同じ様に、天井から吊るされた魔法のランプが書庫の空間を明るく照らしていて、本を読むためのテーブルと椅子も置かれている。


 初めは物置の様な場所を想像していたが、書庫は思ったよりもずっと広い。

 面積でいえば地上の住居スペースのリビングともほぼ遜色ない広さがある様に思う。

 

「広い……。それに、凄い量だ」


「そうですね。魔導書を書いてたらどんどん増えて行って、気付いたらこうなってました」


 あはは、と魔女様は少し照れ臭そうに笑っている。


「なるほど。その魔導書ってのを読んで覚える感じか」


「あ、いえ。それはまだ、あなたには早いと思います。きっと読んでもちんぷんかんぷんですよ」


「あ、そうかなのか」


「まずは初心者向けの、入門書とかから入るが良いと思います。えっと、確かこの辺りに……」


 と、そう言って魔女様は書庫の奥へと本を探しに行った。


 奥の方からどたばたと、積んである本をひっくり返して、本が崩れた様な大きな音が聞こえてくる。


 ドの付く初心者以下である、魔法の魔の字すら知らない、異世界人。

 そんな俺が読む様な入門書を、自分で新たな魔法を産み出せる程の魔法の達人である魔女様が、普段から読んでいるはずもない。

 そういった入門書の類は、書庫には有ってもかなり奥深くに仕舞ってあるのだろう。


 その捜索の様子は大変そうで、見ているだけでは少し申し訳なくなってくるが、勝手の分からない場所なので手伝おうにもどうしようもない。


 待っている間。

 手持ち無沙汰なので、俺は適当にそこらに積んであった本を何冊か手に取ってみた。

 厚い如何にも魔導書の様な洋書と、剣を掲げた勇者のイラストが表紙の薄い絵本。


 本を開き、ぱらぱらと捲る。

 ふむ、なるほど。これは興味深い。


「文字が、読めない……!」


 思わず、俺は声を上げてしまった。

 完全に、全く、これっぽっちも解読出来ない。一文字も読める文字がない。


 試しに他の本も開いてみるが、やはり全く読む事が出来ない。

 日本語でも、英語でも、知っているどこの国の文字でもない。


 ここに有る本の全てが、這ったミミズの様なひょろひょろした象形文字が並んでいる、暗号文でしかない。


 しかし、考えてみれば当然である。

 漢字、平仮名、片仮名を複雑に使い分ける謎の文章体系が日本以外の他の国で発展するはずもない。

 ここが異世界ならば尚更の事だ。


 その世界にはその世界の文字が体系化されているだろう。

 今俺が口から発する言葉が魔女様に伝わっているだけでも奇跡なのだ。


「ひゃいっ」


 俺が急に声を上げたものだから、魔女様を驚かせてしまった様だ。

 崩れた本の山に埋もれていて、姿の見えない魔女様の声だけが返って来た。


「あ、ごめん」


 そうしていると、魔女様が本の山を掻き分けて、そこから這い出て来た。

 俺は手を差し伸べて、魔女様を引っ張り上げる。


「ありがとうございます。それで、どうしました?」


「今気づいたんだけど、文字が読めなくて……」


「ああ、そう言えば、あなたは異世界から――」


「そう。よく考えたら、この世界の文字が読める訳が無かった」


「それは盲点でしたね」


「魔女様。魔法の前に、文字の勉強をお願いしても……?」


「そうですね、そうしましょう。それじゃあ――あっ!」


 そして、魔女様は俺がさっき手に取っていた絵本に目を付け、それを手に取った。


「――この本がいいと思います。まずは、このあたりから始めてみましょうか」


 それは剣を掲げた勇者の可愛らしいイラストが表紙に描かれた、ページ数の薄い子供向けの絵本。


 確かに俺の識読レベルはゼロ、子供みたいなものだ。

 挿絵と結び付けて文字を学べる絵本はうってつけだろう。


「この絵本、わたしの大好きなお話なんです」


 そんな感じで、絵本を挟んで、書庫のテーブルに俺と魔女様は並んで座る。


 そして、隣に座った魔女様がその絵本の文字を指でなぞりながら、読み聞かせてくれた。

 

 それは勇者■■の冒険みたいなタイトルの本。

 内容は勇者と魔女の二人が魔王を倒す為に旅をする物語だった。

 ラストシーンは魔女が勇者の剣に魔法をかけ、勇者がその剣で不死の魔王を討つという展開。


 ありがちな設定の物語だが、短い絵本によくまとめられていて、可愛らしいイラストの挿絵と合わせて楽しめた。



 そして、その後魔女様は文字の表を作ってくれたので、それを使って本を読みながら、途中魔女様が入れてくれた紅茶を飲みつつ。

 熱中して文字の勉強をしていると、すっかり日が暮れてしまった。


 しばらくすると、魔女様は「夕食の準備して来ますね」と言って上へ戻っていったので、それからは一人、書庫で勉強を続けていた。


 一日通して文字の勉強をしていると、大体この世界の文字の仕組みも分かった気がする。


 いくつかの決まった記号を組み合わせて文字を作るローマ字の様な感じだ。

 それに、魔女様と会話が出来ている様に、発音自体が日本語と殆ど同じだからか馴染みやすい。


 記憶喪失になっておいて説得力は無いが、俺は記憶力は割と良い方だ。

 すらすらという訳にはいかないが、もう既にさっきの絵本の様な簡単な本なら読めてしまうくらいになっていた。


 しかし、途中で開いてみた肝心の魔法の入門書の方は専門用語が多いのか、上手く翻訳出来ない部分が多い。

 それはまだ一人では理解が追いつかなかった。

 魔法の方はまた直接魔女様に教えてもらおう。


 しかし、なんというか。

 食事を作ってもらい、勉強を見てもらい、俺と魔女様の関係が当初の予定とは更に逸れてきた気がする。

 これではヒモでも旦那様でもなく、もはや母親と子供の様になってきているのではないだろうか。


 しかし、見た目はともかく、実際の年齢的には二〇〇歳程の差が有るので、旦那様よりは合っているのかもしれない。

 なんて事を考えていると、上から魔女様の声が聞こえて来た。


「あなた、ご飯出来ましたよ~」


「はーい、今行きます」


 俺も扉に向かって声を張って返し、そして俺も上に戻ろうかと席を立つ。


 すると、ふと床に落ちていた本が目に付いた。

 それは落ちていたというより、投げ捨てられていたという表現の方が適切かもしれない。


 俺はそれを拾い上げ、手に取って見る。

 その本は、ここに有る他の本とは明らかに様子が違っていた。


 それは表紙がインクでぐちゃぐちゃに黒く塗り潰されていた。

 まるで感情をそのままぶつけるかの様に。


 しかし、開くと内容は読むことが出来た。



―――



 タイトル『■■の■■』



 とある国に一人の魔女が居ました。


 魔法に長けたその魔女は沢山の魔法を産み出しました。


 魔女は国の為に魔法を使いました。

 雨を降らし、作物は育ち、国は繁栄して行きました。


 ある日、その国の王様は魔女を呼びこう言いました。


「この国の繁栄を永遠の物としたい」


 魔女は王の命を受け、新たな大魔法『永遠』の魔法を作りました。

 この大魔法が成功すれば、王の望みは叶い、この国の繁栄は永遠となるでしょう。


 王は大魔法の完成を喜び、国を挙げて祭りを開きました。

 民は永遠の繁栄を祝いました。


 そして、祭りの最後に魔女は大魔法の儀式を行いました。


 しかし、大魔法が繁栄をもたらす事は有りませんでした。

 魔女は王を騙していたのです。


 大魔法により、魔女の魔力が周囲に溢れ出しました。

 国は瘴気に包まれ、建物は崩れ落ち、民は異形へと変わり果てました。


 異形となった民は食事を必要としません。

 傷を受けても再生します。

 民は永遠の時を生きる事が出来る身体を手にしました。


 しかし、永遠を手にしても、もう彼らは人では無いのです。

 民は人の姿を失い、永遠の時間の牢獄に囚われてしまいました。


 周囲の国や街でも、魔女の魔力を喰らった魔獣が暴れ、沢山の人が死にました。


 民は怒りました。

 この危険な魔女を殺さなくてはなりません。


 追われた魔女は、森へと逃げ込みました。

 多くの者が魔女を追いましたが、その森には魔法がかけられていて、誰も魔女の元へは辿り着けませんでした。


 追う事を諦め、森自体を焼き払おうとする者も居ましたが、魔法に守られた森はただの火では燃える事も無く、誰の手も魔女には届きませんでした。


 その後、魔女の姿を見た者は誰も居ませんでした。


 今も生きているのか、死んでいるのか。

 まだ森の中に居るのか、それとも居ないのか。

 それは誰にも分りません。


 それから、その森は魔女の森として、魔女は災厄の魔女として、後世に語り継がれていきました。


 その事件を、民の怒りを、恨みを、忘れない様に――。



―――


 ぱたんと、本を閉じる。

 胸の奥がずしりと、嫌な重みを感じる。


 床に乱雑に投げ捨てられ、表紙を塗り潰された本。

 その本には魔女様の話が人間視点で書かれていた。

 魔女様本人の口から詳しく聞けていなかった、大災厄の概要。


 魔女様がどういう感情でこの本を手に取ったのかは分からない。

 それでも、きっと魔女様は見るのも嫌になってそうしたのだろう。


 感情のままに本を塗り潰し、床に投げ捨てる魔女様。

 そんな姿を、想像するだけで胸が痛む。


 ――『永遠』の魔法。

 こんなに俺に良くしてくれる魔女様が、こんなに優しい魔女様が、本当に王を騙し、魔獣を暴れさせ、人々を殺したのだろうか。


 いや、身内贔屓かもしれないが、被害者視点で脚色された本なんて眉唾くらいに思っておこう。


 俺は吐き捨てる様に、元有ったのと同じ様に、その本を乱暴に床にぽいと投げ捨てた。

 そして、書庫を出て、魔女様の待つ食卓へと向かった。



 リビングに戻ると、魔女様は先に食卓に着いて待ってくれていた。

 メニューは変わらずポトフとパンが並べられている。


「お待たせ」


「遅かったですね?」


 魔女様は少し訝しげにこちらをじとっと見ていた。


「ああ、森の魔法で迷っちゃったかな」


「あなた、それ便利な言い訳だと思ってませんか?」


「いや、まさか。ははは」


「もう。また魔法の練習でもしてたんですか?」


 “また”と言うと目撃されてしまった俺の恥ずかしいファイアボール詠唱を指しているのだろう。


 もしかすると今後ずっとそれを弄られ続けるのかもしれないが、魔女様とそんな軽口を言い合うのもそれはそれで仲良くなってきた気がして、それ程嫌な気もしない。


「いや、魔法の本は難しくて全然わからなかったよ。またお願いします、先生」


「はい、それじゃあ、明日もお勉強見てあげますね?」


 やはり、奥さんというよりは母親かもしれない。

 明日以降も魔女様ママ先生に魔法のお勉強を見て頂ける事が確定したところで、俺たちは夕食を食べ始めた。


「それにしても、もう文字を覚えただなんて凄いですね」


「何故か分からないけど、すっと入って来たんだよね。元々物覚えは良い方だからかな」


「ふふっ。記憶喪失なのに、ですか?」


「それはまあ、それはそれ、これはこれという事で」


 そんな話をしながら、ポトフとパンに舌鼓を打つ。

 というか、この世界に来てからこれしか食べていない気がする。


 手慣れていたから料理上手かと思っていたが、もしかすると魔女様の料理レパートリーは著しく少ないのではないだろうか。

 まあ、作って貰っている立場なので文句を言う事も無い。美味しいし。



「ところで、魔女様。森の外ってどうなってるの?」


 そして、夕食の最中の雑談がてら魔女様に森の外の現状について聞いてみる事にした。


 さっき一度は眉唾と捨てた本だが、仮にその内容を一部信じるなら外の世界は瘴気に包まれ魔獣の闊歩する世紀末なのだ。

 これから俺が生きていく事になる世界な訳で、気にもなるだろう。


 まあ本の内容の他の部分、具体的には大災厄や『永遠』の大魔法については今すぐに触れても魔女様の地雷を踏み抜く気がしたので、俺の知りたい事と擦り合わせた上で、持ち合わせの話題の中で一番無難そうという事情もある。


「えっ……えっと、森の外に出たいんですか?」


「いや、今すぐという訳じゃないんだけど、追々はね?」


 魔女様からすると意外な質問だったのだろうか。

 少し驚いた様で、質問に質問が返ってきてしまった。

 無難な話題を選んだつもりだったが、これもあまり良いチョイスでは無かったのかもしれない。


 そして、魔女様は俺の顔色をちらりと窺って、顎に手を当てて少し考える素振りをした後、


「そうですね。魔獣なんかも居ますし、この森から出るところを外の人に見られると、私の仲間だと思われて最悪殺されるかもしれません。ちょっと危ないかもです」


 と、答えてくれた。

 俺は森の外の様子について聞いたのだが、その回答の内容はあまり実態に触れられておらず、言外にやんわりと外出を咎められてしまった様だった。


 そう言えば、この世界について聞いた時も森の中の事しか教えてはくれなかったな、と少し違和感を覚える。


 しかし、もしかするとそれも魔女様は二〇〇年間森の中に籠っていた所為で外の事をあまり知らず、それ故に答えられる事があまり無いのかもしれない。

 そう考えると、これ以上深く言及するのも野暮というものだろう。


 しかし、それでも僅かながら情報は得られた。

 やはり魔女様の言と、そしてあの本に書いてあった内容を照らし合わせても、“外の世界は瘴気に包まれ魔獣の闊歩する世紀末”という認識は間違っていなさそうだ。


 魔獣というのも瘴気というのも、実態は分からないが、何となくのイメージは浮かぶ。

 明らかに危険な物だろう。


 まあ、当面は森の外へ出る用事もない。

 俺は魔女様の脛を齧り倒す予定だし、何なら心のどこかでは、ずっとここに居られるのならそうしても良いとさえ思ってしまっている。

 森の中で美しい魔女様との生活、不満なんて有るものか。


「なるほど、魔獣ね」


「はい。魔法が使えない普通の人だと、簡単に襲われて食べられちゃいますよ」


「じゃあ、自衛が出来る様に、やっぱりしばらくは魔法の勉強かな」


「そうですね。文字を覚えるのも早かったんですから、きっと出来ますよ!」


 そう言ってにこにこと明るく笑い、俺の事を優しく励ます魔女様の姿。

 それはやはり、彼女や奥さんというよりは母親の様だった。

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