第一章④ ファイアボール

 窓から差し込む朝の陽射し。

 眩しいほどの日の光は差し込まない森の中だが、僅かな陽の光が俺の覚醒を促していた。


 異世界という慣れない環境だと言うのに、朝まで途中で目が覚める事も無く、驚くほどにぐっすりと熟睡出来た。

 それ程に、昨日は激動の一日だった。自分が思っているよりも疲れていたのだろう。


 トラックに跳ねられて死に、異世界転移。

 そして、魔女様に『死者蘇生』され、何故かその魔女様の旦那様として、この森の中で暮らして行く事になった。


 改めて思い返してみても、その非現実感にまだ夢の中に居るんじゃないかと錯覚しそうになる。


 俺は意識と共に、ゆっくりと身体を起こそうとする。


 しかし、俺の身体はまるで何かに押さえつけられたかのように、動かなかった。

 おかしいな、金縛りだろうか。と思い、目を開ける。


 ――ああ、そう言えばそうだった。

 目の前には美しい黒髪のエルフ、もとい魔女様が居た。


 蘇生直後、森の中で目を覚ましたのと同じ光景だ。

 しかし、少し違う点が有るとすれば、それは魔女様が俺の腕を枕にして、すやすやと寝息を立てている事だろう。



 時を戻そう。

 それは昨晩、風呂で疲れを洗い流し、そして森の家へと帰った後の事。


 身体を温め、腹も満たした俺は今にも全身を包む眠気に身を任せようとしていた。

 そんな時に判明した事実。

 この家には、ベッドが一つしか無い。


 それもそのはず、考えてみれば当然の事。

 ここは元々魔女様一人で住んでいた家、二つも三つもベッドが置いてある訳が無い。


 どうしたものか、毛布だけでも借りてどこか横になれる所で休もうか、なんて考えて家の中を見渡していた時。

 魔女様はそそくさと自分のベッドに潜り込んだ。

 そして、


「隣、どうぞ?」


 なんて言いながら、自分の隣をぽふぽふと手で叩いて俺をベッドに呼ぶのである。


 元々魔女様が一人で使っていたベッドな訳で、二人で寝るとなるとそれはそれなりに窮屈で、密着せざるを得ない訳で。


 お風呂での混浴もそうだが、これは魔女様の距離感がバグっているのだろうか。

 それとも、一応は夫婦関係となったから、本当にそういう気が有るのか。

 経験のない俺には測りかねた。


 それはもう、大いに葛藤した事は言うまでもない。

 しかし、朝の状況からも分かる通り、結果的に俺は魔女様とベッドで一緒に寝た。


 一応弁明をすると、睡魔に襲われつつも、流石に葛藤の末に理性が勝ち、


「いや、俺はその辺で寝るから大丈夫」


 と、一度は断ったのだ。


 しかし、魔女様はそんな俺の言葉を受けて、


「じゃあ、わたしが椅子で寝ます。あなたがベッドを使ってください」


 なんて事を言い出したのだ。

 家主を差し置いて俺だけがベッドを使うなんて選択肢が有る訳も無く、というか女の子を椅子で寝かせて一人ベッドを独占なんて出来る訳が無い。

 しかし、だからといってお互い譲り合った末にベッドを空けて二人共椅子に座って寝るというのも間抜けである。


 そして、何度かベッドの押し付け合いをした後、最終的には眠気に負け、活動限界が来た俺が折れる形となった。

 かくして、俺は魔女様の押しに負けるままに、同衾する事になったのだった。


 最初は緊張で眠れないんじゃないかと心配していたものの、異世界に来て色々有った事による気疲れからか、元々俺の意識はシャットダウン寸前。

 魔女様との同衾を楽しむ暇もなく、俺はものの数秒で微睡に誘われ、意識を失った。



 ――そして、今の状況である。


 というか、昨日意識が途切れる寸前までは、お互い背を向けて寝ていたはずだ。

 しかし、何故か起きたら対面した状態に、しかも魔女様は俺の腕を枕にして、すやすやと穏やかな寝息を立てている。


 腕を完全にロックされてしまい、これでは魔女様が起きるまで動くことも出来ない。

 視界一杯に魔女様が映っていて、視線の逸らし先も無い。


 改めて、本当に作り物みたいに綺麗な人だ。

 長い睫毛、さらさらの長い黒髪。

 その黒髪が頬にかかっていて、どこか色っぽい。


 魔女様の寝息が肌を掠めてくすぐったい。

 腕と触れあった肌が温かい。


 冷静に一度意識してしまうと、頭の中がぐちゃぐちゃで目が回りそうだ。

 もうばっちりと目は覚めてしまった。


「んんーっ……」


 俺が目覚めてからそれ程時間は経っていないのだろう、しかし体感十分くらいは悶々とする時間を過ごしていた気がする。


 そんな感じで魔女様の寝顔を眺めていると、魔女様の規則的な寝息が止み、代わりに喉を鳴らした声が聞こえて来た。

 ぐっすりと熟睡していた眠りの森の魔女様がやっとお目覚めだ。


「えっと、おはよう、魔女様」


 俺は何となく悪いことをしている気分でばつが悪く、歯切れの悪い朝の挨拶をしてしまった。


「んー? ……あー、おはよう、ございます……」


 対して魔女様はこの状況を特に気にした様子も無く、にこりと微笑み、昨日と同じその澄んだ声で、でも昨日よりもふわふわとした感じで、挨拶を返してくれた。


 薄く開いた紫紺の瞳が朝の陽ざしを反射し、キラキラと輝いて見えた。


 魔女様の寝起きは良い様で、何度か目をぱちくりと瞬きさせ、伸びをした後、「よいしょっ」とすぐに身体を起こした。


 そして、「朝食の準備しますね」と昨日の食卓の有るリビングの方へと向かって行った。

 俺は何となく少し魔女様と時間を空けて、布団にまだ残る魔女様の温もりを惜しみつつも、身体を起こし、寝室を出た。


 痺れが残っているのだろう、魔女様が枕にしていた方の腕に、まだその重さを感じる気がした。



 リビングへ入ると、魔女様はエプロンを着けて、早速台所に立っていた。


「あ、おはようございます」


「おはよう、魔女様」


 改めて、朝の挨拶を交わす。


「もう少しかかるので、先に顔洗って来ますか? 川の水、冷たくてとっても気持ち良いですよ」


 魔女様はそう言って、玄関の方を指で示す。


「ああ、ありがとう。そうするよ」


 そう言えば、近くに川が有ったなと思い出し、俺は言われるがまま外に出た。


 川の水は透き通っていて、川底まで見える程だ。

 流れは穏やかで、静かな森の中で耳をすませば、さらさらと微かな音が響いて来る。


 川の畔に膝を付き、冷たい水を両手で掬い、一気に顔に浴びる。

 肌が引き締まる感じがして、すっきりと目が覚めた。


 タオルを借りて来るのを忘れたな、と思いながらも、取りに戻るのも面倒で、服で顔の水分を拭っていると、ふと川の中の様子に少しの違和感を感じた。


「あれ? ……魚が、居ない?」


 水があまりにも澄んでいて綺麗過ぎるから、それに気づく事が出来た。


 川の中を見回しても、魚の姿は見えない。

 それどころか、改めてよく見ればこの森の中には虫一匹居ない様だ。

 この自然の中、野生の生き物が一匹も居ないなんて事が有るだろうか。


 何故だろう、と思案し、昨日の事を思い返す。

 そう言えば、この森――魔女の森には『迷い』の魔法が掛けられているらしい。


 どういう理由か、俺にはその効力が発揮されていなかった。

 しかし、普通は“魔力の弱い者は森の奥へ入って来れない”と言う。


 なるほど。周囲の状況から見るに、おそらくその魔法の対象には動物や魚、虫なんかも含まれるのだろう。

 その内釣りでもしようかと思っていたが、どうやらそれは叶いそうもない様だ。

 

 しかし、魔力か……。

 この森にかけられている『迷い』の魔法の効力は俺には発揮されなかった。

 であれば、だ。


 もしかすると、俺にも実は隠された魔力が秘められていて、魔法を使えるのではないだろうか。

 そんな事をふと思い立ち、適当な木の幹に向かって片手を広げ、掌をかざしてみる。


「ファイアボール!」


 そして、当てずっぽうで適当な魔法を叫んでみた。


 俺のイメージの中では、燃え盛る炎球が掌から発射され、目の前の太い幹に黒い焦げ跡とクレーターを残す予定だった。


 しかし、そんな当然都合よく魔法が発動し、思い描く様な火炎の球が発射される様な事は無い。

 現実は非常成り。

 虚しくも、俺の声は森の静寂に掻き消されていった。


 折角異世界に来たのだ、魔法の一つくらい使ってみたいものだが、流石にそう都合良くは行かなかった。


 しかし、少しの間だがこうやって森の中をふらふらと歩き回っても迷う気配は無い。

 ならば、死体だから人間判定されなかったという訳でも、異世界転移だったから侵入できたという訳でも無いだろう。


 それなら、きっと、おそらく、多分。

 俺にも『迷い』の魔法を突破出来る程度には強い魔力が有るはずなのだ。

 そして、魔力が有るのなら俺も理論上は魔法を使えてもいいはずなのだが――。


 と、そこまで考えてから気づく。

 よく考えると、魔女様が魔法名を叫んだり呪文を詠唱したりしながら魔法を使ってる所なんて見たことが無い。


 どう考えてもやり方が違うのだろう。

 今度魔女様にちゃんと魔法の使い方を教えてもらおうかな。

 なんて、朝から馬鹿な事をやっていると、後ろから、


「朝ごはん、出来ましたよ?」


 と、魔女様の声がした。

 唐突に聞こえてきた声に驚き、一瞬びくりと身体を震わせる。

 振り返ると、そこにはエプロンを付けたままの魔女様が居た。


 きっと、顔を洗うだけにしては帰りが遅い俺の事を心配して、わざわざ呼びに来てくれたのだろう。


「ああ、ありがとう」


「戻るのが遅かったので、心配しちゃいました。何してたんですか?」


「いや、特に何も。慣れない所だから迷っちゃったのかな」


 なんて適当な言い訳を並べるが、家から目と鼻の先の川までに迷う様な事は無い。

 もしそんな事が有ったとすれば、それは『迷い』の魔法の所為以外にあり得ないだろう。


「ふぅん……」


 魔女様はそんな俺の様子を見て、訝しげだ。


「……もしかして、今の見てた?」


 もし仮に、あんな場面、醜態を見られていては堪った物では無い。

 しかし、それは俺の杞憂だったらしい。


 魔女様は俺の問いに対して「うん?」と頭に疑問符を浮かべる様に、首を傾げただけだ。

 良かった、とほっと胸を撫で下ろす。


「やっぱり、何かしてたんですか?」


「いや、何でもないよ。さ、早く食べよう、お腹空いてきた」


 俺は気恥ずかしさから、そう言って誤魔化しつつ、魔女様を追い越して足早に家へと戻っていった。



 家に戻ると、食卓に並べられていたのは昨日と同じパンとポトフだった。

 彼女の手料理という補正も相まって、二回目でもその味に飽きを感じさせない。


 これから毎日魔女様の手料理を食べられる訳だ、役得役得。

 これからどんなメニューが出てくるのか、今から楽しみだ。


「「いただきます」」


 と二人揃って、手を合わせる、食べ始める。

 和やかな朝の食卓。


 そんな中。

 ぼーっとしながらパンを千切り、口へ運んでいると、


「おっと」


 手が滑って、千切ったパンをテーブルに落としてしまった。

 俺は少し逡巡した後、そのパンの欠片を拾って皿の端へ避けた。


 それは記憶喪失であっても、俺の元来の性なのだろう。

 潔癖症的な感性で俺は落としたパンを何となく汚いと認識してしまい、そして、一度そう思ってしまうとそのまま拾って食べるのは憚られた。


 例えば外食の際、その店のテーブルはどの程度綺麗に掃除されているのか、前に使用した人はどんな人だったのか、それを知らない。

 だから、何となく汚い。

 そういう感性だと思う。


 もし、これが実家のテーブルに落としていたのなら、違っていただろう。

 それは誰がどの様に使ったテーブルなのかよく知っている。

 だから、きっと三秒ルールだとか意味の無い言い訳をしながら、そのまま拾って食べるのだろう。


 しかし、俺はまだそこまでこの家のテーブルを知らなかった。

 だから、魔女様には悪いな、と思いつつも皿の端に避けてしまった。


 しかし、魔女様はそれを咎める事も無い。

 それどころか、それを見た魔女様は俺が皿の端へ避けたパンをひょいと摘んで拾い上げ、それを自分の口に放り込んだ。

 そして、もぐもぐと咀嚼し、食べ終えると、


「はい、あーん、です」


 と、今度は自分の分のパンを俺が落としたパンと同じくらいのサイズに千切って、差し出してきた。


 一瞬驚いて魔女様の表情を窺うが、それでも俺は特に抵抗なく、そのパンを食べる。


「ん、ありがと」


 俺の感性はその魔女様が千切ったパンを、先程の落としたパンとは違い、今度は何となく汚くないと認識したのか、素直にその厚意を受け入れる事が出来た。


 まあ人間そんな物だ。

 綺麗か汚いかを個人の感性で曖昧な線引きをする生き物だ。


 魔女様はそんな俺の様子を見て、にこにこと機嫌を良くしていた。



 朝食を食べ終え、一段落付いた頃。

 食後の紅茶を嗜んでいると、魔女様がぽんっと手を合わせて、


「さて、今日は何しましょうか」


「あ、それなんだけど――」


 朝の件を踏まえ、俺は魔女様にお願いしたい事があった。

 俺はこの世界での衣食住の全てを、ヒモらしく魔女様頼りで生活していく予定だ。

 なので、現状そういった現実的な所の心配をする必要があまり無い。


 つまり、俺がこの異世界で取り急ぎするべき事。とういうか、したい事。それは、


「魔女様、よかったら俺に魔法を教えて欲しい」


 やはり、前世では絶対に出来なかった、異世界ならではの経験。

 漢のロマン、魔法を使ってみたいという訳だ。


 そう提案してみると、魔女様がからかうように楽し気な笑みを浮かべ、


「ふぁいあぼ~る、ですか?」


「待って、朝のやつ見てたの?」


「すみません、呼びに行ったタイミングで、偶々……」


 恥ずかしい。

 頭を抱えるも、もう遅い。

 穴が有ったら入りたいとは、まさにこの事だ。


「まあ、いいや。そう、そういう感じの魔法を、使ってみたいんだけど……」


「そうですね、分かりました」


「お、やった。本当に、良いの?」


「はい、勿論です。まあ、実際に出来るようになるかは分かりませんけど、可能性は有ると思います。やってみましょう!」


 やはり、魔女様の反応を見るにも、俺にも魔力が有るという仮説はそれなりに有力な気がする。

 希望が見えて来た。


「よろしくお願いします、先生」


 そう言って、少しおどけながらぺこりと頭を下げてみる。


「そうですね。取り敢えず、書庫へ向かいましょうか」

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