9_命令の実行

「その言い草は酷すぎないか?」


 どこか諦めたような張りのない声。


「え……?」


 印象は全然違う。いつも怒っているように刺々しかったけど、優しさを感じられる声。それとは全然違うけれど、声の響きにどこか面影があって、結論に飛びついてしまいそうになる。

 しかし、理性で押さえつける。ありえない。変に期待を持っても空しいだけだ。

 そう思うと、再度怒りが湧いてくる。


「祐樹の声で喋るな!! 殺されたいのか!」


 弱々しくて調子は全然違うけれど、ベースにあるのは祐樹の声。

 だが、祐樹の生存はあり得ない。自爆コードを実行したのだから。

 だとすれば、この男が発しているのは祐樹を模した合成音声。そうに決まっている。どこまでも私をこけにする組織に腹が立つ。


「相変わらず思い込んだら一直線だな。そういうところも可愛いんだけど」


 知ったような口を利く男に我慢の限界になって、顔を地面に打ち付けようとしたところで、手が止まる。

 男がものすごい力で首を回して、その横顔が目に入る。


「っ!?」


 途端に脳内を大電流が駆け巡ったような感覚がして、心臓をギュッと掴まれたような心地になる。


「そ、んな……」


 その横顔は紛れもなく祐樹。ツンと上を向いた生意気そうな鼻に、どこか冷たそうな薄い唇。


「やっと気づいてくれたか」


 男が柔らかく微笑む。

 でも、その笑いは昔とは全然違う。昔は、どこか棘を感じるような顔つきが笑った途端に花が咲いたように温かくなって、そのギャップにこちらまで笑顔にさせられた。

 今、目の前にいる男の笑いは寂し気で陰を感じる。

 違う。

 こいつは、違う。


「やめて。その声で……その顔で喋らないで」


 発した自分の声が、震えていた。懇願する様なその響きに驚く。


「おいおい。そんな酷いこと言うなよ。確か、お前の幸せは、俺とあいつが居ることが大前提なんだろ?」


「!?」


 組織を脱出する直前。祐樹が管理者コードを行使した直後に、私が発した言葉。それを知っているのはこの世で私と祐樹の二人だけ。

 いや、そうじゃない。

 祐樹に埋め込まれていたコンピュータが移植されているのだ。その記録が残っていても不思議ではない。


「祐樹……なの?」


 それでもわずかな可能性に期待してしまう自分が居て、それに縋り付いてしまう。

 名前を呼んだ途端にぱぁっと顔が明るくなる。柔らかで見ているこっちまで元気になる笑顔。


 祐樹だ。


 直感的に分かってしまった。

 どんなに本人に似せようとしても、子供のころからずっと一緒にいた私を騙すことはできない。理屈立てて話すことはできない。でも、自分の中の奥深く。電脳でも書き換えられないような部分で悟った。

 目の前にいるのは紛れもなく祐樹だ。

 ……本当は声を聞いた瞬間から分かっていた。

 けど、認めてしまったら自分の根底が覆ってしまいそうで受け入れられなかった。そうして自分を騙そうとしたけれど、やっぱり無理だった。


 いったん受け入れると、これまで抑え込んでいた感情が奔流のようにあふれ出す。


「そうだよ、マユ。会いたかった」


「わたし……私……!」


 一緒に逃げられなくてごめんだとか、疑ってごめんだとか祐樹に言わなくちゃいけないことはたくさんある。

 けど、いっぱいいっぱいで言葉が出てこない。

 嬉しいやら申し訳ないやら色んな感情が胸にあふれてぐちゃぐちゃになる。祐樹にはたくさん、たくさん伝えたいことがあるのに、喉でつっかえてしまう。

 それが余計に申し訳なさを助長して、ついには涙まで出てくる。そのせいでまた言葉が出なくなる。完全に悪循環だ。

 祐樹と脳内で通信を試みようとするが、拒絶されてしまう。研究員などから許可をもらわないと通信できないというシステムは相変わらずらしい。

 祐樹に掛けられた制限を解除しようとしているが、何重にも重なっていて苦戦中だ。もどかしくてたまらない。


「全く。マユは変わらないな」


 祐樹が呆れたように呟きながら、体をねじる。私はもう力を入れていないから、それだけでコトンと地面に尻もちをついてしまう。

 そんな私を祐樹がそっと抱きしめる。

 祐樹の腕の硬さに驚いて私の体が強張ってしまうが、伝わってくるぬくもりが優しくほぐしてくれる。

 胸の奥がギュッと切なくなって、涙がどんどん溢れてくる。

 けどその涙に不快さは全然なくて、なんだか心地良い。


「ごめんな。こんなに待たせちまって」


 涙でぐずぐずになっている私の頭に祐樹がそっと手を回して、優しく胸に押し付ける。

 祐樹の服に私の涙がしみこんでいくのを感じて、私の嬉しさが祐樹にも伝搬して言っているような感覚にとらわれる。


「……ずっ。ほんとよ……ばか」


 祐樹が戻ってきてくれて、嬉しくてたまらない。けど、素直にそう言うのが恥ずかしくて、口をとがらせてしまう。


「ははっ。ごめん。いろいろあったんだよ」


「……いろいろじゃわかんない」


 はぐらかそうとする祐樹の言葉を受けて顔を上げると、優し気に私を見守る祐樹の顔がドアップで映る。


「ふふふ」


「はは」


 しばらく見つめ合っていると何だか気恥ずかしくなって、どちらからともなく笑いが漏れる。

 けど、そんな時間があったかくて、嬉しくて、ずっと続けば良いのにと思ってしまう。


 ああ、そうだ。


 頭にふとよぎった言葉がストンと胸に落ちて、深く染み渡っていく。


 長らく忘れていたけれど、これが私の求め続けていたもの。


「ねえ、祐樹」


「うん?」


 祐樹の胸に耳を当てながら呼びかけると、低くて柔らかい声が降ってくる。それが祐樹の心音とあわせて、私を穏やかな気分にさせてくれる。


「私ね、いまとっても幸せ!」


 再び顔を上げて祐樹を見つめると、豆鉄砲をくらったようにぽかんとした顔。

 けど、すぐに花が咲いたように笑顔になる。


「そうだな。俺も幸せだよ」


 祐樹が私の言葉に同意してくれる。でも、どこか違和感を感じる。


 確かに祐樹の顔は笑っている。花がぱぁっと咲いたかのような笑顔。


 だというのに、どこか寂しさを感じる。


 そうして祐樹の顔を見上げていると、祐樹のプロテクトを破ろうとしているプログラムから妙なフィードバックを受ける。


「!?」


 怪訝に思ってログを見ようとすると、祐樹から私に向かって大量のフレームが送り付けられてくる。


「裏切り者のマユに会えるなんて……。俺の手でマユを始末できるなんて、今日は最高の日だ!!」

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