第45話 こどもじみた言い訳

「……だから、何でも記憶してしまうヨウは忘却がプレゼントというのね」

 シノはため息交じりに言葉を吐きだす。それが嘆息か呆れか、ヨウには判断がつかなかった。どっちでもあり得るから。


「うん、そういうこと。……でも、幸いヨウはまだそんな経験がない。できるだけ親しい人を作ってこないようにしてきたから。ただ、妹のアオだけ。……アオの居ない世界なんて考えられない。生きている意味がない。ヨウはシスコンだから。アオが全て」


 わざと誇張して言ってみる。実際はそこまで肩入れしていない。アオに対する情は、シスコンという言葉で形容できるものではないと思っていた。それをシノも感じたんだろう。だから、シノはやんわりと微笑んで、

「まあ、熱烈」

 なんて軽く茶化してみせる。羨ましい、なんて呟きながら。シノに羨ましいことなんてないはずなのに。彼女が望めば全てが手に入るはずなのだから。


「まあね。……でも、本当にアオが死んだらきっと耐えられない。だってその苦しみをずっと味わうことになるんだから。忘れられないって地獄。

 ある日そう思って恐怖を感じたんだ。親しい人をつくるということは、失う恐怖をつくるということ」


 なら初めから作らなければのよかったのかと言われると答えは否だ。死への恐怖をくれたのも、生きる意味をくれたのもどちらもアオだったのだから。その二つを失ったら人間終わりだ。


「でもアオがいなければヨウは生きている意味がなかった。……だから、ヨウは記憶を失う薬を創ろうとしていた」


「……なるほど。ヨウの言い分は理解できるわ。とても、痛いほどに。生きる意味も死ぬ意味もないなんて、ある意味地獄なのだから」


 そこでシノは哀しそうに微笑んだ。全てを諦めた表情にも見える。

「……でも、本当に愛することができる人がいるというのは羨ましい話ね」

「シノにはいないの」

「ええ、いない……それこそ、肩入れする人間をつくったら、大変じゃない。愛する人というのは弱点になる。強みになるという人もいるけれど、少なくともという人間にとっては違う。は強くあらねばならない。独りの方が人間は強い。失うものが自分しかないのだから……」


 シノの人生観を垣間見た気がした。ただの錯覚だろうけれど。人の人生観なんて一言では理解できるはずがないのだ。理解できた気になっただけ。だから人はコミュニケーションをとるのだ。


「……シノは強いね」

「いいえ、私は逃げているだけ」

「ヨウだって逃げようとしているよ。何でも記憶できてしまうからこそ、記憶を消して逃れようとしている。何だか上手くいかないね」

 シノは笑った。全ての不条理に対する最後の足掻きのようにも見える。


「ええ、私たちはまだ未完成なのだから。まだまだこれから。だから、大丈夫。今はまだこどもだから、何をしても許されるの……」

「あは、シノに言われると安心するね。忘却の薬なんて禁忌だろうけれど、そうだね、ヨウたちはこどもなんだもん。今はいいよね。……逃げてもいいよね」

「ええ、だから私たちはこどもなのよ」


 なんて子供じみた言い訳。だからって記憶は自分から失っていいものでもなかった。ただ自分の行動を正当化する言い訳を探していただけ。シノはそれをヨウに与えてくれた。ヨウはシノに何かを与えられたのだろうか。どうしてシノは他人のヨウにここまでしてくれるのだろう。


「ねえ、シノ。シノは独りでいたいというのに、どうしてヨウにはここまでしてくれるの」

 そう言うとシノはぱちりと目を瞬かせた。目から鱗だった、とでもいう表情だった。


「……私は、そんなつもりはなかったんですけれどね。確かに、少し矛盾していますね。私は独りでいる時が一番つよいと言いました。でも今はヨウとこんなに懇意をもって接している。確かにおかしい」


 そこでシノは口元に手を添えた。そして少し逡巡したのち、シノはヨウに瞳をかちあわせた。静かな深海のような瞳。こんな時でもシノの瞳は凪いでいた。


「――そうですね、一つ種明かしをすると、私はヨウに期待をしていたんです」


 それこそヨウにとって目から鱗だった。

「ヨウに、期待?」

 オウム返しだ。馬鹿みたい。


「ええ、そうです。私にはひとつ計画があるんです。計画というか野望というか。いいえ、そんな大したことではないんです。反抗期のこどものような、最後の悪あがきのようなことです。私はこどもですから。そうやって正当化してきたので」


 シノにしては珍しく酷く抽象的な話だった。全く話の全貌がつかめない。

 ヨウは記憶を辿るのは得意だったけれど、思考してなにかを推測するのは苦手だった。でも考察はできた。脳内に資料は十二分にあるから、それを繋ぎ合わせて結論とするのには長けていた。

 だからこそ、シノの言葉はイレギュラーでしかなかった。でも、それゆえに一緒にいて一番愉しかった。今までのヨウの人生に欠けていたものを与えてくれたから。


「……その計画って何」

 単刀直入に訊いた。だって、ヨウにはさっぱりわからなかったのだから。

 わからないことはその場で解決しないと大変なことになる。すれ違ったまま溝は大きくなって、そのまま戻らないものだから。


「ふふっ、これは誰にも言わないでおこうと思っていたんですけれど……ビジネスパートナーとして、話くらいは訊いてもらいましょうか。ヨウもその計画に噛んでいるので」

 でも、その前に――。シノは囁くようにしていう。


「ヨウの計画を話してくれませんか。ヨウは、忘却の薬を創って何がしたいんですか。ただ忘れたいだけにしては動機が小さすぎます。何か壮大な計画でもあるのですか」


 シノの深い瞳に、ヨウの深淵を覗き込まれた錯覚に襲われた。人に曝け出したくないところに、音もなく入ってこられるような錯覚。


 でもなぜか不快ではなかった。むしろ、全てを話してしまいたかった。

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