第4話 球技大会

 哀しいかな、厄日というものは続くのである。


 球技大会。クラスで親交を深めようというもの。そんなもので友情が育めるなら教えてほしい。いや、これは言い過ぎか。でも、運動音痴にとっては地獄のようなイベントだろう。


「ええっと、今日は何の競技をするんだったっけー?」

 隣にいたクラスメイトに訊いてみる。もちろんわざとアホっぽく。記憶を辿ると、このクラスメイトとはまともな会話をしたことがあった。

 全てを記憶できる頭脳はこういう時にとても便利だ。


 ――あれ、何か欠けている記憶があるような。記憶を辿った時に感じた違和感。何だろう、そこはかとない喪失感が漂う。


「もう、ヨウちゃん忘れたの? ドッジボールだよ」

 思考が遮られる。喪失感もいつの間にかどこかへ行ってしまった。そのままもう帰ってこない。

「あー、そうだった、そうだった。ありがとねー」

「うん。もう忘れないようにね」


 多分この台詞には嘲りが一ミリ含まれている。でも気にしない。

「えへへー」


 こうしてアホな印象づくりを一からやり直していく。


 先日のテストのせいであらぬ注目を浴びてしまってきている。少し面倒。"天才"だとか”一番”には注目が集まるものだ。でも、中身がアホだとわかると大衆は途端に興味を失うだろう。それか、一周回って話のネタになるか。


 どちらにせよ、天才で成績優秀だなんて思われるよりマシだ。僻み、やっかみというものは面倒な種のほかならない。出る杭は打たれる。打たれる方が悪いのだ。


 人に認められるために生きるのは、たぶん苦しい。天才とは得てして認められないことが多い。だから、ヨウはヨウの好きなことをして自分のために生きる。それが幸せでしょ?


 なら、バカなキャラを演じた方が楽だ。よき理解者だけがヨウを理解すればいい。よき理解者なんていないのかもしれないけれど。


 ――いいや、誰かいた気がする。でも誰かは思い出せない。じゃあ、これは気のせいだろうか。



 ピィィィィ


 けたたましいホイッスルの音がしてドッジボールの試合が始まる。


 球技なんて簡単だ。


 ボールは全て放物線を描く。空気摩擦係数などを考慮すれば、式をたてて計算ができる。だから、簡単。幾らでもうまく行けるシミュレーションができてしまうのだ。


 ――身体が計算通りに動けば、の話だが。一番ここが肝要だったりする。まあ、なんとかなるでしょ。


 ボールが回ってきてしまった。とりあえず外野にパスをだすことにする。自分には人にボールを当てるだけの腕力と度胸がないので。


 でも、外野に投げるくらいなら簡単だ。二次関数曲線を描くように、それも放物線が平たくなるようにボールを放ればいいのだ。これなら空気摩擦係数を考えても上手くいくはず。


 ボールをキャッチして投げるまでの三秒間に、十回ほど脳内シミュレーションをしてみる。よし、これで大丈夫。シミュレーションでは十回とも成功したのだから。あとは投げるだけ。


 なんだ、運動なんて簡単じゃない。ごめんね、天才で。


 ボールを構える。腕をたわませる。腕を振りかぶる。適切なタイミングで手を離す。ここだ、さあ手を離せ。


 そう、シミュレーションでは十発十中だった。これだけは譲れない。でも、それは投げる人が機械のように完璧に投げれた場合だ。運動音痴の補正はかけられていなかった。


 そして、自分は球技においては運動音痴の部類に入ることを忘れていた。忘れていたというよりかは自分の運動レべルを過信しすぎていた。ここにきて一番の過失だ。


 ぽーん。てん、てん。


 係数がマイナス四くらいの急な二次関数曲線を描いてボールは地に落ちた。つまり、外野には遠く及ばず、内野の敵に当てるでもなく、敵陣に落ちたのだ。


 ボールが落ちたのを見て、ヨウのテンションは地に堕ちた。なんちゃって。


 こんなつまらない洒落が思い浮かぶほどには、ある程度余裕があり、同時に現実逃避していた。


 やっぱり厄日は続くのかもしれない。


「あれ、おかしいなー」

 なんて真面目くさった顔をして人差し指で頬を掻くと、周囲からクスクスと笑いが洩れる。バカにするような笑い。


「勉強は出来るのに運動はこれきしなんだね」


 好き勝手いうなあ。なんて少し思ったけど気にしない。これが噂のネタになって広がってもいいのだ。


 どうせ人の噂は七十五日。卒業するころには皆忘れている。多分、これは自分だけの黒歴史になって終わるのだろう。黒歴史なんてそんなものだ。


 少なくとも中学生という生き物はそれぞれが自分のことで精一杯。他人のことを逐一覚えられるやつは稀有だ。だから、黒歴史というものは自分が覚えて恥ずかしくなるものである。


 存外他人は自分に興味がないし、自分も他人に興味がないのだ。


 全てのヒソヒソ声を無視して、すたすたと外野に歩く。ここで足が長くて身長が高くて顔面が綺麗だったら、「颯爽と歩いた」なんて表現が出来たのかもしれない。

 ああ残念、身長は高くないし足が長いはずもなかった。うん、現実はこんなものだ。


 そんなこんなで外野についた。ここで早速イベント発生。やっぱりついてない。


「ねえ、ヨウちゃん。何か面白い話して」


 既に外野にいた女子が笑みを浮かべてこっちに寄ってきた。周りに何人か侍らせている。

 あー来たよ来たよ。噂が主食のご婦人方。

 これは勿論比喩だけど。でもそれくらい彼女らは噂話が好きなのだろう。楽しそうでなにより。


「面白い話? ヨウが? どうして?」

 意味のわからない質問には質問で返すに限る。

「えー。暇だったから」

 そう言ってみんなキャハハと笑う。なにが面白いんだか。


「それにヨウちゃんはテストで一番なんだから、面白い話くらいできるでしょ?」


 すごい理論だ。こんな暴論見たことない。少なくとも接続詞の使い方を勉強した方がいいと思う。


 なんて口に出すと不興を買うに決まっている。噂モンスターの彼女らとは、そこそこ友好的な関係を構築しておきたい。仲良しごっこがしたいわけじゃないけど、その方が便利だから。


 人間関係は損得勘定で成り立っている。少なくともヨウにとってはそうだ。自分にとって面倒か、そうでないか。そして今回は無視をする方が面倒だった。


 だから、仕方なしに心に浮かんだ面白いことをそのまま口に出してみる。ちなみに面白いっていうのは”興味深い”のほう。


「……いい天気だね。空は、多分真っ青だし」


 はあ?という顔をされる。想定通りの反応。

「それが面白い話? 意味わかんないしつまんな」

 うん、これも想定内だった。負け惜しみとかそんなんじゃなくて。


 彼女らはそう言い捨ててどこかへいく。先程話を振ってきたのは向こうなのにね。それに、このネタは私にとっては十分に面白い話なのだが、お気に召さなかったらしい。ありがたい。


 うん、空は快晴だ。こんなに真っ青な空で漂えたら気持ちいだろうなあ。空が飛びたいんじゃなくて、漂いたい。空の海で漂えたら、どんなに幸せだろうか。


スーー……ハーー……


 深呼吸すると全てがどうでもよくなってくる。今日の球技大会はもう消化試合だ。外野で待機するのみ。

 さて、何を考えて時間を潰そう。外見さえ球技大会に参加しているように見えれば、思考は自由だからね。


 うーん、昨日書物でみたオイラーの等式は美しかった。はっきり言って痺れたなあ。どうしたら、あんなのが思いつくんだろう。それから……。


 ♢


 突如、キャアという黄色い歓声が上がって、思考が現実に引き戻される。仕方なしに歓声の上がった方に視線を投げる。


 丁度、可憐で美しい少女が、運動神経のよさそうな女子生徒にボールを当てている光景が目に入った。


 少女が投げたボールは綺麗な弧を描いて、相手の足にヒットする。しかも強すぎず弱すぎず、適度な力加減で。もし狙ったとすれば、あまりにもスマートで華麗なボール捌きだった。


「キャー! シノ様、頑張ってー!」

 先程黄色い歓声を上げていた女子数名がキャラキャラと囃し立てる。シノ様って。信者じゃん。怖い。


「ふふっ、お任せください」

 当の本人は美しく言い切って形の良い手をひらひらと振る。変に気取らず、しかしどことなく慣れた様はまるでアイドルみたいだった。容姿端麗だし。


「噂の生徒会長様はすごいねぇ。なんでもできちゃう」


 どこからか聞こえてくる声。そうか、あれが件の生徒会長サマ。そうだ、シノと言えば、中間テストの成績がヨウに続いて二番だった人だ。


 容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群。


 確かにその言葉がぴったりな人だと思った。あっ、また当てた。運動もばっちりできるんだなあ。


 雲の上の存在。何でも出来すぎて、まるで何かの主人公。



 ――まさか彼女と関わる日がくるなんて思いもしなかった、ある晴れた日の午後。


 澄み渡った青空がヨウを静かにあざ笑っていた。

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