第22話 Night and Day(昼も夜も)


 翌朝、上野署は蜂の巣を突いた様な大騒動に見舞われた。ユグドラシル同盟ビル周辺には非常線が張られ、野次馬やマスコミはシャットアウトされる。

 新入り捜査官はフラフラとした足取りで、正面玄関からビルを出た。植え込みに蹲り、青くなった顔を何度も振る。後ろから疲れ切った中年捜査官がペットボトルの水を、ぶら下げてやって来た。

「愛ちゃん、大丈夫かい。ほら水を飲んで」

「今、何か胃に入れたら全部出しちゃいます。何ですか、この現場は!」


 彼らと入れ違いに自衛隊の爆弾処理班が、ビルの中に入って行く。十階部分にある爆発物を処理する為だ。それを眺めながら、愛ちゃんは首を振った。

「ヤマさん、この街はどうなっちゃうんでしょう。これからもこんな、肉屋のバックヤードみたいな現場が続くんですか?」

「どうなんですかねぇ。情報提供者によると、事件は一段落したみたいなんですが」


 自衛隊より異彩を放つのが、動力停止しているエレベーター前に陣取る、白髪の神父である。大司教の腰巾着だ。警察が聞いても自衛隊が質問しても、このエレベーターは手出し無用の、一言で追い払ってしまう。

 その内どちらの組織にも上部から通達が入ったらしく、彼に構う人間はいなくなった。


「なんで私がこんな事を」

 神父のへの字に結ばれた口元からは、苦虫がはみ出していた。


 神父を眺めて小首を傾げたヤマさんは、新人捜査官の背中を擦る。ポケットに入れていたスマホを取り出して、深いため息をついた。


「頂いた資料を、どうやって報告しましょうかねぇ? どんな風に手を回しても、上役が大騒ぎですよ」

「何の話ですか?」

 彼はペットボトルを愛ちゃんに渡すと、小さく首を振った。


「気にしないで下さい。単なるボヤキです。……それにしても、あれだけあるビル内部の監視カメラの画像データが全部消えているし、指紋モン足跡ゲソだって、取れるかどうか分からないし、私たちはどうしたら良いのですかねぇ」



 窓から差し込む日光が、安物ソファーとスチールデスクに当たる。ブルーバード探偵社は相変わらず殺風景だった。部屋の中では人狼と、シスターの言い争いの声が響く。


「な、何でマロウ君の服を脱がせているんだ!」

「血だらけだからだよ。この後、裸にしてシャワーで流さなきゃいけないし、面倒なこった」

「お、男の人同士で、そんな事をするのは不潔だと思う」

 両手をバタバタさせながら、ユリアは言い募る。目を細めた礼は、吸血鬼の方に首を倒す。


「奴が、このまま目が覚めたら血のせいで、また暴れ出すかもしれないんだよ。俺がやって拙いなら、アンタがやれば良い」

「!!!」

 顔を真っ赤にしたシスターは、しばらく本気で悩んでいた。それからため息をついて、肩を落とす。

「すまない。疲れ過ぎていて、混乱していたようだ。彼の世話を頼む。私は机を借りて残務処理をしている」


 もし手が足りなければ遠慮なく声を掛けるんだぞという、ユリアを無視して人外たちはシャワールームに消える。

 シスターは、いつ声がかかっても良いようにと、ソワソワして立ったり座ったりしていた。そのうちシャワールームを覗きに行こうとする、自分に気が付いて強く頬を叩く。

「いかん。錯乱してしまった。後始末を早くしないと……」

 スチールデスクに座り、タブレット端末を取り出すと操作を始める。


 同盟ビル内の画像データの完全廃棄や、ユリアたちの痕跡除去依頼。エレベーターに閉じ込めてある、無傷の天使の回収。この天使の回収が、今回の任務では一番大きな成果だった。バチカンでは今まで、無傷の天使を確保した事が無い。彼女をサンプルとして、飛躍的な天使対策を取る事ができる筈だ。


 それにより天使の存在は恐怖から、単なる驚異へと変わるだろう。人間は理解できない事象に恐れを抱くものだから……



「うっ……」


 気が付くと彼女はデスクに俯せになり、爆睡していた。タブレットを確認すると、天使の回収は成功したらしい。白髪の神父の嫌味たらしい報告書が送信されていた。いつの間にか肩に掛かっていた、毛布を取り払うと奥の部屋を覗く。


 シャワーで血を洗い流されたマロウは、ベットに横たわり唸り声をあげている。人狼は椅子に身体を預け、寝入っていた。

「マロウ君、大丈夫か?」

「最悪な気分。生き血を呑むと、アレルギー反応が酷くって」


 吸血鬼は首筋や腕の赤い斑点を指差した。

「熱は出るし、体中痒くなっちゃうんだよね」

「いや君、それどころじゃなくて……」

 重ねて話しかけようとした時、目を覚ました礼と視線が重なる。彼は小さく首を横に振った。それだけでユリアは理解した。地下四階の話はしなくて良いという事だろう。


「世の中には知らない方が良い事もある、だな」

「そういう事だ」

「ねぇねぇ、何の話?」

 

 マロウの問いに、二人は苦笑で答えるだけだった。夜の帳がおり、朝日が昇る。この世界は私たちにとって、知らない事で溢れていた。見た事も無い人外たちは、今日も光と闇の間で蠢いている。



 恐怖に打ち勝つために人間は、本当に全ての事を知った方が良いのだろうか。


 ……貴方は、どう思います?

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シスター・ユリアの憂鬱 @Teturo

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