第17話 山口登場
階段が途切れると、先には扉があるだけだった。人狼は鼻をヒクつかせる。
「ビンゴ! ここだ。モヒカン、道案内御苦労」
礼は軽金属製の扉を一蹴りで叩き破った。金属扉は室内に物凄い勢いで飛び込んだが、スーツ姿の眼鏡に片手であっさりと受け止められる。
「ノックをしろとは言わないが、もう少し大人しく入って来られないのかな」
そうボヤく男は、うっすらと微笑んでいる。彼の眼もとに掛かる眼鏡の枠は、少し歪んでいた。
「お前、山口だな」
人狼の問いに、彼は片手を振る事で答えた。
「過去には、そう呼ばれていたが今は違う。Zelkova .serattaと呼んで貰いたい」
「ザルコバ…… 何だって?」
礼は眉根を寄せた。ユリアが補足する。
「
確かにそうだ。天使は自我を失い命令されるままに、動き回る筈である。始めに遭遇した女性の天使は、口を利く事もできなかった。山口は口元を歪める。
「私は天使の突然変異でね。変身後の方が全ての能力が、高まっているようなのだ。運動能力然り、語学然り……」
「ケヤキちゃんはどうして、天使になったの?」
「……Zelkova seratta」
マロウの問いに対して山口は再度、称号を繰り返した。吸血鬼は両手を上げる。
「呼びづらいし長いよ。ケヤキちゃんで駄目なら山口君で良い?」
「これだから一般人は! ……古い名前よりはケヤキの方がマシかな」
小さくため息をついた山口改めケヤキは、これまでの経緯を話し始めた。
冴えない勤め人だった山口は、上野に本社がある食品関連の中小企業に所属していた。主な業務は中国にある提携工場とのやり取りや、輸出入の書類作成などである。
一見、ホワイトカラーな職種に見えるが、何のことはない。倉庫の荷出しから、注文の電話取りまで何でもやらなければならない事務員だった。ブルーカラー寄りの水色職種である。唯一ホワイト的なの特殊技能とも言える中国語も、発音が悪いと先方から良くクレームが入った。
「当時は早口の中国語を聞き取るのが苦手でね。取引先の工場も田舎にあるから、訛りが酷くて良く理解できなかった。しかし今なら、
HSK六級は二百四十点取れば中国の超一流大学の語学試験を、免除されるほど難しい試験である。変身前は三級でも危なかった。そんな鬱々とした日常で報われない思いを抱いた山口は、世界樹思想に傾倒して行く。徐々に職場よりも同盟ビルに入り浸る時間が長くなって行った。
そして今から半年ほど前、職場で一悶着有り彼は上司に叱責される。ほとんどその上司が原因の、クレーム処理に深夜まで奔走させられた。退社後、彼は同盟ビルの近くでヤケ酒を呷った。
「うぃ〜、どいつもこいつもフザケやがって……」
酩酊した彼は、大通りと歩道の段差に足を取られて車道へ転がり落ちる。そこに、折り悪くトラックが通りかかり……
「うわぁ。異世界転生できないパターンの奴だ」
「? とにかく私は重傷を負い、同盟ビルに引き取られた。そして気がついた時には、この身体になっていたと言う訳だ」
ケヤキは吸血鬼を見つめながら、微笑んだ。
「異世界転生というものが、どういうものか分からないが、今は非常に良い気分だ。大した努力もせずに、別世界で成功した様なものだからね」
「しかし程度の良い天使というだけでは、ウラマーの称号は得られないだろう?」
シスターの問いに、ケヤキの笑みは広がった。
「良く聞いてくれた。これを見てくれ!」
小山の様に盛り上がった物体を隠すビニールシートを、ケヤキが取り払った。そこには幾つもの死体が積み重なっていたのである。
「……うわぁ」
マロウはゲンナリした表情を浮かべた。モヒカンは腰が抜けた様に、座り込む。ケヤキはウキウキと両手をすり合わせ、誰かが質問してくれないかと待ち構えていた。
「それ受付のキャシーじゃないか! しばらく顔を見ていないと思ったら…… その奥の若い奴も、このビルで見たことあるぞ」
モヒカンの叫び声に、ケヤキは初めて彼に気がついた様に声をかけた。
「何だ、このビルの警備員じゃないか。見上げたものだ。君も献体になるために、ここに来たのかな?」
「そんな訳ねぇだろう! お前、同盟関係者を手当たり次第、攫っているのか」
「永遠の存在になれるチャンスなんだがね。……私は効率的に天使を作り出す方法を発見したのだ。それが称号を得た理由だよ」
ケヤキの微笑みの闇は、より深くなっていった。
「私は手術してくれた医師の助手をしていたのだが、彼は何故か重病人や瀕死の怪我人にしか施術をしなかった」
「それが人道的見地って奴なんじゃねぇのか?」
モヒカンは吐きそうな顔をしながら、反論を吐き出した。しかしケヤキは全く意に介しない。
「私は考えた。天使になるのだって、若くて健康的な肉体の方が良いに違いない。それに施術の方法だって、無駄に麻酔などをかけない方が、予後が良いに決まっている」
これまで黙っていたユリアが、怒りを込めた視線をケヤキに向けた。
「それは生きながらにして、ゾンビにされるという事か?」
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