第10話 山口の秘密


「それでは被害者は、教会の神父さんという事で間違いないですね」

「はい。彼の身元は、私たちの教会が保証します。後程、必要書類も提出させて頂きます」

 ヤマさんと呼ばれた刑事は、疲れ切った溜め息を吐き出した。立入禁止の黄色いシールに囲まれた公園で、ボンヤリとシスターを見た後、ポツリと呟いた。

「この死体にも齧られた跡があります。一昨日の件と同じヤマなんですかねぇ」


 植え込みの中には、スーツ姿の中年日本人が倒れていた。首筋から肩にかけての肉がゴッソリと削られている。無くなった肉・・・・・・は、付近に落ちてはいない。


 礼が見つけた遺体は、同盟ビルの監視をしていた若者が第一発見者として、百十番通報した。教会関係者であることを報告すると、直ぐにユリアに警察から助言を求められる。連絡を受けてから、公園に辿り着いた振りをしたユリアが、被害者の身元保証者となった。


「この頃、本当に死人を見過ぎます。この街で一体何が起きているんですかねぇ。シスター、何か新しい情報はありませんか?」

「ユグドラシル同盟という、組織をご存知ですか?」

「ユドグ…… 何ですって?」

「ユグドラシル。日本語で世界樹という意味です。世界中で様々な活動を行っている組織ですが、評判は余り良くありません。被害者は極秘に、この組織を調査していたようです。その日本支社が、この公園の近くにあります」

「わが警視庁上野支社上野署の目の前で、こんな事が起きるとは。その世界樹って名前の組織ですか? 早速調べてみますよ」


 その後、事務的なやり取りを二・三行い、シスターは黄色いシールを潜って公園を後にした。その後ろ姿を目で追いながら、ヤマさんは新入りに声をかけた。

「愛ちゃん、確か公安からもユグドラシル同盟に、関する問い合わせがあった筈です。どんな内容だったか、調べといて下さい」

「えっ、ヤマさんユドグ……」

「ユグドラシル」

「失礼。ユグドラシル同盟を知っていたのですか?」

「大したことは知りません。最近、近所で見かけない外人が、多く出入りしている事くらいですかね」

 疲れた中年男の、大した狸具合に驚いた新入りは、敬礼して上野署に戻って行った。



「そろそろ、契約内容を更新した方が良さそうだ」


 ブルーバード探偵社のソファーの上で、シスター・ユリアが切り出した。ソファーの端では、マロウが半分眠りながら座っている。スチールディスクの向こうで、人狼はゴキリと首を鳴らした。

「具体的には、何を更新するんだ?」

「どうやら、お前は我々の知らない方法で、山口を探すことが出来るらしい。もう一度、奴を探し出す事と、身柄確保の補助をお願いしたい。こちらの人員が二名、減った」


「一人は死んだから分かるが、もう一人は……」

「あの若い神父だ。犠牲者を見て、調査協力を断ってきた。無理矢理させると教会も辞めてしまう勢いだな」

 シスターは肩を竦める。礼は奥の部屋から温め直した珈琲を持って来た。味見をして顔を顰める。


「泥水みたいだが、無いよりはマシだろう。良かったら飲んでくれ。それから山口だが、恐らく同盟ビルに戻っている」

 ユリアは口にした珈琲を、危うく吹き出しそうになった。

「どうして分かるんだ?」

「俺には、これがある」


 そういうと人狼は、自分の鼻を軽く指で叩いた。


「俺の鼻は特別製だ。警察犬なんか目じゃない位に高性能でな」

「それで、山口が同盟ビルの正面玄関ではなく、裏口から出た事が分かったんだな。正面から出た人物は囮か」

「あぁ、そうだ。奴の匂いは覚えている。それから奴は車や乗り物に乗るのが苦手なのかもしれない。流石に乗り物に乗られると、匂いが途切れてしまうが、今までそれはなかった。それに……」

 礼は自信なさげに言葉を止めた。右手で鼻を擦りながら話を続ける。


「奴は生きた人間では、無いのかも知れない。死臭の甘い匂いが少し混じっている気がした」

「……そんな事まで! 少し込み入った話をさせて貰って構わないだろうか」

 シスターは泥水の様な珈琲を一口啜ると、形の良い眉を顰めた。もう一口飲もうか迷って、カップを置くと話し始める。



 猟奇殺人犯、山口俊彦は生きた人間ではない。通常ゾンビと言われている人外になる。世界各地にゾンビ伝説は息づいているが、有名なのはカリブ海沿岸や中国であろうか。


「今回のゾンビは民間伝承のたぐいではなく、人工的なものであると、我々は考えている。生きている内に小脳の一部に外科的な手術を行い、薬物を定期的に投与するというものだ」

「ゾンビパウダーみたいなものか?」

「古い映画が好きみたいだな。もっと化学的な物だ」

 シスターは苦笑した。それからタブレットを取り出して、画像を呼び出した。複雑な化学式と薬剤の入った、赤と白の組み合わさったカプセルが映し出される。


「知っているとは思うが、人間の能力にはリミッターがかかっている。筋力であれば十割のうち二~三割しか使えない。プロスポーツ選手で瞬間的にではあるが、五割を意識的に使える人間もいる。その能力を手に入れる為には、長期間の訓練が必要になるが」

「あぁ。火事場のクソ力みたいなものだな」

「そうだ。リミッターが切れて、百%の力が使える状態になった人間は、その状態で長期間生存する事が難しい。全ての器官や臓器が限界を迎えてしまうからだ。リミッターと呼ばれる機能には、脳の一部器官と各種ホルモンの関連が確認されている」

「その薬で山口は存在できる、期間を延ばしている訳か」

「いや、違う。薬は脳の手術結果を継続させているだけだ」

 ユリアは重たいため息をついた。


「このゾンビ達には、一つの共通点がある」

「死なない事以外にか?」

「そうだ。手術の後遺症か薬の副作用かは不明だが、彼らはいつでも微笑んでいる。そこで彼らのことをAOSと呼ぶ事がある」

「なんの略称だ?」

Angel of Smile天使の微笑みだ」

 人狼は不機嫌そうに鼻を鳴らす。シスターは肩を竦めた。


「命名者のブラックジョークだと信じたい。彼らの存在期間を延ばすには、エネルギーが必要だ。彼らは、そのエネルギーを犠牲者の肉体から直接補給している」

「どこが天使なんだ、どこが! エグすぎるだろ」

「こんな天使達が戦地で活躍したら、どうなると思う?」

「戦闘能力が高く、簡単に死なない兵士の誕生だな。さらに食料や生活必需品の補給も必要なくて、長期間活動できる」

 礼は鼻に皺を寄せる。ユリアは小さく首を振った。


「その通りだ。私達、調査員は大量生産されつつある、AOSの調査に係わっている」


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