7.月の竜、仲間に加わる
前にシルから聞いたことがある。
いにしえの竜たちには、それぞれ司る特性ってものがあるんだって。
たとえば銀竜のシルの場合、司るのは運命と時。そして月の竜は——、
「……安らぎと眠り?」
「そうだよ」
答えたのは月竜じゃなかった。彼女と同じいにしえの竜、シルだ。
「月竜は〝癒しの竜〟とも呼ばれていてね。僕たち竜の〝内なるもの〟を癒す力を持っているんだ」
「へぇ……」
内なるものって、なんだろう。安らぎって言うぐらいだから、精神的なものに関わるのかも。
「ねえ、月竜」
今も竜の姿で見下ろしてくる月の竜を見上げて、おれは呼びかけた。彼女はゆるやかに首を傾げる。
「おれたち、今この島から逃げ出そうと思ってるんだ。月竜も一緒に逃げようよ」
『ふふっ、あたしまで加わると大所帯になっちゃうわよ?』
返された言葉は明るい声だった。自分も一緒に逃げるだなんて、考えていないみたいな口ぶりだ。
そうだ。すっかり忘れていた。ここは、月の竜の巣穴なんだ。
竜にとって巣穴はおれたちにとって住み慣れた家みたいなものだ、って母さんが書いた本で読んだことがある。
「そんなことは全然気にしなくていいよ。もともと月竜のことは助けたいって思っていたんだ。でも……きみがこの巣穴を離れたくないっていうなら、無理にとは言わない」
もちろん強制はできない。竜にだって物事を決める権利はあるって、思うから。
だけど。
「月竜には一緒に逃げて欲しいって、おれは思う。巣穴を捨てることにはなるけど、でも、やっぱりいのちには変えられないよ! きみがどうしても巣穴が必要なら、おれが巣穴にできそうな場所を一緒に探してあげるからさ!」
鎖に巻かれていた月竜の声は、なんだか消えてしまいそうなくらい弱々しかった。身体から放たれている光だってくすんでいて。
自由になった今は弾んだ明るい声だし、彼女の柔らかいきんいろの毛並みは光輝いている。
でも。
もしも、おれたちが訪れることなかったら。この先ずっと地下で囚われていたままだったら、月の竜はどうなっていたんだろう。
そんなこと考えるまでもない。おれみたいな子どもにだって想像はつく。
だからこそ、おれは月竜も助けてあげたい。おれたち人と竜は姿も持っている力も全然違うけど、共に手を取り合うべき仲間で、同じいのちを持っているんだ。
『ありがと』
にっこりと月竜が笑った。
その時、異変は起こった。
彼女が長い尻尾を一振りした途端、月の竜の身体が今までになく強く光ったんだ。目の前が真っ白になるくらい強烈な光で、おれは思わず腕を前に出して目を覆った。
「それなら、あたしはあなたの言葉に従うことにするわ」
声が変わった。ううん、違う。聞こえ方が変わったんだ。今までの頭に響くような感じじゃなくて、普通に耳で聞くような肉声だ。
おそるおそる腕をおろして目をゆっくり開ける。
するとそこにいたのは、コハクと同じ十歳くらいの女の子だった。
服装は袖なしのピンク色のワンピース。足は何も履いていない。月のようなきんいろの髪を高い位置で二つに結んだ、ぱっちりとした桜色の目が印象的な……。
「え、月竜!?」
「アタリ! よく分かったわね」
「いや、分かるって! むしろ月竜しかいないじゃん!」
「それもそっか。それにしても初めて人の姿を真似してみたけど、なんとかなるものね」
くるりと軽快なステップで回ってから、女の子はにっこりと満面の笑みをこぼした。
たぶん、月竜は人型の姿を取ったんだ。それは分かるんだけど、どうしてシルみたいに大人の姿じゃなくて子どもの姿なんだろう。
「……早くもライバル出現、か。アサギは誰にでも優しいから、ほんと困っちゃう」
ぼそりとコハクが呟いて、なぜか軽く睨まれた。いきなりなにを言い出すかと思ったら。まったく、もう。
ライバルとか意味分かんないんだけど。
月竜はいにしえの竜で、コハクは精霊なんだから。種族そのものが違うじゃん。精霊は人と契約が成り立つとしても、いにしえの竜って普通は人と関わらないんだしさ。
再び月竜へ視線を戻すと、彼女は自分の手足をじっくりと眺めていた。たぶん、自分の姿を確認しているんだと思う。
前だけじゃなく、振り返って自分の背後がどうなっているか気にしているみたいだった。
それもそのはず。コハクやシルと違って、月竜には普通の人にはまずついているはずがない、やわらかい羽の翼と長いきんいろの尻尾があったからだ。
「でも銀竜みたいに上手くはいかないものね。あたしの場合、どうしても翼と尻尾が出たままになっちゃう」
「それはしょうがないさ。初めてにしては上手だと思うよ、月竜」
にこにこ笑って彼女を褒めたのはシルだった。月竜はシルを見て嬉しそうに「ありがと」とお礼を言っていた。
「アサギについて行くためには竜の姿だとかさばっちゃうからね」
「この巣穴は、もういいのかい?」
しゃがみ込んでシルは月竜に視線を合わせた。彼の動作の意味が不思議だったのか、彼女はパチパチと目を瞬かせる。すると、シルは気遣わしげな表情でそう尋ねたんだ。
でも月竜は気を悪くしたわけじゃないみたいで、笑って頷いた。
「いいのよ。この島が気に入ってたのは確かだけど、巣穴の半分はもう王様が改造しちゃってるし。それに」
なんとなく様子を見守っていたら、月竜は足を踏み出しておれの方へ近づいてきた。
そっとおれの手を取ったかと思ったら、すぐ目の前で彼女は顔を綻ばせたんだ。
「アサギ、あなたは銀竜を伴って助けに来てくれた。だからあたしは、いにしえの竜としてあなたに力を貸すことにするわ」
ぎゅっと握られた手からは体温を感じなかった。やっぱり人の姿をしているとはいえ、シルやコハクと同じで月竜も人ではないんだな、と思う。
だけど、彼女もおれが差し出した助けの手をつかんでくれた。
それならおれも、この子を助けてあげなくちゃ。
「ありがとう、月竜。それじゃあ先に進もっか」
竜の寝所を通り過ぎると、洞窟はまだ奥へ行けるようだった。
自らの手で掘り進めた巣穴だけあって、月竜は中の構造を覚えているという。だから道案内はコハクから彼女に替わってもらうことになった、んだけど——。
「ま、仕方ないか。コハクよりも月竜の方がたぶん詳しいし」
ため息をつきながら不満げな様子のコハクだけど、しっかりとおれの手を繋いでいた。いつになく強く握られてる気がする。
「アサギが月竜に目移りするからでしょー」
「いや、してないから!」
はあ、やれやれ。もう心を読まれるのも慣れてきたよ。
どうやらコハクは月竜にヤキモチを妬いてるみたいだな。だからって、おれにどうしろって言うんだよ。
「ふふっ。アサギもすっかり人気者だね」
シルはシルで他人事だと思って。間に挟まれてるおれの身にもなって欲しい。
「もう笑い事じゃないってば。おれはほんとに困ってるんだよ、シル」
「ごめんごめん。まあ、大丈夫だと思うよ。アサギがやめて欲しいことを二人にはっきり言えば、コハクも月竜も聞いてくれるから」
そりゃ取っ組み合いのケンカとか始めたら止めるけど。実を言うと、今はそこまで困っていない。コハクも文句を言ったら満足したのか、これ以上なにも言う様子はないみたいだし……。
「ねえ、アサギ。あなたは銀竜のことを〝シル〟って呼んでるのはどうしてなの?」
コハクとは反対側、つまりおれの右隣で歩いていた月竜が尋ねてきた。
「シルはシルだよ。シルヴェストルって名前だから、シルって呼んでるんだ」
「ふぅん」
質問は別にいいんだけど、さりげなくおれの手を握ってくるのはほんと何なのかな。月竜が距離を詰めてくるたびにコハクの機嫌が悪くなるの、誰だって分かるはずなのにさ。
……まあ。だからと言って、月竜が悪いというわけじゃないよね。
「アサギは知らないかもしれないけど、竜って普通は名前を持たないものなのよ。だから、銀竜に名前があること自体、あたしには不思議で仕方ないの」
「え、そうなの?」
精霊に名前がないことは知っていたけど、竜に名前がないことは初耳だった。だって、小さい頃から父さんも母さんもシルを名前で呼んでいたし。
ちら、とシルの方へ視線を投じると、本人は困ったように笑っていた。
「うん、実はそうなんだ」
「竜が名前持ちって人族みたいじゃない。いいなー。ねえねえ、銀竜は名前を誰かからもらったの?」
月竜はすっかり名前に興味津々だ。
まあ、よく考えてみればコハクも初対面でおれに名前を求めてきたし、精霊や竜にとって名前を与えられることは憧れに近いのかもしれない。
「ううん、違うよ。僕は自分で名前をつけたんだ」
「えっ、自分で!?」
「うん。シルヴェストルという名前は割と気に入っているんだけど、ちょっと失敗したかなと思ってる。長くて、みんなフルネームで呼んでくれないし」
「そりゃそうでしょ。でも、あたしはなかなかいい名前だと思うわよ」
和気あいあいとした竜同士の会話に、おれはなぜだかある予感を覚えていた。
既視感は全くもってないんだけど、展開が読めてくる。だって、この四人の中で人っておれだけだもん。
「ねえ、アサギ」
急にぐいっと腕を引っ張られた。さすが竜と言うべきか意外に強い力で、おれはもうちょっとでバランスを崩して転けるところだった。
「ちょっと危ないじゃん、月竜! いきなり引っ張ると危ないだろ」
「ごめんごめん。今度からは気をつけるから! それより、アサギにお願いがあるんだけど」
ほら来た。
上目遣いに見上げて、瞳をキラキラと輝かせる月竜。さっきまで人の手によって囚われていた竜だとは信じがたいくらい、表情が生き生きしている。
「……何?」
おれは覚悟を決めた。ため息をひとつついて、まっすぐ見つめてくるツインテールの女の子に向き直った。コハクはきっと今こわい顔になっているだろうから見ないことにする。
「あたしにも、あたしだけの名前をつけて欲しいの!」
元気のいい声が洞窟内にこだましていくのを聞きながら、おれはとりあえず頷くことにした。
断る理由なんてなかったし、そもそも断れる雰囲気でもなかった。
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