6.いにしえの月竜

 ぽつぽつと白い光を放つ月長石ムーンストーンの明かりを頼りに、おれたちはさらに奥へと進んだ。

 ゴツゴツした岩は歩きにくかった。だけどコハクが言うには、岩が剥き出しになったこういう洞窟が本来竜の巣穴のあるべき姿なのだと言う。


「そういえばさ、シル」


 隣を歩く彼を見上げると、シルは手元にある魔石に視線を落としていた。それでも立ち止まらず歩いているから、おれにしてみれば危なっかしい。

 その石はもちろん、岩に張り付いていた月の竜の魔石だ。

 ピカピカした白い輝きを放つきれいな石。色は違うけど似たようなものを最近見ただけに、おれはずっと頭の中で引っかかっていた。


「ねえ、シル。それが月の竜の魔石なら、シルの銀竜としての魔石はどんな石なの?」


 ピクリ、と細長い指が小さく動いた。シルはいきなり立ち止まった。少し追い越してから、おれはくるりと振り返る。

 シルは明らかに動揺していた。青い瞳が揺らぎ、そして観念したように目を閉じる。


「……アサギ。実は、きみに謝らなくてはいけないことがあるんだ」


 ゆっくり目を開けて、シルはおれをまっすぐに見た。もう瞳は揺らいでいなかった。


「きみがセントラルの者たちに捕まったのは、僕のせいなんだ」

「どういうこと?」


 答えるより先に、シルは空いている方の手をおれの前に差し出した。握った指を開いていき、てのひらにのっているものを見せてくれる。それはジェパーグの王都で買い物していた時に見た、黒くてキラキラした石だった。


黒銀河石ブラックオパール。これが僕の、銀竜としての魔石だ」


 改めて観察してみると、とてもきれいな宝石だった。濃い灰色の石の中で、赤や緑、青といった色んな光が放たれている。


「竜の魔石は魔力が物質化したもの。魔石を人前で見せるということは、自分がいにしえの銀竜だと名乗りをあげるようなもの。だから換金してはいけないし、人に渡してはいけないと。そうユークに言われていたのに、僕はあの時アサギになにかを買ってあげたくて、お金の代わりについ使ってしまった」

「やっぱり、そうなんだ」


 月長石ムーンストーンを見てから、なんとなく察してはいた。宝石みたいにきれいだし魔力のかたまりなら、きっとおれが考える以上に価値のある石なんだろう。


「あの日、ジェパーグは国をあげてのお祭りの日だったし、もしかしたらセントラルの人達がいて偶然見られたんだろうなあ」

「うん、実はそうなんだ。国王から直接話す機会があって、なぜ僕が銀竜だと分かったのか聞いたら教えてくれたよ」


 きらきら光る黒銀河石ブラックオパールを握りしめ、シルは自分より遥かに身長の低いおれに頭を下げる。


「アサギ、本当にごめんなさい」

「ちょっ、シル!? 頭上げてよ!」


 駆け寄って服を引っ張っても、首を横に振るだけでシルは聞いてくれない。


「あの時ユークの言いつけを守ってさえいれば、きみをこんな目に遭わせなかったのに。今回の件は僕のせいだ。その上、まだ幼いきみに助けに来てもらうだなんて……」

「そりゃおれだって捕まっていろいろ大変だったけどさ。でも今はコハクがそばにいてくれるし。それに終わったことを言ったって仕方ないよ。それより今は、早くみんなで逃げることを考えよう? もちろん月の竜を先に助けるけど」

「でも……」

「あー、もう! アサギも銀竜ももたもたしない!」


 立ち止まって話し込んでいたおれたち二人を待っててくれたらしい。だけど、我慢の限界がきたのだろう。コハクが拳を震わせて叫んだ。洞窟の中だから、彼女の高いトーンの声が反響する。


「謝ったなら、もういいでしょ。アサギのことを思うなら、早くこんなとこ逃げ出せるようにちゃんと動いてよ。アサギも月の竜を助けるんでしょう!?」

「あ、うん……」


 今まで余裕のある雰囲気とは一変していた。プンスカ怒って、ずかずかと裸足でシルに歩み寄る。


「分かったら、早く行くよ。もうあまり時間がないの。あ、それと銀竜。その魔石いらないならコハクにちょうだい」


 ぱしっと、コハクの小さな手がシルのてのひらから黒銀河石ブラックオパールをひったくる。

 あまりの剣幕に当の本人は目をぱちくりと瞬かせて、思わず頷いてしまった。






 奥に行けば行くほど潮の匂いが強くなってきているような気がした。もしかして、海が近いのだろうか。

 不意にコハクが立ち止まって振り返る。


「この〝部屋〟が月の竜の寝所だよ」


 細い指が指してあるのは奥に通じる穴のようだった。ひょいと身軽く中へ入っていくコハクをおれは追いかけた。置いて行かれると思ったのか、後ろからシルの足音も聞こえてくる。


「うわあ……」


 思っていたよりも、中は広かった。

 部屋の中は今までの通路と比較にならないほどの月長石ムーンストーンがびっしりと岩肌を覆っていて、キラキラと輝いていた。天井も、足元も隙間なく光っているけど、淡い光だからなのか眩しくはない。

 そしてその中央には、月色のかたまりがひとつ。


月竜げつりゅう……!」


 一足先にシルが駆け寄った。おれも慌てて追いかける。

 思っていたより、月の竜は小さかった。人の姿をしているシルよりひと回り大きいくらい。ウロコはほとんど見当たらなくて、薄いきんいろの毛に覆われていた。ツノはなく、やわらかそうな毛の長い耳がたれていた。

 そして。

 その丸くなった体躯は、細かい鎖で何重もぐるぐるに巻かれて拘束されていたんだ。


「大丈夫かい、月竜。しっかりするんだ」


 耳元でシルが懸命に呼びかける。すると、固く閉じられていた月の竜のまぶたがかすかに震えた。


『……そのこえは、銀竜?』


 頭に直接響いてくる声。本来の竜の姿の時は、シルの声も同じように聞こえていたことを思い出す。やっぱり、この子も間違いなくいにしえの竜なんだ。


「そうだよ、月竜」

『どうしてここに、あなたが?』


 ゆっくりと開いた瞳は透き通るような桜色だった。ひとつ瞬いてから、シルに視線を向ける。


「僕もここの王様に捕まってしまってね」

『あなたがヒトに見つかるなんて、珍しいじゃない』

「うん。ちょっと浅はかな失敗をしてしまってね」

『もう、ドジね。まあ、あたしもあなたのことを言えた立場じゃないけれど』


 月の竜って女性、なのかな。言葉遣いがシルとは全然違う。


『それで、なにしに来たの』

「きみを助けたいって、彼が」


 振り返ったシルがおれを手招きしてくれた。どうやらこっちにおいで、ということらしい。

 シル以外の竜に会うなんて初めてじゃない。だけど、やわらかい女の人の声だからか妙に緊張する。

 手を伸ばせば触れるくらいに近づくと、月の竜は桜色の目を動かしておれの方を見た。


『あら、ヒトの子じゃない。……まだ小さいわね。あなたは?』

「おれの名前はアサギ。きみを、月の竜を助けに来たんだ」

『ありがと。あなたも一人こんなところに連れてこられて、心細いでしょうに』


 にこりと、竜が笑ったような気がした。


「シル、この鎖壊せる?」


 月色の体躯をいましめている細い鎖は濃いきんいろだった。シルを手足を繋いでいた鎖とは違って、ただの鎖ではないことは明らかだった。たぶん魔法製のものだ。今回はいくらコハクでも壊せない気がした。


「もちろん、大丈夫だよ」

「しんどいなら無理しないでね」

「鎖を壊すくらいなら大丈夫。たくさんの魔力を使うわけではないから」


 まるでおれに安心させるかのように、シルはにっこりと笑った。そして片手で鎖を持って握ると、きんいろの鎖は粉々になって、一瞬で霧散した。早い。


「月竜、立てるかい?」

『分からないわ。でも試してみる』


 むくりと、月色の体躯が動いた。

 やわらかそうな翼を動かして、月の竜は前足を伸ばした後、頭を振って長い耳をぱたぱたさせていた。こう言ってはあれだけど、まるで森で見たことのあるウサギみたいだ。いや、そもそもウサギには羽根なんてないし、彼女(?)みたいに長い尻尾じゃないんだけどさ。


『……やっぱり、だいぶ力が削られてるわね。ふふ、それも仕方ないか。ざっと数百年はこうしていたんだし』


 立ち上がった月の竜はクスクス笑って、そう言った。気が遠くなるほどの長い時間ずっと囚われていたというのに、まるで他人事のような口ぶりだ。


『アサギ、だったわね』

「え、うん」


 桜色の瞳がおれに向けられる。見上げると、月の竜はにっこりと笑った。


『改めてお礼を言うわ。ありがとう、アサギ。あたしは安らぎと眠りを司るいにしえの月竜。よろしくね』

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