5.巨大結界の正体
シルの手と足を拘束していた枷は、宣言したとおりコハクが破壊した。
扉を瓦礫にしたのと同じように、触れただけで鎖はボロボロになってしまった。
「これって、どうやってるの?」
ずっと気になっていただけあって、おれは思いきってコハクに聞いてみた。
彼女がクルゥーメルという時の中位精霊だってことは分かったものの、コハクは扉や鎖をいとも簡単に壊す。そのことが不思議だった。
「こうやって力を込めればできるんだよ」
うん、それは分かってる。おれが聞きたいのはそういうことじゃない。分かってて言ってるよね?
「もう、アサギ怒らないでよー。分かってるってば」
別に怒ってないけど。でもコハクは、人が真面目に聞いてる時に限って話をはぐらかすからさ。精霊の名付けのこともちゃんと話してくれなかったし。
おれだってイラッとするし、不満に思う。
口をへの字にしてコハクを軽く睨んでいると、隣からクスッと笑う声が聞こえてきた。
「あれはね、時を〝早めた〟んだよ」
答えたのはシルだった。
「早めた……?」
「そうだよ。触れたものの時間を早送りにしたんだ。だから、扉も鎖も劣化して崩れたというわけさ」
ゆっくりと立ち上がって、シルはおれの隣で穏やかな笑みを浮かべる。だけどその顔は、どこか元気がなさそうに見えて、すかさずおれは声をかけた。
「シル、大丈夫?」
「うん、平気だよ。少し魔力を取られてしまったから万全というわけではないけどね。それよりも、早くアサギを連れてここから逃げ出さないと」
「それはそうなんだけど……。どこに逃げようか。外は見張りの兵士がいるし。それにこのお城は大きな結界に覆われているって話なんだよ、シル」
「コハク、きみはなにか考えがあるんじゃないのかい?」
もうシルは、彼女をクルゥーメルとは呼ばなかった。そのことが機嫌を良くしたのか、コハクは満足そうに顔をほころばせる。
「もちろん。兵士たちに見つからず、銀竜とアサギ、そしてコハクがそろって確実に脱走する道はたったひとつだけ。それはさらに地下へ潜ることなの」
「地下って、ここがそもそも城の地下だよね。さらに下へ行くってこと?」
おれの問いかけに、コハクはひとつ頷く。
「まずは、この城の最下層を目指そう」
「コハク、どうして地下なんだよ?」
おれたち以外誰もいない廊下を慎重に進みながら、前を行く小柄な女の子に疑問を投げかけた。
ちなみにシルはおれの隣を歩いている。ゆっくりとした速度ながらもよろけることなく歩けているから、平気なのは本当なのだろう。
「だって、上は見張りの兵士たちがいるじゃん」
「そりゃいるけどさ。でも、地下に行っちゃったらますます逃げられなくなるんじゃない?」
「それは大丈夫っ。すぐに分かるから」
どうしてそんな、自信たっぷりに断言できるのだろう。理由があるなら説明してくれてもいいのに。
まったく。コハクはまた肝心なことはなにも話してくれないんだ。
不満げな顔を隠さずに、前を行く小さな背中を軽く睨む。声に出さずとも、おれが言いたいことは彼女に伝わっているはずだ。
その証拠に、ほら。
水色のワンピースのすそをひるがえし、コハクはくるりと振り返ってはおれを見つめた。
「その時がきたら、ちゃんと説明してあげる。だから今は先に進もうよ」
ふんわりとやわらかい微笑みを向けられて、おれはなにも言えなくなった。心の中でさえも。
そうだよ。コハクはおれのチカラになるために、おれと〝契約〟したんだ。それに信じるって決めたじゃないか。
「分かった」
前に進み出て、おれは彼女の小さなてのひらを握った。不安に思ってはいないだろうけど、一応にこりと笑いかけてあげる。
コハクは驚いてきんいろの目を丸くしていたけど、すぐに花が開いたような笑顔になった。
「ありがと、アサギ」
おれたち三人は少しずつ地下へと進んだ。
途中で頑丈な扉に何度か阻まれたものの、そのたびにコハクは破壊していった。下へ行けば行くほど人は少なくなっていったし、部屋に続く扉も見当たらなくなった。
どのくらいの時間を歩き続けたのか分からない。たぶん、一時間もかかっていないんじゃないかな。
変化が訪れたのは、最後の階段を下りきった時だった。
「……これは、岩肌?」
あまりの変わりようにおれが絶句していると、シルがぽつりとそう言った。
最下層とでも言うべきなのかな。そこはまるで別世界のようだった。
分厚い絨毯も、磨かれた石の床や壁もなかった。上も下も左右もすべて岩肌がむき出していて、まるで岩をくり抜いた洞窟のようだった。
「そうだよ、銀竜。セントラルの人族たちは、まだこの区画まで手をつけられていないみたい」
つないでいた手を離してコハクはシルを見上げた。きんいろの目が鋭く輝き、彼女は口角を上げる。
「地下とは言っても、結界の効果はちゃんと働いているよ。だからアサギは魔法を使うことはできない。人ではないコハクや銀竜には問題ないけどね」
意味深な言葉だったけど、おれにはなにを言っているのか分からなかった。でもそれでいいんだと思う。たぶん、コハクはシルに向けて言っているんだろうから。
「さっき、アサギが言ってたね。ここには大きな結界に覆われているって」
周りの岩肌を見回して、シルは観察し始めた。
当然だけど、岩肌には植物ひとつ生えていなかった。どこからか明かりがきているのか分からないけど、仄かな光が灯っていて真っ暗ではない。
明かりのもとが気になるみたいで、シルは岩肌に触れてなにかを探っているかのようだった。
「人の魔力を封じる結界、巨大な岩の洞窟。そしてこの明かりはもしかして——」
パキリ、という音が聞こえてくる。まるで岩についたコケを剥がすように、シルの細い指は光の源をつまみ上げていた。
それは石だった。ほのかな白い光を放つ、きれいに磨かれた乳白色の石。
まったく同じではないけど、あれに似たものをおれは見たことがある。
「これは、
こくりとコハクは頷く。二人には分かっても、おれは全然分からないんだけど。
「ムーンストーン?」
おうむ返しにそのまま尋ねると、シルはそうだよと返してくれた。
「この石は魔石と言って、いにしえの竜の魔力が外に出たものなんだ。石の種類によってどの竜の魔石なのか分かるんだよ」
「そうなんだ。じゃあ、シルにはこのムーンストーンがどの竜の魔石か分かるの?」
「うん。その名の通り、これは月の竜の魔石だ」
白く光るムーンストーンを握り込み、シルは青い宝石みたいな瞳をコハクに向けた。
「この島はもともとは竜の、いや月の竜の巣穴だった。そうじゃないのかい、コハク」
「そうだよ」
薄暗い洞窟の中、ほのかな白い光がコハクのきんいろの瞳をきらめかせる。
彼女はおれたち二人を一瞬だけ見て、くるりと回って背中を向けた。その視線は岩肌のあちこちに貼り付いている乳白色の宝石に注がれている。
「いにしえの竜の巣穴の中はきまって人族の魔力を封じる結界が張られているからね。そういうチカラが働いているものだから。……それで一応聞いておきたいんだけど、この巣の
いつになく真剣な顔でシルがコハクに聞いた。おれにはもうシルが答えを分かっているように見えた。だけど、同じいにしえの竜として聞かずにはいられなかったんだと思う。
だからなのかな。コハクもはぐらかすことはしなかった。
「セントラルの国王達の手によって捕まってる。ここに城が建てられてから、ずっと」
「……そうか、分かった。その事実を知ることができただけでも良かった。ありがとう」
深いため息をついて、シルは視線を落とした。青い瞳は揺らいでいて悲しそうだった。それでも、それ以上コハクに質問する様子もない。
なんだこれ。
どうしてシルは怒らないの?
おれが大人に捕まった時は声を荒げていたし、さっきもおれになにかあったら自分は怒るって認めていたのに。
「良くないよ!」
ガシッとシルの腕をつかむ。
魔石を握っていた手は震えていた。でも、それだけだ。沈んだ顔色はそのまま。
おれはこの顔をさっきまで見ていた。
クラースと同じ、置かれた状況にあきらめてしまった人の顔だ。
「なんで分かったって言うんだよ!? そんなの全然良くないじゃんか! 同じいにしえの竜が捕まってるんだろ?」
「いいんだよ、アサギ。僕達いにしえの竜は人族に対して逆らうことは許されていないから」
「そんなのおかしいよ! 嫌なことされたら、誰だって嫌だって言う権利は持ってる。おれみたいな子どもでも持ってるんだよ、シル!」
そうだよ。絶対おかしいよ。そんな変な理屈が通るなら、竜達はおれたち人族に何をされてもいいことになってしまうじゃないか。
「コハク!」
どんどんあふれてくる感情にまかせて叫ぶ。名前を呼ばれた当の本人は動じることなく、何と言わんばかりに首を傾げていた。
「おれ、今から月の竜を助けに行く!」
自分でもバカだと思う。さっさと逃げればいいのに、さらに寄り道をしようとしているんだから。
だけどコハクは怒らなかったし、不満げな顔もしなかった。
曇りなく笑ってこう言ったんだ。
「アサギなら、そう言うと思ってた」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます