4.夢見竜

 一体、どういう手品を使ったんだろう。


 ううん、手品じゃない。これは魔法だ。おれが発動させるものとは少し違うみたいだけど……。

 少なくとも、これでハッキリした。

 コハクは間違いなく精霊だ。人の言葉を話せてあれだけの魔法を難なくこなせるのは、中位精霊だけだ。


「さあ、アサギ。入ろう? 銀竜を助けるんでしょう?」


 屈託のない笑顔でコハクはおれの手を取る。

 そうだ。早くシルを助けてあげないと。


 手を引かれながら足元の瓦礫をよけて、おれは部屋に入った。

 室内は広かったけど、なにもなかった。ベッドやテーブルみたいな家具もなかったし、絨毯も敷かれていない。天井は豪華なシャンデリアじゃなくて電球だけの簡素な照明だけだ。


 その正面の壁際に、ひとがいた。


 手と足を投げ出して、壁によりかかるように座り込んでいる銀髪の男の人。眠っているのか、目は固く閉じている。


「シル!」


 そう、シルだ。正確にはシルヴェストルという名前の優しい銀の竜。おれの友人であり家族でもある大切な人。

 コハクの手を離して、すぐにおれは駆け寄った。


「シル、大丈夫!?」


 ぜんぜん大丈夫じゃないのは分かりきっていたけど、聞かずにはいられなかった。シルの裾の長い服をつかんで、遠慮なく身体を揺する。とにかく、目を開けて欲しかった。

 覚醒には、それほど時間はかからなかった。

 揺さぶっていると、シルのまぶたが震えた。ゆっくりと開いた目はおれのよく知っている青い宝石のようだった。完全に開いた後、シルは戸惑ったように何回か瞬きをして。そしてようやく目の前にいるおれの存在に気づいたのか、目を丸くした。


「あ、さぎ……?」


 おれの名前を紡いだシルの唇は震えていた。

 不安げに揺れる青い目を見て、おれはにっこりと笑ってみせる。


「うん、おれだよ。シルを助けに来たんだ」


 ゆっくりと力を込めて言ってあげると気持ちが伝わったのか、ホッとしたように笑ってくれた。


「よかった。アサギが無事で、ほんとうに良かった」


 青い宝石みたいな目を揺らしてそんなことを言うものだから、おれはシルの手を取ってぎゅっと握ってあげた。そしてその拍子に、チャリという音がした。


「——え?」


 ゆっくりと視線を落とす。

 それを見た途端、おれは言葉を失った。


「なんだよ、これ……」


 シルの手首には黒光りの手枷がはめられていた。両手の間には細い鎖でつながっていて、シルが身動きするたびに小さく音をたてるみたいだ。

 よく見ると、足にも同じような枷がはめられている。


「許せない。シルが何したって言うんだ」


 できるものなら、こんな鎖、今すぐ引きちぎってやりたい。


 シルは優しい竜なんだ。憧れるくらい人のことが大好きで。一度だっておれたちに危害を加えたことはない。

 それなのに。

 おれの大切な友達にあいつら、こんなひどいことをして!


「アサギ、僕は大丈夫だから。それよりも——」

「大丈夫じゃないよ!」


 強く叫んでから後悔した。でも、もう止められない。

 さっきから胃がムカついていて、イライラする。シルが悪いわけじゃないのに、言わずにはいられなかった。


「手足がうまく動かせない状態で、こんな部屋に閉じ込められて。全然、大丈夫なんかじゃないよ」

「ありがとう、アサギ。でも本当に大丈夫なんだ。僕はきみが無事なら、何をされても平気だから」

「シルだって、おれが鎖でつながれていたら同じように怒ると思う。それと同じだよ!」


 たぶん、シルがこんな目に遭っているのはおれのせいなんだ。おれが捕まってしまったばかりに、シルはセントラルの人達の言うことを聞くしかなかったんだ。

 悔しい。すごく悔しくて涙が出てくる。視界が歪んで、シルの心配そうな顔が見えなくなった。


「……そうだね。アサギが同じような目に遭ったら、僕も怒ると思う。それはきみのことが、とても大切だから」


 ごしごしと腕で目をこする。開けた視界の中で、シルはまっすぐにおれを見つめて穏やかに笑っていた。


「ねえ、シル。一緒に父さんと母さんのところに帰ろう?」


 彼の長い服の袖をつかんで、すがるように聞いた。まるで子どもみたいだ。だけど、シルを見捨てるという選択肢は初めから存在しない。


「うん、そうだね。まずは、この鎖をどうにかしないといけないけど……」

「それならコハクに任せて!」


 待ってましたと言わんばかりに弾んだ声だった。

 今までどこに隠れていたのか、すっとおれとシルの横に入って、コハクは姿を現したのだった。


「きみは……もしかして、クルゥーメルかい?」


 青い目を丸くしてシルが尋ねると、彼女はぶんぶんと首を横に振る。


「違うよ! 銀竜、いいこと? さっきも言ったけど、今日からボクは〝コハク〟という名前になったの。アサギにもらった素敵な名前なんだから、キミもちゃんと名前で呼んでくれなきゃ」


 人差し指をピッとシルに向けて、コハクは軽く彼を睨みつける。どうでもいいけど、人に指を向けちゃダメだと思うよコハク。


「え……名前? アサギが、きみに……?」


 シルはシルで、おれの顔とコハクの顔を交互に見て、口をパクパクさせている。

 流れのままコハクに名前をあげたことって、マズイことだったんだろうか。


「アサギは、どうして精霊に名前をあげたんだい?」


 改めて聞かれると困ってしまう。どう答えるのが正解なんだろう。


「えっと……、コハクが名前を欲しいって言ったから」


 おそるおそるシルを見上げると、彼はおれではなくコハク本人に目を向けていた。そして、ひとつため息。


「精霊のきみが、人族のアサギに名前を求めたのかい?」

「うん、そうだよ。だってアサギは、コハクの運命のひとだからね!」

「きみたちクルゥーメルは、ほんとうに〝運命〟ってコトバが好きだよねえ」


 鎖が鳴るのも構わず、シルは腕を組んで苦笑いしている。コハクに至っては、おれと一緒にいる時とあんまり変わらないけれど……。


 間違いない。

 シルはコハクのこと、クルゥーメルについて知っている!


「あのさ。シルは、クルゥーメルがどういう精霊か知っているの?」


 見上げて聞いたら、おれの問いかけに彼はひとつ頷いて答えてくれた。


「もちろん。この子クルゥーメルはね、無属の中位精霊なんだよ」


 ——やっぱり、そうなんだ。


 なんとなく、うすうす気づいていた。

 未来という時に関わるチカラを持つ精霊なんて聞いたことがないし、図鑑でも読んだことがないもん。

 無の属性とは銀河の属性。無属の魔法は時と運命にかかわるものが多いから、少し先の未来が視えるというコハクももしかして、と思っていた。


「この子の存在を知っている人族の間では〝夢見竜〟とも言われていてね、未来という時に関わるチカラを持った精霊なんだ。実体はさまざまだけど大抵は竜のことが多いかな。コハクは人族の姿がお気に入りみたいだね」


 クスリと笑ってシルは可憐な女の子に再び目を向ける。同じようにコハクを見ると、彼女は満面の笑顔になった。


「だってこういう女の子の姿が、アサギは好きみたいだからね」


 身軽にくるりと回って、両手でワンピースの裾を摘む。続けてウインクをばっちり決めて。不覚にも、おれはドキリとしてしまった。


「楽しそうだねえ、コハク。ここは簡単に入り込める場所じゃないし、きみも僕やアサギと同じようにセントラルの王に囚われていたんじゃないのかい?」

「ええ!? おれ初耳なんだけどコハク!」

「ちっちっちっ、分かってないなぁ銀竜! それも最初から計算のうちよ。コハクには分かってたの。ここで待っていれば、じきにアサギがやってくるってね」


 そんな期待を込めておれのこと待ってたのか。なんか複雑……。


「まあいずれにしても、アサギはコハクに名前を与えてしまったわけだから、切っても切れない関係になってしまったのは事実だけれどね」

「——え?」


 今なんて言った? 切っても切れない関係って。


「それって、どういうこと?」


 本気で分からないおれを見ただけで察してくれたのか、シルは穏やかに青い目を和ませた。


「やっぱりアサギは分かってなかったみたいだね。まあ、分かっていてコハクの方から名前を求めたわけだし、知らなくても無理はないかな」


 腕を解いて、シルは改めておれに向き直った。

 たいてい彼がそういう動作をする時は、決まっておれには知らないことをこれから教えてくれる時なんだ。


「これは人族と精霊との関係の話だから、僕もユークに聞かせてもらうまでは知らなかったんだけどね。人が精霊に名前を与えると、魂同士が結び合って一生涯切ることができない強い絆で結ばれるんだよ」

「一生涯って……、死ぬまで?」


 シルはひとつ頷いて答えてくれた。


 マジか。おれは一生に関わることを、即決で決めてしまったのか。


「人族はこれを、精霊との〝契約〟と呼んでいるらしいよ」


 契約……、たしかに言葉にすればしっくりくるかもしれない。一生涯続く関係になるんだもんな。


 ちらっと、コハクを見てみる。

 彼女はタイミングよく、花が咲いたような可憐な笑顔をおれに向けた。今なら分かる。こいつ絶対確信犯だ。


「当然だよ。名前はキミにもらうって決めてたの。アサギはコハクの運命の人なんだからっ」


 彼女が悪びれる様子はない。堂々と言ってのける姿は見ていて清々しいくらい。もう怒るのもバカバカしくなってきたよ。


 考えてみれば、コハクのおかげでこうしてシルのところまでたどり着けたわけなんだし。

 それに、おれも彼女のことは嫌いじゃない。


「とにかく、早くここから出るよ。コハクが鎖を壊してあげるから、銀竜はちゃんと一人で歩いてね」


 座り込んだままのシルのそばにしゃがみ込んで、彼女は片手で鎖をつかんだ。チャリ、と小さく音が鳴った。


「コハク、それも壊せるの!?」


 だって、鎖だよ? しかも普通じゃない鎖だ。シルに使っていることから考えても、たぶんいにしえの竜でも壊せないくらい頑丈な鎖なんだろうし。


 だけど。


 おれが不安がって尋ねても、コハクは動揺したりしない。自信たっぷりに笑って、おれにこう言うんだ。


「当たり前じゃん。コハクとアサギの前に立ちふさがるものは、なんだって壊してみせるんだから」

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