8.囚われの竜たち

 名前を考えることに頷いたものの、やっぱり不安になっておれは目を輝かせている月竜に言った。


「大事な名前を、ほんとにおれがつけていいの?」


 名前はないと困るし、本人にとって大切なものだと思う。名前があるだけで、その人が個人として見られるわけなんだし。


 現に、コハクはおれにとって、今はただのクルゥーメルという中位精霊ではない。

 コハクはコハクだ。おれが一番ドン底にいた時に手を差し伸べてくれた女の子。そしておれと一緒に逃げるために、こうして地下に案内してくれたんだ。


 きっと精霊や竜が名前を持ちたいって思うのは、自然なことなんだと思う。誰だって、自分のことを認めて欲しいに決まってるもん。

 けど、だからって、その人本人が一生持ち続ける名前をおれみたいな子どもが決めちゃっていいのかなあ。


「うん、いいよ! あたしはね、アサギに名前を付けて欲しいのっ」


 おれの複雑な気持ちに全く気づいていないのか、月竜は満面の笑顔だった。勢いよく頷く動作に合わせて、きんいろのツインテールが揺れた。


「分かったよ。でも気に入らなかったら、ちゃんと言ってね。考え直すから」


 コハクといい月竜といい、おれを過大評価しすぎなんじゃないかな。そりゃ無属性だし、生まれた時から竜の友達がいたりしてちょっと変わってるかもしれないけど、そういう要素を取り除けばおれは普通の子どもなんだよ?


 まあ、いいや。とりあえず名前を考えなきゃ。

 こうしている今も、月竜が胸の前で手を組み合わせて、期待をこめた眼差しを向けて待っているんだ。そんな目をキラキラ輝かせてこっち見ないでよ。視線が痛い。


「よし、決めた。〝ケイカ〟って、どう?」


 桜色の目が丸くなった。

 一気に不安になる。気に入らなかったらどうしよう。


「どういう意味があるの?」


 首を傾げて、月竜が聞いてきた。その表情からは、どのように受け取ったんだろう。まだ分からない。


「ジェパーグの言葉で、〝ホタルの火〟っていう意味なんだ。よく夜にホタルを見に行ったりしていたから、覚えてて」


 ぱっと思いついた時はいいかなと思ってたけど、よくよく考えてみれば〝ケイカ〟ってあんまり女の子らしくなかったかも。いや、そもそも相手は竜なんだけどさ。でも月竜は最初から女の子の言葉で話していたし。


「月竜、気に入らなかったら言ってね。また考え直すから」


 あまりに自信がなくなってきたからそう言えば、彼女はふるふると首を横に振った。頭の動きに合わせてきんいろのツインテールが揺れ動く。


「そんなことない。あたし、ケイカって名前気に入ったわ。今日からそう名乗ることにする!」

「ほんとに?」

「本当よ。ありがとう、アサギ。すっごく嬉しいわ」


 月竜——ううん、ケイカは満面の笑顔でそう言うと、そっとおれの手を取った。力を込めて握られてそのまま引っ張られる。


「さて、移動しましょうか。だいぶ海に近くなっているわ。先に進みましょ」


 彼女の白い手首には、まだ鎖の痕がくっきりと残っていた。見ているこっちが痛々しくなってくる。なのに、当の本人はウキウキとした顔で、なんだか楽しそうで。

 やっぱり、竜って強いなと思った。






 おれたちが最後に差し掛かったのはふた手の分かれ道だった。

 右と左。覗き込んでみたけど奥まで続いているみたいだ。


「ねえ、月竜。海に続いているのはどっち?」


 腰に手を当てて、コハクが聞いた。ケイカに名前を付けてからはずっと黙っていたから怒っているのかと思ってたけど、その表情は普段とあまり変わらないみたいだった。


「海に通じる道は左よ。右の道は白竜が囚われている部屋に出ちゃうから——」

「え?」

「余計なこと言わないで月竜っ!」


 初めて聞くコハクの怒声が、洞窟内に大きく響いた。

 ここでおれはようやく気づいたんだ。彼女、コハクは本当のことを全部おれに言っていなかったことを。囚われている竜がシルやケイカだけじゃなかった、その事実を。


「……はく、りゅう?」


 初めて聞く竜の名称をおれはそのまま口にすると、ケイカははっとして口元を手で隠した。

 だけど、時すでに遅しだ。今、おれはこの耳で聞いてしまった。もう後戻りはできない。


「どういうことだよ、ケイカ」


 一歩進んで距離を詰めると、きんいろの二本の尻尾がはねた。まるで彼女の心境を物語っているかのようだった。


「それはそのっ、いにしえの竜って自分で掘った巣穴の中で起きたことって感覚的に分かっちゃうチカラがあるのよ。だから、ココの王様が白竜を捕まえて連れて来た時から知っていたの。……黙っててごめんなさい」

「別に謝らなくたっていいよ。おれだって、ちゃんとケイカに聞かなかったんだし。それよりも、白竜っていういにしえの竜が捕まっているのは本当なの?」


 確認の意味も込めて、おれはケイカをまっすぐに見た。桜色の瞳は揺らぐことなくおれの顔を見返す。


「ええ、本当よ」


 それだけ分かれば十分だった。


 つま先を右の道へと向けた。ケイカの魔石のおかげで真っ暗ではないけど、入り口からは奥の方までは見えなかった。

 だけど、この先を行けば白竜がいるんだ。放っておくことはできない。

 今から取る行動がどんなにおれの立場を不利にするのだとしても、人の手で虐げられている竜を見捨てるよりはマシだから。


「行かないで」


 おれの前に立ちふさがったのはコハクだった。細い腕を大きく広げて、ゆっくりと首を横に振っている。


「なんでだよ。これ以上寄り道したら、本当に逃げられなくなるから?」

「うん。それもあるけど、コハクがアサギを止めるのは他にも理由があるの」


 冗談とかヤキモチじゃない。コハクはコハクなりに、なにか理由があっておれを止めていることくらい分かっていた。だって、彼女が向けてくるきんいろの瞳は真剣だったからだ。


「でも捕まってるんだろ? ケイカみたいに身動きできないようにされてるかもしれない。助けてあげなくちゃ可哀想だ」

「種族関係なく、そうやって助けようとするアサギの優しいところ、コハクは好きだよ。だけどね、それでもコハクは白竜のところには行って欲しくない」


 意味分かんないよ。ケイカを助ける時は、協力してくれたじゃないか。

 やっぱり理由を聞かないと納得できない。


「あたしも……」


 その時、ケイカがぽつりと言った。

 さっきみたいに明るい顔じゃなくて、視線を下に落としてる。


「あたしも、アサギは今の白竜には会わない方がいいと思う。それにきっと、アサギだけの力じゃあの子は助けることなんてできないわ」

「どうして、そんなこと分かるんだよ。ケイカ」

「さっきも言ったように、この巣穴を作ったのはあたしのチカラによるものなの。だから手に取るように、この中で何が起こっているのか分かるのよ。白竜は特別なの。あたしやシルよりもずっと強力な術で拘束されてる。本気で助けたいなら、人族でももっと魔法や呪いの知識にくわしい人を連れてこないと話にならないのよ」


 なんで、ケイカは諦めているんだろう。同じ竜なのに。自分だって、さっきまで捕まっていたのに。

 おれはコハクを見る。

 視線に気づいたコハクは黙って首を横に振っていた。


「コハクのチカラでも無理なのかよ。白竜を助けることは、本当にできないのか?」

「ごめんね、アサギ。コハクにできることは少しだけ先の未来を視ることと時間の操作だけなの。特別な魔力が込められた道具を壊すことは、できないんだよ」


 ここで、おれはハッとした。コハクの目は今にも泣き出しそうだった。

 ケイカやコハクが諦めようとしているのは、自分の力じゃどうにもならないからだ。

 おれだってそうだったじゃないか。自分には何の力もなかったけど、コハクが手を差し伸べてくれたから立ち上がれたんだ。

 この心の声も、コハクはちゃんと読み取っているはずだ。揺らぐきんいろの瞳を細めて、コクリと頷いた彼女は「それにね」と続ける。


「仮にどうにかして拘束を解けたとしても、今の白竜には月竜や銀竜のように自分で身動きできない状態なの。どんな強い力を持った大人でも竜は運べない。だから、アサギ一人ではどうにもならないんだよ」


 その言葉を聞いた時、おれはコハクがどうして白竜のことを教えなかったのかようやく分かった。


 おれみたいな子ども一人では、白竜を助け出すことは現実的じゃない。

 母さんみたいに魔法や呪いついて詳しく知っているわけじゃないし、父さんみたいに力が強いわけでもない。唯一の武器の魔法だって、竜の巣穴の中じゃ使えない。おれはただの非力な子どもなんだ。


 分かってる。この島に来てから十分すぎるくらいに、おれには何の力もないことは分かってる。だけど。


「おれは、諦めたくない!」


 見ないフリして、弱っている白竜を置いていくならおれは逃げられるし、シルやケイカがいるから確実に助かるだろう。

 それでもおれは嫌だった。うずくまって諦めようとした自分は、あの部屋に置いてきたんだ。


「竜はおれたち人よりも力はあるし、持っている力もすごく大きい。でもおれたち人の力を必要としてるって、母さんは言ってた。今の白竜も、きっと誰かの助けを待ってるに違いないんだ」


 昔、おれが生まれる前。母さんは大人の事情で巻き込まれて封印された竜を助けるために、すごくすごく頑張った。竜を救うためには封印されることになった原因を取り除くことが必要で、でもそれは母さん一人の力じゃ無理で、どうにもならなかった。けど、色んな人に助けてもらって、竜にかけられていた封印を解くことができたんだ。


 運命を切り開くためのヒントが、母さんの取った行動にあるのなら。

 もしかすると、おれみたいな子どもでも白竜を助けられるかもしれないじゃないか。


「おれは無理だって、諦めたくない。白竜だけを見捨てることなんてできないよ」

「……アサギ」


 湿ったようなシルの声が聞こえる。たぶん、シルもコハクやケイカと同じ気持ちだったんだと思う。


「アサギ、きみは本当にユークの息子だね」


 ふるえる声がおれの耳に入る。シルの方を見ると、彼は泣き出しそうな顔をしていた。つられておれまで泣かないように、ニッと笑う。

 そして目を丸くしてつっ立っているコハクを見た。


「コハク、お願いだよ。白竜のところに行かせて」

「……行っても、なにもできないかもしれないんだよ?」


 まだ固い表情のコハクの目から逸らさないように見て、おれは頷く。


「それでも、助けるためのなにかを見つけられるかもしれないから」


 コハクはすぐに頷かなかった。しばらくおれと彼女との沈黙が続く。自然と、ケイカもシルも口を閉じていた。

 最初に口を開いたのは、コハクだった。


「分かったよ。アサギがそうしたいって言うなら、コハクはどこまでも付き合う」


 彼女の口元が緩む。

 おれは嬉しくなって、思わずコハクに駆け寄った。


「ありがとう、コハク!」

「どういたしまして。あはは、全くもって状況は良いとは言えないけど、これもアサギが運命のひとだから仕方ないね」


 指でこめかみのあたりをかいてコハクは半眼になってるけど、どこか嬉しそうだった。

 そして身軽く方向転換して、先が見えない右の道を睨みつける。


 おれも彼女に倣って一歩足を踏み出そうとした。その時だった。


「きみは本当に、見ているこっちが飽き飽きするくらい、諦めの悪いやつだな」


 聞き覚えのある、その声が奥の方から聞こえてきたのは。


 コツコツ、と気ぜわしく足音が響く。月長石ムーンストーンの光に包まれて現れたのは、おれと同じくらいの背丈の子どもだった。


 短い鳶色の髪。向けてくる鋭い瞳は翡翠のような緑色。

 おれの世話係兼監視役。セントラル城の最初に運び込まれた部屋に、そう言って食事を運んできた。そしてコハクが縛って部屋に閉じ込めてきた、あのクラースが、今こうしておれの目の前に現れたのだった。

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