2.おれたち家族が住所不定のワケ

「引っ越す?」


 父さんから話を聞いて、おれはびっくりして開いた口がふさがらなかった。


 片付けを終えてからテーブルに戻るとひととおり話が終わったのか、二人の様子は落ち着いていた。ただ、さすがに母さんはうなだれて反省しているみたいだ。

 無理もない。他の国とはいえ、一国の王様の手紙をずっと放っておいたんだもん。誰だって、そんなことしないと思う。ありえない。


 いや、そんなこと今はどうでもいいんだ。

 それよりも。


「なんで突然に……。引っ越すって、今度はどこに行くの? 父さんと母さんのふるさとには、もう帰れないんじゃなかったっけ」


 こうしてジェパーグで暮らしているけど、おれたち家族はこの国の国民じゃない。だからと言って、父さんたちの故郷イージス帝国の民でもない。

 いわゆる住所不定ってやつで、宿を取ったり一時的に家を借りたりして、いろんな国を転々としながら生活してきた。


 剣に覚えのある父さんは護衛の仕事を主にしているけど、その日ばかりの仕事で、依頼してくれるひとが見つからない時だってある。母さんが本を出しているからお金は入らないわけじゃない。だけど、研究資金だって必要だからとんとんって感じ。

 けっして裕福ではない。生活はいつもギリギリだ。


 二人はなにも言わないけど、おれはわかってる。だから、食費だって無駄遣いしないように必要なものだけ買うようにしているんだ。


 父さんと母さんがおれという一人の子どもを抱えながら不安定な生活をしているのには、もちろん理由がある。


 ひとつめの理由は、ふるさとのイージス帝国には帰ることができないためだった。


「そうだ。アサギには前にも話したように、俺達は帝国の裏切り者だからな」

「カイを助けるために、帝国の王様に逆らったんだよね?」


 かさねて確認すると、父さんは頷いた。


 おれが生まれる前、母さんは王様の言いつけを破って国を飛び出した。カイを助けるために。

 カイ、というのはシルと同じいにしえの竜で、海竜のことだ。母さんの友達で、今でもよく会いに行ってる。海に棲んでいて、いつもおれにも気さくに接してくれる明るい兄貴みたいな竜なんだ。


 でも、いくら友達のためとはいえ、母さんが王様を裏切ったことは事実だ。すぐにお尋ね者になってしまって、おれが生まれる前は追われる生活を送っていたらしい。色々あって王様とは和解できたみたいだけど、命令に背いたことには違わない。


 ちなみに、父さんは母さんのことが好きだったから、騎士の誓いをたがえて王様に背を向けたらしい。


 つまりは夫婦そろって、帝国の王様に反逆したってこと。だから、父さんと母さんはふるさとには戻れない。


「だから帝国じゃなくて、ノーザン王国に行こうと思っているんだ」

「ノーザンに?」


 忘れるはずもない。さっき話題にのぼったばかりだもん。

 母さんに手紙を送ったひとは、ノーザン王国の王様だったんだ。


「前からノーザンへの引っ越しは検討していたんですよ。あの国は色んな種族の国民が住んでいて治安もいいって聞きますし。帝国みたいにこわい魔族ジェマも少ないらしいです」


 いつの間にか反省状態から浮上したのか、母さんが顔を上げていた。……それにしても、反省の時間短くない?


「ノーザン王国も以前はだいぶ荒れていた国だったんだが、今ではだいぶ落ち着いてきている。それは現国王カミル=シャドールが平和と呼べるほどにまで国の復興に助力を注いだかららしい。カミル国王はここジェパーグにまで〝北の白き賢王〟という名が知れ渡るほどに評判がいいんだぞ」

「へえ、そうなんだ」


 賢王さまかぁ。

 母さんって、すごいひとと手紙のやり取りしてたんだな。

 いや、返事かえしてないからやり取りにすらなってないのか。ひどい話だ。


「それにな」


 まだ、なにかあるのかな。

 ううん、違う。きっとここからが本題だ。


「お前も、もうすぐ十歳になる。そろそろ落ち着けるところ探さなければならないとユークと話していたところだったんだ」

「ジェパーグじゃだめなの?」


 住み慣れた場所を離れるのは、やっぱり抵抗がある。

 友達はいないけど、王都の市場で売ってる魚が好きだし。


「普通に国民として住むには問題ないんだ。だけど、俺達はそうはいかない」

「そうですよ、アサギ。あなたは無属の子なのですから」


 これがどの国にも属さず不安定な生活をしていた、ふたつめの理由。


 おれが無属性の子どもとして生まれたせいだからだ。


 無の属性。または銀河の属性とも言われているらしい。

 ひとつの国に一人いるかどうか、というくらい無属性のひとは少なくて珍しいんだって。


 母さんと同じ魔族ジェマ海歌鳥セイレーンの部族の子どもとして、おれは生まれてきた。だけど、おれの髪は白銀だった。本来なら、母さんみたいに海の色の髪をもってるはずなのに。


「無属の子は大きな力を持つ可能性があるだけに、色んなひとに狙われやすいのです。だから、僕たちは国に助けを求めなければなりません。国を治める王は、無条件で無属性のひとを保護しなければならない。これは世界レベルで義務付けられた王家の責務であり、どの国に行っても変わりはありません」


「だが、俺達は保護を求める国を慎重に選ばなければならないんだ。今の時代、たとえ王様でも優しくていいひとばかりじゃない。表面上は手厚く保護してくれたとしても、実際には牙を剥く可能性がある。直接危害を加えないひとでも、お前を利用しようと近づくかもしれない」


 まったくもう。父さんも母さんも、こういう時だけおれを子ども扱いしてさ。言われなくても分かってるよ、おれは。


「それって、父さんたちはジェパーグの王様が信用できないってこと?」


 質問を投げかけたら、父さんは眉を寄せて頷いた。


「旅行したり一時的に滞在したりする分には問題ないが、ジェパーグは島国ということもあって閉鎖的なところがある。国王……いや、ジェパーグではみかどと言うんだったか。帝や将軍に保護を求めても、しょせん俺達は彼らにとってはよそ者だ。候補から外すべきだろう」


「知っての通り、帝国は初めから除外です。グラスリードやマレルニアも閉鎖的ですし最近きな臭い噂しか聞こえてこないので、入国は危険だと考えます」


「だから、ノーザン王国なの?」


 確認のために聞いたら、二人は強く頷いた。


 だんだん話が見えてきたかも。


「もともと定住するならノーザンが一番いいだろうと考えていたんだ。だが今の国王が吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマのせいか、ユークがこわがっていてな。なかなか決めかねていたんだが、今回アサギがカミル国王からの手紙を見つけてくれただろう?」


「うん」


「手紙を読んでみたら、カミル国王はユークに助けを求めている。で、今の俺達なら力になれそうなんだ。だから、協力するついでに保護を求めようと思っている。まあ、多少向こうは気分を害するだろうが……」


「そりゃ、そうだよね」


 どれくらいの間放っておいたのかは分からないけど、返事を送らなかった母さんが悪い。

 どうせ本の締切に追われて、そのまま忘れてたんだろうけど。


「母さん、おれも手紙読んでもいい?」

「はい、いいですよ」


 快く母さんは手紙を渡してくれた。


 封筒から丁寧に折りたたまれた便箋を広げる。

 王さまの字はきれいで、読みやすかった。黙り込んだまま読んでいると、シルが隣まで来て一緒に手紙を覗き込む。


「ノーザンの王様はどんなことでユークに助けを求めているの?」


 やっぱり、シルも気になるよね。

 思わず苦笑して、おれは説明してあげることにした。


「失明してしまったお姫さまの目を治すために、魔法をかけてあげたいんだって。ほら、無属の魔法に再生クリエイションってのあるでしょ。おれにはまだ扱えないけど」


「うん、あるね」


「王さまも無属じゃないから使えないんだけど、術式を組んでなんとか魔法を発動させる準備は整えたんだって。でも魔力が足りないらしくて。力を貸してくれるいにしえの竜を紹介してもらいたいみたい」


 シルは青い目をぱちぱちと瞬かせた。そして、にっこりと笑ってこう言った。


「それなら僕が喜んで力になるよ」

「そう言うと思ってた」


 それからおれとシルは顔を合わせて笑いあった。もう決定してるようなものだけど、ノーザンに行くか行かないか答えは決まった。


「じゃあ、お姫さまの目を治しにみんなでノーザンに行こっか」


 事情がそういうことなら、引っ越しも悪くないかなと思う。おれのせいで父さんと母さんに苦労させたくないのが本音だ。だけど、それを言ってしまうと、二人を傷つけてしまうから。


「ねえ、母さん。おれが代わりに王様に返事を書いてもいい?」

「へ?」


 返答になっていない声で母さんは茫然としているけど、おれはかまわなかった。


 手紙を抱えたまま、母さんの仕事部屋に入る。引き出しの中から便箋と封筒を取り出し、机の上に置きっぱなしになっている羽ペンとインクを用意した。


「ちょっと、アサギ!?」


 ドアの向こうからなんか聞こえるけど、無視だ無視。

 ペン先にインクをつけてから紙の上を滑らせる。


「なんて返事を書くんだい、アサギ」


 いつの間にかちゃっかりシルはついて来ていた。まあ、いいか。彼はおれの邪魔をしたりしないし。


「後で見せるから、ちょっと待ってて」


 その場しのぎで言ったわけではなかった。返事の内容はちゃんと見せてあげるつもりだったけど、シルはおれの言ったとおりに本当に黙って待っていてくれた。


 どのくらい時間が経ったのか、分からない。おれは夢中で返事を書いた。

 よくよく考えれば、生まれて初めて手紙を書いたんだよな。人生初の手紙の相手が一国の王様だなんて、すごく貴重な体験かもしれない。


「よし、書けた。シル見て」

「うん」


 書き上げたばかりの便箋を指先で慎重につまんで、シルは目を通し始めた。たぶん、インクが乾ききっていないと思って気を遣ってくれてるんだと思う。そういうところは律儀な竜だなあ。


 手紙にはおれなりに言葉を選んで書いたつもりだ。

 無条件で許してもらえないにしても、賢王さまと呼ばれるほど良い王さまならきっと父さんと母さんを悪いようにはしないだろう。




 カミル=シャドール陛下へ


 息子のアサギが代筆しております。

 手紙の返信が遅くなってしまい申し訳ありません。

 友人の銀竜が姫の助けになれることと思います。

 ただちに銀竜とともに貴国へ向かいますので、もうしばらくご辛抱ください。


 アサギ




「うん、いいと思うよ。上手に書けてる」


 手紙から顔を上げて、シルはそう言ってくれた。改めて言葉にしてもらうとなんだか自信がついてくる。


「へへっ、ありがと」


 ほくほくした気持ちをおさえつつ、おれはインクが乾くのを待ってから便箋を丁寧に折りたたんで封筒に入れた。

 そしてそばにいる、風の精霊シルフに声をかける。


「これをノーザン王国のカミル国王のもとまで、届けてもらえる?」

『アーイ! カミルんとこまでネー!』


 すぐに元気のいい声が返ってきた。封筒をつかむと、白い鳥に変化してはばたいていく。ジェパーグとノーザンがどのくらい離れているかいまいち分からないけど、一日くらいあれば届くだろう。たぶん。


「アサギはノーザンへ行くことには、もう何も言わないの?」


 鳥が見えなくなるまで眺めていたら、不意にシルがそう聞いてきた。振り返って彼を見ると、穏やかな顔で首を傾げているだけだ。ふと浮かんだ疑問をそのまま口にしただけなんだろう。


「うん。だって、おれ無属だから仕方ないし。狙われやすいっていうのは、いまいち実感わかないけど。でも」


 最初に抱いた不満の気持ちは消えていた。今では、出発の日が楽しみだと思える。その理由はきっと、無属の魔法が、シルの銀竜としての力が誰かの役に立てるからだ。


「お姫さまの目を治したいっていう賢王さまの想いが、きっと母さんと引き合わせたんだ。そして、一番力になれるシルが願いを叶える。これって運命だと思うんだよね」


 だから嬉しくてたまらない。

 ひとの想いが運命の出会いという奇跡を引き起こす、なんて。すごいことなんじゃないかな。


「そうだね。僕も困ってるひとの役に立てるのなら嬉しいよ」


 顔をほころばせて、シルは笑った。

 旅立ちはたぶん明日だ。まだ出発さえしてないのにおれの心は浮足立っていて、ノーザンへと向かっていた。


 待っていて、ノーザンのお姫さま。そして賢王さま。

 すぐに父さんと母さんを連れて、そっちへ向かうから。

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