1章 おれに降りかかった人生最悪の災難

1.王様からの手紙

「アサギはボクにとって運命のひとだから」


 また〝運命〟か。

 胃がムカムカしてくる。ここに連れて来られてから何度も聞いた。おれにとっては呪いの言葉だ。




 ――こうなってしまったのもきみの運命なんだ。あきらめて、さっさと受け入れろ。




 思い出すだけで、イライラする。


「さっきからなんだよ! 運命、運命って。運命なんてコトバ、もううんざりだ!」


 昨日までのおれだって、そんなこと思っていなかったのに。






 ★ ☆ ★






 事の発端は、掃除の時に母さんの部屋で見つけた複数の手紙だった。


「なんだろ、これ」


 しっかりした厚みのある白い封筒だった。一通だけじゃない。四通くらいあって、差出人は同じ名前だった。


「カミル=シャドール……? 誰だろ。聞いたことないや」


 男性か女性、どっちの名前なんだろ。でも、母さんに限って浮気は有り得ない。両親はとても仲が良くて、いまだに息子のおれを放っておいてデートに出かけるくらいだし。

 それに、おれの知らないひとから母さん宛てに手紙が届くのは日常茶飯事で、最初はあまり気に留めなかった。


 母さんは研究者だ。主にいにしえの時代から存在するといわれている竜について研究していて、たくさん本も出している。父さんの話では、どうやら竜に関する資料は少ない上に、母さんは呪いや解呪についての研究も熱心にしているせいか、他の研究者にも一目置かれているらしい。


 そのせいかな。母さんの書いた本を読んだひとたちが疑問に思ったことを書いて手紙を寄越すことは、よくあることだった。

 そして、このように研究に夢中になって手紙を読んだ後そのまま放置することも、いつものことだ。それが悪い癖でよく父さんに怒られてるんだけど、治る様子は今のところない。


「アサギ、部屋の掃除終わりそう?」


 部屋の扉がきぃと開いて、シルが顔を出した。


 本名はシルヴェストルで、愛称はシル。背の高い男の人の姿をしてるけど、彼は人族ではなくて実はいにしえの竜なんだ。他の竜からは〝銀竜〟って呼ばれてる。


 シルは父さんと母さんの大切な友達で、おれにとっては家族も同然だ。

 というのも、研究で部屋にこもりきりな母さんと外で仕事をすることが多い父さんに代わって、よくおれの子守りをしてくれたのが彼だから。

 親代わり、とまではいかないけど、年の離れた兄さんみたいなかんじ。


「うん、終わったよ。母さんはちゃんと寝た?」

「大丈夫だよ。さすがに徹夜続きだったから疲れていたんじゃないかな。もうぐっすり眠っているから」

「それなら良かった」


 そしておれは手元にある手紙に視線を落とした。

 さて、あとはこれをどうしようかな。


「それは手紙かな?」


 頭の中でぐるぐる考えていたおれの悩みの種をずばり当てて、シルは覗き込んできた。


「うん、そうなんだ。母さん、また読んだっきり放置してるみたいで」

「それはあまり良くないね。相手は返事を待っているかもしれないし。ユークには僕も何度か言ってるんだけど、いつまで経っても直らないねぇ」


 シルは苦笑しながら手紙を手に取った。裏返して差出人の名前を読み上げる。


 あ、ちなみにユークっていうのは母さんの名前ね。正確にはユークレースっていうんだけど、長いから父さんやシルは愛称で呼んでる。


「カミル=シャドール、か。あれ、どこかで聞いたことがあるような」

「そうなの?」


 おれは記憶にかすりもしなかったのになあ。一見ほのぼのとした雰囲気だけど、おれなんかよりずっと長い時間を生きているシルは物知りだ。


「うん。んー、誰だったかなぁ。思い出せないや。まあ、シェダルに聞いたら分かるだろう」


 腕を組んでうんうんうなり始めたと思いきや、シルはすぐにやめた。たしかにシェダル――父さんに聞けばなんとかなるだろう。研究以外のことにはダメダメな母さんと違って、父さんはしっかりしていて頼りになるから。


「そうだね。母さんは今頃夢の中だろうし。夕食の時にでも聞いてみるよ」


 さてと。部屋の掃除の後は食事の準備だ。


 え? おれの母さんが作らないのかって? 

我が家では食事の準備は父さんかおれの仕事だ。おれは生まれてこのかた母さんの手料理を食べたことがない。

 まあ、それには理由がちゃんとあるんだ。追々説明するから、今はちょっと置いておこう。


「夕食は何するんだい? 手伝うよ、アサギ」

「いつもありがと、シル。今日は魚を焼こうと思ってるんだ」


 昨日、王都の市場に行った時にいい魚を買ったんだ。絶対おいしいに決まってる。

 夕食のメニューに思いを馳せながら、おれは母さんの部屋を出て台所へ向かったのだった。






 おれたち家族が暮らすジェパーグは島国で、新鮮な魚がたくさん獲れることで有名だ。母さんの話によると、この国にもいにしえの竜がいて風の恵みが豊かだから、魚介類に事欠かないらしい。


 氷室に置いてある魚を取り出して、塩をふる。あとは焼くだけだ。たったそれだけの作業。でもシンプルな味付けの方がおいしいんだよ?

 魚をフライパンの上に置いて、おれは右肩に目を向けた。そこにはおれの肩をいつもソファ代わりにしてくつろぐ、炎の下位精霊がいるんだ。


「火トカゲ、いつものようによろしく頼むよ」

『リョーカイでさぁ!』


 ぴょこんと起き上がって、火トカゲはフライパンのそばに近寄る。ぼうと炎の息を吐いて、点火してくれた。

 おれにはひと――いわゆる人族の友達がいない。けど、精霊の友達ならたくさんいる。生まれた時から精霊は近くにいた。みんな小さい頃からよく一緒に遊んでくれる、いい子たちばっかりだ。


「いい匂いがしてきたね」


 棚から食器を出しながら、シルが嬉しそうに言った。再びおれの肩に戻ってきた火トカゲがぴょんぴょん飛び回る。


『モット焼くゾ、モット焼くゾ』

「もう焼かなくていいよ。これ以上火を強くしたら黒焦げになっちゃうじゃん」

『クロコゲ、クロコゲ』


 なにが面白いのか、火トカゲはさらにテンションを上げて飛び回り始めた。テーブルの上で楽しそうにジャンプをしている。

 そろそろ注意してあげないと危ないかもしれない。


「ちょっとテーブルやカーテンを燃やしたらだめだからな!」

『ハーイ』


 お調子者だけど、根は素直なやつなんだよね。両手を上げて返事をすると、火トカゲは戻ってきた。


 テーブルや他の家具を見渡して一応確かめておく。

 よし、焦げたり燃えたりしているところはないな。


「もう少しで父さんも仕事から戻ってくるだろうし、いつでも食べれるように準備しとこうか」

「そうだね。日が暮れたらユークも目が覚めるだろう」


 シルと頷き合ってから、おれはいい感じに焼き上がった魚をお皿の上にのせた。






「カミル=シャドール、ですか?」


 夕食の時は、たいてい家族みんなそろってテーブルを囲んでいる。その頃までには寝ぼけていた母さんの頭もだいぶ覚醒しているだろうと見越して尋ねれば、きょとんとした顔でフォークの手を止めた。


「うん、そう。今日、母さんの部屋を掃除した時に引き出しの奥から見つけたよ。四通くらいあったけど」

「最近の手紙じゃないですね。見せてください、アサギ」

「分かった。はい、母さん」


 もともと手渡そうと思って手元に持ってきていたから、おれは母さんに渡した。


 部屋に引きこもりがちな研究者って言っても、母さんは根暗なタイプじゃない。ちゃんと清潔感はあるし感情豊かでよく笑うし、言葉も丁寧だ。なんでも昔はイージス帝国という大きな国の貴族だったとかで、一応教養はあるらしい。


 細い指先で封筒を開け、母さんは便箋に目を通し始めた。長いコバルトブルーの髪が肩から滑り落ちる。


 手紙の相手はどんなひとなんだろう。竜に興味があるのか、それとも呪いや解呪に関する質問が書いてあるとか。いずれにしても、母さんに分からないことなんてないんだろうけど。


 今回はなんとなく気になってしまって、おれは母さんの顔色をうかがっていた。

 すると、なぜだろう。みるみるうちに、白い顔が青ざめていったんだ。


「どうした、ユーク」


 さすが父さんも母さんの変化に気付いたようだった。

 名前を呼ばれて顔を上げた母さんは、魚みたいに口をぱくぱくさせていた。


「あ、あの……それが、その……」


 どうも煮え切らない返事だ。母さんがこういう反応をする時は、たいてい良くない未来が待っている。


「カミル=シャドールだったか。覚えがある名前なんだよな」


 父さんの茜色の目が半眼になる。

 そういえば、シルもどこかで聞いた覚えがあるって言ってたっけ。


「今のノーザン王国の国王の名前がカミル=シャドールだったと俺は記憶しているが、そこのところどうなんだユーク?」


 母さんはすぐに答えなかった。

 代わりに、シルが反応した。


「そうだ。この間、新聞で見かけたんだった。ノーザンの国王陛下の名前だったんだねえ」


 のほほんと笑いながら、おれの作った野菜スープの入った器に口をつけるシル。だけど、彼を除いてこの場にいる誰も笑うことなどできなかった。


「……ということは、母さん、ノーザンの王さまからのお手紙を放置してたってこと?」


 分かりやすく要点をまとめて再確認のために聞いてみると、母さんはガチガチに固まったままぎこちなく頷いた。どうやら、やらかしてしまったことの重要性に気付いたようだ。

 でもだからって、今度という今度は父さんのお説教から逃れられるはずもない。


 隣でガタ、と椅子を引く音がした。父さんだ。真顔になった父さんが立ち上がったんだ。


 おれは無言で食器を重ねて、流し場まで持って行った。

 ここから先、子どもは立ち入れない。大人としての責任に関する話が始まるからだ。関係ないおれがいても仕方ないし、さっさと食器の片付けを済ませてしまおう。


 おれは空気を読む子どもなんだ。




 そして予想した通り、父さんの雷が落ちた。


 お皿を洗っているとシルが食器を抱えて逃げてきたから、水で流したお皿は彼に拭いてもらった。

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