Lesson13. チータは正しい。

 付き合おう、とか、あからさまな言葉はなく、とにかく僕たちはすごく自然な形で、毎日一緒に勉強するようになった。野間以外の女子(しかもとびきり可愛い)を家に呼ぶと母親がくそウザイし、とうぜん甘井ちゃんの家に行けるはずもなかったので、僕らは教室で待ち合わせをして、ならんで図書室に向かった。受験前の自由登校が始まっていたのである。朝の九時ぐらいから夜の六時ぐらいまで、スチーム暖房のがっつり効いた図書室にこもり、フリスクをおはじきみたく机のうえに並べて眠気をこらえながら、延々参考書と向かい合ったり、過去問を解いたりする。甘井ちゃんとのおしゃべりはできなかったけど、とにかく楽しかった。僕は三年生でごった返す進路指導室におしいり、周りに愚痴を零されながら共用のデスクトップパソコンを独占し、こっそりと京都にある大学を調べた。うちにお金があるわけじゃないが、ひとりっこなので、学費の高い医薬系じゃなければ私立に行ってもいいと、課長に昇進した父親がヱビスの瓶を傾けながら上機嫌に言ってくれた。私立であれば、関関同立はぜんぜん雲のうえだけど、いまの僕の成績でも入れそうな大学がいくつか見つかった。甘井ちゃんの行く大学ともそう遠くない。その未来は、想像できるだけでなく、僕の手にちゃんと届く未来なんだと模試の結果にはじめてあらわれた「B判定」の文字に意識する。甘井ちゃんと日がかわるまで遊んで、やすい発泡酒をつぶれるまで飲んで、もちろんそういうこともして、ちっちゃな一部屋の古アパートだけど半同棲なんかもしたりして、就職したら学生時代に貯めたバイト代と初任給を足したお金で甘井ちゃんのほっそりした左薬指に似合うダイヤモンドの指輪を4℃で買い、夜景のみおろせるレストランで薔薇のように紅いカクテル片手に結婚を申し込んで。薔薇色の未来が、僕の手に届くところまでスキップで来てくれたのだ。幸せは歩いてこない。チータは正しいと思った。

 という話を、僕は帰る途中、野間の家に寄って、長々とするわけだ。福井さんもびっくりするようなうざさだった。野間は勉強しながらではあったが、僕の話を茶々入れることなくちゃんと最後まで聴いてくれた。そして「やっぱバイトするの?」とか「観光地外したほうが生活費安いよね」とか「同棲よりも近くに住んだほうが楽しいんじゃないかな」とか、現実的なネタを振って話を盛り上げてくれる。

「高橋のほうはどうなん? 最近、学校来てる?」

 その日、野間がふいに口にした話題も、やはり現実的だったと思う。

「来てないよ。まああいつ、秋の全統模試で校内三位だったろ。余裕だし、家で勉強してるんじゃない?」

 軽い調子で答えた。高橋くんの姿は図書室に見えなかったけれど、気にしてもいなかった。

「いやいや、そうじゃなくて」

 野間はあきれたように笑いながら、僕の足を軽く蹴りつけた。野間は薄着なくせ寒がりなので、六畳間にしてはでかすぎる石油ファンヒーターを唸らせるうえにコタツも使う。小学生のときに親戚から貰ったらしい正方形のコタツは一人用のものみたいで、だいぶちいさいのだが、秋ぐらいから野間の部屋でふたりで話すときは僕もコタツにもぐる。昔からずっとそうだった。さすがに僕の身体はだいぶ大きくなって、ちょっと窮屈だけれど、野間は小柄だから、うまく隙間に身体を入れるかたちでコタツに入るとなかなか居心地がいい。野間はウレタンの丸っこい座椅子に背中をあずけ勉強をして、僕は横たわったまま野間に絡んだり、足のうらをくすぐっていたずらしたり、飽きたら居眠りしたりする。それが昔から変わらない僕たちの在り方、というか、見たまんまお互いの隙間をきれいに埋めるかのごとくぴたりとはまる僕たちの形だった。つまり、僕と野間は、完成したパズルのようなもので、不足も余りもしていない関係が他の誰よりも居心地よかった。

 野間のキックが僕の股間に決まり、不満をあらわすようにやおら上半身を起こすと、野間はびっくりしたような表情で僕を見つめていた。

「え、もしかして新立、まじで知らんの?」

 よくある遣り取りではあった。野間は男女とわずけっこう友だちが多く、人間関係が広いし、そのうえ母方のおじいちゃんが古くからの町内会長なので、とりわけ噂話の類いについては、僕より耳がはやい。口はすごく堅いが、僕が知るべきことは包み隠さず教えてくれて、僕は野間を通じていろんなことを知った。ありふれた言い方をすれば、野間は僕にとって、酸素みたいなものだったと思う。彼女が昔から宿しているそのように澄んだ誠実さを僕は認めていた。

「しらねえよ。なんだよ。早くいえよ」

 コタツの下で野間の足を蹴り返してやろうとしたが、はからずも野間のかたい尻にヒットした。彼女が制服以外でスカートを履いているのは見たことがなく、この日もだぼっとしたカーゴパンツにつつまれていた。

 野間はわかりやすい溜息を吐いて言った。

「新立さあ。甘井っちと付き合えてうれしいのは分かるけど、もうちょっと周りを見たほうがいいよ。そういうので友だちふつうに減るから。高橋、友だちでしょ?」

 小学生のころ、内気な僕はなかなか友だちができなくて、野間を介してやっといろんな子と話すようになった。中学校では高橋くんと仲良くなって、高校では福井さんと仲良くなって、ただ甘井ちゃんとの接点はなかったはずだが、野間が取り持ってくれたのではなかったか。野間はたぶん、僕がひとりにならないよういろんな場面で気を遣ってくれていて、それは不思議と見下されてるかんじがしない。けど、ずっと野間に付きまとってばかりだった僕を野間が厄介払いしたかっただけなんじゃないかと邪推すれば、それは嫌だった。たとえば野間に彼氏ができるとすれば、僕はすごい嫌だ。これは実際にそうするという話ではなく、あくまで仮定なのだが、野間と甘井ちゃんのどちらか選べといわれたら、僕は間違いなく野間を選ぶ。だって野間は甘井ちゃんがいなくても存在するけど、甘井ちゃんは野間がいなければ存在しないから。

 野間の話を、僕はいつもより真剣に聴いた。高橋くんが停学を食らったらしい、という話だった。なんでもカツアゲをしたのがバレたらしい。一週間の自宅謹慎を言い渡されたらしく、そろそろそれが明ける頃合いだったので、ちゃんと学校に来たのか、野間は知りたかったらしい。し、はっきりとは言わなかったけれど、僕にも知っていてほしい、ということらしかった。すごいもやもやした。理由はいくつかあるけど、ひとつは、停学を言い渡したのは生活指導であるティーチャーに違いないこと。もうひとつは、高橋くんがカツアゲなんかするはずないってことだ。すごい申し訳ない気持ちでいっぱいで、なにが一番申し訳なかったかといえば、甘井ちゃんのエンコーのときほどティーチャーに怒りが沸かなかったってことだ。ほんとうに僕は高橋くんの友だちといえるのか、悩んだし、悩む資格はないとも思ったけれど、そもそも発端はある面では僕に違いなくて、高橋くんに会わなければならないと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る