02

 コロコロと口の中の飴を転がしながら、心配そうにこちらを見つめるS08に頬を両手で挟む。


「甘くておいしいよ。Sも食べる?」

「必要ない。それより、Pこそ平気か?」


 今日の狩猟担当は、G45とT19だ。

 量は申し分ないだろうし、T19の鼻ならば、フルーツなどの類にも敏感に反応する。S08やO12が行く時よりも、確実にP03が好むものを取って来れるはずだ。


「必要なら、アイツからその食べ物を奪ってくるぞ」


 飴を取り出す時に、同じ包み紙の擦れる音と甲高い衝突音が聞こえた。

 あのポケットには、P03の食べているものと同じものが、多く詰め込まれているはずだ。


「ダメだよ」


 S08の頬を擦りながら、P03は飴を前歯で挟むと、もう一度食べたいなら食べるかと首を傾げた。


「Pが食べてくれ。怪我の治りも悪いだろ」


 そう言ってS08が目をやるのは、数日前に軽く出血のしていた腕。

 かすり傷程度の傷だ。ヴェノリュシオンなら、とっくに治っている傷だが、未だに包帯は取れていない。


「あの女がいれば、診てくれるんだろうが……」

「痛くないから平気」

「でも、出血続いてない?」


 突然P03の後ろから現れたT19は、P03を後ろから押し倒しながら、今だ新鮮な血の匂いが香る腕を掴む。


「これ、手当てした奴、誰? 楸? ヘタクソとかいうレベルじゃないと思うんだけど」

「おい。T。離れろ」


 背中から、圧し掛かるようにP03に寄り掛かるT19を、P03を抱き留めながら、睨めば少しだけ驚いたように瞬いた後、笑った。


「いーじゃん。最近寒くなってきたし、僕、結構寒いんだよね。P温めてぇ」

「Gの方が暑いぞ」

「むさくるしいの間違いでしょ。だいたい、Gは臭くてヤダ」


 舌を出し、明後日の方向に顔をやるT19の鼓膜へ、突き刺さるようなG45の「手伝え!」という声。

 耳の良いS08でなくても、はっきりと聞こえた声だったが、数拍おいた後、わざわざ耳を塞ぐT19に、S08はP03の頭を抱きかかえるように、地面に倒れ込んだ。


 直後、T19へ容赦なく飛び蹴りをするG45の姿が、頭上をすり抜けて行った。


「あーぁ……また喧嘩してる……Pちゃんいるから、ひとまず保留でいいですか?」


 ここ数日ですっかり慣れたが、ヴェノリュシオンたちはじゃれ合うように毎日のように喧嘩する。

 毎度止めては、こちらの身が持たない程度には。


「あぁ。Gの短気、どうにかならねェかな……」


 だからこそ、楸もすっかり、止めなくていいレベルの喧嘩の見分けはついていた。

 わかりやすいのは、P03が至近距離にいるかだ。

 そのほか、細かい違いはあるにしろ、彼らはP03を巻き込みかねない距離で、本気で喧嘩をすることはない。


「こうして見ると、クラスの女子を取り合ってる男子ですよね」


 新人類になっても、その辺りは変わりないのかと、つい笑みが漏れてしまう。


「アイツらの能力を統括しているような存在だしな。本能的に、群れの中で重要なポジションとして捉えているのかもな」


 ヴェノム研究所と他の研究所との大きな違い。

 それは、”脳”を変異させた人間の個体の生成に成功したことだ。


 全ての型番のサンプルを作成した際、P型唯一の成功例であるP03は作成された。

 この時、P03が誕生していなければ、ヴェノリュシオンたちは今までの研究所同様、ただ能力を持った獣を生み出しただけだったと予想されている。


 鋭敏な感覚器から届いた情報を、正しく処理できなければ意味がない。

 今までは、その脳の変異の研究が進んでいなかったことで、理性なく暴れる獣ばかりを製造し、失敗し続けていた。

 P03の存在は、その後、製造されたヴェノリュシオンたちにとって、掛け替えのない存在と言える。


「なるほど」


 妙に力の入った表情で頷く楸のことを、牧野は呆れたように見つめた。


「そういえば、牧野さんって遺伝子変異したって聞きましたけど、マジです?」


 視線から逃れるように、話題を逸らそうとする楸に、牧野は呆れを通り越して、言葉を失ってしまう。


「……」


 牧野の反応で、楸も自分の質問が、あまりにもおかしなことだと気づいたが、既に言葉は発し終わってしまっている。

 渋い表情をする牧野が、訓練以外では温情のあるタイプであることにだけ感謝し、致命的な失言でないことを祈り、言葉を待っていれば、長い沈黙の後、ため息交じりに牧野が口を開いた。


「………………自分で言うのもなんだが、俺、状況次第で射殺許可出てんだよな」

「………………え゜!?」


 ヴェノム研究所の摘発の段階で、射殺許可は出ていた。

 楸は、当時遠征中でそのことを知らなかったとはいえ、今回の任務に辺り、久留米が伝えているものだと思っていた。


 最悪の状況になった場合、ヴェノリュシオンを含め、介錯を行う立場なのだから。


「深度2の変異だ」


 遺伝子変異の段階は、4段階に分けられる。

 深度0 変異していない。ワクチンなどにより、アポリュオンに対する抗体を持っている状態も含まれる。

 深度1 軽度な遺伝子変異がある状態。肉体に特異的な変化はなく、アポリュオンに感染すると、この状態になることがある。

 深度2 中等度の遺伝子変異がある状態。一部肉体に特異的な変化がある。深度3へ進行する可能性が高く、危険と判断された場合に射殺を許可されている。

 深度3 高度な遺伝子変異がある状態。肉体全体に特異的な変化がある。外で活動する危険生物の変異種のほとんどが、これに当たる。


 九死に一生を得たあの時から、牧野の遺伝子変異は”深度2”と判断され、危険と判断したなら、射殺が許されていた。


「それって、Pちゃんに助けられてから、ですよね……?」

「状況的に、その可能性が高いだろうな」


 信じられないという表情で、頭を抱える楸。

 楸は、他に比べて、ヴェノリュシオンたちとうまくやっているように見えていたが、自分を降りかかる危険をどこか遠くに感じていたからかもしれない。


「つまり、Pちゃんに手当てしてもらったら、後ろから撃たれる可能性があるってことですよね!? 究極の選択じゃないです!?」


 だが、少しだけ目を伏せた牧野の耳に聞こえてきた言葉は、意外な言葉だった。


「死にたくないけど、助かる代わりに、誤射じゃなく誤射される可能性が高くなるって……俺、Pちゃんに治してもらったら、退役するんで、探さないでください」

「……善処するよ」


 「絶対ですからね!?」と必死な表情で叫ぶ楸に、牧野は少しだけ安心したように笑った。

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