9話 新しい任務
01
「低血糖です」
自室のベッドで寝かされたまま牧野は、点滴を吊り下げる杉原の診断を聞いていた。
数分前の事。
変異種との戦いが終わったことに安心した直後、それは起きた。
体は鉛のように重く、息は詰まり、視界は暗転していく。
最後に聞いたのは、P03の慌てた呼び声だけだった。
「他に異常は見られないので、ひとまず、この点滴が終わるまでは安静にしていてください」
いまだ、体は重いが、先程までのような吐き気や寒気、震えは随分収まってきている。
牧野は礼を言いながら、じっとこちらを見ているP03を安心させるように頭を撫でておいた。
「Pちゃんが慌てて出てきた時は、何があったのかと思いましたが、牧野軍曹に大事無くてよかったですね」
治療の間、邪魔にならないように扉付近に立っていた橋口も、治療が終わったのを確認すると、近づいてきた。
牧野が倒れてから、杉原よりも先にこの部屋へ来て、牧野を介抱していたのが橋口だった。
偶然P03が慌てた様子で部屋から出てくるので、部屋の中を見たら牧野が倒れていたのだという。
「もし、Pちゃんが軍曹を襲ったのだとしたら、大事でしたから」
理由はともかく、牧野の症状の原因は、P03の能力によるものだ。
悪意を持って現状の説明をしたなら、ヴェノリュシオンたちの立場は危うくなる。
「……その話をするなら、私は席を外します」
相変わらず、関わりたくないとはっきりと口にする杉原に、牧野も苦笑いを零すしかない。
だが、橋口はどうぞとばかりに一度微笑むと、手を打った。
「ですが、おかげでP型が初期に作られていた理由にも、当たりが付いてきましたね」
研究部隊の中で、話題になっているヴェノリュシオンたちの各型番の開発理由。
実際に開発が行われた5つの型番は、新人類の構想のごく一部、氷山の一角のはずだ。
机上の空論から始まり、需要・実現可能や予算の都合などから、実際に開発に取り掛かる際に、いくつかに絞られる。
口顎(G型)、視覚(O型)、聴覚(S型)、嗅覚(T型)の4つの型番に関しては、予算と需要と実現の可能性が嚙み合っていたことは、想像がついた。
だが、大脳(P型)に関しては、最終目標が”超能力”などという現実に存在しないものであり、正直予算を回せるとは思えない研究内容だった。
「単純な話です。研究には費用が必要ですから、まずは直感的にわかりやすいサンプル作り。次に開発のために必要なベースとなるデータが取れるサンプル作りと、実現が容易な型番で実績作り。それからスポンサーに合わせた開発を進める。正直、ロマンだけで開発できるのは、極一部の富裕層か豪運の研究者くらいです」
だからこそ、P型の3体作られた理由を考えれば、予算があった時の余剰で作った”研究者かスポンサーの趣味”という可能性が最も高かった。
記録を見る限り、P型でまともに形を成したのは、P03が初めてであり、大切に育てられていた。
だが、超能力などという現実味のない開発理由だけで、初期に3体もの実験体が作成されるのは考えにくい。
ならば、P型には
特に、初期に形を作らなければいけない理由が。
「別の理由?」
「脳の改良です」
”大脳改良型”
名前の通りだが、”超能力の開発”ではなく、”脳の処理能力の向上”を目的としていたものであれば、ベース研究として初期から開発が進められていた理由になる。
「軍曹が低血糖に陥ったのは、おそらく他のヴェノリュシオンたちと感覚を共有していたからでしょう」
各感覚器からの情報は脳で処理される。つまり、感覚器だけを改良したところで、受け取る脳が処理できないのであれば意味がない。
ヴェノリュシオンの同型番が存在しないため、確実なことは言えないが、それぞれの感覚器に関わる脳の部位は、明らかに通常の人とは違う反応を示していた。
少なからず、ヴェノリュシオンたちには、P型のデータを元に感覚器の情報を処理できるよう脳を改良されている。
「こうなってくると、軍曹のことももう一度詳細に調べて――」
ただの人間でありながら、ヴェノリュシオンたちの感覚を共有した存在。
それはとても貴重な存在だ。気にならないわけがない。
「病人ですよ」
だが、杉原の一言が否定した。
いくら、貴重なデータとはいえ、牧野は現在負傷し、治療中の身。
その管轄は、医療部隊にある。医官である杉原が、ドクターストップと命じれば、橋口だけではその命令を覆すことはできない。
少しだけ不満そうな表情で杉原を見つめる橋口に、特に何の感情も抱かず、牧野の傍から離れようとしないP03の傍らに座る。
「また何かあったら呼んでください。しばらくは、先程の部屋にいますから」
「うん」
「点滴が終わるころにまた来ます。橋口さんも言ってましたが、今回のことは、貴方との感覚共有に起因する可能性が高いですから、決してやらないこと。いいですか?」
顔を俯かせたまま頷くP03に、杉原は目を伏せると立ち上がった。
「心配しなくても、点滴何本か打ったら、回復しますから。それまでは、くれぐれも大人しくしているように」
色々な意味で。
聞こえてはいけない声は、きっと牧野だけが聞こえていたことだろう。
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