02

 妙な人だかりに、遠巻きに牧野が様子を伺っていれば、昨夜から続く嵐で蛇口から泥水が出るようになっており、まともな水が出る場所に人が集まっているのだという。


「俺が運んだんですよ」


 偶然近くにいたからという理由で、川窪に浄水器を運ばされた楸だったが、ほとんど使わせてもらえず、少し離れたところで屈み頬杖をつきながら、むくれていた。

 もっと褒めて、労ってくれて構わないのだと、わざと小声で人混みへ伝えようとする楸に、ついその頭に手を置いてしまう。


「すまん……」


 子供とは思えない手の感触に慌てて、腕を引くと、楸も驚いたように牧野を見上げ、乾いた笑いを漏らした。


「すっかりパパになっちゃって……」

「いや、マジですまん」

「別にいいんですよ? もっと撫でてくれても。さぁ! さぁ!!」


 調子に乗って、頭を差し出す楸の頭を軽く叩けば、口を尖らせ、叩かれた部分を擦りながら離れる。

 その様子にすら、どこかデジャブを覚えてしまい、眉間に手をやってしまう。


「夜泣きはマシになったんですか?」

「まぁ…………まぁ、そうだな」

「今の間なんです……?」


 牧野の遠い目に、つい質問してしまったが、訂正できるなら今からでも訂正したい。

 しかし、顔色は悪くない。話に聞いていた寝不足は解消しているようだ。


「体調はすこぶるいいんだ」


 奥歯に何か詰まったような言い方。

 そういえば、仲間から聞いたヴェノリュシオンたちの嘘のような能力の中に、体を治すと言ったものがあった気がする。


「怪我に疲労が治るってやつですか? ブラックジョークじゃなくて?」


 死にそうな怪我やひどい疲労が、突然回復するという能力の噂。

 以前から、妙に流行っていたドラッグにもそんな噂があったが、てっきり死ぬから楽になるとかいうブラックジョークの類と思っていた。


 しかし、牧野の表情は、噂通りと答えているようなもので、楸も下がりかけていた口端を持ち上げた。


「それなら、俺もこの寝不足な上に、朝からデッケェ浄水器運んだ疲れを癒してほしいわぁ」

「いいよ?」

「いやいや、ジョーダン。そんなの無理に…………」


 妙に近くから聞こえてきた声に、顔を向ければ、そこには場違いな少女が立っていた。


「P!?」


 監視カメラの再設置はO12を筆頭に、目ざとくヴェノリュシオンたちが発見するため、設置を諦めることとなった。

 そのため、現在は鍵だけの管理になっている。もちろん、その鍵は外側からかけるもので、牧野の許可なく部屋の外に出ることはできない。


「マキノが遅いから来ちゃった」

「来ちゃったって……」


 鍵はどうしたと、疑問こそあるが、彼らがその気になれば、扉そのものを破壊はできる。鍵など、最初から彼らが暴れない前提での、周りで暮らす兵士の心の安心のためのものだ。

 だからこそ、その鍵を破壊して出てきたというのは、問題だった。


「…………鍵は、壊したのか?」


 彼女たちへの疑惑と焦燥が湧き上がってくるが、こちらを見上げるP03が冷めていく視線に、以前感情が読み取れると言っていたことを思い出す。

 下手に隠すよりも、言葉にした方が、下手な衝突はしないかもしれない。


「壊してない」

「じゃあ、どうやって出てきた? 鍵は掛かってただろ」

「人が来たから、鍵は壊してない」

「人?」


 ヴェノリュシオンたちの部屋に行く人間は少ない。

 食事も全て牧野が運び込んでいるし、もし部屋を訪ねてくるとすれば、牧野への用事だ。


「じゃあ、軍曹呼びに来たの? エライねぇ」


 楸がへらりと笑いながら褒めれば、ふと見えた素足に、つい真顔に戻ってしまう。


「廊下とはいえ、裸足は怪我するし、汚れるぜ? 酔ってマッパで寝てた俺が言うんだから、間違いない」

「お前、また遠征行きたいのか?」

「それならせめて、ひと瓶ください」

「少しは反省しろ……」


 全く反省しない楸に、牧野も大きくため息をつく。

 P03が靴を履き忘れることは多い。今まで靴を履くという感覚が無かったからだろう。

 あの精神世界でも、彼女は裸足だった。


 靴に関しては、ヴェノリュシオンたちも似たようなもので、狩猟を始めるようになってからは、足を防御できるからかちゃんと履くようになってきた。

 しばらくすれば、P03も慣れるだろう。


「人が来てるなら、一度戻るか」


 わざわざ、直接ヴェノリュシオンたちの部屋へ訪ねに来ているのだから、誰が来ているにしろ、緊急の用件だ。

 牧野が部屋に戻ろうと、P03を抱き上げようとした時だ。

 覚えのある足音が近づいてきていた。


「Pッ!!」


 殺気に身を引けば、P03に食い掛るように現れたのは、S08だった。


「一人で外に出るなんて、何考えてるんだ!!」

「マキノ、呼びに来たんだよ?」

「一人で行かなくてもいいだろ。靴も忘れているし」

「ごめんね」


 ほら、大丈夫。と、足の裏を見せようとP03が足を上げようとすれば、取り上げられるようにS08が足を持ち上げ、P03はバランスを崩した。

 隣にいた楸が支えたおかげで、倒れることはなかったが、楸もS08へ注意するため口を開きかければ、今にでも殺してきそうな視線に口を閉じた。


「Pは俺たちに比べて、ずっと弱いんだ。勝手に動き回るな」


 もう片方の足にも怪我をしていないことを確認するために、また足を掴もうとするS08に、牧野も止めようと手を伸ばすが、遮るように聞こえる大声に、S08が目を見開く。

 声の主はP03の隣にいた楸だった。


「Pちゃん、膝に座りなよ。ほらほらっ」


 S08に睨まれ、内心泣きそうになりながらも、自分の膝を叩く楸に、P03は大人しく楸の膝の上に座った。

 そして、S08に足を見せれば、不満そうに睨まれたまま、P03を抱えると肩に担ぐ。


「戻るぞ」

「待って待って。マキノ。マキノ連れてく」


 抱え方が、人というより物扱いのようだが、抱えられている側のP03が気にした様子もなく、手足をばたつかせている。

 楸も反応に困ってしまうが、牧野の表情を見る限り、どうやらこれが日常的な風景らしい。


「悪い。助かった」

「いやいや。礼はアレの融通でいいっすよ」

「考えとく」

「あ、ダメなやつ」


 S08に抱えられながら、こちらへ手を振るP03に手を振り返しながら、こちらを無視して、部屋へ戻ろうとするS08に、諦めたように追いかける牧野を見送る。

 どんな恐ろしいモンスターかと思っていたが、どうやら本物は何とも子供らしい存在らしい。

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